22話「地図は二次元、迷宮は三次元」
ガタゴトと音を立てながら揺れる馬車の中で、私は乗り物酔いをする機械族に笑いをかみ殺していた。
ヨネさんからの手紙で『カニ調査のためミノタウロスの迷宮に来ないか』と誘われ、私たちは迷宮のある獣魔の森へと向かっているところだ。
「何を笑っているんだ?」
シェーンは具合が悪そうに顔を歪めている。
「笑ってないよ。それよりシェーン、頭からオイルが噴き出てるけど大丈夫?」
「おっとそれは不味い! リズ、このこめかみにあるネジを回してくれ! ってオイルが出るか!」
シェーンはツッコミながら、煙を噴き出していた。
「ちょっと外の空気でも入れよう」
ドアを開けて空気を全身で浴びていた。
「どう? 気分は?」
「……」
「どうなの? 気分? 気分どう? よくなった? 気分……」
「うるさい!」
しつこく質問していたら、怒られた。ライスにもやったことがあるが、やっぱり怒っていた。気分が悪い相手に、たくさん同じ質問すると怒る。
シェーンが私の護衛になってから、ひと月ほど経つ。私が養魚地で動かない蟹をじっと育てていたら、いつの間にかシェーンは武術の先生になっていた。そもそもヨネさんの代行として来ていたはずなのに、今ではすっかり学校に馴染んでしまっていた。
「魔族の世界はゆるいんだよ」
シェーンは私の護衛をした後、王都で古豪の貴族たちを説得するはずだったのにヨネさんの一言で貴族たちが黙ってしまったらしい。フィットチーネとヨネさんが手を組むと、王都は荒れるんだってシェーンが言ってた。
「それにしても魔族の学校で勉強しているというのに、リズはどうしても外に出る運命にあるようだな」
頭のネジを絞めながら、シェーンが私を見た。
「カニのためよ」
「いや、もっと政治的な理由の方が大きいぞ。わかっているんだろうな?」
「ん~……、わかってないことにした方がいい気がする」
私がそう言うと、シェーンは笑っていた。
「正しい。どれだけ影響力のある者たちが関わっていようとも、あくまでも一人の学生の課外授業ということか」
「そう。だから、骸骨剣士の雪夫が荷物の中で寝ているんだよ」
ヨネさんから「迷宮に来ないか」と提案された時、すぐに雪夫にも声をかけた。きっと私だけで授業を受けたらもったいない。他にもクラスメイトに声をかけたのだけれど、断られてしまった。いろいろ噂が立っているらしいんだけど、私はよく知らない。
そんな中、雪夫だけは「行くよ。ダンジョンだろ!? 将来はどこのダンジョンでも働けるようにしないといけないんだから」と二つ返事で了承してくれた。現在、雪夫はダンジョン学でどこででも寝られるように訓練をしている。馬車の木箱の中でも寝られるのかというチャレンジ中だ。
御者はサテュロスのお爺さんで、護衛のケンタウロスが周囲にいるらしい。ケンタウロスたちは森の中に潜み、姿を見せてはくれないが、時々蹄の音はしている。
「やっぱりペガサス馬車を出してもらうんだったな」
グロッキー状態のシェーンだけど、一度夜に野盗が出た時、飛び出して行って壊滅させていた。
「身体を動かせないのが気持ち悪いんだ」
シェーンはよく機械族とは思えないようなことを言う。私がそれを言うと、シェーンは決まって「それは偏見だ」と返していた。
「獣魔族に流れる血と機械族に流れるオイルの価格はそれほど変わらない。むしろ歴史上で言えば、オイルの価格の方が高い時代の方が長かったくらいだ」
シェーンは馬車の中で暇な私に魔族の歴史を話してくれた。
獣魔の森にたどり着いたのは学校を出てから三日後のことだった。
ヨネズ製作所の社員だというリザードマンが馬車を下りてすぐ挨拶に来た。
「お待ちしておりました。ヨネ様は急用でこちらには来られないため、わたくし、リザードマンのカゲトがご案内します」
「なんだ、リズに会うのを楽しみにしていたヨネが急用なんて、また王都で揉め事か?」
私だけじゃなくシェーンも、ヨネに会うのを楽しみにしていた。
