五話
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「まぁ、全部明日になったらわかるんだから今日のところはもう帰りなさぁい。お頭に釘を刺しとくの忘れないようにね」
家の扉をくぐる時、別れ際にマリーに言われたことを思い出したアンは父を探そうと耳をすます。するとごそごそと家の奥から物音が聞こえる。音を辿って家の物置を覗くとそこにはやはり積み上がった物陰に隠れた父の姿があった。父はこちらが声をかけるより先に物陰から顔を出しアンを迎えてくれた。
「よう、おかえり。遅かったじゃねえか」
「ただいま。ちょっとルルゥ会長に呼ばれてて」
「あー、そうか。そりゃご苦労さん」
父はルルゥの名を聞くと一瞬苦い顔を浮かべ、特に何も聞かずに話を終えてしまった。
「お父さんってカヴァン先生と古い知り合いなんだよね?ってことはルルゥ会長とも」
「そうだ。あいつはこの村で一番古株の鬼婆ぁさ。怖かっただろ?」
「あはは、すこしね。でも素敵な人だったよ、なんで今まで一度も会った事無かったんだろ?」
「普段はあんまり若い奴らの前に顔を出さねえようにしてるのさ。あいつはあくまで結婚した女の頭目だからな。細かい理由までは知らんがなんかあるんだろ」
父はその話はもう終わりだと言わんばかりに手を振ると再び物陰に隠れてしまった。
アンは父が何をしているのか気になって後ろから覗き込んでみる。父の手には見慣れない形の短弓が握られていた。
「なにやってるの?」
「これか?これはなぁ……」
父はやけに嬉しそうに口を開いたが、突然口を閉じると考え込むように眉根を寄せる。そして唸るような声で一言。
「やっぱり秘密だ」
「えぇ!?なんか凄い気になる」
「だめだ!たとえお前でも教えられねえ。今回の狩りで一番になるためにはこいつの力が必要だ。だからお前にもこいつの秘密は教えてやらねえ」
父はそう言うと自慢げに笑みを浮かべる。弓をもらいたての子供と同じ満面の笑みを浮かべる父は今にも「どうだ?羨ましいだろう」とでも言い出しそうだ。
「どうだ?羨ましいだろう。でもお前には貸してやらん!」
ーーーうわ!言った。言っちゃったよこの親父!
アンは心の片隅で父が祭りで浮かれるようなことはないと信じていた。普段から物静かな父がそんな子供じみたことあるわけが無いと。しかしその希望は今目の前でよりにもよって信じていた本人によって打ち砕かれた。
ーーー子供!男はみんな子供なんだねお姉ちゃん!
であるならば、父には伝えなければならない。アンは必要ないだろうと思い伏せていたが、ルルゥ会長から釘を刺す際の助言をもらっていた。この目の前にいる浮かれた小僧を普段の落ち着いた父に戻すべくアンは重たい口を開く。
「そういえばルルゥ会長が言ってたんだけど、もし森から怪我して帰ってきたら漏れなく村で一番苦ーい薬を気絶するまで飲ませるって」
本当にこんな事が釘になるのだろうか?薬を嫌がるなんてまるで子供じゃないかとも思ったが、アンの心配は杞憂に終わった。“薬”と告げた途端にぴたり、と時間が止まったように父が固まる。その後萎れるように肩を落とすと、とぼとぼと倉庫を後にする。
「ま、職人頭が若えのほったらかして怪我するわけにはいかねえわな。飯にするか」
ーーーなんか思ってた以上にダメージ入ってる気が……。昔何かあったのかな?
