加護の糸
月明かりの元、疑わし気な視線をイティアラーサへ向ける。
この御方からは同類の匂いがする。この世界で女性の姿を保つことが出来なくても、絶対に喜んだはずだ。現に、アルモニエには手を出していたし。
「何だ、まぁ不自由は全くしていないが、わたくしより高位の神々の祝福を受けた者に関しては厄介だな」
「どう言う意味でしょうか?」
「わたくしを害する事が可能と言う事だ」
「害する……まさか……」
「其方の考えている程ではない、屠られはせぬ。邪魔立てする程度だ」
「妨害、ですね。良かった。でしたら、結維だけでも先に家へ帰して頂けませんか?」
神様に妨害が可能な力を持っている人間がいて、既に結維が被害を受けたのだ。又、傷付けられるのは見たくない。もう一時もこの地に居て欲しくない。
「それは無理だ」
返って来た言葉に愕然として、憤懣遣る方無い思いをぶつける。
「ご縁を結ぶのでしたら、私一人でも行えます。結維が無事で過ごせない所なんて、再度同じ目に遭うかもと思うと、とても我慢できません」
「帰してやりたいとは思う。だが、わたくしが其方達と外界とを繋げられるのは、行きと帰りの二度のみなのだ」
「まさか、それも根本の理ですか?」
「そうだ。わたくしは、本当に長い間捜していた。この世界の人々を正しく結ぶ事が出来る者を。だから簡単には帰せぬ」
「では、ご加護を結維に授けて下さい。神殿内でしたら力が強く及ぶのですよね。対価は私が払います」
睨むように見詰め、返答を待つ。
イティアラーサは軽く鼻で笑い、やれやれと言った風に肩を竦めた。
「其方からの対価など要らぬ。我が愛し子達の縁を結んでくれればそれで良い。護りは、常に身に着けている物に付与するとしよう」
「身に着けている物であれば、指輪があります」
「指輪より、其方が持っている『それ』の方が良いようだ」
イティアラーサは私の懐を指さした。何を持っていたかなと探ると、恋糸に渡された御守りがあった。
「安全祈願の御守り。確かに効きそう」
イティアラーサに渡そうとすると、手で軽く制された。
「中に謂れの有るものが入っている、それが有ると護りに反発するようだ」
中身は木札だと思うけど、と袋の紐を解き中を改める。
すると、中に油紙に包まれた和鋏が入っていた。
「これは私の妹が、ご縁を切るときに使う鋏です。確かに『切る』物では護りも切れたら困りますね」
こんな大事なものを、咄嗟に渡してくれた恋糸には感謝しないといけない。和鋏を入れる袋は後で作ろう。
袋から取り出した鋏を油紙で丁寧に包み直し、懐に仕舞い込んだ。
「お渡しします。イティアラーサ様、宜しくお願い致します」
御守りを手渡して、どうやって護りを付けるのか、わくわくした気持ちで待っていると、イティアラーサも懐に仕舞い込んだ。
「……ご加護を付与されるのですよね……」
「ここではせぬ。愛し子が目覚めた後、行う。それより早く水を汲め」
確かに、ご加護を授ける対象がいないとダメだよね、と納得して井戸の水を汲んだ。
カラカラと回る滑車の音が、私の気分を反映したかのように軽やかに鳴る。部屋へ戻る前、もう物騒な事が起こらないように、再度ご神木に似た大木にお祈りをしておいた。
ランプシーの部屋に戻ると、結維はまだ眠っていたけれど、寝息が大分落ち着いていたので安心した。
イティアラーサは指の背で優しく結維の頬を撫で、額に唇を寄せた。
ランプシーに結維へご加護を頂ける話をすると、「それは素晴らしいですね、私もその場に居て宜しいですか?」とイティアラーサへ了承を得ていた。
ランプシーとイティアラーサが話しているのを横目に、井戸から汲んだ冷たい水で布を濡らし、結維の額を拭う。さっきより熱も引いていて、すごくほっとした。安心した途端、眠気が襲ってきたので長椅子ではなく、結維の手を握りつつ寝台の端で椅子に座り、俯せて寝る事にした。