「フィットチーネ様の研究で、いくつか結果が出てしまったようで……」
「かー……」
シェーンは頭を押さえて烏のような声を出したまま黙ってしまった。よほどフィットチーネの研究は危険なのだと思う。
「なにか持ち込みましたか?」
カゲトの指さす方を見ると、馬車の荷台で木箱が大きく揺れていた。
「あ、忘れてた!」
私はすぐに木箱を下ろして、雪夫を解放してあげた。
「はぁ~! ようやく着いた!?」
「ごめん! 雪夫。シェーンの歴史の話が長くてすっかり忘れてた!」
「リズ……それより、なんでもいいからミルクを……」
木箱から躓きながら出てきた雪夫は明らかに栄養が足りていなかった。
「すみません! 私の友達なんです。牛の乳を頂けませんか!」
私はカゲトに頭を下げた。
「すぐに用意いたします!」
カゲトは周りにいたお付きのワータイガーに指示を出して、牛乳を持ってきてくれた。
そこでようやく私は周囲が木の建物で囲まれた場所であることに気が付いた。二階建ての建物が並び、中心の馬屋に私たちはいるらしい。馬車も私たちが乗ってきたものだけでなく、いくつもあった。
「ここは……?」
「ヨネズ商会の獣魔の森支部だ」
シェーンは面白そうに私を見た。
「この建物、全部?」
「そうだ。正確に言うと、ここら辺一帯は全部ヨネズ商会の敷地内だな」
「シェーン、もしかしてヨネさんってものすごく金持ち?」
「ヨネはヨネズ製作所を中心に手広くやっているのさ」
私は口を開けたまま、ぐるりと周囲を見回した。見えている景色のすべてがヨネズ商会の所有地と言われても、なんだか現実味がない。
「はぁ~、骨身に染みる!」
ワータイガーの方が持ってきてくれたミルクを飲んで雪夫は、ようやく立ち上がった。
「さて、お二人さんはどうする? このままヨネズ商会を無視してミノタウロスの迷宮に挑んでもいいけど」
「私どもとしましては長旅の疲れもあるでしょうから一泊されて、迷宮に挑む方がよろしいかと思います。もちろん装備の準備もあるでしょうし……」
シェーンとカゲトの提案を聞いて、熟考に1秒ほど使った。
「シェーンの提案は非常に魅力的だけれど、私にとって魔族の文化を知るにはいい機会だと思うから、カゲトさんの提案を受けます。ね! 雪夫!」
「え? 聞いてなかった。ごめん、なに?」
「雪夫もこのように言ってますので、宿に案内してください!」
「では、どうぞこちらへ」
案内されたのはミノタウロスの迷宮がある町を見下ろせる二階建ての屋敷で、屋敷全体が私たちの宿だと言われた。ちょっと何を言っているのかわかりません。
台所や庭に使用人の方がいて、なにかしたいときは彼らに言うようにとのこと。
「なにかってなに?」
「わかんねぇよ。俺だって」
私も雪夫も人生で訪れたことのない土地に来て、聞いたこともない状況に陥っていた。
「明日から迷宮に挑むのだから、準備をしておけよってことだ。それを使用人たちが手伝ってくれるって。それよりも前に迷宮の情報収集だろ?」
シェーンは混乱する私たちを諭してくれた。
「確かに!」
「この宿に雇われているくらいだから、古い怪我をしている使用人を見つけることだ。迷宮に挑めなくなった冒険者が雇われている可能性が高いからな」
「はい!」
私たちは言われるがまま、荷物を部屋に置いて、怪我をしている使用人を探した。
「あれ? 皆、怪我をしていないか?」
サテュロスやワータイガーの使用人たちは皆、古傷を持っていた。
「庭師は足が悪そうだし、料理人は眼帯をつけているね。掃除夫の中年女性は腕が義手だよ。つまり?」
「誰に聞いてもいい答えが返ってくるってことだ」
とりあえず、廊下を掃除していた髪が蛇のように動くゴルゴンの中年女性に話を聞いてみた。
「迷宮と言っても階層が分かれていますから、お嬢さん方は何か目的がおありになりますか? 迷宮の踏破とか? お宝を探したいとか?」
「あ、カニです」
「カニ!?」
