第7話 オリヴィエールを学ぶ
闘技場から部屋に戻ると、天蓋は整えられ、血の跡も拭われていた。
闘技場で砂埃を浴びていたのと、昨日から着ている軍服ということもあり、ルカリオに湯浴みと服の洗濯を勧められて素直に従うことにする。
この世界に一旦腰を落ち着けることに決めたのだから、いつまでも警戒するばかりではいられない。
ドックタグなどの装飾や身分証、通信機といった小物類は机の鍵付きの引き出しに片付けて、なにかあれば相応の対応をすることを念押しした上で軍服を預けた。
「申し訳ないのですが、レスティオ様に合う服が中々見つからず、今仕立て屋を手配しております」
「着られればなんでもいい」
「すみません。仕立て屋が着たら、サイズが合う服を一式いくつか揃えましょう」
ルカリオに申し訳なさそうに出されたのはスタンドカラーのボタンのないシャツとワンサイズ大きいノンカラーのジャケット、ウェストを帯紐で調節するボトムスだった。
城にあるもので袖や丈の長さが合うものを用意してもらった結果、腕周りや足回りが太く、不恰好な仕上がりとなった。
靴下と布靴を用意してもらってひとまず着るものが落ち着くと昼食の席へと促される。
メニューは朝食と代わり映えしないので、無心で胃に収めて食後のお茶をもらう。
「レスティオ様。宰相閣下より今後の事についてお話があるそうなのですが、お通ししてもよろしいでしょうか」
「あぁ、構わない」
マルクが文官を連れて部屋に訪れた。
彼らの服装を改めてみると、デザインはスカーフを首に巻いているくらいの違いしかないのに正装としてきっちりとして見えた。
どうでもいいと考えていたが、衣類は早めに揃えたいなと思う。
しかし、この場では、そんなことは表情には出さずにマルクらに席を勧める。
「お疲れのところ失礼いたします」
「あぁ、いや、疲れるほどのことはなにもしてない」
エルリックは騎士団の本部に赴き、先ほどの闘技場での無様っぷりについて説教し、特訓するのだと息巻いているそうで同席していない。
皇族との挨拶は、ユリウスの宣言の後、二人いる皇妃の一人が失神してしまったことと、レスティオの衣装が揃わないことを理由に見送られた。
その間に、マルクはカリキュラムを進めようと資料を用意してきていた。
文字に始まり、語学、魔術学などの教養科目から文化やマナー等あらゆる分野が列挙され、講義の優先度をつけていく。
講師の見直しが難航してる分野もあり、城の文官で事足りるものと講師の目処がつきそうな魔術学が優先されることになった。
「では、まず語学についてですが、こちらのソネルが講師を務めます。彼は城の蔵書管理をしている文官です」
「ソネル・パングーと申します。よろしくお願いいたします」
「よろしく頼む。講義はいつからになる?」
この部屋にいてもやることがない。文字がわからないので自習のしようもないのだ。
早めに文字だけでも教えてもらえたら、教本や資料をもとに自習で暇を潰せる。
「レスティオ様がお望みとあらば私はいつでも問題ありません。すぐに準備致しましょう」
ソネルが担っている蔵書管理というのはつまりは城内の図書室とそこに併設している資料室の司書。
教本にすべき資料は彼の頭の中に既に想定されているし、何事も無ければ日常の仕事も資料の整理や議会の議事録の清書などの事務仕事が多い。
締め切りに追われるようなこともないので、レスティオの講義を優先することはいくらでも出来る人選だった。
「それなら、講義は図書室で行ってもらおうか。もし、図書室を訪れる者がいてもそれならばソネルの業務に支障が出ないだろう」
「そんな、レスティオ様にご足労頂くのは恐縮です」
「一日中部屋に閉じ込められるのも息が詰まるからな。気分転換にもなっていいと思ったんだが」
「なるほど。そういうことでしたら、どうぞ図書室をお使いください」
答えに戸惑うソネルの代わりにマルクが答え、語学などソネルに学ぶ科目については図書室に行くことが決まった。
しかし、まだレスティオの処遇について城内に通達と指導が行き届いていないので、行動は部屋と図書室との行き来に留めてほしいとマルクに頭を下げられた。
第二のダイナ隊のような不始末はこれ以上御免だと言うのは、管理職の立場を考えれば理解できた。
