第80.5話 ハイリの手記(2)
クラディナは鏡に映る自分の姿を見て、実に美しいと思った。
聖オリヴィエール帝国の皇女に相応しく整えられている。
「クラディナ様。お時間でございます」
「わかりました。参りましょう」
今晩は、皇族として認められていないミルネアを除き、皇族の集う夕食会。
クラディナが皇女と名乗ることを認めるか否かを見定める勝負の日だ。
「あら、随分短くしたのね。あぁも焼けてしまっては仕方がなかったのでしょうけれど、綺麗な髪だったのに残念ね」
着席前にセルヴィアに声を掛けられて、クラディナは微笑みで応じる。
「ですが、髪を短くしたことで、不思議と気が引き締まりました。皇族としてなにを重んじ、どのようにあるべきか、もう迷うことはありません」
「そう」
セルヴィアは、扇で口元を隠しながら目元に笑みを浮かべた。
「クラディナ。体調はどうだ?」
「ご心配お掛けして申し訳ございませんでした。お父様。聖騎士様にご慈悲を頂き、以前よりも調子が良いように感じております。母の部屋の整理を終え、心の整理も付けることが出来ました。私にお任せ下さったリアージュ陛下には感謝しております」
「それは良かった。座りなさい」
ユリウスに促され、クラディナはようやく席に着く。
上座にはユリウスとリアージュ。正面にはレナルドとヴィアベル、セルヴィア。隣にはロデリオ。
皇女として認められるか否かがかかっていると思わなければ、緊張する顔ぶれではない。
だが、周囲にはいつも以上に各所の要人や側近たちが並び、見定めるような目を向けて来る。
その事実に、クラディナは想像以上に自分の立場は危ういのだと気づかされた。
「では、クラディナの回復を祝して」
「皆様、有難う御座います」
グラスを掲げてユリウスが言うと、皆が口を揃えた。
クラディナは笑顔で応じる。
食事を始めると、スープからほんのりと味を感じて、手が止まる。
「こちらのスープ、いつもと違うように感じます」
「ほぉ、気づいたか。どうだ?」
「お酒ともお茶とも違っていて、不思議な味わい、ですね」
食事に味がある、ということに困惑しつつも、誰も不思議に思う様子はないことを確認する。
皇族の料理に味がある訳が無いが、皇族として認められていない以上、クラディナの皿だけ違うものや毒入りが用意されている可能性はある。
だが、この席に置いて、それは答えではない気がした。
お酒で間を補いながら、クラディナは必死に考える。もう一口、スープを口に運んで、探るような視線に気づく。
早く答えを見つけなければと思いながら、スープの中の野菜を口にして、明確な違いに気づいた。
「甘い……何故、こんなにも野菜が甘いのでしょう?スープの味にも関係があるのでしょうか」
「この野菜は、ドナから仕入れた物だ」
ロデリオの説明になっていないような言葉に、クラディナははっとした。
ドナは以前にレスティオが遠征に向かった土地だ。
「もしや、聖の魔術によって、このような味になったのですか?」
「そのようだな。勿論、聖騎士のレシピを少々取り入れた、ということもあるようだが」
「なるほど。だから、こんなにも心安らぐ味わいなのですね。今まで食べたスープの中で一番美味しいです」
これが食事だとは思えない。
だが、これが、これからのオリヴィエールの主流になるに違いない。
クラディナは舌に味をなじませるようにゆっくりと味わって食べた。
メインの肉料理の味気無さと添え物の野菜のバランスは、内心首を傾げたくなったが、全ての食事を終えて食後のお茶の準備を待つ。
食事中は、他愛のない東部や西部の皇室事情が語られるだけで、肩を張るような話はなかった。
「クラディナ。今の料理を戴冠式の会食に出そうと思うのだけれども、率直な意見を聞かせてもらえるかしら」
少し気の抜けたところにリアージュから声が掛かる。
「スープも野菜もとても美味しく、皆様に喜んでいただけるかと思います」
クラディナは笑顔で答えつつ、言葉を区切った瞬間に空気を探る。
レナルドや扇を広げたセルヴィアは何を語るのかと楽しげにしていて、他の皇族たちは穏やかな表情の中で目が試すように光って見える。
なにより、周囲の者たちが緊張している。
