第111.5話 元婚約者
ハイネルは大きく深呼吸をして、渡り廊下へと出た。
ブーツのヒールを鳴らして、騎士団が訓練している様子を横目で確認する。
ハイネルが魔術師団にいた頃には剣をぶつけ合う訓練しかしているように見えなかったが、今ではグループに分かれて様々な訓練が行われているようだった。
「ぁ……ろ、ロゼアンッ!」
騎馬訓練中だったロゼアンは、声を掛けられたことに驚きつつ、相手と距離を取って振り返った。
汗を額から垂らして肩で息をしながら、顔をしかめて首を傾げる。
「ハイネル?」
「ぉ、婚約者じゃん」
「からかうな。今、訓練中なので後にしてもらえますか?」
ハイネルは、自分がいけなかったと反省して、頷く。
邪魔にならない位置を探して、ロゼアンの訓練が終わるまで、手持無沙汰で周囲の訓練を確認する。
全員が必死の表情で訓練に臨んでいて、気合が感じられる。
騎士団とはこんな表情をするのかと、観察しながら驚く。
思えば、魔術師団にいた頃は、魔物討伐に出ていても騎士団の面々に目を向けたことなど無かった。
まともに顔と名前を認識しているのは、レスティオの護衛に就いたことのある一部の人間だけだ。
「ハイネル。ずっとここで待っていたんですか?」
「なによ、悪い?クラディナ殿下からの指示でもあるんだもの、報告できることも無く戻れないじゃない」
昼の鐘と共に訓練を終えて片付けを始める中、汗だくになったロゼアンが近づいてきた。
慣れない汗のにおいに、一歩下がりそうになるのを堪える。
こういう人だっただろうかと、戸惑いを感じてしまう。
「クラディナ殿下から?そういうことなら言って頂ければすぐに切り上げましたのに。何故、殿下からのご命令だと教えて下さらなかったのですか」
「ぁ、その……皇族からの命令というか、私に課せられたことで、別に貴方がどうという話ではなくて。そうだわ、お昼。これからですよね。一緒に食べに行きませんか」
思い切って誘えば、ロゼアンは水と風の魔術で鎧の汚れと汗を流し始める。
濡れた姿に思わず息を呑み、視線を逸らす。
「すみませんが、午後は魔術学院で講義を受ける予定なので、あまりゆっくりする時間がないんです。騎士団本部の食堂でもいいですか?必要なら会議室を借ります」
「私が入って良いのですか?」
水音が止んで恐る恐る視線を向ければ、どこも濡れていない、いつもと変わらないロゼアンの姿があった。
「殿下からのご命令ということは、プライベートの話ではないのでしょう?食事は一人分くらい増えても問題は無いと思います」
「……では、ご一緒させて頂きます」
注目されているのを感じながら、ハイネルはロゼアンの後に続いて騎士団本部の食堂に入った。
ロゼアンのいう通り、特に拒絶されることも嫌味を言われることも無く、用意されていたトレイのひとつが差し出された。
メニューは、芋入りハンバーグと温野菜の卵ソース添え。サーレを練り込んだパンと、野菜の入ったスープが添えられていた。
隅の席が自然と空けられて、ハイネルはロゼアンと向かい合うようにテーブルの端の椅子に腰かけた。
「凄い香り……」
「食べながらでいいですか?」
「ぁ、勿論」
ロゼアンが食べ始めるのを見て、ハイネルもスープを一口口に運ぶ。
そして、口に広がる香りと味わいに、思わず表情を綻ばせる。
「美味しい……なにこれ、城の料理よりずっと美味しい……」
「あぁ、この前の遠征で、聖の魔術で育った野菜を譲って貰えたそうで、今の食事は特に美味しいですね」
「そうなんだ……」
「それで、用件はなんですか?」
ハイネルは我に返って、表情を引き締める。
「あの、皇族の女性護衛魔術師も剣魔術の習得を始めようと考えているの。それで、基礎を教えて欲しい、のだけど」
「そういう話なら、皇室から総帥や団長に話を通してもらうのが良いかと思います」