「学校でカニの養殖をしているんですけど、難しくて。ミノタウロスの迷宮にもカニの魔物がいるから見に行くといいって言われて来たんです」
ゴルゴンの女性はシェーンを見て確認を取った。
「本当の話だ。この学生たちは大真面目に言ってる」
「迷宮で実績を上げて獣魔族に実力を示したいとかではなく?」
「はい。カニクリームコロッケを作りたいんです」
「そうまっすぐな目で見られるとおばちゃんも困っちゃうんだけど……。皆、聞いとくれ! 私たちはなにか思い違いをしているようなんだ!」
急にゴルゴン族の女性は大きな居間に走って行って、使用人たち全員に聞こえるよう大声を出した。使用人の方たちはすぐに居間に集合して、私の目的を共有していた。
どうやら使用人の方たちは私が迷宮を攻略したり、宝物を運び出したり、冒険者を選別して従者を決めたりすると思っていたらしい。
「自分たちの一族に有利になるように族長に言われているかもしれないが、彼女たちはあくまでも学生だ。本分は学業にある。獣魔族の政治に関わることもない。わかったら協力してやってくれないか?」
シェーンが笑いながら使用人の方たちに頼むと、とりあえず私と雪夫にテーブルの席に着くよう手で促された。
「私たちもヨネズ商会の者だから、ヨネ様の親族に協力するのは当たり前だ。ただ……、その目的をはっきりさせたいのだが、いくつか質問してもよろしいか?」
庭師のサテュロスが口を開いた。
「お願いします」
「目的はカニの討伐が目的か?」
「いえ、カニがいる環境の調査が目的です。餌を与えるだけでは繁殖しないし、成長するにもすごく時間がかかるみたいで。しかも、環境の変化に弱いからすぐに死んじゃうんですよ」
「だとすれば、やはり四階層まで行く必要があるな」
料理人のワータイガーが腕を組んで教えてくれた。
「迷宮のカニは沼地に住んでいてとても大きい。討伐ではなく調査が目的なら、それほど難しくはないが、四階層まで辿り着くのは難しいかもしれん」
「沼地にある植物や水草は採取するつもりかい?」
ゴルゴンの女性が聞いてきた。
「ええ、できれば採取したいと思ってます」
「だったら荷物が増えるね。人員は3人で?」
「そのつもりですけど」
「骸骨剣士の彼はどのくらい戦えるの?」
「俺? 俺は戦いには向いてません」
「だろうな。では樽にでも隠れながらついて行ってもらうのがいい」
ワータイガーは人が一人入れそうな樽を運んできた。
「シェーン大佐はどのくらい手を出すんです?」
「できるだけ学業の邪魔にならないようにするつもりだ。ほとんど手を出すつもりはない。ちなみにこの娘は犬狼族が束になっても勝てないし、妖魔の誘拐犯に襲われても返り討ちにしている。見た目以上に身体は動くぞ」
「だとしたら、壁を使った方がいいかもしれない。お、ぴったりだったな」
ワータイガーが雪夫に樽を被せながら提案してきた。樽はすっぽり雪夫の身体を隠せている。
「壁?」
「ああ。迷宮には地図があるから平面で考えがちなんだけど、壁を走れるなら立体的にとらえた方が、道は多いんだよ」
サテュロスは石の壁を蹴って高く跳びながら説明してくれた。
「モンスターを倒すのも楽になるし、迷宮で空間を把握することは階層が深くなればなるほど重要なことだ。落とし穴や頭上から岩が降ってくる罠もある。練習してみるかい?」
「はい! お願いします!」
私は立ち上がった。
雪夫が中に入っている動く樽を見ながら、ふと記憶がよみがえってきた。
船に乗っていた私は、同じように獣人の大人に囲まれ、樽に自ら入り、荒波の海に放り棄てられたことがある。
なぜ大人たちがそんなことをしたのか、なぜ私は自ら樽に入ったのか、わからない。ただ、雨粒が樽を叩く音と、潮風の匂い、握りしめた自分の尻尾は覚えている。
「どうした? 大丈夫か?」
立ち上がったまま、動かなくなった私にサテュロスが声をかけてきた。
「あ、大丈夫です!」
その後、私は夕方まで壁を蹴る練習を続けた。




