第5話 聖女ならざる者(5)
エルリックの指示に控えていた兵達は一斉に動き出し、レスティオは数歩下がって床に転がった兵を回収する様子を眺めた。
ふと視界に恐る恐るという様子でルカリオが顔を覗かせる。
「ぁ、あの、レスティオ様。配慮が足りず、申し訳ございませんでした。別に部屋をご用意致しますので、朝の鐘まで少しお休みになられませんか?」
「朝の鐘というのは?」
「九時になると鐘が鳴るのです。それを朝の鐘と呼んでおります」
時計を振り返ると、七時になろうとしていた。朝の鐘までは後二時間。
「今から用意するのも大変だろう。今はこの部屋でいい。それより、湯浴みをさせてもらえるか?体を拭く物が無くて、昨日は浴槽に浸かるに浸かれなかったんだ」
「ぁ、も、申し訳ございません!魔術で乾かすつもりで失念していましたっ!」
「まぁ、魔術でも布でもなんでもいいんだが。信用ならないので所持品はなるべく目の届くところには置きたい。浴室で着替えは済ませられるか?」
「はいっ!すぐに準備いたしますっ!」
床に倒れた兵が全て回収されていくとエルリックを出入り口に立たせたまま浴室に入った。
カーテンがあるので籠に服を入れて端に避けておく。
レスティオが脱いでいる間にルカリオはお湯を入れ直し、手伝う準備を整えた。
入浴を誰かに手伝われたのは幼少期くらいだが、シャワーも魔術を使う前提である以上、手伝いの手は必要だった。
お湯に浸かり、頭を洗ってもらいながらようやく一息つく。
「不便だから基本的な魔術の使い方はさっさと覚えたいな」
「不便、ですか……すみません、力不足で……この部屋にいる間はレスティオ様が魔術を使わずともいいように私がつけられましたのに」
「俺はこの世界の常識を知らないし、魔術で何が出来て、使えなくてなにに困るのかもわからない。その点も含めて今後フォローしてくれると助かる」
「っ、は、はい!少しでもお役に立てるように誠心誠意努力いたします」
軽くマッサージもしてもらい浴槽から出ると体を風に包まれて濡れていた体が乾いた。
「便利だな」
「そう難しい術ではないので、魔術を学べばすぐ覚えられると思います。お着替えは、」
「魔術を使わない事は自分でやる」
「承知いたしました」
肌着は用意されていた物を身につけ、軍服を纏っていく。
浴室を出ると天蓋の破れた布と寝具は片付けられ、ダイニングテーブルに朝食が用意されていた。
「毒味を同席させましょうか」
「この食事に毒が盛られていた時には料理人は全員処刑かな」
「聞いていたな?」
「ち、誓って毒など盛っておりませんっ!」
エルリックの隣には震え上がる料理人と給仕をしただろう侍女がいた。
それを横目に席に着き、何かの肉と野菜が添えられた皿とスープ、パンを見てルカリオを振り返る。
「水をもらってもいいか?」
「ぁ、はい」
スプーンを手にとってスープを一口飲み、レスティオは味がほとんど感じられない白湯のような味に首をかしげる。
肉を食べても野菜を食べても味が変わらないのを確認して、ひとつ頷いた。
「お口に合いますでしょうか?」
「食事は栄養補給と空腹を紛らわせるものと思えば問題ない。無味無臭の毒でなければ盛られればすぐ分かりそうだ」
反応に困られるのを承知で率直に答えたが、料理人たちは安堵した様子で、この味の無さはまさか本当に毒対策なのかと不思議に思う。
どうしたらここまで素材の味を殺せるんだろうと疑問に思いつつ全て食べきった。
食後のお茶にと出されたお茶は緑茶のような味で今度こそ美味しく頂いた。
「さて、総帥」
「はっ」
「今日の訓練だが。先ほども言った通り所持品を離しておきたくないのでナイフは装備する。が、俺が使うのは体術のみとする。何度でも立ち上がってよし。全員立っていられなくなるまで時間無制限で相手をする。どれだけの規模かわからないが、せめて一撃は貰いたいものだな」
「訓練の最初に私から伝えましょう」
とりあえず敵意を向けても無駄と理解させ、戦意を削ぎ、今後無駄な諍いに巻き込まれるリスクを軽減する。
更に魔物を討伐し押さえ込む力があると知らせれば、聖の魔術に関わらず、この国にとって生かす価値のあると判断されるだろう。
「闘技場には皇族の皆様も参列されることになっております。訓練の後にご紹介させていただきます」
「皇族か。承知した」
朝の鐘が鳴るのに合わせてエルリックに先導されて闘技場へと向かった。
闘技場まで歩きながら、騎士団と魔術師団にはそれぞれの本部と訓練場があり、闘技場は剣術大会や魔術大会の他、処刑に使われるのだと教わる。