「しかし、聖の魔術を受けた野菜の味に対して、他の料理の味が変わっておらず違和感を覚えました。聖騎士様の恩恵を、料理人が受け止めきれていないのではないか、と思われてしまわないかと思います」
「ならば、どうすべきだと思いますか?」
続けられた問いに、方向性は間違っていないと気合が入る。
「そう、ですね。料理について、詳しくないので、調理に口出しをすることは出来ませんが……ぁ、いえ。以前、聖騎士様がコークへ遠征に向かわれた際の報告書を読ませていただきました。その中に、芋や卵と言った、これまで食べられていなかった食材を調理したという報告があったかと思います。聖の魔術を受けた野菜と共に出すのであれば、それらの食材を使った料理を共にお出しするのはいかがでしょうか」
メインに肉料理や魚料理はつきもの。
しかし、聖なる者のレシピの前にはささやかな一品に過ぎない。
「それは、貴女も馬の餌と呼ばれる芋や、平民も嫌厭してきた卵を食すことになりますよ」
「しかし、聖騎士様が美味しく頂けると提唱されたのですよね。でしたら、試してみる価値はあるのかと。勿論、料理人が調理を身に着けるまでの時間が足りるのかは問題かと思いますが」
リアージュは他の皇族たちと視線を交わして頷き合った。
そして、ティーカップを手に取り、一息つく。
その間が、クラディナの緊張感を高めた。
「クラディナ」
「はい」
「貴女は、皇女としてどうなっていきたいと思っていますか?」
全く異なる話題になったが、元々想定していた話題だけに、気持ちが楽になる。
「私は、ベルヴァーグの皇妃様方に憧れております。幼少の頃には、妃は夫の傍らに咲く華であり、夫を引き立てるものだと教わりました。ですが、リアージュ皇妃陛下もラビ王国のアデリナ王妃陛下も、夫と共に国を支え、凛々しく並び立っておられます。私も、女としてではなく、国を共に支える者として必要とされる人間になりたいと思っています」
「口で言うほど、楽な道ではありませんよ」
「存じております。ですが、私に関わったことを後悔されるような生き方はしたくありません。聖を冠する国の皇女として、誇りを持って人生を歩みたいのです」
ハイリに関わった者たちは、クラディナの前でも聞こえるように後悔を口にした。
大陸会議中、城内に残っていた側近たちも順次聴取を受け、日に日に城内から姿を消している。
暇を告げられ、鬱々とした者もおり、クラディナの護衛達は警戒を強めている。
側近たちの宿舎でも、ハイリ以下、クラディナやミルネアの側近の立場は急激に弱まり、他の皇族の側近たちの厳しい視線に耐えていると聞く。
「覚悟は決まっているようだな」
「はい」
レナルドの言葉にすぐに返事をする。
この場で社交の笑みなど不要と、表情を厳しく引き締めて反応を待つ。
「ひとつ聞くが、聖騎士様のことをどう考えている?」
「その存在については、オリヴィエールのみならず、大陸の厄災に大きく貢献することが期待される貴重な存在であり、最大限の敬意を払うべきと思います。聖騎士様ご自身について、ということでしたら、これまでの行動について謝罪をしなければならない、という想いが第一です。友好的な関係を築きたいとは思いますが、望まれなければそれまでと理解しています」
堅く答えるクラディナにセルヴィアが「あら」と扇の奥でいたずらな笑みを浮かべた。
「あんなに美しい方なのに、お近づきになりたいと思わないの?」
「美しいとは思います。しかし、闘技場で戦う姿をみている私には恐れもあります。皇女として気を張っていなければ、目の前にいるだけで震えてしまいます」
レスティオの部屋に乗り込んだ時も、ハイリや側近たちの後押しが無ければ、あんな時間まで残っていなかった。
その上、結果的には軽蔑されただけで、友好的な関係などほど遠くなってしまった。
浅はかで愚かな自分を呪いたくなる。
「お兄様が酒席をよく共にされていると聞いて、私はどうすべきだったのか今でも考えます。まずは、皇族として友好的な関係を築く為にどうすべきか、皆様にご教授頂けたら嬉しいです」
「まぁ、まず男女二人の酒席など外聞が悪いにもほどがある。目当ての相手がいるとしても、友人を数名招いて席を設けるのが筋だろう」
「そのような筋は学んでおりませんでしたもの。それに、お母様が健在の当時にお誘いしても、お兄様は同席してくださらなかったでしょう」