「あぁ、それはそうなのだけど。それだけでなくてですね」
視線を合わせていられず、ハイネルは視線を泳がせながら、水の入ったグラスを手に取った。
どくどくと波打っている胸に手を当てて、言葉を捻りだそうとする。
「その、ベイルートから聞いたのですけど、剣とは重たいものなのですよね」
「初めて持つと誰でもそう感じると思います」
「そうですよね。特に女性には、ちょっと負担が大きいのでは、という懸念があります」
「ハンバーグは温かい内に食べた方がいいですよ」
「ぁ、は、はい」
食事の手を止めていたハイネルに食べるように促すと、ロゼアンは小さく息をついた。
「今、剣魔術とはいえ、剣を使わずに代替品を使えないか研究をしています。その話をレスティオ様から聞いたんですね」
「そう!そうなのです。男性が扱う前提で研究されていると思いますが、女性が扱うという観点も今後はあってよいのではないかとクラディナ殿下はお考えなのです」
フォークに刺したハンバーグを手に大きく頷いたハイネルにロゼアンは理解を示すように頷いた。
言えたことに満足してハンバーグを口に運んだハイネルは、口の中に広がっていく先ほどとは違う味わいに思わず唸る。
「こ、これは、お肉ではないのですか?」
「肉ですよ。味を殺さない調理法を取り入れているのでこのような味なんです」
「美味しい……殿下にも食べて頂きたいです……」
目を輝かせたハイネルを前に、ロゼアンは視線を逸らして、サーレパンをちぎり、肉汁とタマゴソースを付けて口に運んだ。
それを見て、ハイネルもいそいそと真似をする。
ロゼアンは、こんな生き生きとした目をする人だっただろうかと思いながら、パンを咀嚼した。
つり目気味な瞳は冷たく感じることが多く、整った顔立ちも相まって勝気な印象が強い。
彼女の笑顔は、人を馬鹿にしたような笑みしか覚えしかなかった。
「用件は、つまり、剣魔術の研究にご協力いただけるという申し出ですか」
「ぁ、はいっ!その理解でよいです。つきましては、どのような研究を今されていて、今後どのような計画を立てているのか、話をお伺いしたくて参りましたの」
「それは、クラディナ殿下の護衛魔術師としてですか」
「勿論です。ベイルートがロデリオ殿下をお守りするために尽くしている姿を見て、護衛魔術師も鍛錬せねばと焦っているのです。男性はともかく、女性が剣を持つという考えはなかったので、そこを私が代表して剣魔術研究に参画することで補っていきたいと考えております」
あくまで女性護衛魔術師の代表としてここにいる。
ハイネルの主張にロゼアンは頷いた。
「この後、魔術学院での魔力制御演習を終えた後、夕の鐘の頃合いに魔術学院の第九訓練場にて剣魔術研究の検証を予定しております。その時で良ければ研究の話をする時間が取れるかと思いますが、魔術学院への入場許可の取得と、クラディナ殿下の護衛業務に関わる調整が必要でしょう。後日、調整した方がよいですか?」
「いえ、夕の鐘ですね。わかりました。護衛魔術師の成長には、一刻も早い成果を望まれていますから、この後早速調整に動きましょう」
「では、続きは訓練場で。お先に失礼致します」
「ぇ、もう……?」
気づけば、ハイネルはまだ半分も食べていないのにロゼアンは食事を終えていた。
席を立ったロゼアンは、ネルヴィやセバンに声を掛けて魔術学院に急がないとと話していた。
一人残されたハイネルはまだ温かい食事を見下ろして、暫し固まる。
騎士団の中に、皇女殿下の護衛魔術師が一人。非常に気まずい状況だ。
「あの、ご一緒してもよろしいですか?」
ロゼアンがいない状況で食べ進めることも躊躇われる中、明るい女性の声に顔を上げる。
「ここで料理人をしているリシェリ・ユーランと申します」
「クラディナ皇女殿下の筆頭護衛魔術師を務めております、ハイネル・ドーベルです。どうぞ」
