第6話 聖女ならざる者(6)
「弱すぎる。子供の遊び場か、ここは。これで国を守る騎士団とはあまりにも粗末なものだな」
レスティオの酷評に誰も起き上がることすらできない。
起き上がったら、攻撃されるとわかっていて戦略もなしに起き上がれる者はいない。
「宰相。開始してどれだけ経った?」
「……七分四十三秒です」
「ふーん。十分くらいは持つと思ったんだけどな。やはり数が多くても雑魚は雑魚か。俺が武器を手にしていたなら、今頃この闘技場には死体の山と血の海が出来ていただろうな」
「っ、うぉぉおおっ!」
不意に兵が立ち上がって向かってきたが、剣を振りかぶった瞬間にレスティオはその目の前から姿を消した。
「威勢はいいが、無駄が多すぎて隙だらけだ」
肩に触れる感触とともに耳元で囁かれたことで動きがぴたりと止まった。
「出直してこい」
振り返る間も無く足元が払われて闘技場の端へと放り投げられる。
堰を切ったように次々と兵が立ち上がり始め、突進してくるが、流れるような動きで兵たちを再び蹴り飛ばしていく。
「あの化け物を討ち取れぇっ!!」
「なにが聖騎士だ!この国を混沌に貶める悪魔だっ!」
客席から声が上がり、立ち上がる兵たちに声援というよりプレッシャーをかけていく。
「まだ一撃も入っていないぞ。ほら、ちゃんと周りの動きを見なきゃ。そんな声上げてきたら相手が警戒するだけだぞ」
「くそっ!ちょこまかとっ」
「あの体のどこにこんな力あるってんだ」
「足音もほとんどしないし、気配も感じないぞ。召喚したのは聖女じゃないのかよっ」
「あぁ、っていうか、なんでこの国を救ってくれるはずの奴に俺たちはボコボコにされなきゃならないんだよぉ!」
十分もすれば再び兵たちは地面に伏した。
「ようやくウォーミングアップくらいにはなったかな。エルリック。そろそろ本気を出して実力の差を叩き込んだ方がいいか、それとも優しくハンデを追加した方がいいか、どうだろう?」
「これで、ウォーミングアップですか……」
「これならどうだっ!」
呼吸を全く乱していないレスティオに客席から火の玉が飛んだ。
飛び退いて避けると、そこにも火が飛んでくる。
「なるほど、これが魔術。何度見ても全くどういう原理かわからないな」
避けようにも気配を察しにくく周囲にとにかく注意するよりない。
兵たちが悲鳴をあげて巻き込まれないように端へ寄る。
ふと、兵たちが群がる方へと飛び退くと、案の定容赦無く火の玉が飛んできた。
「うわぁっ!こっちにくるなっ!」
「俺たちごと焼き殺そうってのかっ!?」
レスティオは思わず吹き出して笑った。
「なるほど雑魚な騎士団なんて無用の長物か。勝手に俺を召喚した挙句、不要な騎士団ごと消してしまおうとは随分な扱いだな」
嘲笑いながら身軽に客席へと飛び上がり、火の玉を避けながら一点へと目標を定めた。
「なぁ、そう思わないか。へ・い・か?」
明らかに格の違う座席が用意された一帯の中で最も風格ある男の背を取り、背後から首に腕を回す。
甘ったるい声音とともに冷たいナイフがレスティオの手に握られた。
「そ、そのような、ことは……」
「ないというなら、今目の前で起きたことはなんだ?貴方は、俺を騎士団ごと葬り去ってしまえと思って、火を放った連中を咎めなかったんじゃないのか?ダイナ隊を差し向けたのも貴方かな?」
「、それは、私の指示したことではない。誓って、聖なる御方に手を出そうなど……」
「ほぉ。それはつまり、この国の統治は貴方の手に負えないくらい荒んでいるということか?上に立つ者は時に駒を動かすだけでなく、抑え込むことも必要なのだと思うが、陛下はどうお考えですか」
ぴったりと皇帝にくっついたレスティオに誰も手が出せず周囲はただ警戒する。
「俺は別に、この国がどうなろうが構わないんですよ。貴方を殺して、ここにいる者たちを手当たり次第に殺して、それでも、生きようと思えばどうとでもなる。所詮雑魚しかいないんだから」
「せ、聖騎士、様」
呼称がくすぐったい。