兄には少しの恨み言を。
表情を歪めたロデリオにクラディナはやっぱりと拗ねてみせる。
「わかっているのです。お母様とリアージュ皇妃陛下には大きな確執があり、私たちの教育の違いも含めて相容れないものでした。故に歯がゆく感じてきたことは数多くあります。私は、これからはお兄様とも共にオリヴィエールを支えるべく協力していきたいと思っています。ですから、思うところがあれば、今後はご指導願います」
本当はロデリオに屈するようで悔しさもある。
だが、聖オリヴィエール帝国の皇女として生きるためには、必要なことだ。
「貴女も、色々と抱え込んでいたのですね」
リアージュがやんわりと笑んで安堵したような表情を見せた。
「クラディナ。今度酒席を共にしましょうか。皇妃として貴女のことをもっと知っておきたいわ」
「お誘い頂けて、大変嬉しく思います」
「では、クラディナには、第一皇女として皇籍に復帰してもらうということで、異論は無いな」
状況を見守っていたユリウスが告げると、皇族たちは頷き、周囲は安堵の空気に包まれた。
その夜。
クラディナは、一冊の手記を机に広げていた。
この一冊は、毒殺未遂や大陸会議派遣団から帰還した側近が拘束されたことを知った側仕えの一人が隠し持っていた為、クラディナが燃やし損ねたものだった。
「駆け落ち、か……」
手記には、フィルデン随一の薬師リヒト・リトラとコルレアン王国の聖女ルフレ・ルーチェの恋物語が記されていた。
一見、どうということはない写し書きに思える。
しかし、これはかつてコルレアンの聖女を無き者にしたフィルデンを従わせる物語でもある。
ハイリの側近たちがクラディナの部屋へと持ち込んだ蝋燭や薬は、コルレアン王家の名を使い、ほぼ無償で集められたもの。
どれも、皇族と聖女が子を成すために使われるものであり、一部は大陸会議派遣団の道中にも使用されたと報告があった。
「こんなものを使われたら、逃げ出したくもなるわよね」
目の前にはハイリの側近たちが並んでいる。
クラディナは処罰を恐れる彼女たちを前にどうするべきか考える。
この手記は、フィルデンへ使いを出す時に持ち出されるもの。
この手記さえあれば、クラディナもフィルデン産の薬を安価で融通してもらいやすくなる。
だが、手に入れられる薬の用途は大方限られている。
その上、大陸会議派遣団を危険に晒した蝋燭はフィルデン産と知れており、今後、個人的にフィルデンから薬を調達するなど危険極まりない。
「事情はわかりました。では、選んでください。すべての罪を生贄になった者たちに押し付け改心するか、忠誠心に従い生贄となるか」
誰もが前者を選んだ。
ユリウスの側近を呼びつけて、証拠品のすべてを差し出せば呆れた顔をされる。
だが、隠すよりもすべてを話して敵意はないと示すことが何より大事だ。
「母の側近は全て私が責任をもって監督します。今後一切、聖騎士様は勿論、皇族の不利益になることはさせないと誓います。そのようにお伝えくださいませ」
「畏まりました。では、確かにお預かり致しました」
「えぇ、確かに預けました」
事を済ませて、クラディナはハイリの側近たちへと向き直った。
「いいですか、皆さん。貴方たちの命を助けたこと、貴方たちが私の側近として生きることを、私に後悔させないでくださいね。母のように人に疎まれながら生きて、死んで喜ばれるより、人の役に立ち、惜しまれて死ぬ人生のほうが皆さんにとっても良いでしょう?」
足を引っ張ってくれるなと念押しすれば、青い表情で首を垂れる。
ハイリの側近は全て中位以下に据えるように言い渡し、クラディナは側近たちを解散させた。
残された一冊の手記の最後には、クラディナが生まれた日のことが書かれていた。
『生まれたのは女。このままじゃ、第二皇妃の子が次期皇帝になってしまう。子を産めなくなる前に、男を産まないとならないのに、時間を無駄にしてしまった。どうせどこかへ嫁がせる娘を私が育てるなんて本当に無駄。早く乳母を手配してくれないかしら。』
ミルネアが生まれた日の手記を見つけることなく燃やしてよかったと思う。
クラディナの中に、母を想う憂いは無くなった。
皇族として、後ろ盾無く生きる覚悟と妹を守る覚悟を決めて、クラディナは天蓋の中で涙を堪えた。