レスティオは当面は大人しくしていようと頼みを受け入れた。
執務に忙しいマルクを見送って、早速ルカリオに勉強用の紙とペンを用意してもらい、ソネルとともに図書室へと移動した。
図書室のドアが開けられると、本棚が部屋いっぱいにぎっしりと並び、その間は人がすれ違う余裕もない光景が広がっていた。
吹き抜けで二階まであり、収められるだけの本が詰まっている。
「凄いな。暇つぶしは読書で当面過ごせそうだ」
「暇つぶしに、ですか。レスティオ様は軍人とのことですが文学に関心がおありなのですか?」
「本を読むことを苦には思わない。他に娯楽がないのなら選択肢のひとつとしていいと思うくらいだ」
教本が並ぶ棚に案内され、ソネルがいくつか本を抜き取る。
文字が理解できないことには他の本に手を伸ばせないので、差し出された本を素直に受け取る。
「他にはどんな本があるんだ?」
「ここにあるのは主に歴史書や学術書ですね。物語を楽しまれたいのでしたら、城下町の図書館に多く所蔵されているので手配します。魔術に関する本なら魔術師団の本部で管理していますし、騎士団では戦術に関するものを管理していますので必要とあらばお申し付けください」
それだけあれば、当面の暇つぶしには本当に苦労しないだろうと頷き返す。
早速文字を教えてもらうべく、十人程度が利用できる閲覧スペースに席を取った。
ソネルに基本文字を教えてもらいながら、元の世界の文字との対応表を作る。
文字の法則性さえ押さえてしまえば、発声は出来るので読み書きの習得はそう難しくなかった。
単語の意味や綴りに迷うことはあるが、それはそれとして都度覚えていこうと割り切る。
「魔術の基本は魔力を操ることである。魔力は誰の身にも宿っているが、その力を顕現させ扱うことが出来る者は限られる」
「まだ基本文字と基本的な構文を教えただけなのですが、もう読めるようになるとは……」
時間にして三時間ほど。
レスティオはもう不要になった文字教本を返し、単語をソネルに聞きながら魔術基礎の教本を読み進めた。
この世界において魔術は生活を便利にし、時にそれを職に活用し、時に魔物に対抗する上で使われる。
魔力が顕現するタイミングは早くて物心ついた時、遅くて二十歳を過ぎた頃という事例もあり一概にはいえない。
魔力を使う上での注意がつらつらと書かれた部分を流し読みながら、体の中の魔力の流れを感じ手のひらに集中して結晶化しろという、初心者には何の説明にもなっていない文章に眉をひそめる。
それでも、これができないと先には進められないと書かれているので、試してみるよりないだろうと手のひらを仰向けにして力を込めてみる。
何度か手を握って感覚を確かめるが、これと言って感じるものはない。
「レスティオ様、そろそろ休憩してはいかがですか?」
「あぁ、そうだな」
暫く自分の手を睨んでいると、ソネルが気遣うように声をかけてきた。
流石に息抜きをしようと、一旦諦めて肩の力を抜く。
「魔術については専属の講師が付くことになっておりますから。焦らずとも大丈夫ですよ」
「焦っているつもりはないんだけどな。本に書かれているほど単純なことではないんだな」
「覚えてしまえばすぐですけれどもね」
魔術の本は持ち帰り、夜に読むだけ読み進めることにした。
「そうだ。今更だが、何と呼べばいい?その辺りのこの世界の常識もわからないんだが」
「私のことはソネルとお呼びください。皇族の皆様をお呼びする時には殿下や陛下など敬称を付けていただくのがよろしいかと思いますが、それ以外の者に気遣いは不要です」
皇帝が膝をついたという事実だけで、城内では皇帝、あるいは、少なくとも皇族と同等の立場として認識されている。
宰相直々に応対しているのも、ダイナ隊の二の舞はさておき、他の者に任せていい地位ではないからだ。
ソネルのざっくりとした権力関係の説明で、ユリウスが跪いた際の周囲の動揺の意味を理解した。
「では、ソネル。この国は帝国だから皇帝が取り仕切っているのだと思うが、その国政を司る組織や役職など一通り教えてくれ。聖騎士としてこれから色々な立場の人間と関わることになるだろうから、押さえておきたい」
「では、少々お待ちください」
ソネルは一度図書室の奥の部屋に下がり、冊子を持って戻ってきた。