先ほどまでロゼアンが座っていた位置にリシェリが座り、鼻歌まじりにハンバーグにナイフを入れ始める。
家格の見合わない相手と席を共にすることはなかったが、女性が近くにいるだけで緊張が和らぐ。
「こちらの食事は口に合いましたか?」
「はいっ!勿論です。とても美味しく頂いています」
言いながらハンバーグを口に運ぶ。
噛むほどに肉のうまみを感じる。中に入れられた芋の食感も面白く思う。
「それは良かったです。結構これ作るの大変なんですけど、美味しすぎて何度でも作りたくなっちゃうんですよね」
「そんなに大変なのですか?」
「はい。肉をこまかーく刻むんです。野菜も。それをぜーんぶ混ぜ合わせたら、後は焼くだけなんですけど、分量を間違えるとうまくひっくり返せなくてボロボロになっちゃうんですよ」
「へぇ、生憎料理はしたことがないので、想像も出来ません」
ハイネルが感心すると、リシェリは、にっと誇らしげな笑顔を見せた。
「やってみるといいですよ。ロゼアンもレスティオ様のレシピは全て好物のようですから」
「ふえっ!?」
不意にロゼアンの名前を出されて、ハイネルは顔を赤くさせた。
「ハイネルさんって、ロゼアンの婚約者なんですよね?」
「ぁ、そ、それは、その……」
「あれ、喧嘩してるんでしたっけ」
「こ、婚約は、破棄、されましたので……」
ハンバーグを切りながら言うと、リシェリは食堂中に響き渡るほど声を上げた。
厨房の奥で、うるせぇっと怒鳴り声が聞こえてくる。
「振っちゃったんですか」
「……ある意味、縁を切られたのは、私の方です。別に、想い合っていたわけではなかったのですが……」
「えぇ……ぁ、なんかごめんなさい。騎士ってだけでもお嫁さんになってくれる人がいないっていうのに、ロゼアンってば贅沢なんだから」
「リシェリは、騎士団の中にいるのだから、きっと多くの人から声がかかるのでしょうね」
「そんなことないですよ。中々そんな物語みたいなことはないです」
リシェリはハイネルと食べる速度を合わせて食事を進めていた。
気を遣ってくれているのだと察して、ハイネルは思わず笑みがこぼれた。
「けど、気になる方くらいはいるのでは?」
「いいいませんけどっ!?そんなこと言ったら、ハイネルさんは皇室の側近の皆様と近いのですから、ロゼアン以外にも気になる方がいるんじゃないですか?」
「いませんよ。私はずっと、あの人と結婚するものだと思っていましたから」
慌てたリシェリに小さく笑いながら、ハイネルは素直に出てきた言葉に自分で驚いた。
「婚約者だからと甘えていたのがいけなかったんでしょうね……」
「ハイネルさん。良かったら、今度飲みに行きますか。愚痴でもなんでも聞きますよ」
「お気遣い有難う。では、近いうちにお誘いさせてもらおうかしら」
丁度食事を食べ終えたハイネルはナイフとフォークを置いて一息ついた。
「とても美味しい食事でした。突然来たにも関わらず、有難う御座います」
「いえ、美味しく食べて頂けたなら良かったです」
席を立ったハイネルは気合を入れ直して、予定を調整すべく皇室の側近用の宿舎へと向かった。
叔父が学長を務めていることもあり、ハイネルの魔術学院への入場許可はすぐに取得できた。
懐かしい校舎を歩きながら、第九訓練場へと向かう。
まだ夕の鐘には早いが、既に訓練場には剣が運び込まれ、覚えのある講師たちが氷の的を作っていた。
「失礼します。本日、剣魔術訓練を見学させていただく、ハイネル・ドーベルです」
「おぉ、ご無沙汰してます。ご活躍は伺っておりますよ」
学生時代に世話になっていた講師が駆け寄ってきて、腰を低くしながらハイネルにベンチを勧めた。
どんなことをするのだろうと訓練場を眺めていると、講義を終えた学生たちの声が聞こえてくるようになってきた。
そして、魔術学院には不釣り合いな鎧姿で騎士団の者たちが訓練場に入ってくる。
