異界の糸
神職であろう男性の後に続いて向かった場所は神殿だった。彼は祭壇へ進むとゴブレットに液体を注ぎ、香を焚くと跪いて祈り始めた。
三メートル程の白い男神の像が飾られているその場所は教科書で見たパンテオン神殿に似ているが、壁に華美な装飾も無く天井の丸いクーポラにはパンテオン神殿と違って穴が空いておらず、白く美しく静謐な空間を作っていた。
先程私が落ちた滝は神殿の裏手だったらしく、もし結維から着地点の変更を頼んでいなければこの固い石床に打ち付けられたのか、としみじみ思った。間違いなく腰を痛めた。
言葉を発するのも躊躇われる空間に結維と佇んでいると、隣に人の気配を感じそちらを見ればなんだかどこかで目にした事がある男性が居た。どこだったかなと天井を仰ぎ見た時、男神の像が目に留まり横の男性と神像が似ている事に気が付いた。もしかしなくても……
「イティアラーサ様ですか」
確信を持ち言ったその言葉に満足そうに微笑むその姿は男性だが、チョコレート色の髪もアクアマリンの瞳も同じで、やはり先程別れたばかりの女神らしい。美女が美青年に変化したと知り、結維は固まってしまった。
「直ぐに送り出してしまった事で難儀しているであろうと思い駆け付けた。神殿はわたくしの力が強く及ぶ所なのでな」
イティアラーサは優しげな笑みを浮かべ、結維の頬を右手で包む様に触れて顔を覗き込む。美青年の近距離は刺激が強いのか結維の顔が朱に染まる。
私は瞬時に理解した。『後程』ってこういう事だったんですね。またもや確信犯。突然連れてこられた美少年が心許無さに襲われている。そこへ颯爽と現れ救いの手を差し伸べる。これは所謂マッチポンプ。そこまでして頼られたいんですね、イイ性格してますね、気が合いそうです。
「助けとなりたい。言うべきこと、すべきことは解るであろう? ん?」
すぐ目の前でパワハラとセクハラが繰り広げられている。頬を撫でていた右手が耳の上部に移動し耳の縁をなぞりながら左手で腰を抱き寄せ、息が掛かる程顔を近付けてゆっくりと囁いた。
うわー神殿でなんて事を。罰当り……いや、この方が罰を当てる方でした。
それにしても素晴らしい光景です地中海系美青年に迫られている美少年。視力が回復して行きます。あぁ眼福。
あまりの楽しさに息が上がっていたのを深呼吸して落ち着け、結維の様子を伺う。
本当に困っている時の結維は平生装備の笑顔もなくなり目で助けを求めるけれど、今の状態は美青年に迫られて戸惑いつつもドキドキが勝っているみたいで、まだ助けは必要なさそうだ。見ていて楽しすぎるから助けるつもりはあんまりないけど。
「願いを乞え愛し子よ。その愛らしい唇で望みを紡ぎわたくしへと届けるが良い」
ぐいぐい迫られている所に念を送る。結維、頼んだよ。言葉が通じないと相談にも乗れないからね。可愛くお願いしてちゅっとすればいいから簡単簡単。
なんとなく察したのか結維の目が座る。「他人事だと思って」の顔だ、結構よく見る。
空気を読んで観念してくれた結維は口を開いた。
「イティアラーサ様、どうか僕たちにお力を分けて頂けませんでしょうか」
「無論だ」
イティアラーサは待っていたとばかりに即答すると、流れる仕草で結維の顔を掬う様に上向かせ素早く口付けた。今回は唇に。又頬に口付けられる前に先手を打ったらしい。本当にイイ性格をしていらっしゃいます。お友達になりたいです。
ポチャンと水滴が落ちる音が聞こえ、私と結維の体を中心として淡い光を放ちながら波紋が広がって行く。不思議現象に目を奪われていると、不意に寒さを感じた。
「ぶへっくしょーい しょーい しょーい」
エコー付きの盛大なくしゃみが出てしまった。
