8話
「――勇者が現れた」
毎月行われる定例会議の最中、部下からの報告書を興味なさそうに眺める彼がふと声を上げる。
それは宿命だからだろうか。魔王である彼は、同時刻に誕生した勇者の存在を感じ取っていた。
「始末してきましょうか」
彼の一人言に応えるのは一人の女性。
腰まで伸びた黄金と白銀の二色の髪は美しく、そして混血の証であるが故に迫害の対象として見られる異質な魔人。
だが、魔王の隣の席に座る彼女は魔王の部下として文句がないほど有能である。
二〇代半ばの彼女は徹底した仕事人であり、新世代の公爵と参謀を兼任する猛者だ。
「いや、よい。クフフ……ようやく役者が揃ったか。……長かった。鉛を飲む思いだったぞ」
「……ほぉ、魔王様がそこまで待った相手、強いんじゃろうな?」
「クフ、無論弱い。だが、アレは必要不可欠な要素だ。その時になれば、生かすも殺すも好きにすればいい」
彼はありもしない髭を撫で付け、ニヤリと戦闘狂じみた笑みを浮かべた。そんな彼に対する返答は、魔王にしては饒舌なものだった。
着用が義務づけられている制服を脱ぎ腰に巻いている彼は、配られている報告書に再び目を通す。
「勇者ねえ。僕はそんなのどうだっていいけどね。そんなのより研究の方が大事さ。今日の会議だって、一段落付いたから出席しただけだしね」
「……ネムは眠いから、どうでもいいの」
続いて、どこかの民族衣装なのか、様々な柄の布を継ぎ足した派手な服を着ている耳が長い少年は、ルービックキューブのようなものを空中に浮かしたまま退屈そうに意志を表明する。
その隣にいる緑の髪の少女は机に突っ伏したまま、とても眠たげな可愛らしい声で隣の少年と同じく興味なしと答えた。
そんな自由すぎる彼らを睨みながらも、参謀である彼女は何も言わない。
彼らのそれは、全て許されているからだ。
というのも新世代の公爵五名、全員が魔王が直々に探しだして部下にした猛者たちである。
魔王と彼らが同じ円卓を囲っているのは、部下でもあり対等な者でもある証。魔大陸が一つの国として機能している証明である。
「アイシャ、レヴェルはどうしている」
「北方公爵は現在、人間の国との戦争に備えて、自身の領地にて渡海の準備を整えています。必要であるならば四肢をちぎってでも連れてきますが」
「よい。レヴェルの好きにさせよ。本命はあと一〇年待たねばならぬ」
「畏まりました」
軽く会釈のみを返し、アイシャは姿勢を正す。
彼女の有能さは新世代の公爵全員が知っている。彼女が彼らの在り方を咎めれば、彼らはきっと正式な場での在り方を改めるだろう。
同じ連邦王国に属する軍人として素直に従うだろう。
だからこそ彼女は何も言わない。彼女の発言力が魔王の次に高いからこそ、魔王が認めた在り方を歪めるような真似はできないのだ。彼女はただ参謀としての仕事に従事するのみである。
「クフフフフ。さあ、もうじきだ。もうじきでこの世界は詰むぞ女神よ。貴様はこの盤面、どう捉える?」
――――――
どうしてこうなった。
「それでね、お母様はいつも褒めてくれるの!」
もう一度、どうしてこうなった……っ!
「ねえ、聞いてるの?」
「……聞いてますよフローラ様」
ほっぺたを膨らませて不機嫌そうなフローラは、すぐに満面の笑みでお話を再開する。
そのお話に付き合わされているクロノは、どうしてこうなったと自問自答を繰り返す。
クロノはフローラ第四王女の私室にいる。というのも、クロノと話したいと駄々を捏ねた彼女のために一人だけ別行動を余儀なくされたのだ。
「あ、女神様は? クロノと一緒にいないの?」
「シーリ……女神様は母様について行きました」
「そうなの……」
女神ともお話をしたかったらしく、フローラは見るからにしょんぼりとする。
クロノとフローラは同じ年齢だが、生まれの違いなのか一挙手一投足に差が出る。
クロノは辺境伯の子だが、王族とは差がありすぎるのだ。彼女が着ているドレス然り、部屋の内装然り、どれもが一級品だ。
それに比べて、クロノの部屋には必要最低限のものしかおいておらず、身につける服も貴族としてみるなら少し質素だ。
クロノは貴族としての生き方をするつもりがないので、それで十分だからあとはおこづかいとして貯金してくれとカレンに言っており、母親も母親で貴族にしてはかなり庶民派なので、節約するなんて偉いわと二つ返事で受け入れる始末。
このような事情もあって、二人の振る舞いや容姿には大きな差があり、それが原因で厄介ごとにならないかとクロノは心配なのだ。
フローラはそんなこと気にしていないが。
「ですけど、俺なんかと話してていいんですか? 辺境伯の子ってだけの、爵位も持たない子どもですよ?」
「子どもだからいーの。そんなことより……これ!」
フローラが棚から取り出したのは一冊の本だ。
少し高級感がある用に見える革表紙、古い字体の上に振られている公共語のルビ。
クロノの家にも置いてある、よくある英雄の物語だった。
「クロノは勇者様でしょ? だったら、このお話の勇者様みたいにかっこよくなる?」
パラパラと開かれた頁には、剣を掲げる勇者とその仲間たちのイラストが。クロノは当然それに見覚えがある。
つい夢中になって読み耽ったからか、細部まではっきりと覚えていたのだ。
「かっこよくは……ならないと思いますけど」
少し悩んでからそう答えたが、先程までいた場所にフローラはいなかった。
クロノが目線を外した隙に移動し、すぐ近くまで迫っていたのだ。手を伸ばさなくても触れられる距離だ。
すると、フローラは意を決してクロノの頭を抑えると――
「え、ちょ、わぁ!?」
クロノは驚きのあまり足を滑らせ、ガンッという音がなるほど盛大に頭をぶつけた。
女性経験皆無のクロノ、額にとはいえキス程度でここまでの動揺をしてしまう。
「いっ……てて」
「大丈夫?」
転んだ拍子に倒れてしまった椅子を元に戻しながら、フローラはクロノを心配する。
ここまで動揺するのは彼女にとっても予想外で、少し困惑しているようである。
「大丈夫……ですけど、なんで俺なんかに……?」
前世を含め、キスをされるのはクロノにとって初めての体験だ。加えて、この世界では女性から手を握ったりキスをするのは、あなたに好意を持っている意思表明として扱われる。
当然、フローラは顔を赤らめる。
「……好き、なのかな?」
「へ?」
「……」
「……( 'ω')」
「――ぷふっ、なにそれ。クロノって面白いね」
勿論そんなルールなど知らないクロノは、つい謎特技を使ってしまう。転生の際にシーリンに使って以来だが、その精度は衰えていないようである。
好き、か。……好き、かぁ…………!
