第8話 魔力発現
朝起きて柔軟を終えると、ルカリオが来るまで勉強を再開する。
顔くらい洗いたいが、魔術が使えないうちは待つしかない。
七時になるとルカリオが部屋にきて水回りの支度を始める。
本当ならば主人が目覚めるより先に控えているものらしいが、寝ている間に部屋に入られるのは落ち着かないので時間を決めた。
「レスティオ様、顔を洗う準備ができました」
「あぁ、ありがとう」
布を用意してもらい、洗顔を済ませると着替えて朝食の席に着く。
相変わらず味のしない食事を終えて、レスティオは片付けに動き回るルカリオを手招いた。
「ルカリオ。いくつか質問をしたいのだが、時間は取れるか?」
「は、はい。仕立て屋が来るまではもう少し時間があります」
片付けを済ませるのを待って、ルカリオに向かいの椅子に座るように促す。
恐縮した様子に、本来側仕えを座らせるなんてないのだろうと思いつつも話を始める。
「ルカリオは魔術が扱えるよな?」
「はい。魔術学院を卒業していますので。ただ、一般的な生活に少々重宝される程度の魔術スキルしかありません。お仕えする上では支障はないはずですが」
「どのように使用しているんだ?特になにか呪文を唱えたりはしていなかっただろう?」
「そうですね。詳しくは魔術基礎の講義が始まったら教わるかと思いますが、魔力適正のある簡単な術なら詠唱は不要です」
魔術を扱えると一言で言っても魔力には属性があり、適正がある。
その人が扱える属性の中で詠唱の要否は術によって異なり、詠唱は体内の魔力の流れや魔力を放出した後の制御を委ねる為に行う。
制御を自分で行えるなら詠唱は不要であり、日常的に使う生活魔術程度なら特別訓練を受けなくても数年あれば無詠唱で行えるようになる。
「ちなみに水を出す詠唱は?」
「あー……ぇーっとですね。多分、昨日図書室からお借りした魔術教本の中程に書いてあるかとは思うのですが」
昨日は国試関係の本を読んでいたので魔術教本は読み進めていなかった。
目を泳がせるルカリオに、随分と前に無詠唱を習得したのなら覚えていなくても仕方がないとフォローして次の話題に移る。
「ルカリオはどうやって無詠唱で制御しているんだ?」
「そうですね。水なら、例えば、体内の魔力を手に集中させて、魔力を具現化するのに水の形をイメージすると放出されます」
「魔術基礎の教本に書いていた魔力結晶の作り方とほとんど変わらないな」
魔力結晶すら作れずにいたレスティオの姿を見ていたルカリオは青ざめた。
「いや、まぁいい。それは、水差しやシャワーを使うときも同じなのか?」
「ぁ、それはまた違います。それは魔術具なので、魔力を注げば使えるようになっています」
水の適正がないと使えないですけど、といいながら、ルカリオはお茶セットの中のポットを手に取るとグラスに水を注いで差し出した。
受け取ってそれを口に含みつつグラスの中の水をにらんだ。
「この世界に自然の水はないのか?海とか川とか、地下水を井戸で汲み上げるとか」
「あります。私は水魔術が得意なので自分の魔力に頼ってしまいますが、苦手な方やそもそも魔力を扱えない人もいますからそういう人は井戸水を使用したりしているそうです」
「それらの水は口に含んで問題がないのか?」
「えっと……興味がおありでも試さないほうがよろしいかと。飲めるようにするのに加工が必要なのです」
そこは元の世界と変わらない。
ぐっと水を飲み干して、そのグラスの上に手のひらをかざす。
「魔力を集中させて、水の形に具現化するイメージ……か」
魔力とはそもそもどういうものなのか。単純に手に意識を集中させたところでなにが起きるわけでもない。
魔力を具現化というのだから手のひらから放出されるイメージなのか、どこからともなく水が現れるのは空気中の水素を集めているのなら吸収して放出するイメージか。
グラスにかざしていない左手の指先で唇をなぞり、目を細めた。
その瞬間。ブワッと体内からなにか抜けていく感覚があった。
水が急に溢れ、その勢いにグラスが倒れてテーブルの上が濡れた。
「ぁ、」
「危ないっ」
床に落ちる寸前でルカリオがグラスを浮かせて拾い上げた。
そのままレスティオに手をかざすと溢れた水も服の濡れた感触も消えて無くなった。シャワーの後に乾かしてもらう時と同じだ。
「び、びっくりしました。レスティオ様、もう魔力を発現させることができるなんて」
「いや、俺もなにが起きたのか……」
