第4話 聖女ならざる者(4)
日が昇り、六時を過ぎた頃に部屋に来たルカリオはその惨状に驚いた顔をした。
入り口に立ってルカリオの死角で待機していたレスティオは躊躇いなくその体を背後から捕まえて首元にナイフを当てる。
「おはよう、ルカリオ」
「っ、ぉ、おはよう、ございます……」
「昨晩はとても愉快な歓迎の宴を有難う」
「ぅ、うた、げ?」
ぽかんとして言っている意味がわからないという様子のルカリオに首謀犯とは遠そうだと察する。
しかし、だからと解放する理由にはならない。
不意に廊下の方で悲鳴が上がり、侍女が口元を手で覆って震えながらこちらを凝視していた。
「さて、宴の主催者を呼び出してもらおうか」
「な、っ、……だ、誰かっ!誰かぁっ!!」
レスティオがナイフをチラつかせながら笑みを浮かべれば、侍女は青ざめて周囲に叫び始める。
廊下が慌ただしくなる中、レスティオはルカリオの耳元に唇を寄せた。
「敵対するならどうなるか保証しない。その意思がないなら大人しくしていろ」
「っ、は、ぃ」
瞬く間に入り口を兵が埋め尽くすが、誰一人部屋に入ろうとはしない。
遅れてマルクとエルリックが到着すると、兵たちは互いに邪魔そうにしつつ道を開けた。
その動きの鈍さに思わずため息が出る。
「れ、レスティオ様。これは、一体どういうことですか」
「どういう?この宴の席を用意したのは貴様らだろう?まさか、天蓋を囲って一斉に槍を突き刺すなどという手厚い歓迎を受けるとは思わなかった」
槍で無残に引き裂かれた天蓋と傷だらけで床に伏せている者たちを見て二人の表情が青ざめていく。
「国賓を害すわけがないって昨晩言っていただろう?つまり、この国では国賓の寝込みをあのように襲うことが習わしなのだと理解したんだが、なにか間違っていただろうか、宰相閣下?」
人質であるルカリオの首筋にナイフを添えながら、笑みを浮かべるレスティオの妖しい美しさに廊下で警戒していた者たちが息を飲む。
「あぁ、そういえば、宰相閣下もルカリオも家名をフランベスカと名乗っていたか。なぁ?」
「れ、レスティオ様。ルカリオも、貴方に、危害を加えようとしたのですか?」
「今、質問してるのは俺だ」
息子の身を案じたマルクはレスティオの低い声音にひっと息を飲んで、崩れる様に床に膝と手をついた。
「っ、確かに、ルカリオは私の息子です。だからこそ、信頼におけると思い、側に付かせました。決して、貴方に危害を加えるなど思っておりません!」
父親の必死の命乞いにルカリオが少しだけ身を捩って無垢な目でレスティオを見る。
レスティオだって悪役になりたいわけじゃないし、好き好んで人を殺そうと思わない。
敵意を示すものがいるから、それをどうにかしたいだけだ。
「彼らが何故レスティオ様を襲おうとしたのかっ、本当に、なにも知らぬのです」
「そんなことを言って俺を騙して油断させて、厄災の使徒にトドメを刺そうというのか?」
深々と頭を下げるマルクにレスティオは笑みを消して冷ややかな目を向ける。
少しだけナイフを首筋から離しつつ、ぎゅっと両腕で背中から抱きしめて、手の中でナイフを遊ばせる。
「別に人質にしたからと生きるか死ぬかの二択じゃない。さて、どこから抉ってやろうか」
ルカリオの目の位置にナイフの切っ先を向けると、お待ちください!とエルリックが声をあげた。
「ダイナ隊は皇室の警護を任される我が国随一の部隊。故に国賓たるレスティオ様のお部屋の不寝番に相応しいと考えましたが、私の人選ミスです。レスティオ様にお怪我が無かったのは幸いですが、謝罪の言葉を尽くしても尽くし足りなく思っております。誠に申し訳ございませんでした」
マルクに続き、エルリックが片膝をついて首を垂れるのに後ろに控える兵がどよめいた。
宰相と軍の総帥が揃って膝をついて頭を下げるなど本来ならば有り得ない光景だ。
「皇室付きか。つまり、この国の皇室は結局俺を殺すという決断をしたわけだ」