つまり、そこに召集をかけられた時点で、これが騎士団全体がダイナ隊の連座として処罰を受けると理解しているはずだと、エルリックは硬い表情で言った。
闘技場には皇族や国の重鎮はもちろん、帝都にいる騎士団の兵が数百名に城の医者たちもかき集められていた。
負傷したダイナ隊も全員医者が一時的に立てる状態に治療したようで絶望の表情で並んでいる。そんな彼らを見る兵たちの表情は一層厳しく、緊張を感じているようだった。
「皆の者っ!これより、昨晩我が国に召喚されし聖騎士レスティオ・ホークマン様より直々に帝国軍騎士団総員に稽古を付けて頂く!」
闘技場の入場通路に待機し、先に表に出たエルリックの口上に耳を傾ける。
どこからともなく、厄災の使徒が、処刑されるはずだったのにと不満の声も聞こえてくる。
「これは今後魔物討伐の前線に立つ騎士団の力量を案じた聖騎士様からの慈悲であるっ!聖騎士様は、昨晩恐れ多くも寝台を襲撃したダイナ隊のあまりにも呆気なく相手にならない様に襲撃されたことに対するお怒りを通り越して、この国の兵力の低さを哀れんでおられる」
その通りだが直接口にしてはいない。
多少盛っていても間違っていないのでいいかと関節を鳴らしながら呼び出しに備える。
「騎士団総出ならば傷ひとつくらいはつけてくれよう、とのことだが、つまりはその程度でしかなかろうとおっしゃっておられるのだ。私は帝国軍総帥として厄災に立ち向かう以上黙っているわけにはいかない!何度やられようとも、不屈の精神で挑めっ!この訓練は全員が伏せた時点で終了するが、誰か一人でも立っている限り時間無制限で続けられる。団長はじめ部隊長は少しでも長く、できれば聖騎士様に一撃受け止めてもらえるように心して挑めっ!」
エルリックが振り返ったのを合図に闘技場へと出ていく。
緊張した様子の兵たちは、レスティオの姿を見るなり、見惚れるように感嘆した。
その様子に艶然と笑みを浮かべて、整列するラズベル・ダイナを見つけるとさらにその笑みを深めてみせる。
ラズベルを始め、ダイナ隊の面々はその様子にただただ表情が青ざめていく。
「レスティオ様、稽古の前になにかありますでしょうか」
「うん?まぁ、まずは彼らがどのような動きを見せてくれるか次第かな?」
横髪を耳にかけながら唇を舐めて告げたレスティオの妖艶さに武器を構える兵たちの気が緩むのが見えた。
「さて、ここからスタートでいいのか?それとも、昨日のダイナ隊同様に目隠しでもした状態で中央に立っていようか?ダイナ隊が国随一というくらいだから、十分くらい反撃しないでいるくらいのハンデはあったほうがいいだろうか」
「ドレイド。まずはハンデなし、ここからスタートでいいか?」
エルリックにも帝国軍総帥としてのプライドがあるのだろう。少しむっとした様子で団長を振り返った。
「はっ!むしろ、我々は武器を訓練用の木剣に持ち替えた方が良いのではないかと思いますが、よろしいのですか?」
「天蓋の中で仮眠中だった俺に、槍を手に本気で殺しにきたはずのダイナ隊が一撃も喰らわせることなく倒れたんだ。ダイナ隊より程度の低い雑魚がいくら群れたところで取るに足らないだろう。遠慮するな。それに、もしここで俺を殺せれば、ダイナ隊を送り込んできた権力者の目に留まり、その兵は大手柄と賞賛されるだろう。栄誉欲しくば殺す気で来い」
愉快そうな笑みにドレイドは眉をひそめて、部隊長たちに視線を送る。
罵倒と大手柄の餌に兵たちは吊られているが、部隊長たちの目は厳しい様子で頷きあう。
ドレイドはエルリックと顔を見合わせて「構え!」と叫んだ。
「戦場じゃ、構える間なんてくれないものだぞ」
「確かに。では、始めっ!」
エルリックの言葉とともにレスティオは隣に立つエルリックの膝を払って、浮いた体から腕を掴んで、円形の客席へと投げ飛ばした。
突然のことに反応が遅れつつも魔術を使って衝撃を抑え、エルリックは客席に着地した。
その間に、レスティオは隊列の先頭にいる部隊長に突進し、次々に攻撃を加え、地面に転がしていった。
上から下からと兵たちを翻弄しつつ確実に立っている者を減らしていくレスティオに客席がどよめく。
騎士団の兵たちは魔物以上に得体の知れない敵を前に恐怖を覚えながら、意を決して挑んでは蹴散らされていく。
「な、なんという……」
一度倒れた兵たちはなにが起きたのか把握することもままならず呆然と周囲を見回す。
レスティオの姿は視線で追うだけでも大変なほど不規則かつ想像の域を超えた柔軟さと身軽さを見せつけていた。
最後の一人が高々と蹴飛ばされ、地面に落ちると闘技場は静まり返った。