四話
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アンは今針山の中にいる。正しくは針の様に刺さる視線の中にいる。椅子に座っているはずなのに座っている心地がしない。できることなら今すぐ立ち上がりたい。そして立ち去りたい。
アンの隣にはマリーが座っている。ちらりと視線を向けると居住まいこそ正して入るもののその姿は余裕そのものだ。
対する正面に、そしてアン達二人を囲む様に座るのは婦人会、つまりキール村の女衆を一挙に取りまとめる集いの長と幹部達だ。
何も聞かされぬままマリーに連れられここにやって来たアンは、やはり何も聞かされぬまま勧められる様にせきに座らされ、気付いた頃にはこの包囲網から抜け出せなくなっていた。どうやらこの屋敷は普段から婦人会の集会所となっているらしい。
ーーーそれならそうと先に行ってよぉ。
静まり返る部屋の中婦人会長ルルゥ・ガードナーの声だけが響き渡る。
「何があったか、大体のところは伝え聞いています。ですが何があったのか当事者に改めて聞かねばなりません。中には貴女が村中の男を手玉に取ろうと誘惑していると噂するもの達までいるのです。そして気が気じゃない者も。事のあらましを説明してくださいますね。マリー」
「勿論です大姉様」
ルルゥとその夫カヴァン・ガードナーは獣人族でも珍しい肉食の獣、獅子の血統を色濃く受け継いでいる。その声は発するだけで他者を萎縮させる生まれながらの強者特有のものだ。しかしマリーはそれに物怖じする事なく答えている。
「つまり、婚姻話は若い連中だけで大半の男達は捕物比べが目的という事ですね」
「もちろんです。お姉様方の旦那様を誘惑するつもりは決してありません」
「まぁ、その点に関してはあなたを信用していますし大丈夫でしょう。あなたの心を思えばそんな事あろうはずもないですしね」
ルルゥがふふっとひとつ笑うと今まで部屋中を覆っていた張り詰めた空気が、雲間からさす日差しの様に暖かなものに変わっていく。先ほどまで微動だにしなかった幹部の何人かは席を立ち茶を入れたり菓子を運んできたりと動き始めた。手伝った方がいいかと席を立とうとしたらやんわりとマリーに止められた。
結局アンとマリーの前にお茶とお菓子が届くまで微妙な沈黙が続き、再び口を開いたのはやはりルルゥだった。
「それにしてもマリーったらまた面白いことを思いついたわねぇ」
「折角のお祭りだもの、楽しめるだけ楽しまないと」
先ほどと打って変わってその口調は穏やかで、会話の合間に茶を飲み菓子を口に運ぶ。マリーも同じように菓子を楽しんでいるがアンの喉はしばらくの間何も通せそうになかった。
「その通りねぇ。まぁ羽目を外さない様に釘を刺す旨、奥様方には言伝を回しましょう。年寄連中はそれで歯止めが効くとして、若い子達はどうするの?」
「それに関しては、何日か私とアンで裏から支えるつもりよ」
「そう、アンちゃんも手伝ってくれるなら大丈夫そうね。そうそうアンちゃん、ジョンの野郎にはしっかり釘を刺しとくんだよ。アレは普段こそ大人ぶってるけど、本当は図体ばっかりでかい若造だからね」
「は、はい!」
アンは急激な温度の変化について行けず突然ふられた話題にも返事を返すので精一杯だ。
「しかし何だね、男連中だけ楽しそうにしてるってのは癪だねぇ」
「ふふ、大姉様ならそう言うと思ってたわぁ」
「何かいい案があるのね?是非聞かせて頂戴」
「男って自分が一番になった時、形あるものに残したがるじゃなぁい?」
「わかるわぁ、それを毎日飽きもせずに眺めるのよねぇ」
わっと嬌声があがり部屋とたんに明るくなる。先ほどまで一言も口を挟まなかった幹部の人たちも口々に「うちの旦那は〜」と盛り上がっている。
「そう言えば、お父さんも部屋にいろんなもの飾ってるなぁ」
ひとしきりこの話題で盛り上がると再びルルゥが問いかけてきた。
「それで、私たちはいったい何を用意したらいいと考えているのかしら?」
「それなのよねぇ、いろいろあって迷っちゃうわ。身に付ける物が一番だと思うけど飾っておけるものもいいわねぇ」
「一週間で用意できてそれなりに形あるもの、そして身に付けられて飾ってもおける、それが理想ね」
部屋のみんなが「何かしら?」「どうしましょう」とあれこれ意見を出しあっている。それを見てアンも考えてみる。まず初めに思い浮かべたのは父の姿だ。一番大きな獲物を背に誇らしげに笑う、そして握り拳を天高くかざし……
