第60話 魂の帰還
町外れから続く細い小道を抜けた場所に聖女プレアが眠る聖堂が建てられていた。
ザンクの敷地の最南端に位置するその場所は、裏手が外壁になっていて、周囲は木々が生い茂り、まるで日差しを拒んでいるかのようにひっそりとしていた。
ロトが町役場から持ってきた鍵で聖堂の扉を開けると、中は当然真っ暗だった。一足先に中に入ったロトが魔法陣に魔力を注ぐと、聖堂内が明るく照らされた。中は祭壇に棺が置かれているだけの空間だった。正面奥の壁に描かれた複雑な魔法陣が、かろうじて聖堂らしい雰囲気を醸し出している。
レスティオは殺風景さに違和感を覚えるが、この世界では、墓はあっても供え物をする風習が無い。本来、遺体は麻袋に詰めて土に埋めるもので、墓参りすらしない。聖女の要望を叶えるべく、棺を誂えて建物の中に収めているが、これは聖女だからこその特別扱いだ。実に寂しいものだと思いながら、ロトに促されて中に入る。
「こちらが、我らが聖女様にございます」
ロトは棺を示して紹介した。レスティオは棺の蓋に記された言葉に目を留める。
『オリヴィエールを見渡すザンクの地にて、我、永遠の安寧を願い、眠りに就く』
この世界の文字で刻まれた文字の下には、元の世界の文字で書かれた文字が並んでいた。
『天命を果たして尚、私の心はエリシオンへの帰還を願って止みません。この世界に捧ぐ愛は無く、愛する全てから引き離された不幸を嘆き、恨み続けることでしょう。願わくば、そんな私の悪しき時を止めて、愛しき人たちのもとへ帰らせてください。』
手記に記された嘆きを思い出しながら軍服の上から懐中時計に触れる。
胸が締め付けられるような感覚に、意識して呼吸しながら目を伏せた。
「ロト、棺を開けてもいいか?彼女の最期の望みを叶えて差し上げたい」
「なっ、そんな聖女様が眠られている場所を暴くようなことなりません!」
驚いて声を上げたロトに、レスティオは言葉を詰まらせる。棺を暴くような真似をしたくないのはレスティオも同じだ。しかし、文化が全く違う彼らにどう説明したら理解してもらえるか悩ましく思う。
「聖女様の望みとは、なんですか?」
いつもと変わらない調子でネルヴィが首を傾げた。その声にレスティオは少しだけ気が楽になるのを感じた。
「時を止めて欲しいと」
「時?」
レスティオは軍服の下から懐中時計を取り出して見せた。蓋に描かれた紋章が屋敷の調度品によく描かれている紋章だと気づいた様子でネルヴィたちは目を瞬かせた。
「俺たちの世界、というか、生まれ育った国では、子が生まれた時や、恋人が将来を誓い合う時に時計を贈る風習があるんだ。一刻でも永く時を刻んで欲しい、これからも同じ時を歩んでいこうと、願いを込めて」
生きることは、時を刻み続けること。貰った時計が時を刻み続ける限り、贈ってくれた人との時を感じ、心を通じ合わせられる。世界が離れたとしても、同じ時を刻んでいるんだと思える。
エリシオール合衆国の民にとって、エリシオン時計塔をはじめとする時計は時間を確認するだけのものではない。だから、レスティオはどんな時もこの時計だけは手放さない。
「俺、たち?というと、聖女様と同郷ということですか?」
「聖女の婚前の名前は、プレア・レドランド。そして、俺はレドランド家の現当主の孫であり筆頭後継者。つまり、同郷以前に、同じレドランド一族に名を連ねる血縁者だ」
なんと、と口にすると、ロトは目を見開いて固まった。
「エリシオールで作られた時計は壊さない限り永遠に時を刻み続ける。だからこそ、死んだ時にはこれまで刻み続けた時を讃え、慈しみ、いつか魂が新しい命に宿って次なる時を刻み始められるように祈りながら時計を壊す。壊さない限り、死者の魂は時に捕らわれたまま救われることがない」
葬儀に参列すると、棺が閉じられる直前に時計を壊すように促される。遺族は泣きながら、止めたくないと言い、それでも、またいつか同じ時を刻める時が来るようにと願って時計の盤面を割る。この世界の人間にすれば、聖女様にいつまでもこの世界に居てほしいのかもしれない。だが、それはプレアが次の時を刻むことを拒むことであり、この世界を拒絶した彼女には酷な仕打ちに思えてならない。
