3話
ローレンスが仕事のため立ち去り、廊下にはクロノとシシリィが残される。
クロノは探検を再開するため再び足を動かし、未だローレンスの説教に怯えているシシリィを無視して歩く。
「――クロノ様? 勉学を終えたとはいえ、あまり身勝手に行動されては私たちが――いえ私が困ります!」
クロノが離れていることにハッと気づいたシシリィが、自己保身のために身勝手に行動することを制止する。
「……ししりぃって、なんでめいどなの?」
自己保身の行動に呆れ、なぜメイドなのか問う。
「それ、訊く必要あるのですか?」
「きになったから」
「えぇぇ……いいですけどぉ」
めんどくさそうな、不満そうな様子を隠そうともしないが訊かれたことには答えるらしい。
メイドのプライバシーを聞くのは一応マナー違反だ。だが、このドジっ娘メイドがなぜ解雇されないのか気になって仕方ないクロノである。
言っては悪いが、正直いる意味ないのではとクロノは思っている。
この世界の常識に疎いから、さり気なく一般人の感性や考え方を学ぼうとも思ってはいるが、理由なんて後付けでしかない。
気になるから。
クロノが何かを調べるのはそれが主な理由だ。
「私は元々孤児でしたけど、奥様に拾われてからメイドとして働いています。恩を返すには誠心誠意働かなければならないのです!」
「……へぇ」
えっへんと力説している彼女だが、説得力がまるで無い。皆無だ。
長々と身の上話に付き合わされても収穫はなかった。ただただ孤児の辛さとカレンの優しさについて話していただけだった。
そしてこれを聞かされたクロノが思ったのは、『美少女が孤児とか異世界どうなってんの』だった。
「クロノ様の目がなんかいやらしいです!」
「おきてすぐそんなこというなよ……」
次の日の朝目が覚めると、シシリィはクロノと目が合った途端にそんなことを口走った。
母親であるカレンの数少ない癒やしともいえるクロノは、毎晩母親と同じベッドで寝ているが情欲が湧くことはない。
つまり、シシリィのこれはいいがかりである。
「とりあえず、顔洗ってください。そしたらお着替えです。お着替えの後は朝食、そして朝食後、一時間後にローレンスさんが勉学を教えます。昼食の時間になれば一旦休みになりますが、午前中に勉学が終わった場合は自由時間になります。分かりました?」
「わかってるよ。きのうとおなじでしょ?」
テキパキと身支度を済ませて食堂に向かう。
食堂は広いが、そこで食事をするのは母親と父親、そしてクロノの三人だけだ。
「ローレンスから聞いたが、午前で勉学を終わらせているようだな。無理はしていないのか?」
「へいきだよ。むちゃするほどむずかしくないし」
「そうか。それと、カレンに魔法を教えてとせがんでいるそうだが」
「それは大丈夫よ。危ないから教えられないって言うとちゃんと引き下がるもの」
クロノの父親は、お世辞にもいい人には見えない。ヤクザと言われたら誰しもが納得する風貌だ。
だがそれは全くの誤解で、無愛想だがカレン並みの優しさを持ち合わせているとクロノも知っている。
優しい家族だ。
親を知らないクロノにとって、彼らは自分に愛情を注いでくれるかけがえのない両親である。
「――ところで、剣に興味はあるか」
「けん?」
「仕事も落ち着いて時間が取れるようになったからな。望むなら剣を教える」
唐突に剣を教えると提案する父親。
おそらく身体作りから始まるだろうが、この提案はクロノにとって願ったり叶ったりだ。
三歳児の身体ではまともに剣は振るえない。だが知識として、いずれ超える目標としての父の姿を観ることができる。剣の使い方を知れる。
「やる。とうさんみたいにつよくなりたいから」
だから、答えは決まっていた。
クロノは以前、庭で剣の素振りをしている父親を見たことがある。はちきれんばかりの筋肉はないが、細っこいわけでもない。
実戦で鍛えられた歴戦の証である。
憧れないわけがない。
「そうか。なら、午後の時間を使って特訓だ」
そして、この日からクロノの過酷な異世界生活が始まった。