「手袋、少し大きめの狩猟用の手袋なんてどうでしょうか」
「あら!」
「まあ!」
「いいじゃなぁい!」
マリーも周囲のみんなも賛同してくれた。みんなの意見を黙って聞いていたルルゥも満足そうに頷く。
「ガントレットね。いいじゃないか、みんなもこいつで良さそうだね。そうと決まれば善は急げね、必要な人員をかき集めなさい!」
ルルゥの合図でみんなが一斉に動き出す。数秒後にこの場に残ったのはアンとマリーそしてルルゥの三人だけとなった。
「そういえばマリー、もしあんたが一番でっかい獲物を狩っちまった時はどうするんだい?」
「あらぁ?どうしようかしら、考えてなかったわ。その時は来年も狩人かしら」
「まったくどうしようもない子だ。あんたのお母様にも何とかしてくれって泣きつかれてるんだけどねぇ。私としては今のあんたも気に入ってるし、どうしたもんかねぇ」
「私も今の私が大好きよ。困ったものねぇ」
「……」
「……ぷっ」
「くくっ、ふふふ」
マリーとルルゥは揃って吹き出すように笑いだしたが、アンにはどうして二人が笑っているのかさっぱりわからない。
二人はそれからいくつか言葉を交わしていたがどれもアンには難しい話ばかりで、ただただ黙って聞いているばかりだった。
結局アンは食べたお菓子の味もわからぬまま集会所を後にすることになった。
「ね?大丈夫だったでしょう」
「そうだね……」
結局、事は全てマリーの言った通りになった。もちろんそれはいい事なのだが、自分だけが置いてけぼりをくらったようでアンは少し悔しかった。
「ふふん、大丈夫よ。貴女にもいつかわかる日が来るわ」
「本当?」
「当然よ、だって貴女は私の自慢の妹だもの」
アンは背後からマリーに抱きしめられた。
「貴女はいつか私も遠く及ばない最高の女になるわ。お姉ちゃんが言うんだから間違い無いわ。そうでしょう?」
マリーの温もりが背中から伝わってくる。されるがままに身を委ねていると、アンを覆っていた不安な気持ちが次第に和らいでいく。
「うん、ありがとうお姉ちゃん」
アンの心に余裕ができてくると、ふと先程のやりとりに疑問が芽生えてきた。
「そう言えばさっき、お姉ちゃんと私で若い男の人たちを何とかするって言ってたけど」
ルルゥ会長もその返事に納得していた気がするが、十人以上いる男を女二人でどうやって手助けすればいいのだろうか?意見を求めてマリーに向き直ると不思議な質問が返ってきた。
「ねえアン、貴女っていつも誰と狩りに出かけてるの?」
「え、私?一番多いのはお父さんでしょ、あと村長がよく誘ってくれるかな。あとは一人で行くことも多いよ?」
「村のみんなとは全然行かないの?」
「みんなの邪魔になっちゃ悪いかなって、私はみんなと比べてちっちゃいから」
キール村で育ったなら誰だって十を過ぎれば狩りくらい出来るようになる。アンは父や村長に連れられ幼い頃からいろんな獣や魔獣を追って来たからみんなより多少早く大物狩りが出来るようになったが、普通大きな獲物を狩るとなるとそれなりに育った歳になってからだ。つまり、マリーの言うみんなと比べてアンはまだ幼く非力なのだ。
でも、それがどうしたのだろう?マリーが呆れるような目でこちらを見ている気がするのだが、何か変なのだろうか?アンはまたもや不安になってきた。
「アンは素敵な女になる前に、とりあえず村の子達ともっと一緒に狩りに出るべきね」
「ええ?みんなの迷惑になっちゃわない?」
「明日になったら嫌でもわかると思うけど、一応教えておいてあげるわ。貴女のお父さんはキール村の古株で今でも一番強い男よ、そして村長は数千年を生きる耳長族の純潔だって言われてるの。私の狩りのお師匠様、ルルゥ大姉様だって一目置いてる二人なのよ、わかる?」
「つまり、二人がすごいってこと?」
「そんな二人が狩りに誘う貴女がすごいってことよ、私だって一度も誘われたことないわ」
「ええー?二人とも道楽で森の中ぶらついてるだけだよ?そんなに凄いことかなぁ……」
ーーーマリーの中で二人がすごく美化されている気がする……
「明日全部わかる事を今から考えたってしょうがないでしょ?さっさと帰って明日の支度をはじめましょ」
「しょうがないわねぇ」と苦笑を漏らしたあとマリーはそう言うと彼女の家の方に駆け出してしまった。
取り残されたアンは結局何をしたらいいのかわからないまま帰路に着くことになった。