第84話 戴冠式(1)
護衛部隊は日々講習に臨み、日に日に頼もしさを醸し出すようになった。
レスティオは成長を微笑ましく思いながら、城内に客人が増えるにつれて制限されるようになった行動をつまらなく思っていた。
「ルカリオ。読み終わってしまった」
「あっという間ですね。次は十冊くらい持ってきて頂きましょうか」
椅子の背もたれに寄りかかって室内を見渡せば、窓の前と扉の前にネルヴィとエヴァルトが控えている。
報告では、部屋の外にはアロウと中位護衛騎士が控えていることになっている。
最初こそ、ダンス練習に付き合ったり、特待生の打ち合わせなどしていたが、護衛騎士に護衛以外のことをやらせるなら他の護衛を入れろとロデリオに怒られた。
詳細に詰められた護衛計画を文書で受け取っているので、我が儘で変更させる気にはなれず、今は護衛に注力してもらっている。
「レスティオ様。整髪剤の手配が出来ましたので、お持ち致しました」
「あぁ、見せてくれ」
部屋に入ってきたシドム・バーンズは新しい側仕えだ。
大陸会議場で起きた毒見の一件以来、騎士でありながら薬師でもあるユハニに憧れ、側仕えの傍ら調薬の勉強を始めた期待の新人である。
「事前にお伝えしておきますが、匂いは良くありません」
「ほう?」
シドムが蓋を開けると、その瞬間異臭を感じてすぐに閉めるように指示する。
シドムと共に部屋に入ってきた同じく側仕えのラハト・ユーナがすぐに空気を入れ替えようと窓を開けた。
「花や香草を絞ったお湯で軽く溶いて、匂いを薄めてから使うそうなのですが、城で購入した記録は数百年前で途絶えており、なにを組み合わせるかは今後要検討です」
「普通はその検証を終えてから持ち込まないか?」
「ぁ、す、すみませんっ!レスティオ様が時間を持て余されているなら、共に検証しても良いのかもしれないとヴィム殿に伺いまして、それも良いのかと」
「そういうことなら問題ない。花や香草は何がある?ぁ、そもそも、お湯で溶いた時点でどんな匂いになるんだろうな」
実験を開始するも、中々匂いに慣れず、一時間と持たずに整髪剤の使用を断念した。
「少々部屋に匂いが付いてしまったと思うので、香を焚きますね」
ラハトは容器に入れていた香りのよい香草を取り出し、香炉を用意した。
窓を閉めて香草を燃やすと、香りが立ち込めてくる。
頃合いを見て火を消し、風の魔術で部屋中に香りを広げてから窓を開け放ち、余分な香りを外へと逃す。
「これで不快な匂いは消えたと思いますが、いかがでしょうか」
「案外早く窓を開けるんだな」
「はい。もう少し香りが強い方がお好みでしたか?」
「いや、これくらいで十分だよ」
ユーナ家は調香師の家系で、ラハトの両親は皇室付きの城仕えを務めている。
ラハトは、物腰が柔らかく自己主張するタイプではないが、故に調和を大事に仕事に励んでくれている。
最近は、寝具や着替えにさりげなく香り付けされているのが心地よく、ヴィムの選定に感謝していた。
「出来れば、髪を整えるのは側仕えとして任されたいのですが、残念です」
レスティオがなにもしないと言えば済む話なのだが、公的な場で既に髪を整えた姿を見せている。
大陸会議と戴冠式の格を考えると、戴冠式を蔑ろにしているように映らないとも限らないので、髪は整えるようにユリウスから言われていた。
「もうすこし髪が伸びたら編んでもらったりするのもいいんだろうけどな」
「それこそ、女性のように見えてしまいそうですが、よろしいのですか?」
側仕えたちには聖騎士の衣装が女性のようだと指摘し、仕立て屋に直させていることが伝わっている。