「これは凄いことですよっ!ちょっと待ってください。これは、宰相閣下にすぐ報告を上げなければならないので少し席を外させて頂きますね」
わずかに水が残ったグラスを置いて、ルカリオは興奮気味で部屋を出た。
その姿を見送ってから自分が出した水を一口含んで吐き気を覚えた。
なんともいえないえぐみのある水とルカリオが使用したポットを見比べる。
ルカリオはグラスに直接水を注がなかった。見た目の問題かと思ったが、魔術具に仕掛けがあるのかとポットを睨む。
(味の調整は判断がしにくいが、例えば、イメージさえすれば温度は調整できるのだろうか)
今度は手のひらを上にして放出された魔力が固まるイメージをした。
氷ができると思いきや、透き通った鮮やかな色合いの虹色の結晶が出来上がった。
これは何かの拍子に溶けたり壊れたりしないのだろうかと、なんの形とも言えない物体を窓から差し込む日差しにかざしてみる。
光の具合で様々な色が煌めいた。
「おぉ、これは随分と見事なものを……」
「レスティオ様、お待たせ致しました。魔術の講師となられる方が丁度いらしていたのでお連れ致しました」
「お初お目にかかります、聖騎士レスティオ・ホークマン様。わたくし、帝国魔術学院高等課程にて魔術講師をしております、アッシュ・ホーンと申します」
ルカリオに挨拶を促されて、惚けていたアッシュは恭しく頭を下げた。
「講師か。これからよろしく頼むよ」
「聖騎士様の講師を務められることを心より光栄に思います。しかし、まさか、なんの知識もないまま、召喚されてわずか三日で魔力結晶を出せるとは。しかも、その美しさ、流石、聖騎士様といったところでしょうか」
「これでなにかわかるのか?」
入り口のところからじっと目を凝らして魔力結晶を眺めるアッシュに魔力結晶を差し出すと、息を飲んでそろそろと歩み寄ってきた。
震える手で受け取り、恍惚とした表情で見つめながら感嘆とする。
不意に我に返ると講師の顔で向き直った。
「これは魔力を結晶化したものです。この色は放出した魔力の属性、そして濃さは魔力の強さを示します。純度については諸説ありますが、聖騎士様の魔力はこの世界全域で見ても最高峰と言えるでしょう」
「最高峰……強力な魔力を持っているということか?」
「はい。その分扱いには気をつけなければなりません。発現後しばらくは体が魔力に耐えきれなくなることもあります。制御の仕方を正しく身につけなければ、体内で中毒症状を起こすことも、体外に放出されて魔術が無意識下で発現することもあります」
「そうか。なるべく早く魔術を身につけたいと思っていたが、講義以外で下手に扱わないほうがよさそうだな」
アッシュはレスティオに向き合う位置に腰を下ろし、改めて魔力結晶を覗き込んだ。
ルカリオがティーカップを二人の前に置く。
「それで、アッシュ・ホーンといったか?」
「アッシュとお呼び頂ければ光栄にございます。レスティオ様」
「わかった。アッシュ。一応言っておくが、俺はまだ魔力と言われても実感がないんだ。体に流れているものと言われても意識してすぐに扱えるほどそれを認知出来てない」
「、なるほど。無意識に近い状態でこれを出してしまったわけですね。魔力が顕現したての者にはよくあることです。魔術修練学校で学ぶ基礎から順を追って学んでいきましょう。基礎をおろそかにしては今後に差し支えますからね」
カリキュラムについて軽く話した後は、仕立て屋が来ている間に講義の準備を整えるとアッシュは出て行き、午後から魔術講義が始まった。
力の制御だけでも早く覚えなければならないということで、他の講義は後回しとなった。
魔力とは、魔術とは、といった座学から始まり、実際に魔力を感じとる実習が行われる。
アッシュが帰ればそのあとは図書室から借りた本を夜が更けるまで読み、寝て起きて柔軟し、講義に備える。
延々とそんな日々を過ごし、数週間でアッシュの許可を得て水周りの世話は自分で出来るようになった。
その頃から他の講義も始まり、カリキュラムを日毎に組みつつ、魔術師団の使われていない演習場を使って実技訓練も始まった。
各属性ごとの魔術の扱いができれば、アッシュも資料でしか知らないという聖の魔術の訓練が始まる。
自然を癒し、人を癒す、聖女の御技。それは、レスティオにとっては各属性の魔術の扱いと大差なく、拍子抜けするほどあっさりと一日で習得してしまった。
本人曰く、詠唱を唱えただけ。
それだけで、城中大騒ぎとなり、改めて聖騎士の立場は城内に認められるところとなった。