私が寝ている間に、メガレイオとアルモニエが様子を見に来て、ランプシーと何やら相談をしていた。「護り」と言う単語が何度も聞こえたので、ご加護の付与について話をしているのだと思った。会話は聞こえているけれど、意識は眠りに引っ張られていて覚醒することなく、深い眠りに落ちて行った。
「りんちゃん、おはよう」
短時間だけどぐっすり眠る事が出来た上に、天使の声で目覚めを促される。ばっちり目が覚めた私は、声の主、結維の手を握ったままで顔を上げた。
「おはよう結維。気分はどう?」
「もう大丈夫。ありがとう、りんちゃん」
私の手をぎゅっと握り返して、それはもう可愛い笑顔で答える。
よかった。本当によかった。知らずに瞳が潤んでしまった。
涙が溜まっているのを気付かれないように、さっと瞳を伏せて「顔を洗うね」と告げたけど、泣きそうになったのは結維には分かっていたみたいで、私に釣られて結維の目も潤んでいた。
顔を洗おうと部屋を見渡すと、いつの間に来ていたのか、昨夜からずっといたのか、イティアラーサと優雅にお茶を飲むメガレイオとアルモニエがいた。
立って給仕していたランプシーが、水瓶から木の器で水を掬って渡してくれた。
「おはようございます。ユーイ様もリーネも顔色が良く、安心しております」
「おはようございます。ランプシーさんの適切な処置のお陰です。本当にありがとうございました」
本当に良い青年です。素晴らしい巡り合わせがあることを、切に願います。
顔を洗い、身嗜みを整え、イティアラーサ達に朝の挨拶をすると、お茶を飲んでいたイティアラーサは挨拶に応えた後、結維の元へ向かった。
「立ち上がれそうか? 無理ならば寝台でも良いが」
「大丈夫です。皆様のお陰で気分も良くなりました」
にこりと微笑む結維にイティアラーサが右手を差し出し、立ち上がるのを手助けする。しっかりと床に足を着けて立つ結維の姿に今の所、後遺症もないみたいで安堵の息が漏れた。
「其方もこちらへ、愛し子はこれを」
イティアラーサは私を結維の横に立たせ、結維には御守りを渡した。
「あれ? これ、うちの御守り?」
「手の平に乗せておくように」
結維の顎を人差し指で少し持ち上げ、笑みを向ける。結維は少し頬を染めて「はい」と返事をした。
イティアラーサは私達の前に立つと、ふうっと息を吹いた。すると、空中に直径二十センチ位の球体が現れた。その球体は水で出来ているようで、ゆらゆらと表面が揺れている。
「血をもらうぞ」
そう言って、結維と私の額を人差し指でトン、トン、と突くと一センチ位の赤い球体が、それぞれの額の前に現れた。
水球へと入るように、浮かぶ二つの赤い球体をくるりと指を回し操作すると、血液で出来た赤い球体は大きな水球へと混ざって行った。
指揮棒を操っているような仕草で指を動かすと、水球はくるりくるりと捻じれて細い赤い糸へと変わって行く。イティアラーサが優雅な手つきで、結維の手の上にある御守りにトンと指を置いた途端、糸となった水球は、シュルシュルと高速で縫われて行き、御守りに青海波の模様を作った。
今回はイティアラーサを見直した。本当に神秘的だった。腐っても神。
「愛し子よ、常に身に着けておくように」
「有難うございます。でも僕は何をお返しすれば……」
「貰えるのか? で、あれば共に床に」
間違いました。腐りきっています。
「イティアラーサ様。対価は要らないと仰いましたよね」
「……其方からは、な」
迷いなく結維の手を私は引いた。
「結維、帰ろう」
「え? どういうこと?」
「すまぬ。今回は要らぬ。わたくしの所為でもあるのでな」
焦って謝罪の言葉を述べるイティアラーサの声が、爽やかな朝の空気の中響いた。