シドムの疑問はもっともだった。
髪を編むのは女性だけで、髪の長い男性はひとつに結いまとめるか、下ろすことが多い。
「俺の世界では男でも髪を編むことはあったよ。セバンが髪を切る前だったら、手本に見せられたのに残念だ」
髪が伸びてきたら手本を見せると約束すると、側仕えたちは気を取り直した様子で仕事に戻っていく。
「レスティオ様。剣魔術研究における予算書をまとめて参りましたので、ご確認をお願い致します」
ロングスカートの裾を軽やかに揺らしながら入ってきたのは、レスティオの秘書官となったエリザ・グランツ。
レスティオの側近唯一の女性であり、魔術師団団長の妻であり、元帝国軍総帥秘書官の一人。
エルリックの推薦で引き受けたが、三日で各所に散らばるレスティオに関する情報を取りまとめ、一元化してくれた。
聖騎士案件はロデリオを始め、皇族が関わることになっているが、その点の調整も抜かりなく動いてくれている。
「それから、屋敷にあった本なのですが、魔草学というものに興味はございますか?」
「魔草?香草や薬草とは違うのか?」
「薬草の一種と言われますが、魔力を含んだ特別な植物をまとめています。珍しいものならば、少しは暇を潰せるかと思いまして」
「有難う。後で読んでみるよ。護衛騎士のユハニ・リトラも興味を持つようなら貸してやってもいいかな?」
「えぇ、どうぞ。あぁ、そうだわ、ジャスミー相談役から預かった本もあるんでした。後でお持ちしますね」
ロゼアンとセバンに特待生候補として要求を突き付けている状況なだけに、気ままに過ごしている時間は申し訳なく思う。
その分、資料や派遣時のカリキュラム想定はきっちり固めておこうとレスティオは机に向かい始めた。
仕立て直された衣装を纏い、大陸会議同様に髪を整える。
丹念に磨かれた魔剣ネメシスを腰に下げたところで、ラハトにヴェールを被せてもらう。
そろそろ必要ないんじゃないかなと思いながら、側近たちを連れてパレードの待機場所へと移動する。
正装で着飾った皇族たちが側近と共に待ち構えていた。周囲を国旗や槍を手にした兵が囲み、物々しい雰囲気を醸し出していた。
「来たか、レスティオ」
「今日は、オリヴィエール帝国が聖オリヴィエール帝国となったことを民衆に知らせる祝いの日じゃなかったのか?緊張する気持ちは理解するが、もう少し喜んだ顔をしてもいいと思うんだがな」
外からは今か今かと待ち侘びる賑やかな声が聞こえてくる。
レスティオの指摘に、ユリウスは息を吐いて表情を緩めた。
「そうだな。レスティオ、改めて其方を我が国へ迎えられたことを嬉しく思う。今日は頼むぞ」
「今日だけじゃなくて今後ともよろしく頼むよ」
握手を交わして、パレード用の屋根のない馬車に乗りこむ。
大勢で乗れるものではないので、馬車は四台に分かれている。
先頭は、ユリウスとリアージュ。次にレスティオ。その後ろに、レナルド、ヴィアベル、セルヴィア。最後にロデリオ、クラディナと続く。
馬車の横には専属の護衛、周囲には兵たちが展開しており、厳戒態勢だ。
「出発しますっ!」
正装姿で騎乗しているエルリックが皇族の馬車を先導し、城門前へと移動する。
城門の前には正装姿で騎乗した騎士団の隊長格以上の者たちが待機していた。
一人だけ鎧を纏わずに煌びやかな正装を纏う男に目を留めると、レスティオの視線に気づいたドレイドらがそっと視線を逸らした。
あれが噂に聞くクエール・マッカーフィーかと理解して、レスティオも正面に向き直った。
開門されると、エルリックの後ろにダイナ隊の主力が続き、皇族の馬車が門をくぐる。
