第80.5話 ハイリの手記(1)
クラディナが読んだのは、ほんの数ページだけだった。
だが、その数ページで、事態を把握するには十分だった。
最初に見つけたのは、毒殺未遂事件に使われた毒の関係者に関する記述。
『首謀者、薬師、城に持ち込むに至るまで関わった全ての人間を合わせると百人近い生贄が確保できる。これで、コルレアン王国にようやく贄を送れる。』
目を瞬かせて驚いた後、まさかと前のページをめくった。
『ダイナ隊が無罪放免になってしまった。折角、大量に生贄を確保出来るはずだったのに。ロデリオの従者からなんとか生贄に引きずり出してやりたい。』
『クラディナの侍女に聖騎士の部屋を整えさせたことで、思いがけず贄候補を確保出来た。けど、ユリウスがわざわざモルーナを呼び出すなんて、なにを企んでいるのかしら。それにしても、聖騎士と聖女の子孫ならば聖の魔力に恵まれた子供が出来るはずだったのに、クラディナにはがっかりだわ。』
そこにあったのは、コルレアンに送る生贄への執着。
聖騎士様に危害を与え、国家反逆に類する行為に加担していた証拠ともなる記録。
リアージュは、クラディナを第一皇女として扱うと言った。
だが、これが見つかれば、聖騎士暗殺の首謀者としてハイリの名前が挙げられかねない。
そうなったら、連座が適用されることは確実。ハイリの実子であるクラディナとミルネアは勿論、側近たちもまとめて生贄行きになってしまう。
誰かに見つかる前に処分しなくては。
心臓が痛いほど高鳴って、身体から炎が上がった。
目の前で手記が燃え、身体に痛みが走る。
「あぁあああああ――――っ!」
手を伸ばして棚に置かれた手記も全て燃やす。
冷たい水を浴びせられたが、それでも、この手記は残しては置けない。
母がいなくなった今、ミルネアを守れるのは自分だけ。
リアージュとロデリオは決して守ってくれない。
父もまた、母と良い関係では無いのだと、いつからか察していた。
「お気を確かにっ!クラディナ様っ!」
「誰かっ!誰か医者をっ!」
クラディナは、全身の痛みと絶望を吐き出すように声を上げて泣いた。
目覚めた時、クラディナは、レスティオの顔見て処刑を恐れた。
「お姉様」
「もう大丈夫よ、ミルネア。心配させたわね」
ミルネアの柔らかな髪を撫でて、クラディナは目を細めた。
部屋に顔を揃えていた皇族たちは、いつの間にか部屋を出ていた。
ずっと眠っていたので、湯浴みをさせてもらい、筆頭側仕えのクラリス・ゴルゴーンが淹れてくれたお茶を飲んで、ようやく落ち着きを取り戻した。
「クラディナ様。御髪を整えさせていただきますね」
「えぇ、お願い」
燃えてしまって痛んだ髪を切り揃えてもらうと、背中まであった髪が、肩に触れない程度の短さになっていく。
ずっと部屋で待っていたミルネアは向かいの席に座って楽しそうに笑っていた。
その目元は赤く腫れたままで痛々しく思う。
「髪が短いお姉さまも素敵」
「有難う。ミルネアは全然変わらないわね。身長は少し伸びた?」
「うんっ!」
椅子から立ち上がって成長を見せるミルネア。
その姿を見て、クラディナは込み上げてくる涙を堪えた。
「魔術もね、ちゃんと使えるようになったんだよ」
側仕えにハンカチを出してもらい、風で浮かせて見せたミルネアにクラディナは笑顔で拍手する。
凄いと褒めると、ミルネアはクラディナの膝に飛びつくように駆け寄った。
髪を整えているところに危ないと思ったが、側仕えは微笑ましそうに終わりましたと言って片付けを始めた。
「あのね、ミルネア、水は使えなかったの。火は練習すればもっと使えるようになるかもって。お姉様は?」
「私は、風が一番苦手かな。目に見えないものを扱うのは大変。それが使えるミルネアは本当にすごいと思う」
「本当に?ミルネア、偉い?」
「うん。よく頑張ったわね」
満足そうな笑顔にクラディナが穏やかな気分になったところで、リアージュが部屋へと訪れた。
ミルネアが息を呑んで、クラディナの陰に隠れた。
「気分はどう?」
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。もうこの通り、問題ありません」
クラディナは立ち上がり、リアージュを迎える。
そして、すっと頭を下げた。
「先ほどは、レスティオ様の前で取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。もし叶うならば、レスティオ様に心よりのお詫びと、聖の癒しを施して頂いた御礼をお伝えしたく思っております」
「貴女の振る舞いは、聖を冠する国の皇女として相応しくはありませんでした。レスティオ様への謝罪の前に、皇女としてのマナー教育を受け直しなさい。講師は、こちらで用意します」
ハイリは、聖女の血を継いでいない者とリアージュを嘲笑っていた。
しかし、クラディナは甘やかすように指導する講師たちに育てられた自分よりも、リアージュと厳しい講師たちに育てられたロデリオの方が皇族として優秀だと理解していた。