「そのようなことは決してありませんっ!ユリウス陛下は当面、レスティオ様を聖騎士として遇するとお認めになられましたっ!ダイナ隊を操る者は他にいたはずですっ!必ずその者を突き止め、相応の処分を下しますので、どうか今暫くの猶予をお与えくださいっ!」
必死の形相で懇願するマルクにレスティオはどこを落としどころにするか考え始める。
今後も命を狙われ続けては面倒だ。
「言ったよな?俺も、お前たちを見極めると」
「重々承知しておりますっ……レスティオ様だけが、我々の唯一の希望です。エディンバラ大陸の七カ国の内、未だに召喚の儀式に成功したのは我が国のレスティオ様ただ御一人だけなのです。レスティオ様の協力を得られなければ、我が国はおろか大陸が滅んでしまうとも限りませんっ!厄災の使徒など仰らないでください。我が国の聖騎士として是非ともお迎えさせてくださいませっ」
聖女に代わる聖騎士という呼称は聖の魔術が使えて初めて呼ばれるに値する。
マルクの言葉は不確定要素が多い中で頷いて良いか慎重にならざる得ないものだ。
「お前たちに敵対の意思がないというのは承知した」
「、寛大なる御心に感謝致します」
聖騎士というのは一旦置いておく。そこは現段階では重要ではない。
宰相や総帥に位置するものが敵対しないと表明するのは有難いが、ここで言い合っているだけでは昨晩の様な襲撃が繰り返される可能性がある。
「そうだな……ひとつ腑に落ちないんだが……総帥」
「っ、な、なにかこの者たち以外にも不手際がございましたでしょうか」
ルカリオから身を離すと、ゆったりと歩き出して、跪くエルリックの前に立つ。
「魔物は国を滅ぼすほどの脅威なのだったな?」
「は、はい。個体差はありますが、何万という魔物が出現し、やがて巨大化、凶暴化していくと聞きます」
「これからそれらに立ち向かうはずの国随一の部隊が寄ってたかって、たかが一人に傷ひとつ負わせられないというのは、どういう冗談だ?俺は天蓋から脱出する際と、ルカリオを人質に取る以外にはナイフを抜かなかった。もしや、他にも企みがあるんじゃないのか?それとも、帝国軍はそれほど雑魚の集まりなのか?この程度で本当に一年は彼らだけで耐えられるというのか?」
冷ややかな視線を受けてエルリックは床に未だ転がっている兵たちを凝視した。
打撲痕が見えているし、手足があらぬ方向に曲がっているものもいる。しかし、刃物傷はなく、出血しているのも主に口や鼻で打撲によるものと判断できた。
ガタイのいい者が揃っているのを見た後で、華奢な体で仁王立ちしているレスティオを見上げる。
エルリックの視線を受けて、誰が見ても美しいと評するだろう端正な顔立ちに、妖しくも艶やかな笑みが浮かべられる。
カスタムを知らない彼らはレスティオが体術ひとつで全員を鎮めたとは思えない。
しかし、この場で彼らに対抗するのはレスティオ以外に思い至らない。
「そもそも帝国軍の魔物討伐における主戦力は魔術師で、騎士団は召喚の儀で魔力が尽きて数ヶ月の眠りについた彼らの中継ぎ役に過ぎず、彼らが目覚めれば後方支援に徹することになります。とはいえ、レスティオ様の仰ることも御尤も。このような体たらくでは、中継ぎ役の務めを果たし切れるとは到底思えません。まさか、ここまでとは……情けない限りです」
「躾、もとい、見せしめ?いや、訓練をするなら付き合ってやらないでもないが、どうしようか」
「そんな、レスティオ様のお手をわずらわ、ぁ、いえっ!是非共お力添え頂きたくっ!ドレイド、朝の鐘にて騎士団を闘技場に集結させよ。この者たちも騎士団に連れ帰り、目覚めた者は必ず連れて参れっ!むしろ目覚めさせるのだっ!マルク、至急陛下らに連絡を。私は彼らの催した宴でお休みになられなかったであろうレスティオ様に付く」
「は、はいっ!早急に準備を進めますっ!」
一度視線を落としたエルリックは、再び顔を上げた際に合ってしまったレスティオの冷めた視線に息を飲んで即座に指示を飛ばした。