第85話 戴冠式(2)
レスティオはぐったりとソファに寝転んだ。
一言も発することなく微動だにせず微笑みを張り付けていた所為で、流石に表情筋に違和感を感じる。
「レスティオ様、お茶と軽食をご用意致しました」
「気分の休まるお香を焚かせていただきます」
「衣装の乱れはこちらで直しますので、ゆっくり休んでください」
側仕えたちが気を遣ってくれるが、十分もすればパーティ会場へと向かわなければならない。
食事はあまり食べられないので、今のうちにポテトサラダのサンドイッチを頬張る。
「レスティオ様。パーティ中は席を離れないということでよろしいですね」
「あぁ、もう今日は皇族の指示に任せるよ」
戴冠式はレスティオの為の催事ではなく、国の明るい未来を祝う場だ。
国を背負う皇族の意に従うことが正解だろうと、レスティオは早々に諦めている。
「パーティ中のご挨拶も皇族の皆様が対応致しますから、レスティオ様は構わず優雅にお過ごしください」
エリザの笑顔に少し疲れを感じつつも、レスティオは頷く。
サンドイッチを飲み込むと、両の頬を叩いて気を引き締め直した。
「お初お目に掛かります」
「素晴らしい式典でした。我々も心が洗われるようで」
「聖騎士とは驚きましたが、いやはや、お美しい」
代わる代わる皇族の前に挨拶に訪れる人たち。
謁見が叶わなかった者もいれば、改めて家族の紹介に訪れたり、献上品を持参する者もいる。
中には、他大陸の重鎮や国内外の商会長、名家の当主も並んでおり、列が途絶える気配はない。
どれだけ戴冠式が世界的に注目されているのか会場を見渡すだけで十分に窺える。
挨拶の入れ替わりのタイミングでレスティオは小さく手を挙げ、ネルヴィを手招いた。
「いかがなさいましたか?」
「視線を動かさないように。中央左テーブル。茶髪、グレーのスーツ、推定五十代の男の動きが不審。ナイフを持っている可能性がある。警戒しろ」
小声で耳打ちすると、ネルヴィは一礼して近くに控えていたキルアに耳打ちし、伝えた。
会場内には護衛部隊の上位護衛騎士と中位護衛騎士が散開している。
レスティオは、続く挨拶を受けながら、場内の動きを観察していた。
不審な様子で周囲を窺っている者が数人潜んでいる。
「では、また後程」
ラビ王国の王族たちが離れていくと、一度挨拶が途絶える。
楽師が演奏の準備を整え始め、会場ではダンスが始まる予感を感じて男女のペアが作られ始める。
予定では、ここでレスティオは一旦下がることになっている。
「レスティオ、お前はもう下がってもいいぞ」
「いや、少し気になることがある」
ロデリオは、先ほど耳打ちを受けていたネルヴィへと視線を向けて頷いた。
ここはセルヴィアかクラディナに協力を頼もうかと思っていると、不審に思っていた者たちが動き出す様子が見えた。
「ネルヴィ」
ネルヴィに小さく声を掛けて、場内へと駆けだす。
今し方挨拶に訪れた女性の背後に手を伸ばす男。更にその背後には、セバンが迫っていることを視界の端で確認する。
レスティオは、最初のダンスの相手は誰にお願いしましょうと同行者たちと笑う女性の腕を引いて抱き上げた。
空振りした男が驚いている隙に、セバンがナイフを持った腕を掴み、床に倒した。
間に立ったネルヴィは、セバンが抑えているのを確認して、近くに控えていたダイナ隊の兵に合図を送る。
「お怪我はありませんでしたか?エレオノール姫」
「は、はい」
見惚れた様子で返事をしたのは、ラビ王国第二王女エレオノール・ベルヴァーグ・ラビ。
セバンがダイナ隊の兵に確保した男を引き渡すのを見届けて、エレオノールを下ろす。
「突然のご無礼申し訳ございません」
「いいえ。危ないところに駆けつけて下さり、有難うございます。聖騎士様に助けて頂けるなんて、光栄です」
エレオノールの後ろでは、護衛だろう女性が恐縮した様子で身を固くしていた。
「レスティオ様、お怪我はございませんか?」
「あぁ、勿論」
「聖騎士なんてまがい物だっ!厄災を招く使徒だっ!聖女様でなくては、なにも救えんっ!」
連行されながら男が叫び声をあげる。
レスティオがそちらに目を向ける横で、ネルヴィはセバンに場を任せて早足で男の方へ向かった。
そして、徐ろに男の顔を掴むと、口元を覆うように鼻の下を氷で固めた。
「んっ、んんっ!?」
「氷なのでそのうち溶けます。早急に連れ出してください」
「あ、あぁ、わかった」
「協力に感謝する」
平然とした表情で戻ってきたネルヴィに、レスティオは思わず目を瞬かせた。
「主人の心の平穏を守るのも側近の役目と教わりました」
レスティオの様子をどう受け止めたのか爽やかな笑顔を向けてきたネルヴィに、レスティオはひとまず感謝することにした。
そこに、表情を険しくしたユリウスとリアージュが歩み寄ってくる。