同時に、周囲に訓練場を覗く学生の姿が見え始めた。
「ぁ、来てたんですね」
「貴方がこの時間を設定したのではないですか」
「そうでした。お待たせしてしまい申し訳ございません。ネルヴィ、先に始めててくれ」
「はいよ」
腰に下げている剣ではなく、訓練場に用意されていた剣を手に取って講師たちの方へと集まっていく。
ロゼアンはハイネルの隣に腰を下ろして、手にしていた手帳を広げた。
「どこから話しましょうか。剣以外の媒体活用に関する研究状況についてまずお話しますか」
「そうね。今日にでも殿下に報告したいから、研究の概要から教えて頂戴」
研究について確認した後は、ハイネルも剣を握らせてもらった。
「うっ、重っ!なによこれっ!」
「実戦用だから訓練用よりは確かに重たいですけど、腰に下げるのも難しそうですか?」
「こんなのずっとなんて持っていられないわよ!魔術で支えるにしたって限度があるわ」
早々に剣を手放したハイネルにロゼアンは困った様子でため息をついた。
「じゃあ、これでどうですか?」
ロゼアンは魔力結晶で剣を作ってハイネルに差し出した。
「なっ、ま、魔力結晶はそう簡単に他人に触らせるものではありません。こと男女の間では、特別な間柄でもない限り受け取る訳には参りませんっ!」
「ぁ、申し訳ありません。そのようなものとは初めて知りました」
「魔術師の家系ならば常識のことです。覚えておいてくださいませ。それに今は、聖騎士様の影響で夫婦や恋仲で魔力結晶の花飾りを贈る風習が出来つつありますから、尚の事、特待生の貴方は誤解を招くようなことは避けるべきでしょう」
「申し訳ありませんでした。以後気を付けます」
ロゼアンが魔力結晶を回収するのを確認すると、ハイネルは再び剣を握った。
そして、風の魔術で剣の重量の負荷を軽減させる。
「その状態で剣魔術を扱うのはまだ早いと思います。剣術に関しては、騎士団の訓練場に木剣がありますから、それを使いましょう。軽量化した剣が作成可能かは、レスティオ様に相談しているのでもう少し成果をお待ちください。それまでは、そうですね、ナイフなどで代用しましょうか」
ハイネルが剣を手放すより先に、ロゼアンは剣を掴み取った。
そして、キルアに声を掛け、投擲用の小型ナイフを借りる。
「こんな小さなナイフで大丈夫ですか?」
「魔力に対する耐久性はありません。まずは、剣魔術はさておき、考え方を教えます」
訓練場の隅で小さな的を作って講義するロゼアンの話をハイネルは真剣に聞き入った。
剣魔術を始めるための初歩として、魔力の流れをより柔軟に制御するために魔力結晶細工を練習しておくように勧められる。
魔力結晶細工は贈られる物だと思っていたハイネルは、目を瞬かせながらなにを作ればいいのだろうと考える。
キルアは、ロゼアンとハイネルの様子を見て、セバンの肩を掴んだ。
「あの二人って婚約破棄したんだよな?」
「らしいな」
集中しろとキルアの額を小突いてセバンは新しく用意された剣魔術研究用の剣を振るう。
魔力を含んだ剣は、以前よりも魔力の馴染みが良いのか威力が出やすい。
以前と同じ程度の威力に抑えようと思えば、魔力制御を意識する。
先ほどまで受けていた講義が早速役立つとはと思いながら、セバンは剣を握り直した。
「普通に恋人っぽく見えるのは俺だけかな」
「アイツが婚約者とよりを戻そうがどうしようが、俺には関係ない」
「あっそ……」
素っ気ないセバンに、キルアはこの場は諦めて剣魔術訓練に集中することにした。
この後、騎士団本部に帰還するなりロゼアンは同僚たちに取り囲まれた。
女性との縁の薄い騎士たちにとって、結婚の可能性があるのに無下にしようとする者は反感を買う。
ロゼアンは、特待生としての成果を出せていない状況では結婚など考えられないと追求から逃げ回ることになった。