自分はいずれ政略結婚で嫁ぐ身だからとあえて気にしないようにしていたが、これから求められる皇女としての在り方を思えば、気を引き締め直さなければならない。
「畏まりました。聖オリヴィエール帝国の皇女の名に恥じぬよう努めます」
堂々としたクラディナの立ち姿にリアージュは安堵したように息をついた。
そして、クラディナの後ろに隠れているミルネアを見下ろして、表情を厳しくする。
「クラディナ。ミルネアも良く聞きなさい。貴女たちが実の母を亡くし、悲しむ気持ちは理解します。ですが、だからと言って、国の恥になるような言動は見過ごせません」
「はい。重々承知しております」
ミルネアは理解できていない様子で首を傾げて、クラディナを見上げる。
周囲に控える側近たちの表情も自然と厳しくなる。
「貴女たちには、皇族の内三名が認める振る舞いが出来るようになるまで、聖オリヴィエール帝国の皇女を名乗ることを禁じます。この居住エリアから出ることも許しません。戴冠式を始め、公務には一切関わらせません。当然、外交上の婚約を結ぶこともないものと思いなさい」
「ぇ、お外に出られないの?」
「ミルネア様。リアージュ陛下とクラディナ様は大事なお話をされておりますので、発言はお控え下さい」
不満そうな声を上げたミルネアに、筆頭側仕えのミルト・ジェネラスが跪いて唇を指先で抑えた。
「あら、私はミルネアにも話しているのだけど」
「承知致しております。しかし、この場でご理解頂くのは非常に難しいことと思います。後ほど、私の方から言い聞かせますので、どうぞお話を続けて頂ければと存じます」
跪いたまま頭を下げたミルトに、リアージュは驚きながらも頷いた。
「クラディナ。レスティオ様への謝罪と感謝を伝えたいというならば、一刻も早く認められるように励みなさい。ミルネアについても、皇女教育にふさわしい講師を揃えます。偶の姉妹の交流は良いでしょうけれど、甘やかしてばかりでは、ミルネアが皇女を名乗れる日が遠のくだけですよ」
「そのようですね。側近たちにもきつく言い聞かせるように致します」
クラディナは最低限の教育を受けている。
ロデリオやリアージュを見て学んできたこともある。
しかし、ミルネアは教育を受ける前で、ただ甘やかされてきた。
早急に意識を変えさせなければ、ミルネアが皇女と名乗れるのはいつになるかわからない。
「リアージュ陛下。ハイリの娘として、おひとつ、お尋ねしてよろしいでしょうか」
「なにかしら」
「母の部屋はどうなったでしょうか。もしよろしければ、引き続き片づけを任せては頂けないでしょうか」
「あぁ……そうね、お好きになさい。片付けが終わったら側近を通じて連絡を頂戴」
出ていくリアージュを見送り、クラディナはミルネアを振り返った。
言動以外に咎められていないということは、現時点ではハイリが聖騎士を貶めようとした証拠は掴まれていないと考えられる。
燃やした手記以外になにが部屋にあるとも限らないので、早急にハイリの部屋を改めたい。
「ミルネア。この後、部屋に戻ったらミルトの言うことを良く聞きなさい。そして、今の自分の立場をきちんと理解しなさい」
「立場?」
「そう。私たちはもう聖オリヴィエール帝国の皇女じゃない。皇帝陛下の、いえ、ユリウス・オリヴィエールの娘に過ぎない。同じことのように思うかもしれないけど、皇女ではないということがどういうことか、きちんと理解して受け入れて」
困惑した表情で首を傾げるだけのミルネアに、クラディナは悲しくなる。
「私は、一刻も早く皇女の立場を取り戻す。そうなれば、貴女も皇女として認められるまで、対等な姉妹ではいられなくなる。貴女は、私のことをお姉様ではなくクラディナ殿下、と呼ばなければならない」
「なんで?私はお姉様の妹でしょ。なんで、お姉様じゃ駄目なの?」
「何故なのか。理解出来るようになりなさい。皇族としての教育を受けたら、少しずつわかるようになるはずよ」
ドレスの裾を掴むミルネアの手は震えていた。
クラディナはその手をそっと握って、ドレスから離した。
「お姉様まで、いなくなっちゃうの?」
「私をお姉様と呼び続けたいならば、これから施される教育に全力で取り組みなさい。私と離れるのが嫌だと言うなら、貴女も離れない努力をして頂戴」
クラディナはミルネアの前に膝をついて真剣な表情で厳しく言いつけた。
「ずっと、魔術のお勉強ばかりしてきたのに、またお勉強……?」
「そうよ。嫌だなんて言わないで。嫌だと言うことは、私と離れたいと言っているのと同じことよ。私と一緒にいたいというなら、頑張ると言いなさい」
ミルネアは長く躊躇しながら、絞り出すように、頑張ると小さく呟いた。
これでは頑張ってはくれないだろうとため息を堪えていると、ミルトが後は私たちがと説得を引き受けた。
ミルネアが側近と一緒に部屋を出ていくのを見送ると、クラディナは側近を全員集めるように頼んだ。




