シェイキアの過去編 第2話「マラクスが生まれた日」
燃え盛る家の中からベルを救出したのは黒月だった。
まだ生まれて間もない赤ん坊だったため、シェイキアは彼女の誕生季を寒い頃と決めている。
そして十回目の誕生季が訪れて数日後、ベルは肩まで伸ばしていた髪をバッサリ切り、スボンにシャツという姿でシェイキアの前に現れた。
「ベルちゃん、すごく凛々しい格好をしてるけど、どうしちゃったの?」
「お母様のお仕事って、とても大変でしょ?」
「人と会う機会が多いから、色々気を使うのは確かね」
「来年から通う学院を卒業したら、お母様の仕事を手伝おうって思ってるの。だからその時がきたら、僕が男の子になってお母様を守ってあげるよ!」
その言葉を聞いたシェイキアは、自分の体が熱く火照るのを自覚した。今まで経験したことのないその感覚は、きっと恋だ。娘のためなら自分の全てを差し出す覚悟のあったシェイキアだが、まだ渡していない部分があったことを思い知る。
ベルがもし本当に男の子だったら、成人した彼に自分の初めてを捧げただろう。今の言葉はそれだけ大きな情動を、シェイキアへ与えることになるのだった。
瞳をうるませたシェイキアがベルの胸に飛び込むと、母より身長が高くなった彼女は優しく頭をなでる。
「ベルちゃんって男の子なら放っておかないくらい可愛いけど、お母さんのためにそんなことしてもらってもいいの?」
「僕はお母様みたいに、仕事のできる女性になりたいんだ。色々な街へ旅するときは男のほうが便利だって隠密たちも言ってたし、なによりお母様に色目を使う男って許せないから」
周りが大人ばかりなので少し早熟だが、ベルも色恋に関して理解できる年齢になっていた。そして母が一線で働く姿に、強いあこがれを抱いている。学院を卒業したら家業を継いで、母を少しでも楽させてあげたい。そう決意してから、隠密たちの訓練にも参加するようになった。
「ベルちゃんは私が知らない間に、すっかり男前になっちゃったね。それに喋り方もかっこよくって素敵よ」
「シンバさんに〝お前は爽やか系の美男子が絶対に似合う、喋り方もその路線でいけ〟って教えてもらったのさ!」
古代エルフ族は千年という寿命を持ち、大人として成熟するまでに数十年かかる。自分たちより遥かに速く成長するベルの心と体に、シェイキアは一抹の寂しさを覚えてしまう。
娘には自分自身がやりたいことを自由に選択させてあげたい、そう彼女は考えていた。里の掟やお役目という責務が枷になり、不自由な生き方をしている幼馴染のことを知っていたからだ。
「ベルちゃんがやりたいって決めたことなら、お母さんは全力で応援するからね」
「うん! 僕、頑張って学院でも立派な男として過ごしてみせるよ」
こうして男装時にマラクスと名乗り生活するようになったベルだが、通い始めた学院で絶大な人気を獲得。王子様然とした言動が板につき、女生徒の熱い視線を一身に集めることとなる。
それが男子生徒の嫉妬を招く原因になったものの、スラリと伸びた身長や気品ある立ち居振る舞い、そして二枠の魔法を自在に扱う姿を見て、あまりのレベル差に勝負すら挑まれなかった。
仮にマラクスへ嫌がらせをしようものなら、全女生徒の不興を買うことは必至。そうした影響力もあり、平和な学院生活を送ることができたのは、シェイキアが抱いていた懸念を払拭する結果をもたらす。唯一誤算があったとすれば、貴族の娘から求婚が殺到したことだろう。
卒業後は入学前の宣言どおり母の家業を手伝い、ギルドの査察官や隠密たちを束ねるリーダーとしての経験を積んでいく。そして彼女が二十二歳になった年の秋、この世界へ転移してきた龍青たちと出会うのだった――
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午前中に家の仕事を片付けた後、シェイキアの部屋にある天蓋付きの大きなベッドに腰掛け、彼女の昔話を聞いていた。足の間に座って頭や耳を撫でられながら話すシェイキアは、とても穏やかな表情をしている。
「俺たちがもっと早く出会ってれば、シェイキアの苦労を減らせたかもしれなかったな」
「〝今〟だから良かったんだよ。私とベルちゃんを二人同時に娶ってもらえたし、お役目の呪縛からスファレちゃんを解き放ってくれたんだもん」
そう言ってもらえるのは嬉しいし、今の生活を後悔はしていない。それでもシェイキアの話を聞くと、彼女が抱えてきた苦労を一部だけでも背負ってあげたかったと思ってしまう。
「やっぱりリュウセイ君って優しいなぁー」
「俺の考えてたことがわかるのか?」
「マシロちゃんほどじゃないけど、ちゃんとわかるよ。なんたって私の愛する旦那様だからね!」
そう言ってからシェイキアは足の間でくるりと反転し、俺の顔を両手で優しく包み口付けしてくれる。そんな愛おしい彼女を見ていたら、ふと思ったことを口にしていた。
「シェイキアの初恋の人になれなかったのは、ちょっと残念だよ」
「もしかしてベルちゃんに嫉妬?」
「俺は自分が思ってた以上に独占欲の強い男だから、つい……な」
そこまで強い気持ちじゃないと思うけど、ちょっとだけ対抗心を燃やしてしまったのは事実だ。今でこそもう面影はないが、マラクス姿は本当にカッコよかったしな。しかも性格までイケメンだから、負けた気になってしまうのは仕方ないと思う。ベッドの上では全戦全勝だが!
