二話
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アンとジョンが村長の屋敷に着く頃にはもう随分と人が集まっていた。みんなその顔は自信に満ちており、村長が現れるのを心待ちにしている様だ。
キール村は村にしては大きい方だが所詮は村だ。ここにいるみんなが見知った中ではあるのだが、年も若いアンはどこか肩身が狭い。良く見知った者はいないかと周囲を見回してみると、サラサラの毛に覆われた長い耳が特徴的な兎人族のマリーの姿があった。マリーはアンと同じ職人一家の出身でいつもアンやアンと歳の近い子供たちの面倒を見てくれていたお姉さんだ。
「マリーお姉ちゃん!」
「あら、アン?今日はお頭の付き添い?」
マリーの家系、ロップ家は代々村の大工で特に高所での作業を得意としている。マリー自身も最近は大工仕事を手伝っている。つまり彼女の言うお頭とはアンの父、職人頭で大工頭のジョンのことだ。
「えへへ、お父さんも来てるけど今年は私もなんだ」
そう言ってマリーに今朝の矢を見せる。
「うそ!もうアンも参加するの!?いや、まあ貴方の実力を考えれば当然ではあるのだけど」
あれ?
マリーの反応はどうもアンが思っていたのと少し違う気がする。もっと驚くとか、もしかして一緒に喜んでくれるかと思っていたが。何やら難しい顔で考え込んでしまった。どうしたものかと戸惑っているとマリーが突然口を開いた。その台詞はどこか旅の詩人が語る演劇じみていた。
「なんてこと!私が初めて狩人に指名されたのは十九の時で、それからの四年間若い女の狩人は私一人だったのに!一番だったから許されていたけれど、十四の貴方がいるんじゃ狩人を言い訳に結婚話を断れなくなるじゃない!」
マリーはそこまで一気に捲し立てると深くため息を一つ吐いた。
「でもそんな事はアンには関係ないものね。貴方と一緒に狩が出来て光栄だわ。よろしくね」
「う、うん。よろしくマリーお姉ちゃん」
マリーの雰囲気に若干気圧されながらもなんとか笑顔で握手を交わす。しかし先ほどからどうも周囲の視線がこちらに向かっている様で気が気じゃない。この場に集まった男たち、特に結婚適齢期の若い男たちが騒めき、というか間違いなく色めき立っている。
同性のアンから見てもマリーは見惚れてしまう様な美しさがある。その上村の子供たちを任せられるほど器量良しでもある。大工仕事をしてる時の荒々しさからは想像もつかないほど優しいし、料理もうまい。当然手先も器用と本来なら五年は前に結婚していて当然の美人さんなのだ。
しかしそれは本人の性格によって妨げられた。マリーは生粋の狩り好きで、アンと同じく小さい頃から森を駆け回っていた。そして狩人として認められるほどの腕前を身につけた時、彼女は結婚よりも狩人の名誉を選んだ。そもそも若い女は狩人として選ばれる事は少ない。その理由は単純で、子育てがあるのにわざわざ危険な時期の森に入るのはやめてくれと男衆が願い出るからだ。それでもマリーは狩人を選んだ。そして狩人を続けるために結婚話を断り続けていたというわけだ。
そしてそれもそろそろ限界だったのだろう。だからさっきの小芝居に違いない。
アンの予想を肯定する様にマリーが肘でアンをこづいてくる。目を見るとパチリとウインクが飛んできた。
アンにとってマリーは本当の姉みたいに大好きなのだ、もちろん協力はする。するがなんだろう、愛くるしい姿の獣が自分より大きい獲物を狙う肉食獣だと知った時の様な、喪失感に似た何かを感じながらアンは舞台に上がった。
「お姉ちゃんは美人さんだから絶対素敵なお婿さんが見つかるよ。でも、もし結婚するならどんな人がいいの?」
アンの声は自分でも呆れるくらいに精気がない。しかしそんなことは誰も気に留めてはいなかった。今この場に集まっている者はみんなマリーの声を聞き漏らすまいと必死だからだ。
「あら、そうね?どうせならお腹いっぱい食べさせてくれる甲斐性のあるオスがいいわね。長い冬を少ない乾燥肉でひもじく子供と過ごすのは誰だって悲しいもの」
ごくり、誰かが唾を飲む音が聞こえて来る。この場にいる誰もが彼女の一言一句に耳を傾けているのが伝わってくる。
おそらく今ここにいる男たちはみんな彼女とその子供のことで頭がいっぱいだろう。そしてその子はもちろん自分と彼女の子供なのだ。今なら男達は彼女が欲しいと言った物をなんだって用意するに違いない。次は一体何を要求するのだろうか。アンは恐る恐る続きを聞いてみる。