だいの大人が薬の味程度でここまで落ち込むなんて、いったい過去になにがあったのだろう。昼食の支度を始める父の丸く縮こまった背中から漂う哀愁にアンは罪悪感さえ抱いてしまった。
アンはことのほか気落ちしている父の気をなんとか紛らわせようと話題を探す。
「ええっと、結局その弓はなにが特別なの?」
ひとまず何か話そうと辺りを見回したアンは無造作に放り出された弓に目が止まった。
「あぁそれか?そいつは魔導弓だ、危ねえから無闇に触るんじゃねえぞ」
「魔導弓って魔力の込められた武器ってやつだよね。ふうん、見たこと無かったけどこれがそうなんだ」
アンは伸ばしかけた手を慌てて引っ込めるが、物珍しさにまじまじと眺めることを止められない。細かい意匠が施された銀色に輝く弓は日の光を浴びて淡く青白い光を放っている。
「これを使えば私でもいろんな魔法を使えるのかな」
「そいつではは無理だな。出来るのはつがえた矢に魔素を纏わせて威力を上げることだけだ」
「威力を上げる?」
「木の矢が鋼みてえに固くなる。あと、魔素を纏うから固い魔獣の毛皮なんかも簡単に貫ける様になるな」
「それってすごーく強いんじゃ……」
世界には魔素が満ちているーーー。
魔素とは“それがそれで在る力”とか“星の意思”だと言われている。アンも詳しくは知らないが、とにかく何にでも関わっている力だ。例えば暖炉で燃える炎は魔素が激しく力を放っているから暖かいのだし、草木が育つのは大地に蓄えられた魔素を吸い上げているからだ。誰だって子供の頃に大人から教わる世界の理だ。
しかし、魔素を操るとなると次元が全く異なってくる。人間、特に人族が平穏に一生を終えるならほとんどの場合魔素を扱えることはない。魔素を操る力、魔力とは教会の牧師様のように人生の大半を修行に費やした者か、才に秀でた一握りの者だけが扱える奇跡の力だ。
「だーから無闇に触るなって言ってるの。ぼけっと座ってないで火ぃ起こすの手伝えっての」
無意識に伸ばしたアンの手が触れるすんでのところで父に魔導弓を取り上げられる。
「あぁ、けち!ちょっとくらい触ったっていいじゃない」
「おうおう飯の支度も手伝わねえのに一丁前に欲しがるじゃねえの。てことは飯抜きでも文句はねえんだな?」
「ああ!ごめんなさい今すぐ手伝いますぅ!!」
アンは尻を引っ叩かれた馬のように釜に火を入れるべく薪をとりに走る。その後しばらくは料理の為に黙々と作業を続けていたが、どうやら父は一時よりは気を持ち直したらしい。それは素直に喜ばしいのだが、かわりにアンは作業中チラチラと視界に入る青銀に輝く魔導弓が気になって仕方がなかった。
ーーーアレがあれば、私もお父さんや先生みたいになれるのかな。
キール村の半分以上の住人が獣人族で他にもいくつかの種族の人たちが住んでいるがアンと同じ人族は村の一割にも満たない。
例えば父と同じ土人族は体内を廻る魔素を扱うのがとてもうまい。そのため見た目以上に身体能力が高く寿命も人族の何倍もある。村長のような耳長族やその混血は特徴的な長い耳で周囲を漂う魔素を感知する能力に長けており、生まれながらに魔素を扱うことができる者もいる。獣人族や魔人族はその身に保有する魔素の量が人族よりずっと多いなど、こと魔素に関わる事では人族は他種族と比べて劣っていることが多い。
そして魔素を持つのは人だけでは無い。森に住む魔獣や魔物も当然大量の魔素を持っている。それは時に毛皮を強靭な針山に変え身を守る盾となり、肉体を強化し木々をえぐる怪力を与えたりもする。
人族であるアン一人では決して対峙出来ない巨大な魔物でも、あの弓があれば渡り合うことができるのではないか。父と肩を並べて狩りが出来るのではないか。魔導弓を見るたびにそんな希望がふつふつと湧き出てくる。
アンは別に人族であることにコンプレックスを抱いているというわけではない。ただ、一日でも早く父に並びたい。そして物心つく前に孤児となったアンを引き取ってここまで育ててくれた父に恩返しがしたいのだ。
「おい。何か焦げ臭くねえか?」
「はえ?」
突然聞こえた父の声にはっと我に帰ると、とたんに焦げた臭いが鼻につく。慌てて手元を見ると鉄鍋の底に元はベーコンだった何かがこびりついていた。どうやらいつの間にか料理の手が止まっていたらしい。慌ててひっくり返すがそれはもはや食べられる物ではなくなっていた。
「ったく、なにやってんだ。あの弓がそんなに気になるのか?」
「う、うん」
アンは恥ずかしさと悔しさで父の顔を直視できなかったが、父の大きなため息が聞こえる。父も落胆しているのだろう、少しの間静寂の時間が流れる。父は根っからの職人肌でミスと言うものにとても厳しい。きっとこってりと怒られるだろう、だがそれは仕方のないことだ。ただこれで間違いなくアンがあの魔導弓を手にすることは出来なくなっただろう、失敗の原因は取り除かれるのが世の常だ。
「ま、いいんじゃねえの?そんなに気になるならあの弓はお前にやる。狩人になった祝いもしてやれてなかったしな」
ーーー今回は失敗しちゃったけど、いつか使ってみたいな。お父さんもあの弓を私にくれるって言ってるし。頑張ればいつか認めてもらえるよね、うん?
「え?お父さん今、その弓……私にくれるって」
「おう。欲しいんだろ?」
「いいの?」
「やったぁ」と喜ぼうとした矢先、父のごつごつとした両手でアンの頭がガッチリと押さえつけられる。そのまま力任せに目線を合わせられるとそこには眉尻を立てた父の顔があった。
「ただし!……“うまい昼飯にありつけたら”だ。出来なきゃお預けだ、わかったな」
「ひゃい、ごめんなしゃい」
父は最後に「よし」と言うと丸こげになったベーコンを乱暴に口に放り込み調理場を後にした。
父がいなくなった後、アンの中でじわりじわりと嬉しさがこみ上げてきた。しかし今はそれを何とか抑え、父が満足する料理をしなければならない。アンはかぶっていた三角巾を再び固く縛り気を引き締めると台所に立った。