第57話 聖女プレアの手記
外は朝から雨だった。
朝の稽古は各々部屋で柔軟するに留めて、朝食の席に集まった。
「今日はいつもの服じゃないんですね」
ネルヴィに聞かれて、レスティオはパンを頬張りながら頷いた。
今日はネルヴィ達が自警団から護衛の心構えを教わり、騎士団の取り組みを教える間、書斎にこもって聖女の手記に向き合うと決めている。なので、軍服ではなく、ジェオに作ってもらった部屋着を選んだ。魔剣ネメシスは、部屋に置いている荷物とまとめて魔力結晶の箱に収めている。
「俺は書斎に籠るから、宵の鐘まで余程の用事がない限りは放っておいてくれると助かる」
昼食は不要。これから来るであろう自警団の応対も任せる。そう宣言すると、ネルヴィは緊張した表情で頷いた。
「本気で聖女様の文字を解読する気なんですね」
「やれる時にやっておかないとな」
食事を終えると、レスティオは早速筆記用具を手に書斎に籠った。
最初の一冊を手に取って、表紙に書かれた聖女の名前に目を細めた。
『プレア・レドランド』
レスティオが継ぐ予定だった家名を持つ女性と同じ名前が記されている。
『ここは私のエリシオン』
ザンクの門に刻まれたその文字を見た時から同郷だということは察していた。
屋敷の外観にも見覚えがあったし、屋敷のあちらこちらに使われている紋章は、母国であるエリシオール合衆国の国章とレドランド家の家紋。そして、見張り台から見えたエリシオン時計台は、エリシオール合衆国の首都エリシオンに建てられた象徴的な歴史的建造物そのものだった。
紛れもなく、聖女とはレドランド家の歴史に名を残している女性、プレア・レドランドである。
そう理解した時に、これまで記憶していたレドランド家の歴史は、一部が偽装されたものであり、真実がここにあるのだと感じていた。
レスティオの知るプレアは、二十三歳で失踪している。
失踪以前は、レドランド家の令嬢として、戦争孤児の為の孤児院の創設や、就学支援、復興支援に精力的に取り組み、それこそ聖女のように評されることもあった。
失踪が判明したのは、共に事業を推進する企業の跡取り息子のもとへ嫁ぐ日の朝。プレアの姿が消えたことがわかると、両家はあらゆる警備会社や警察を動かし、入念な捜索を行なった。やがて、プレアが婚約する直前まで付き合っていた男が誘拐殺人の容疑で逮捕され、嫉妬の念で凶行に至った犯罪者として責め立てられた挙句、刑務所内で自害した。その家族もまた、周囲から向けられる目に耐えきれず、一家心中を図ったというところまで記録が残されていた。
手記を手に取りながら、その歴史を振り返ってみれば、犯人などあの世界には誰もいなかったとわかる。
捜索の手を広げすぎたが故に、見つけられなかった、あるいは、あの家の息子は聖女に逃げられたと言われることを認められず、疑わしきは罰せよと、身に覚えのない罪を責め立てられた男とその家族に同情する。そして、レスティオがこの世界に召喚された時は、戦場で敵の襲撃を受けていたことから、同じように謂れ無い罪で親しかった誰かが裁かれることはないことが救いだと感じた。
最初の数冊はどれだけの精度で再現されたのかわからないが、殴り書きに近い文字で埋まっていた。
右も左も分からない世界で、魔術という未知の力を使う化け物に囲まれた生活に対する恐怖や嘆き。想い人や夢を全て奪われたことへの悲しみや孤独感。
聖女が聖の魔術を身につけるまで時間を要するのは、きっとこんな負の感情に苛まれてしまうからだろうと、ペンを手に取ることもなく、次々と手記を手に取っては流し読みして棚に戻していく。
ようやく異世界の生活を受け入れ始めると、講師から学んだ内容が綴られ始める。当時の状況とはいえ、レスティオも学んだ内容もいくらかあり、ここも流し読みで読み進めていく。
魔物の討伐に同行し始めると、当時の騎士団の様子が窺えてきた。
初陣で緊張するプレアは、奮闘する騎士団の無鉄砲さに呆れた。文章から察するに、今以上に魔物を見つけたら倒すという意識だけで突撃する集団だったようだ。討ち漏らした魔物がプレアに襲いかかって、咄嗟に魔術で魔物を焼き殺した。騎士団の兵はプレアが魔物を倒したことに感心して褒めたが、動物を殺したことがなかったプレアは、自分も彼らと同じ化け物になってしまったのだと実感して落ち込む。