騎士と呼ばれるだけならまだしも、聖騎士というだけで一兵卒に過ぎない自分が随分と持ち上げられたものだと思う。
「この国に、貴方様が必要です。度重なるご無礼、国を代表して謝罪致します。どうか、お気を鎮めて頂けませんか」
「それだけか?もっということがあるんじゃないのか?ここには城の連中が随分と揃ってるみたいじゃないか」
「……それは、この状況では言えません。脅されて発した言葉はなんの効力も持たないのです」
「それを言うなら、先に鎮めるべきは俺じゃないだろ?」
「そうですね。失礼いたしました。皆の者、聖騎士レスティオ・ホークマン様への手出しは一切禁ずる。武器を下ろせ」
皇帝の落ち着いた様子にレスティオは口元に笑みを浮かべて体を離し、ナイフをしまった。
立ち上がった皇帝はレスティオの前に移動すると手を差し出し膝をついた。
「レスティオ様、私は貴方様をこの国に迎えられたことを光栄に存じております。この世界を蝕む厄災に立ち向かう為の御力をどうかお貸しください。願わくば、御手を取らせて頂けないでしょうか」
下の方で「整列!」と声が聞こえて兵たちが体を引きずりながら闘技場の中心に最初に並んでいたように集まり始めた。
レスティオはよくわからないまま皇帝へと手を伸ばした。
その手が取られると立ち上がった皇帝に皇族用の観覧席の前方に置かれた演壇へと促される。
その場で皇帝が再び膝を折って、レスティオの指先に額を寄せた。
途端に周囲がどよめいて、エルリックの静粛にという声が響く。
これがどういう状況なのか理解できないながらに動揺は見せまいと皇帝を見下ろす。
「我は、エディンバラ大陸オリヴィエール帝国が皇帝ユリウス・オリヴィエール。創世神スヴァーンは我らが願いを聞き届け、ここに聖なる者を導かれた。創世神スヴァーンへ感謝の祈りを捧げるとともに、召喚されしレスティオ・ホークマン様を聖騎士として迎えられたことを大変喜ばしく、光栄に存じます。どうか、その類い稀なる御力を持って、我らを御救いください。もし、お力添え頂けるならば、我らは如何なる場合においても貴方様に誠心誠意尽くすことを誓いましょう」
レスティオは告げられた言葉に少し思案した。
それをどう受け取ったのか、ざっと音がして周囲を見回すと、闘技場にいる誰もがこちらに向いて膝をつき首を垂れた。
今の自分にはここで頷くより他の最適解はないのだろうと理解する。
「私は、エリシオール合衆国軍エリシオン第三騎兵部隊所属、レスティオ・ホークマン。敵意には敵意で、されど、誠意には誠意で応えると約束しよう」
レスティオの返答にユリウスは顔を上げ、レスティオの手に手を重ねて立ち上がった。
「有難き幸せにございます。皆の者!数多の生贄を忠実に捧げた我らが想いに創世神スヴァーンは応えてくださったのだっ!史上初となる聖騎士を戴いた我らが未来は創世神のご加護に溢れ、栄光輝くものとなろうっ!今ここに、オリヴィエール帝国皇帝ユリウス・オリヴィエールが名の元、レスティオ・ホークマン様を聖騎士として我が国に迎えたことを宣言する!」
ふと、ユリウスの言う類稀なる力というのは聖女が扱う魔術であろうことを思い出す。
魔術自体扱えるのかわからないものだが、こうも大々的に宣言されては使えませんでしたはなかなかいいにくい。
今後のことは改めて考えなければならないが、正式に皇帝陛下の後ろ盾を得たので生活自体は問題あるまいと一安心する。
ぼぉっとしながら賑わう民を見つめる。
(それは俺が導いたんじゃないのに……)
沸々と苛立ちがこみ上げてくる。黒く漂う瘴気が周囲をより薄暗くさせる。
「なぁ、父よ。母よ。兄よ。姉よ。弟よ。妹よ。そんなにも、俺は、……」
震える肩に手が置かれて顔を上げる。大丈夫だと安心させてくれるその手の主の元に瘴気は集まる。
「安心しろ。この世界はお前の物だ。俺が奴らから守ってやる」
「あぁ、ありがとう。兄弟」
笑みを浮かべる彼の手から集まった瘴気が溢れていき、大地へと飲み込まれていった。