「エリシオール合衆国の象徴であるエリシオン時計塔をこの街に作り、門扉に『ここは私のエリシオン』と残したのは、いつか訪れる同郷の者が刻み続けている時に気づいて、止めてくれるのを待つ為だったと思うんだ」
多分、この地で見守り続けるというのも埋葬を避けるための方便だったのだろうとレスティオは推察する。
この世界の人間は聖女の所有物を壊そうなんて考えなかっただろう。だからこそ、意図を理解できる誰かに言葉を残さなければならなかった。
「もう何百年も前のことです。時計など、動き続けているわけがありません」
「いいや、動くよ。動き続けてしまうからこそ、壊さなければならないという風習が生まれたんだから」
「しかし……」
「彼女はもう聖女として十分に役目を果たしただろう。これ以上なにを望む?」
たかが時計。見ず知らずの国の風習のために、聖女の棺を開くことに嫌悪感を抱かれるのは仕方がない。しかし、プレアやレスティオにとっては、この世界こそが見ず知らずの世界であり、守るべき風習はエリシオンにある。
「お前たちはこの世界に生まれて、家族がいて、友がいて、仲間がいて、自分で人生を選んで、生きて、死んでいけるだろ。俺たちは望んでこんな世界に来ていないのに、助けてもらうのが当然みたいな顔でなにもかも奪われて、生まれ変わったら次こそ幸せになりたい、幸せになってほしいと願うことすら許してもらえないのか」
「それは、」
「すみませんでしたっ!」
ロトの言葉を遮って、不意に叫んだのはネルヴィだった。何故お前が謝るという疑問と共に、込み上げていた涙が引っ込む。
「そんなに色々奪ってるつもりはなかったんですけど、それが問題なんですよね。俺、レスティオ様の家族の代わりにはなれないですけど、友人にでも、仲間にでもなります!」
純粋で真っ直ぐな目に、胸がぎゅっとなるのを感じた。今はそういうことを言いたいのではないのに、通じた気持ちが嬉しい。
「ネルヴィ、今は、聖女様の話をしているんだぞ」
「聖女様もレスティオ様も同じだろ?レスティオ様だって、一人でこの世界に来たんだから。レスティオ様にはこれからいくらでも恩返し出来るけど、聖女様はもう亡くなっていて出来ることが限られているってところは違うだろうけどさ」
ロゼアンに咎められてもネルヴィは悪びれずに首を傾げた。
「生まれ変わりとかよくわからないけど、死んだ時に時計を壊してくれれば、それだけでも救われるっていうなら、それくらいのこと叶えて差し上げましょうよ」
「そう、ですね……貴方の仰る通りです」
裏表のないネルヴィの言葉に、ロトは緊張を和らげて頷いた。
ハイラックとエヴァルトが二人がかりで棺の蓋を開けて、横にそっと下ろした。
棺の中の遺体は骨となっていた。すっかり朽ちてボロボロになったワンピースは、転生してきた時の衣服を死装束に着せてほしいと着せてもらったもの。胸に下げられたペンダントにはレドランド家の紋章ではなく薔薇の花が描かれていた。
プレアは、両親から贈られた時計と婚約者から贈られた時計の他に、かつての恋人から贈られた時計を持っていた。その中で、嫁ぐ日の朝に手にしていたのは恋人との時計だった。別れた恋人の時計は別れた日に壊すものだが、大事に持っていたことからも諦めきれない想いが察せられる。この時計こそ、プレアの心の支えだったと思うと、この国でどれだけの苦痛を強いられたか胸が痛んだ。
「レスティオ様、大丈夫ですか?」
自分の時計を握りしめて涙をこぼしたレスティオの隣にハイラックが寄り添う。
背中を撫でる手を温かく思いながら頷いて、改めて棺の中を見る。ただ骨が横たわっているだけの棺は虚しさを掻き立てる。
「棺の中には死者を悼む花を納めるものだが、当たり前すぎて指示を忘れたんだろうな」
この場に花などないので、魔力結晶で花を作って棺の中に収める。虹色の魔力結晶の花がいくつか入るだけで棺の中が華やぐ。
「本当は彼女が平和の象徴として孤児院の庭に育てたという青薔薇を添えたいところなんだけどな」
「あの、レスティオ様。不恰好かもしれませんが、よろしければ私から添えさせてください」
言うなり、エヴァルトは青い色の花らしき塊を作って差し出した。エヴァルトの魔力は水の適正が強く、魔力結晶は濃い青だった。