「なんだか〝お前のことは誰にも渡さないぞ〟って言われてるみたいで、キュンキュンしちゃうわ」
「大切な人を手放したくないって思うのは当然だ」
「安心してね、リュウセイ君。初めて抱かれてもいいって思えたベルちゃんと一緒の人を好きになったんだから、私の全てがあなたのものになったって事と同じだよ」
確かに言われてみればそのとおりだ。
ついつい変な嫉妬をしてしまって、恥ずかしくなる。
そんな羞恥心をどうごまかそうか考えたいたら、扉をノックする音が聞こえてきた。
『おくつろぎのところ申し訳ありません、お館様』
「ヴァイオリね、入ってきていいわよ」
夕方まで二人っきりで過ごすと予定を告げていたので、そこに割って入ってきたってことは緊急の要件だろう。少し名残惜しいがベッドをおりて、机のある場所へ移動する。
「何があったんだ?」
「悪魔の呪いではないかという症状の患者が、王都の治療院に運ばれてきたそうです」
「それ本当なの?」
どうやらセミの街から転院してきた患者が、王都に到着したらしい。あそこには邪魔玉があったし、その影響で悪魔の呪いを発症する可能性がある。どんな症状が出ているのかわからないけど、苦しんでいるのなら早く助けてあげよう。
◇◆◇
真白とヴィオレに来てもらうため、自宅まで転移魔法で戻って準備を整える。もしも悪魔の呪い以外の症状で、特別なものが必要だったら力になると、クレアも一緒に来てくれた。この子がいればどんな場所でも転移できるから、とても心強い。
「私たちが邪魔玉を浄化してからずいぶん経ってるし、もう悪魔の呪いなんて出ないと思ってたよ」
「あの時はエコォウが頑張ってくれていたけれど、どこかにまだ影響が残ってたのかもしれないわね」
「この世界では昔からあった呪いだから、今回は別の要因って可能性もあるな」
とにかく呪いの症状が出ているなら、ヴィオレに感じ取ることができる。王都で手に入らないものが必要だとしても、クレアがいれば入手できる可能性は高いだろう。森の中ならスファレやシェイキアに協力してもらえばいいし、ディストにお願いすれば空からだって探すことも可能だ。
シェイキアが用意してくれた馬車の中でそんな話をしていたら、患者が運ばれたという治療院に到着した。ここは以前、ケーナの診察をお願いしたり、医学書を調べさせてもらった治癒師のいる場所だ。
受付けの女性に挨拶して中へ入らせてもらうと、診察室の方から声が聞こえてくる。
『こっ、これは絶対に悪魔の呪いなんだな。は、は、は、早く治療してほしいんだな』
『セミの治癒師に、王都へ行けば病気の詳細がわかると言われたのだ。早くワシの可愛い息子を治療せんか』
『これは古代病の一種でして、現在この国にある治療薬では……』
あー、なんかすごく聞き覚えのある声だぞ。
目の前にある扉を開ける気力が、穴の空いた風船みたいに抜けていく。
「なぁ、帰ってもいいか?」
「リュウセイ君がそんなこと言うなんて、一体どうしちゃったのよ」
「ん……パパのそんな顔、はじめて見た」
「以前セミに墓参りへ行ったとき、貴族に絡まれたって話をしただろ? 中にいるのは間違いなく、その時の二人だ」
「あー、あの家かぁ」
シェイキアは彼らの悪評を知ってるだけあり、むちゃくちゃ顔をしかめていた。なにせセミの街でも、かなり評判の悪い貴族だしな。親子揃ってメタボだし、人の話を全く聞かないし、息子に至っては勘違い系ストーカーだ。
もう二度と会いたくないと思ってた相手が、よりにもよってこの奥にいるとは……
「呪いの気配は感じないし、帰ってもいいんじゃないかしら」
「うーん、でもここの院長さん、困ってるみたいだよ?」
真白の言葉を聞いた受付けの女性が、ブンブンと首を縦に振っている。ここの院長はケーナのかかりつけ医でもあるし、今後のためにも助け船を出すしか無いだろう。
抜け続ける気力をなんとかかき集め、診察室へ続く扉を開いた――
ついカッとなってゲリラ更新した、後悔はしていない。けど公開してる。
ベルがシェイキアに話した最初の男言葉は、本編の140話に出てきます。
(少し違ってますが、記憶と回想の差ということにしておいてくださいw)
次回は土曜日更新の予定です。
ざまぁ回(笑)