クロノは内心でとても喜んでいた。自称ひとでなしの彼にも、希薄なだけで人らしい感情はある。
人生で初めて好きと言われた。それは水面に石を投げ込まれるようなものであり、波紋となってクロノの内側を駆け巡った。
「……数少ない特技です」
「面白い特技ね」
フローラはまだ笑っている。
「……ところで、その、異性としての好き、ということですか?(実は腹黒で相手がその気になった途端手のひら返しで嘲笑う――みたいなのだったら最悪通り越して笑うしかなくなりそうだけど)」
なんてネガティブなことを考えていると、フローラは顔をさらに赤らめ、恥ずかしそうにもじもじする。
「まさか……本当に……?」
クロノが動揺を隠せないまま訊くと、フローラはこくんと頷いた。
気恥ずかしい雰囲気の中、それでも頑張って会話を弾ませていると、国王の用事も終わったようでカレンたちが呼びに来た。
名残惜しさを感じつつ別れを告げ、クロノたちは来た馬車に乗ってオルテンシア辺境伯領に戻ることになった。
名残惜しいのはフローラも同様で、わざわざ城門まで見送りに来て手を振っていたので、クロノも馬車の窓から手を振り返した。
その後、危険な目に遭うこともなく無事屋敷へ辿り着く。
行きはいなかった女性が増えていること等、祝福の儀での出来事はすぐに屋敷中に広まった。
それから一週間。
シーリンは王族以上の対応をされていたが、やらなければならない使命があることと、そのためにクロノの特訓もするため対応は普通で構わないと告げた。
カレン以外の使用人は呆気にとられながらも、主であるカレンがアレなのですぐに順応した。
「なんかさ、人生っていろいろあるんだなって、最近ようやく骨身に染みて実感したよ」
「それは同年代の少女に告白されたからですか?」
「それもあるけど……まあ、前の俺はこんなに余裕がある人生じゃ無かったからな」
「それは存じていますよ。転成させた後で調べましたから」
「調べるって――ああ、全知全能の神はそうそういないのか」
神=全知全能のイメージがあるが、それはゼウス由来のものが大半だろう。
ギリシア神話においてゼウスは全知全能の神として、主神として君臨している。が、当然ギリシア神話にはゼウス以外の神々も登場する。
冥府の神、美と愛の神、豊穣の神、狩猟と貞潔の神、季節の神、伝令の神、海と地震の神、炎と鍛冶の神、戦の神と多岐にわたる。
全知全能ではない。それぞれに司るものがあり、ゼウスもまた天空神として語られる。
このことはクロノも知っており、前世で学んだ神話を思い出しシーリンの言葉に納得した。
「ええ。私も虚実を司る神として、駆け引きや存在の神として異世界に君臨していましたが、全知全能とはほど遠かったので」
「(異世界の神として君臨していた……? 過去形?)」
「それに、完璧ではありません。感情がありますし、贔屓もします。時には間違えますし、悪神として君臨する神もいます」
「……とりあえず、意外とポンコツだということは理解した」
「ポンコツではありませんっ!」
クロノはぽかぽかと頭を叩かれた。グーで叩かれているため地味に痛い。
叩かれながら、クロノは自分の置かれている状況を整理する。
転生の際に武器以外のものを要求しなかったのは、クロノにはチートや圧倒的な力は必要ないからだ。才能にかまけるのは停滞であり、努力してこそ人は強くなると知っているから。
なにも持たないからこそ、持たざる者は精神的にも強くなれる。
が、決して不必要だとは思っていない。手に入る機会があるのなら是非手にしたいとクロノも考えている。
得る過程で努力するのが大事だからだ。
叩かれ続けるのはさすがにきついのか、クロノは両手を上げて降参する。
「さて、休憩はこれぐらいにして特訓の続きにしましょうか」
「いや、今日のノルマもう超えてるんだが――」
「できますよね」
「……はい」
笑顔で圧をかけられては断れない。
シーリンが来てからクロノの特訓は最適化され、今まで以上にハードになった。人間の限界など知らんと言わんばかりの鬼畜さであるため、努力を怠らないクロノが根をあげるほどだ。
それでも楽しいと感じる辺り、クロノもなかなかだ。
結局晩ご飯の時間まで特訓は続いた。