騒音的くしゃみに祈りを捧げていた男性が顔を上げると同時に、祭壇脇の扉が開き上位の神職であろう立派な髭を蓄えたお爺さん二人が出て来た。
「ランプシー、何事か。この方々は?」
私達の存在に気付いたお爺さんの一人は、訝しげな表情でランプシーと呼ばれた男性に説明を求めた。ランプシーは祈りを捧げる前の身を清めている最中に、天より結維が遣わされたとお爺さんに伝えた。
確かに宗教画かと思えるほど神々しかったので、目を奪われるのも仕方ありません。でもね、私も派手な水音と共に遣わされたんです。お陰で今もまだしっとり生乾きです。
言葉が理解できるようになっていて安堵するよりも、ここにいる人々から縁の糸が見えていることに驚いた。意識せずともここまで視覚化しているのはこの場所が神殿だからなのか、異世界だからなのか、思考を巡らせていると袖を引かれ結維に声をかけられた。
「言葉が解るようになってるけど、それよりも僕に見えるってことはりんちゃんもだよね」
「うん、見える。こんなにハッキリ見えるのは初めて。神社でも集中しないとここまでは見えない」
お爺さん達はしっかりとご縁が結ばれていて、この二人はパートナーなんだと分かった。
「ようこそお越し下さいました神子よ。私はメガレイオ、こちらは私の補佐のアルモニエだ」
二人が丁寧に挨拶をしてくださるので、例に倣う。
「初めましてメガレイオ様、アルモニエ様。綸音と申します」
「初めまして。結維と申します」
「リーネとユーイか」
メガレイオはふむふむと白い口髭を撫でつつ名前をしっかりと覚えるように反芻する。
微妙に違う発音を訂正しようとしたが、こんなに縁が強く見える世界なのだから、正しい名前を告げてこの場所や人に縛られたら困ると思い、そのままにした。
「そちらの御方は……まさか」
結維の後ろにコバンザメのように貼り付いていたイティアラーサを見るとメガレイオは、はっと息を呑み石像と見比べた。
イティアラーサは優雅に微笑むとメガレイオ達に告げる。
「イティアラーサだ。この者等はわたくしの意を汲み、こちらに訪れる事を承諾したのだ。人々を結び付ける事を生業としているそうだ、正に適任であろう。宜しく頼む」
イティアラーサに「こいつがやるぞ」みたいな感じで、背中を押され一歩前へと出る。
確かにご縁を結ぶのは私の得意とするところなので粉骨砕身臨みます。
「尽力を惜しみません。宜しくお願い致します」
軽く頭を下げて思いを伝えると、私の言葉を聞いたメガレイオは感動しきりといった表情で声を弾ませ「実に喜ばしい。神よ感謝致します」と言った。
メガレイオの隣に立っているアルモニエも同様に感謝を述べ、額突くとイティアラーサの足の爪先に口付けた。体を起こすと膝立ちして見上げ、感涙に潤む瞳を向けた。
「私は幼い頃ですが一度お会いしております。玲瓏たるお姿はお変わりなく、またお目に掛かることが出来、真に光栄です」
イティアラーサはアルモニエに立ち上がる様に促し、右手を差し出した。アルモニエが左手を乗せると、その手を引いて立ち上がらせ瞳を覗き込みじっと見詰める。
「そうか、其方は氷河の瞳の幼子か。覚えているぞ。息災であったか? 愛し子よ」
アルモニエの頬を指の側面でなぞりながら、甘く視線を送り微笑みかける。視線を送られた方はと言うと、憧れの人に声を掛けて貰い熱に浮かされているのか「はぁ」と深く息を吐き頬を紅くした。
人誑しがいます。幼い頃にと言う事は、恐らく目を付けられていたのだと思われます補佐さん。
青年が甘く微笑みながらお爺さんの頬を撫でる。あれ? 結構好きかも、この光景。頬が緩んでニヤニヤしてしまいます。新境地の開拓です。
しかしながらその楽しい光景がまたしても、私の盛大なくしゃみ第二弾で終わりを迎えたのであった。