14話「南風に乗ってきた黒猫は鼾が大きい」(ライス)
テレサは宿の支配人を呼び、最上階のラウンジを貸し切りにしてしまった。
「すぐに用意いたしますので、しばしお待ちください」
支配人は部下を引き連れて大急ぎで階段を上っていった。エレベーターという魔道具の箱で上階へ移動もできるのだが、階段を使っていた。この宿にとってテレサが来たことはよほど緊急事態らしい。
「冒険者ギルドの職員というだけあって随分、羽振りがいいな」
ギルドの権力は王都に集中しているのかもしれないと鎌をかけてみた。
「この宿のオーナーは、私が担当した冒険者ですから」
テレサはこともなげに返した。
「司書なのに、冒険者を担当することがあるんですか?」
「ええ、特殊な人材や周りからトラブルメーカーと呼ばれる方々は、居場所がありませんから図書室に来るしかないんです。厄介な案件や長年埋もれてきた依頼も集まってくる。私はそれを繋ぐだけ。掲示板に貼られているだけが、冒険者の仕事じゃないんですよ」
テレサ曰く、そういう案件を受けている方が儲かるらしい。
「その権力で、冒険者のカードについた追尾システムは壊せないのか? 探知機能なんていってもやってることは管理だろ」
「無理でしょうね。あれのお陰で、贈収賄に使われている料亭から盗賊の動きまでわかるようになってしまいましたから。嫌なら隠しておいてくれたほうが楽なんですけど、動物に括り付けて飛ばすような人もいて、それはそれで面倒なんですよ」
テレサの言葉に、シャルルはギクッと反応していた。
「へぇ~、どうでもいいけど、あんまり権力を使うなよ。これから粛清が始まるらしいから」
「粛清ですか? そんなこと誰がやるっていうんです? 王都中が儲かっているというのに」
「勇者主導だ」
「勇者ってことは国ですか? 教会じゃなくて?」
テレサが、俺の言葉を確認するためシャルルを見た。シャルルは頷いて返す。
「ライスさん、軍人を齧っていたなんて嘘ですね? 戦場では何をしていたんです?」
「隊長は勇者の影武者をしていました」
俺の代わりにシャルルが答えた。
「あのドラゴンゾンビを倒したという? 勇者が武勲を投げ出しそうになった原因で、突然行方不明になってしまったと記事にされていた?」
テレサは目を丸くしてまくし立てるように迫ってきた。
「そんな記事になってんのかよ。でも、どうでもいいことだ。ほら、支配人が帰ってきたぞ」
支配人は汗を拭いながら、走って階段を下りてきた。
「大変、お待たせいたしました! テレサ様……?」
「ぐががががが……ひゅー……ぐががががが……」
突然、玄関ホールに鼾声が響き渡った。声の主は黒い大きなソファから汚れたブーツがはみ出すほどの大男。王都の有名な宿だけあって、玄関ホールには客が大勢いる。
「知り合いとは思われたくないな」
玄関ホールに入った時に、すぐ気づくべきだった。相変わらず、気配を消すのがうまい奴だ。鼾は俺たちがラウンジに行ってしまうのを止めるために張り上げているのだろう。
「隊長、行きましょう。エレベーターに乗り込んでしまえば、追ってこれませんから」
シャルルは鼾のアイツの正体がわかったらしい。元同僚だから当たり前だ。
「お客様! お客様!」
宿の従業員が黒いソファで寝ている鼾のアイツを起こそうとしているがまるで起きようとせず、わざとらしく大きな鼾をかいているだけ。従業員も集まり、騒ぎになり始めている。
「ライスさんの知り合いかしら?」
「ああ、うちの化け猫だ。夕飯、もう一食頼んでいいか?」
俺はテレサに聞いた。
「支配人、用意できますか?」
「ええ、構いませんが……。お知合いですか?」
「ええ、元部下です。申し訳ありません、すぐに連れて行きますから」
俺は宿の支配人に謝り、大きく溜め息を吐いた。
「デビ、かくれんぼの時間はおわりだ。もう行くぞ」
騒がしいなか、俺は小声で大男に呼びかけた。
「きゃっ!」
起こしていた従業員から悲鳴が上がる。
ソファに寝ていた大男は、吹き抜けの天井近くまで飛び上がって、俺の目の前に着地。身の丈2メートル近くある黒猫の獣人は、白い歯をむき出しにして笑っていた。
「隊長、置いてかないでくだせぇ!」
「デイビット、ブーツが汚いわ」
シャルルがデイビットの靴を注意した。
「野営が続いてたから、カムフラージュのために汚したんだ。どうせ汚れは落ちないからいいだろ?」
「どうでもいいけど、注目を浴びてしまっているから早いとこラウンジに行こう」