朝起きて勉学をし、昼食をとったら剣術のためのトレーニング。トレーニングが終われば風呂に入りそして夕食。
子どもの身体だから夕食後にはすぐ眠くなる。
うっつらうっつらとするクロノをシシリィが部屋まで連れ帰り、零時を回った頃になってベッドにカレンが入ってくる。
この繰り返しがずっと続く。
子どもの身体では筋肉は大してつかないが、やらないのとでは大きな違いがある。
ほんの少しずつだが体力が増えたのだ。
体力が増えれば、今度は剣術も特訓に加わる。
「まずは基本だ。これがなければ何も出来ない」
そう言って、グレイブは何度も基礎を叩き込んだ。型や技は後回しで、まずは剣を離さずに振る練習だ。
木剣とはいえ子どもからすればかなりの重量だ。それを手放さずに振るうだけでもきつい特訓だった。
最初は数回が限界だった。何度も何度も剣を落としては拾い、また落としては拾う。
一年が過ぎると、素振りだけなら一〇〇回近く出来るようになった。トレーニングも欠かさず行っている。
四歳のクロノの身体は、ある程度の筋肉はついてきている。身体を動かすのに必要な最低限の筋肉だ。
筋肉がついた影響なのか、ついでに言葉も流暢になってきた。
「よっと」
クロノはたった一年で学校で習うべき勉学を全て終わらせた。成人するまでに習う知識を覚えたということであり、一般常識を身につけたということだ。
なので、暇になった午前中は、広い庭で走り込みをしている。
走り込みだが、時々シシリィに頼んで障害物を作って貰っている。ただ走るより身体を酷使するだろうという考えだ。
「お疲れ様ですクロノ様」
「ありがとうシシリィ……はあ、もう動けそうにない」
「毎日これだけ走ってたらそうなりますよ」
クロノは大の字に寝そべって愚痴をこぼす。
庭にはどんどん増えた障害物が不規則に並んでおり、それを使った走り込みをこの日の朝だけでも三セット行っていた。
「ところで、あと半年ぐらいで祝福の儀ですけど、やっぱり剣士を目指すのですか?」
「まあ、そうだろうな。ちょっと前に簡単な魔法を教えて貰ったけど、一回使うだけで魔力が殆どなくなるし、なら剣を持った方が戦うのに向いているだろ?」
魔法には向き不向きがある。クロノが教えてもらった魔法は水属性だったが、不向きな属性の場合は魔力が馬鹿みたいに持ってかれるのがこの世界だ。
どうやら魔法は向いていないらしいと、クロノはより一層剣の特訓に励んでいた。
祝福の儀についても概要ぐらいは掴めている。空いた時間はもっぱら、知識を増やすために本を読んでいたからだ。
祝福の儀は簡潔に言えば、その人の行く道――天職を示す儀式だ。何ができて何ができないのか、個々人の具体的な強さを表すためのもの。
とはいえ、その人がそれしかできないと断定している訳ではなく、あくまでも才能を引き出しているに過ぎない。
一部の例外を除けば、努力さえすれば誰でも魔法を覚えられるし、剣を手に取ることも、商業だってできる。本人の努力次第だ。
例外は勇者や賢者、聖女、覇者、そして魔王。
彼らはルールの外側、つまり世界の理が定めた天職だ。
勇者には神権代行が、賢者には世界叡智が、聖女には天啓寵愛が、覇者には覇道蹂躙が、魔王には魔王特権が与えられる。
それらがどのような力を秘めているのかはクロノが読んだ本には書かれていなかったが、そのどれもが異常、世界のルールをねじ曲げるほどの天職であることは間違いない。
「でも意外と商人とか授かりそうですよね。だってクロノ様天才ですし」
「俺は商人には向いてないよ」
自嘲気味に言う。
効率優先、努力はしても不可能なら諦める。
人のための知識など有していないが故の、自分本位だった少年の本心である。
だから商人には向いていない。商人は他者に何かを施せる人物でなければならない。信頼を得なければならない。それがクロノの商人像だ。
それができなかったからこそ、クロノは日本での自分を諦めた。
どこまでいっても自分本位で自分勝手な天才は必要とされなかった。金はあっても人望はなかった。順風満帆とは言い難い人生だった。
「俺は天才でもなんでもないからな」
ただのひとでなし。それがクロノの自己評価だった。