なるべく魔物を倒すのは騎士団に任せようと回復役に徹するも、負傷しては回復させて、また突撃しては負傷する兵たちを見て、ゾンビのようで不気味だと嫌悪感を覚え始める。死なせた方が幸せなのかもしれないと、回復を躊躇っている間に死んだ兵に対し、思い悩む記述が散見する。
(聖の魔術で治癒されることに慣れて無鉄砲になるのは危険。確かにそれはそうだが、今後どう対策すべきか悩ましいな)
魔術師団が戦線復帰すると、騎士団との連携の至らなさにまた呆れた。連携して戦う者はほとんどおらず、大半が個々で戦っていた。
魔物による被害が拡大する中、兵の消耗も激しくなってきた頃に、プレアは初めて軍に対し進言した。部隊編成を行い、指揮系統を整備し、戦略や戦術を考えて対応するように言い、多少でも見所がある兵に協力を求めた。聖女の進言に異論を唱える者はおらず、程なくして体制が整えられた。そして、浮き彫りになったのは絶望的なまでの戦力不足。魔術の使い方は各自の独学であり、体術や剣術も独学だった。
当時は、教師といえば、言語や算術を教える者や歴史を伝えていく者しかいなかった。プレアが魔術を教わった人は、魔術が扱えるというだけで、教師という肩書きではなかった。これではいけないと有識者を教官として指導者になるように指示した。そして、指導者の数が増えてきたところで学校を設立した。これが現在の魔術学院と騎士学校の始まりである。
どのように推進していくのか、すぐに思考停止しようとする者たちをプレアが誘導し、最終的には諦め半分で、魔術師団は攻撃に徹し、騎士団にサポートをさせるように役割を決めて、その役割を果たすべく教育計画を練った。戦術や戦略には詳しくないが、魔物討伐の成功率と生存率を上げるために、試行錯誤した記録が手記には記されていた。
(魔術師団と騎士団の役割分担の発端はこれか。軍事には関わっていないはずのプレアがこれだけ体制を整えただけでも十分評価するべきか……)
やがて、子供の魔力暴走による死亡率に着目したプレアは、魔術修練学校の設立まで推し進めた。こういうところは、レドランド家の歴史に綴られたプレア・レドランドらしいと感心する。
様子が変わってきたのは、他国の聖女と交流が始まった頃だった。
プレアが召喚されたのは厄災の少し前で、大陸内の聖女が召喚された時期がまばらだったため、大陸会議で顔を合わせることも少なかった。偶々、大陸会議中にお茶会の機会を得た聖女たちは人払いをして、この世界の非道さを語らった。どこの国も状況は大差なく、皆、元の世界から引き離されたことを嘆き、この世界の人間に恐怖しながらも、聖女として努めていた。
共感出来る相手がいるのはいいと感じながら、プレアが軍に働きかけたことを話すと、「何故、こんな世界のために本気になっているの?」と問いかけられた。彼女たちは自分達が生き残れればいいと考えていた。少しでも望む生活に近づけるために誘導はするが、この世界の人間の幸せには興味がなかった。それどころか、自分の幸せよりも如何に復讐し、貶めてやろうかと考えている者もまでいた。
『ユランシアは、召喚された聖女達はこの世界に対して密かに反抗していると言った。厄災で飢饉に陥っている地域があるのを承知の上で、かろうじて畑に転がっていた芋を踏みつけ、人間が食べるものではないと彼女が言えば、家の中に備蓄していた分もまとめて、兵士たちが焼き払ったそうだ。卵も米も、聖女が適当な理由をつけて食べてはいけないと叫べば、誰もが忌避するようになるそうだ。厄災から世界を救うために呼ばれたはずなのに、聖女が来たが故に失われた命がどれほどあるのか。』
レスティオは、そのページに書かれた記述を何度か読み直して、頭を抱えた。
聖女の元いた世界で受け入れられていないのではなく、この世界への敵意で食糧を食糧ではないと世界の常識を変えてしまうなど、恐ろしい話だ。どうして誰も止めなかったのか。プレア・レドランドがまだ動き出した様子がないのが、救いだが、これからなにが出てくるかによっては、身内の汚点だとため息をつく。
「難しい顔をされていますね」
声をかけられて顔を上げると、ハイラックがテーブルにティーポッドと焼き菓子を置いていた。懐中時計を取り出してみると十三時を過ぎたところだった。
「自警団の方から差し入れに頂きました。お茶はユハニが。毒味は済ませてますから、休憩の時にお召し上がりください」
「有難う。そちらは順調か?」