「レスティオ様。警備を擦り抜けてきた不届き者がいたようで、申し訳ありませんでした」
「その謝罪は、まず賓客たちにすべきではないかな?皇帝陛下」
「いいえ。この世界において最も優先されるべきは聖なる御方の御心です。レスティオ様が我が国を救い導いてくれる存在であることを広める祝いの席で、不信感を抱かせてしまったのではないかと、そちらの方が心配です」
ふと、違和感を感じつつも、レスティオはユリウスに笑顔を向けた。
「前例にないことに戸惑う者がいることは仕方がない」
「しかし、」
「聖騎士が聖女と同様にこの世界を救えるのか。この会場にいる皆様の中にも疑問の思われている方がいらっしゃる事でしょう。是非とも、この場だけではなく、今後の私の働きを踏まえた上でご判断頂けたら幸いです」
口を開くユリウスを無視して、レスティオが高らかに声を発すれば、会場中から拍手が沸き起こる。
大陸会議と同様、この世界の人間は、異世界から召喚した聖の魔術を扱える存在を求めている。
戴冠式を行っている時点で、聖の魔術が扱える存在であることは証明されている以上、救いを求める者ほど反感を抱くことはない。
「さて、ユリウス。少し荒事はあったが、パーティはこのまま続行するのかな?」
「えぇ、勿論でございます」
「であれば、エレオノール姫。先ほどの無礼のお詫びと言ってはなんですが、もしよろしければ一曲だけ、貴方の時間を私に頂けませんか?折角のパーティですから、荒事など忘れて共に宴の時を楽しみましょう」
「まぁ、助けて頂いた上にダンスのお誘いまで頂けるなんて。私でよろしければ、是非、御手を取らせてくださいませ」
レスティオの手を取ったエレオノールは、控えている護衛に目をやった。
レスティオも、ネルヴィとセバンに視線を送る。
「聖騎士様の筆頭護衛騎士のネルヴィ・ボートムと申します。よろしければ、主人の隣で共に踊りませんか?」
「お誘いくださり有難う御座います。喜んで手を取らせていただきます」
側近たちが一歩前に出る中、身長の低い女性を見つけて、ネルヴィはユハニを手招く。
演奏の試し弾きが始まり、場所の移動が始まる。
レスティオとエレオノールの周囲には護衛と皇族たちが位置を取り、ロデリオとクラディナのパートナーとその側近以外は見知った者たちに囲まれた。
ダンスが始まると、エレオノールの型通りだが流れるようなステップに合わせて、レスティオはリードを調整する。
「レスティオ様とお呼びしてよろしいかしら」
「もちろんです。エレオノール姫」
「レスティオ様は踊りが上手いのですね。これまで踊ってきた中で一番踊りやすいです。このままずっと踊っていたいくらい」
悪戯っぽい笑みにレスティオは笑顔だけ返した。
明るく青みのある紫色の髪に勝気な目元はリアージュに似た印象を受ける。
「もし、私が助けに入らなかったら、どのようなシナリオだったのですか?」
レスティオがそっと耳元で囁けば、エレオノールは笑みを深めた。
「レスティオ様がいらっしゃらないシナリオなんてありませんでしたよ」
「シナリオの存在は認めるんですね」
「気づかれたなら隠すのは得策じゃないと言われました」
不審な動きをしていた者の正体は恐らく毒殺未遂に関与した者。
生贄を免れる代わりに皇族に利用されたのだろうと推測した。
ラビ王国を巻き込んで、聖騎士の印象をより強める作戦か。
「気分を悪くされましたか?」
「いえ、聖騎士の存在を訝しむ者への牽制と思えば、理解はします」
「そうですか。私は、とても頼もしい聖騎士様の訪れを肌身で感じられて、役得だったと思っています」
エレオノールは一連のことを楽しんでいる様子だった。
「カナリア様は学力も魔力も平凡で、話していても素朴なくらい普通の女性でした。オリヴィエールにカナリア様が渡らなかったことは、むしろ良かったのかもしれないとすら思ってしまいます」
不意にエレオノールがずいっと身を寄せて来る。
「優秀が過ぎると戦乱の火種になりかねませんから、その点はレスティオ様の方が注意が必要そうですが」
含みのある口ぶりが気になったが、曲は終盤に向かい、程なくして音楽が止まった。
自然とダンスも止まる。
「あぁ、もう一曲が終わってしまいましたわね。残念ですわ」
「えぇ、心地よい時間ほど過ぎるのは早いものですね。テーブルまでエスコートさせて頂けますか?」
「お願いいたします。ふふっ、周りのご令嬢たちに羨まれてしまいそう」
次の曲を踊る人を避けながら、元居たテーブルへとエレオノールをエスコートする。
周囲の令嬢たちの視線を感じながら別れを告げると、レスティオは当初の予定通り下がって休憩に入った。
ダンスの時間が終わる頃合いで、休憩に下がった皇族に紛れて席に戻り、パーティは無事終えた。