控えていたドレイドとクエール、各部隊長は全ての馬車が出た後に殿として続く。
聖堂へと続く道には、両脇に各隊の兵たちが並び、道を確保していた。
沿道にも建物の窓にも人がたくさん集まり、絶え間なく歓声が沸き起こっていた。
折角パレードというなら音楽もあればいいのにと思いながら、レスティオはヴェールの下に微笑みを貼り付けて、周囲へ手を振った。
「レスティオ様ー!」
歓声の中に聞き覚えのある声を聞いて顔を向けると、服屋メルヴィユの前でジェオが手を振っていた。
その手には、『ジィノ』と装飾された文字が刺繍されたハンカチが掲げられていて、ブランドロゴが出来たのかと理解する。
隣には先日見かけた女性店員が並んでいて、妹か恋人かどちらだろうと考えながら手を振り返す。
沿道には、ヴィムやメノン、リンジーの姿の他に、ハイラックの妻のユーリアの姿も見えた。
魔物学の書物を読ませてもらうのに何度か屋敷で顔を合わせ、食事も共にしたことがあるユーリアは、自分に視線が向けられていることに気づくと笑顔で手を振り返す。
妻に甘いハイラックは、今頑張って表情を引き締めているんだろうかと想像して笑みを堪える。
途中、ロゼ兄様と声が聞こえて、ロゼアンの弟妹もどこかにいるのかと探すが生憎その姿は見つけられなかった。
勘当されて以来、家族と会っていないというから、弟妹にとっても今日は貴重な機会なのだろうと思いを馳せる。
コークの商人は芋と卵を手にしながら大きく腕を振っていた。
酒屋の近くでは、ヴィシュールのジョッキを手にしている者たちがいて、先日は見かけなかった屋台がいくつか見えた。
この世界でも祭りの時にはこうして賑わうのだなと、軍学校の学祭や、母国の平和祈念式典を思い出して表情を綻ばせる。
そして、イアンナと店の娼婦たちの姿もみつけた。
皆が艶やかなドレス姿の中、ルミアは先日贈った服を着ていた。
魔力結晶の髪飾りで編み込まれた髪を束ねる姿は、薄化粧をしていることもあって町娘にしか見えない。
表情はどこか悲しげで、隣に立つクアラの腕を抱きしめる姿が見えた。
視線を逸らすと、ふと、窓の外から身を乗り出す子供の姿が見えた。
「ぁ、」
落ちると思った瞬間に馬車の座面を蹴って飛び出した。
助走もない跳躍力だけでは流石に足りず、風の力も借りて、窓の外へ落ちた子供の腕を空中で捕まえる。
子供の身体を腕の中に抱えながら窓枠を蹴って、両親のいる窓へと向かって飛び上がる。
「気をつけないと危ないですよ」
子供を両親へと差し出すと、子供も含めて何が起きたのか理解できなかった様子でぽかんとした。
一拍の間を置いて、状況を認識した民衆たちは大きな歓声を上げた。
「ぁ、ありがとうございます。聖騎士様」
「どういたしまして」
子供が両親の腕の中に飛び込むのを確認して、レスティオは移動を止めた隊列を見下ろす。
驚愕と呆れと様々な表情が見える中、レスティオは自分が乗っていた馬車の方へと飛び降りた。
着地に心配はなかったが、ネルヴィが馬車に上がり手を伸ばしていた。その手を掴んで着地し、エスコートされながら座り直す。
「あのっ!」
飛び上がった際に落ちたヴェールを数人が取り合うように手に取り、差し出してくる。
沿道に立った兵が前に出過ぎないように抑える中、ロゼアンがヴェールを受け取った。
ぐしゃぐしゃになったヴェールは被り直すわけにもいかず、そのままロゼアンに抱えていてもらう。
ネルヴィが馬車を降りると、合図と共に再び進行が再開する。
素顔が露わになったまま、民衆へと手を振り続け、大聖堂の前へと進む。