現在の人事や組織図をまとめた資料で、皇帝を筆頭に、皇室があり、その下に皇帝や皇室直属の組織がある。
宰相など一部役職は皇帝直属扱いになっている。
そして、皇帝直属とは別に、帝国議会、帝国軍、大聖堂、国立教育機関と組織が並ぶ。
帝国議会に属するのは帝都の官僚と各地の代表者数名ずつ。彼らは議会の役職者以外は議員と呼ばれる。
ソネルのような文官は城の事務仕事などを担う者たちを指して言われ、城内の清掃などを行う城仕えや要人の世話ごとをする側仕えはまとめて使用人とも言われる。
護衛や警備は帝国軍の騎士団が担っている。帝国軍騎士団の他には帝国軍魔術師団があり、帝国軍総帥であるエルリックはそれらを取りまとめる立場にある。
帝国軍の主力は魔術師団であり、騎士団は魔術師団の支援部隊に過ぎず、儀式で疲弊した魔術師団が回復するまでの繋ぎ役という重責を今は背負っている。
今朝の見せしめで騎士団は使えない、繋ぎ役すら務まるのかと訝しむ声がより一層広まったことだろうと言われて、レスティオは少し申し訳なく思った。
「この大聖堂というのはなにを祀ってるんだ?宗教かなにかあるのか?」
「創世神スヴァーンに祈りを捧げる場所です。聖女が魔力を注ぐことで国を魔物から守ってくれる神聖な場所なのです」
「スヴァーン、か」
いつかに同僚に借りた本やゲームでは、異世界に転移する際、神からの言葉を聞いたり対話する機会があったが、レスティオの記憶にはそのような場面は無かった。
神の名を掲げているだけで現実には存在するわけではないんだろうなと思いつつ、一応神話の本もあるのか確認したが、そういった類の本は大聖堂に収められていた。
大聖堂を管理するのは、かつてオリヴィエールに召喚された聖女の末裔の文官だが、男が召喚されたことを快く思っていないようで、顔を合わせる時期についてはこれから調整するのでそれまでは関わらないようにしてほしいと念を押された。
騎士団のような見せしめが、文官の中でも起きることを避けたいという考えがあるようで、レスティオは仕方なく頷いた。
聖女に関する資料も大聖堂で管理されており、聖騎士としての活動の為にも、なるべく早く調整がつくことを願う。
「教育機関はつまりは学校だよな。この国の教育制度はどうなっているんだ?義務教育も行われているのかな」
「義務教育?あぁ、国民の義務として受けるべき教育、ということですかね。この教育機関というのは国立の学校を示していて、魔術修練学校、魔術学院と騎士学校の3つにわかれます。修練学校は魔力制御を学ぶところで、魔力が顕現した際に生活する上で支障がない程度の魔力の扱いを学ぶ施設になります。魔力が扱いきれず暴走して周囲に被害を出すと、矯正施設に収監され、最悪前科がつくので、修練学校は義務と考える人は多いでしょう。魔術学院と騎士学校はそれぞれ志願すれば年齢に関係なく実力次第で入学、進級、卒業ができるようになっています」
大体、魔術修練学校を一、二年で卒業した後、将来を見据え魔術学院か騎士学校に入学するのは十五歳前後。
帝都以外から来るのは十八歳以降がほとんどで、卒業までは五年以上かかるが、最短記録では騎士学校を二年で卒業した者もいる。
カリキュラムの都合上それ以上短い記録は出ていない。
レスティオは立場上、皇族と同様に個別に講師を立てることになるので、教育機関には視察に行くことはあっても入学することはない。
「文官の教育機関はないのか?」
「いずれかの教育機関を卒業後に、それぞれ目指す道の国試を受けます。城の使用人も難易度は低いですが国試があります」
「教育機関の講師は?」
「帝国軍または文官を十年経験した後、講師試験を受けることができます。ちなみに、議員になるなら十五年の勤続が必要になります」
「なるほどな」
資料を読んでいるとソネルは国試の資料も取り出してきた。
魔術師団や騎士団は筆記、実技、面接試験があるがそれ以外は基本的に筆記と面接で試験が行われる。
国試の内容は歴史、政治、地理の他、内容が多岐に渡っている。
「結構な範囲だな」
「筆記は卒業試験の内容が半分以上なので卒業してすぐ合格できれば苦労はそこまでしません」
「ふーん、そういうものか」
国試の資料と関連する書籍もいくつか借りて部屋に戻ると、そのまま就寝の時間まで勉強を続けた。