「そうですね。立ち居振る舞いから厳しく指導頂いています。その点はある程度出来ているロゼアンが自警団の方への剣魔術の考え方などを講義しているところです」
答えながら、ハイラックの視線がレスティオのノートに留まった。文字の解読からしているという話をしていたが、そこにはまだなにも書いていない。しかし、それになにをいうこともなく、ハイラックは早々に部屋を出て行った。
改めて手記を読み進め始めると、レスティオは程なくしてハイラックに申し訳なく思った。
『魔物学という学問の是非はともかく、分析する頭もなく、活かす能力もない現状では、中途半端に意識を持っていかれて逆に危険になっていると言わざるを得ない。帝国軍に魔物学は不要。戦略も然り。』
魔物学は役に立たないと言い始めたきっかけがプレアだったとは思わなかった。火が効かなければ、それが分かった時点で別の攻撃に切り替えていけばいい、と安直に書かれている。確かに、知識が邪魔になっている状況ではその判断も致し方なかったのだろうかと思いつつ、その時に魔物学者と軍師で話し合う余地を作ってくれれば、なにか変わったのではないだろうかとも思う。
『ヒリング帝国のミュアナという聖女が騎士の男に振られたことをきっかけに、魔術を使えない騎士に価値がないと言い張っているそうだ。相手の騎士は既婚者というから、それは断られても仕方がないだろうに。それはさておき、近いうちに騎士の地位はかなり落ちるだろう。そして、魔力がない人間も価値がないと言われていくのだろう。その時の兵たちのモチベーションが保てるかが問題だ。』
たった一人の聖女の色恋沙汰で世界中の価値観が変わっていくとは影響力が大きすぎる。しかし、読んでいると聖女同士の交流が随分盛んだったのだとわかる。盛んだったからこそ、情報が各大陸、各国へと行き渡り、徒党を組んだ聖女たちが広めることでその影響力を実現してたのだ。
エディンバラ大陸に聖女がいないことを踏まえると世界的に聖女不足なのだろうが、今はどれくらい聖女がいるのだろうかとふと疑問に思いながら、ノートにかつての聖女たちの名前となにをしたかメモする。功績よりも愚行の方が多い気がすると思いながら、手記のページを捲った。
『気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い吐き気がするふざけんなクズどもなにを考えてるんだ変態くそ野郎死んでしまえ二度と助けてなんてやるもんかなんでこんな目に遭わなきゃいけない悔しい気持ち悪いもう嫌だこんな世界滅んでしまえばいい今ならみんなの気持ちがよくわかるこんな世界に尽くす必要なんてなかったんだもっと早く気づけばよかった』
乱雑に文字が書き連ねられていた。どうしたのかと読み進めれば、夜な夜な男が寝台に忍び込み手籠めにされたようだった。天蓋のカーテンには見知らぬ魔法陣が大量に描かれており、抵抗しようという意識すら奪われていたことに気づいた時にプレアは絶望した。自分が夫だと笑顔で言ってきた男を、風の魔術で吹き飛ばし、窓を突き破ってバルコニーの外へと落とした。手首を切って死のうとしたが死ぬことはできず、妊娠が分かった時には腹を裂いて死のうとしたが、ゾフィー帝国の聖女ミレイナ・シルヴィーに命を救われ、中絶手術をしてもらった。厄災の終盤の出来事だった。
『レドランド家の娘として望んだ婚姻が叶わないことはわかっている。けれど、この世界に押しつけられた力を一方的に求められるなんて耐えられない。』
プレアの凶行の後、懲りずに皇室から婚約者候補が提示された。全て断ったが、ドーベル家は退かなかった。プレアが推進した魔術学院と魔術修練学校の後援を名乗り出て、その代わりに婚約者になると言い切った。ある意味の政略結婚だと申し出を受けたその日に、すぐに婚姻の儀の日取りが決められ、プレアはドーベル家の物になった。心を殺し、なにもかもがどうでも良くなり、五人の子供を産んだが、疎ましい思いに駆られ、誰一人として自分で面倒を見ることはしなかったし、顔を見ることも拒絶した。
「レスティオ様、夕食の時間ですよ」
不意に目元を覆われて体が緊張したが、ユハニの声に肩の力を抜いた。鼻を啜って、目元を覆った布でいつの間にか溢れていた涙を拭う。
「悪い、落ち着いたら行く」
「かしこまりました」
ユハニで良かったと思いながら、レスティオは聖の魔術の詠唱をして顔を洗った。