扉の前にはドーベル家の直系一族が神官のような衣装を纏って待ち構えていた。
扉が開けられると、ユリウスとリアージュが先に中に入り、祭壇の上に上がる。
「これより、聖オリヴィエール帝国、戴冠式を執り行う。我らがオリヴィエールの地に訪れし聖なる御方の名は、レスティオ・ホークマン!」
ユリウスに呼ばれて、レスティオはゆっくりと姿を見せつけるように大聖堂の中を歩く。
その後ろにレナルドらが続き、レスティオは祭壇へ、皇族は前方の席に並び座り、護衛は壁に沿って並び立つ。
全員が位置に着くと頷き合い、事前に打ち合わせた通り、レスティオは大聖堂に集まった関係各所の代表者や各国の使節団の方へと向き直った。
「我が名は、レスティオ・ホークマン。英知と技術の発展により才ある者が溢れた国、エリシオール合衆国より、厄災に見舞われしオリヴィエール帝国へと招かれし者なり」
出来うる限り、仰々しく、高らかに語る。
多少の羞恥は演台の前だと思って耐える。
「我が身に宿りし数多の力を奮い、聖騎士としてオリヴィエールを襲う厄災を退け、安寧の時を彼の大地に齎そう」
拍手を受けながら、再びユリウスに向き直る。
ユリウスは一歩前に出ると、レスティオの前に跪いた。リアージュも倣って膝をつく。
「聖騎士レスティオ・ホークマン様。どうか、我らオリヴィエールの民に、そして、エディンバラの民に大いなる慈悲と救いをお与えくださいませ」
「願いに応じ、オリヴィエールの地に聖なる力を奉納する。願わくば、皆様も平和の祈りを共に捧げ下さい」
レスティオは祭壇の奥の壁面に描かれた魔法陣へと向かった。
ユリウスとリアージュは一度立ち上がり、魔法陣の方へと向かってまた跪く。
「聖なる加護を与えし我が神よ。我が身の力を御身が力と掛け合わせ、この地の魔を払い除け、救いを与え給え」
大聖堂の魔法陣に詠唱と共に魔力を注ぐことで、大聖堂を中心とした一帯は厄災の被害を抑えられるという。
謂わば、結界のようなものとレスティオは理解している。
詠唱は覚えたが、魔法陣は大聖堂にしかなかったので、ちゃんと発動出来るのか未知数だ。
「願わくば、このオリヴィエールの地に安らかなる時をもたらさんことを」
続く詠唱は、召喚の儀式の方法と共に古くから世界中に伝わる言葉。
聖の魔術の詠唱で使うイ・ヴェールのように、レスティオには解読し難い単語とも言えない言葉の羅列になる。
正しい発声の仕方もわからない言葉を、覚えたままに口にし続けること数分。
体の魔力が抜けていき、魔法陣が光った。
「レスティオ様、ご加護を賜り、誠に有難う御座います」
これでいいのかな、と思っていると、ユリウスから声がかかったので振り返り、最初の立ち位置へと戻る。
ユリウスとリアージュも立ち上がり、揃って正面を向く。
「我らがエディンバラ大陸は今まさに厄災の脅威に侵されています。されど、共に手を取り合い、力の限りを尽くし、必ずや安寧を取り戻してみせましょう」
ユリウスが拳を掲げると、おぉっと歓声と共に拳が挙げられる。
祭壇の上でユリウスとリアージュと握手を交わし、友好を見せたところで退場し、再び馬車に乗り込んで城へと戻る。
帰りもまた民衆に手を振って愛想を振り撒き、城に着くなり、臨時の待機室で昼食を急ぎ食べるように促される。
食事を終えたら、衣装や髪を直されて、謁見の間へ。
ユリウスとリアージュと並べられた椅子に座り、その少し後ろに下がった位置にレナルドたちが腰を下ろす。
数時間の間、レスティオはユリウスとリアージュが謁見に応じる様子を横目に、顔に笑顔を張り付けて過ごした。