「その心遣いが嬉しいよ」
「で、では、こちらも是非」
ロトが花と言えないような魔力結晶の塊を差し出してきたが、レスティオはそれも受け取って棺の中に納めた。ネルヴィたちも魔力結晶の花を作り始め、棺の中へと入れていく。
「今後、死者を送る時は、花を捧げるようにすべきでしょうか」
「それは遺された者の心次第だよ。俺は彼女に花を贈りたいと思ったが、騎士なら剣、恋人や夫婦なら思い出の品もいいだろうな」
魔力のないハイラックは手持ち無沙汰で花が詰められる様子を見つめる。
疑問に答えつつ、レスティオは報告書を作成する上ではどう書くといいかアドバイスする。
「レスティオ様、このような形でいかがですか?」
「うん。不思議な色彩だが多少葬儀らしくなったと思う」
ネルヴィに声をかけられて顔を上げると、色とりどりの魔力結晶の花が骨の周りに敷き詰められていた。
張り切って魔力を放出したらしい彼らは少し疲れた顔で棺から離れた。
「御前を騒がせましたこと、心より深くお詫び申し上げます。また、ご挨拶が遅れました。私は、レドランド家現当主ユホン・レドランドの孫にして筆頭後継者のレスティオ・ホークマンと申します。御身が時に触れることをお許しください」
一呼吸置いて、プレアのペンダントを手に取り、蓋を開ける。
時計の針は今も刻み続けていた。そして、蓋の裏には『貴方と永遠の愛を誓う』というメッセージと共に恋人の名前が刻まれている。
とっくに相手の時は止まっていたのに、プレアはそれを知る由もなく、共に時を刻み続けていることを救いにしていた。恋人の末路を知っているレスティオには、あまりにも哀しいことに思えた。
「レドランドの歴史に留まらず、エリシオール合衆国と各国の友好に尽力し、世界の歴史に名を残すご活躍の数々に感銘を受けておりました。オリヴィエール帝国における長い時の旅路の中では、多くの苦難に心を痛めながらも、人々を導き、平和の時を齎した貴女をレドランド家に連なる者として誇りに思います。願わくば、次なる時の旅路は幸多からんことを。貴女の愛しき人と同じ時を重ねられることを心よりお祈り申し上げます」
時計を持つ指にゆっくりと力を込める。レスティオ自身が誰かの時に手をかけるのは、これが初めてのことだった。プレアの魂が神の御許、スヴァーンではなく、アイオローラのもとへ届くように強く念じる。
「我らが女神アイオローラよ。どうか、迷える魂をお導き下さい」
時計盤が割れた瞬間、壁面に描かれた魔法陣が光を帯びた。レスティオは体から魔力が抜けていくのを感じながら、棺の中の魔力結晶の花が光の粒子に変わって魔法陣へと向かっていく様子を見つめた。
「有難う。貴方はきっと後悔のない時を刻めますように」
棺から溢れる光の中から女性の声が聞こえてきた。
驚いている間にも、光の粒子は魔法陣の方へと集まっていき、やがて薄らと女性の姿を映す。
「スヴェルニクスに囚われた我が子を導いてくれて有難う」
アイオロス教会に飾られた像や壁画で見た姿に驚きながらも、レスティオは魔法陣へと吸い込まれて消えていく光の粒子に安堵した。プレアの魂は確かにアイオローラの御許に戻った。ならば、また愛しい人と出会うこともあるだろう。安堵と共に全身の力が抜け、意識が途絶えた。
光が消えると、暫くの間、誰もが言葉を失い惚けた。
魂が神のもとへ帰る瞬間を目の当たりにしたことも驚いたが、神が目の前に姿を見せた。それも、皆で棺に詰め込んだ魔力結晶の一助となったのだから、興奮で胸が高鳴った。
「ぁ、レスティオ様!」
ハイラックの叫び声に我に返ると、棺にもたれるように意識を無くしているレスティオがようやく視界に入った。
棺の中は骨すら無くなり空っぽになっていた。
「聖女様はあの光で元の世界へと還られたのか……ぁ、いや、それより、今はレスティオ様だ」
「は、はい!すぐにお屋敷に運びませんと!」
ロトが聖堂の扉を開けると、小道の向こうからクゼルを先頭に自警団が駆けてきていた。
「町長!こちらから突然光が見えたのですが、一体何があったのですかっ!」
クゼルの言葉に全員が顔を見合わせて、レスティオと聖堂の奥の魔法陣を順に見つめた。