玄関ホールにいる全員が、俺たちの方を唖然としていた。
俺たちはそそくさとエレベーターに乗り込み、二重扉を閉めてラウンジまで移動した。
「こんなデカい魔道具、初めて見たぜ」
「王都でもほとんどありませんよ。えーと、軍人さん」
テレサがデイビットにエレベーターについて説明した。
「軍人は、もう辞めたんだ。ただの獣人さ。デイビットって名前だ。ご婦人さん」
「あら、私はテレサよ。どうして、ここに?」
「ちょっと隊長の手を借りようと思ってさ」
「どうして隊長が王都にいると思ったんです?」
シャルルが聞いた。
「馬飼いの友達が珍しく手紙を送ってきて、変な奴が手入れのいい馬を売っていったというから、おそらく隊長だろうと。本当はエルフの里まで行こうとしてたんだけど、途中で御者の友達が変な奴を乗せたって言ってたから、王都まで戻ってきた」
「よく宿がわかったな」
俺が褒めると「わけ、ないっす」とデイビットは答えた。
チーン。
ベルの音とともに、エレベーターの扉が開き、ラウンジに着いた。
バーカウンターがあり、いくつものソファとテーブルが並んでいる。俺たちは夕飯が用意されている席に案内された。
「デビ。お前の話は飯の後にしよう。どうせトラブルだろ?」
「ええ、そうです」
シャルルがデイビットを睨んだが、デイビットは意に介せず、夕飯は濃いめの野菜スープと牛肉のステーキを食べ始めた。
「テレサ、食べながらでいいから報告してくれ」
「あ、ちょうどワインも来ましたね」
ソムリエがワインを持ってきて、きれいなグラスに注いでくれた。
テレサはワインで口を湿らせてから、話し始めた。
「前のライスさんが死んでから、今日まで3人の冒険者が東の海へと挑戦しました。航海日誌も残っていますが、いずれも大しけや魔物の大群、海流の読み間違えでの座礁で失敗しています」
「航海日誌は冒険者ギルドが?」
「ええ、3人とも亡くなられているので、ご家族が寄贈してくださいました」
「ん~、そうか。中身は?」
「目新しい情報はなさそうですけど、冒険者の記録ですから」
「閲覧不可能か……」
あまり期待はしていなかったが、本物を見ないことにはわからない。冒険者には変人が多いから、もしかしたら秘文でも隠している可能性もある。
「もう一つ、聞いていいか?」
「答えられる範囲でなら」
「獣人の口伝について……」
「獣人の歴史は禁書ですよ」
「わかってる。だから、聞いてるんだ。猿族についての記述があったろ。思い出せる範囲でいい」
俺も前の人生で読んだはずが、生まれ変わったので記憶もあいまいなところがある。
「猿族は極めて少ないですよ。南方の島に住んでいて、普段は船で移動しながら生活しているとか」
「南方だけか? 東方から来たとか書いてなかったか?」
「季節風に乗ってやってきたと、書いてあったかもしれませんが……」
季節風だとしたら、西から東へ吹くが……。逆風が吹く年もある。
「猿族に関しては、人間の国では集落すら見つかっていない特殊な獣人の種族だ。古代の神々の中にもいないし、壁画にも描かれていないだろ?」
「東方になら猿族の神々がいるかもしれないと? 可能性はありますが、どうして猿族に固執しているんです」
「戦争が終わってから、ここ一年ほど猿族の娘と生活していたんだ。戦闘の成長速度が高く、兵士や冒険者になったらすぐに名を上げるだろう。だが、猿族に関して俺たちはあまりにも無知だ。デビは聞いたことがあるか?」
ステーキをぺろりと平らげてしまったデイビットに振った。
「知りやせん。おそらく獣人が多い南部でも見たことないです。漂流してきた猿族が奴隷になったという話は聞いたことがありますが、それだけです。コロシアムも多い地方ですから、戦闘が得意なら、誰か有名な戦士が排出されていてもおかしくないですんですがね」
「個体差があるのかもしれないが、バネだけならデビとそこまで変わらなかった」
「だとしたら保護対象にした方がいい。むしろ今まで冒険者ギルドや剣闘士協会は大きな損失をしていたかもしれやせんぜ」
「なるほど、調べておきましょう」
テレサが自分の手帳にメモを書きこんだ。
食後のお茶が出てきたところで、デイビットが咳払いをした。
「聞いてもらえやすか?」
「どうせ喋るだろ」
「隊長、どうやったら奴隷商がまた南部に戻ってきますかね?」
南部には元奴隷という獣人たちが多く、奴隷商は最も嫌われている職業のはずだ。
「穏やかじゃねぇな」