「他には?」
「あら?だめよアン他人に多くを求めちゃ。いい女はね男を許すものよ、そして互いに高め合うの。それが情熱ってものよ」
「ええっ?突然深い話が……それってつまり?」
「そうねぇ。つまり私と“高め合い”たければ、私と同じくらいかそれ以上の獲物を獲ってきなさい!って事よ」
マリーは一際大きな声でそう言って胸に手を当てる。大きく胸を張るそのポーズはマリーのはち切れそうな胸部を強調し、くびれた腰からのしなやかなラインが描かれている。
ーーーこっそり練習したんだろうな。
しかし、男衆はそんな事はつゆ知らずだ。先ほどよりさらに騒めき色めいている。中には我慢できずにこちらをチラチラと窺う者もいる。
するとマリーは両の腕を組んで相変わらず自慢の胸を強調しながらだが、先ほどとは打って変わってアンにしか聞こえない様な小声で話しかけて来る。
「やぁねぇ。チラチラ覗き見るなんて無粋だわ。来るなら堂々ときなさいよ。そう思わない?」
「アレはどっちかと言うと、縄張り争いなんじゃないかな」
「縄張りねぇ、私はここよ?誰の縄張りでもない早い者勝ちなのにぃ?揃いも揃っておバカさんねぇ」
マリーが話すたびに体を揺らしそのたびに強調された胸部が弾む様に揺れる。
ーーーなんだろうお姉ちゃんの胸を見てたら自分の貧相な……。いやいや!まだまだ十四だし。将来的にはお姉ちゃんの様に、そう!将来性のある胸が!胸が、チクチク……痛むよ、お姉ちゃん。
「その辺にしとけ」
アンが流れ弾を胸に受けてへこんでいると、たまらず見かねたのか父がそばにやって来た。
「あら、お頭も聞いてたの?お頭が相手だったら私いつでもオッケーよ。アンに母親風吹かせられるのも最高に素敵ね!」
「ええ!お姉ちゃんがお母さん!?」
「馬鹿言ってんじゃねぇの。それと、発破かけるにしてももうちょっと加減しろ。面倒見るのは俺たちじじい連中なんだぞ?」
「お頭ってほんとバカねぇ。私みたいないい女ほったらかして自分のことお爺ちゃんだなんて。それに、発破かけるのなんて毎年のことでしょ?」
「あのなぁ、鉄はとにかく熱くすりゃあ良いってもんじゃねえの。順を追って加減するのが大事なんだよ。いつも言ってるだろうが、お前はもっと加減しろ!」
「あら?そんなにやり過ぎちゃった?」
「お前、賢いくせに変なとこ無自覚だよなぁ。おいアン」
「お姉ちゃんお母さん……お姉ちゃん……お母さん……」
「おいアン聞こえてるか」
「はえ?お父さん……お母さん?」
「はぁ?大丈夫かお前?ちょっと村長のとこまで走って言伝を頼みたいんだが“今年の発破はもう十分だ”だ」
「あ、うん。行ってきます」
アンは頭の中をぐるぐる回るマリーを一旦隅に追いやり村長屋敷の戸口を叩く。しばらく待つとシーハロンが迎え入れてくれた。
「いらっしゃいアン。どうしたの?」
「こんにちはシー兄ぃ。お父さんから村長宛に言伝を頼まれたの」
要件を伝えると、シーハロンは屋敷の居間に通してくれた。そこには紙にペンで何やら書き連ねながらしかめっ面を浮かべる村長、ローヤン・フリーウッドの姿があった。
「村長、職人頭のジョンさんから言伝があるそうです」
「んあ?」
気怠そうに頭を上げたローヤンの目にはくっきりとクマが出来ているのが一目見てわかった。それに長く伸びた髪も普段以上にボサボサだし全身から疲れたオーラがにじみ出ている。
「おお!アンじゃないか。そうだ!今年はお前も狩人に選んだんだったな。それで、何か用か?見ての通り忙しくてなぁ。お前の門出を祝ってもやれない」
「こんにちはローヤン先生。今日はお父さんから言伝を預かってるんです」
アンがローヤンのことを先生と呼ぶのは訳がある。アンがまだ小さい頃、父のジョンが忙しい時はよく村長の屋敷に預けられていた。そしてそのたび、ローヤンから弓の扱いや算学、読み書きを教わっていた。ローヤンは非常に長命な耳長族の 純血と呼ばれる種族らしく、とても物知りなのでどうしても村長より先生と言うイメージが強い。
ーーーなんでも知ってそうな先生が頭を悩ませるなんてなんだろう?
ローヤンが先ほどから睨みつけている紙も気になるがとにかく言伝を伝えてしまわなければいけない。アンはローヤンに促されて父の言伝を一字一句違わず伝える。
「今年の発破はもう十分だ。だそうです」
「それは本当か!」
バン!と音がなるほど強く机を打ちつけながら勢いよく立ち上がったローヤンの顔は先ほどまでのくたびれたそれとは打って変わって晴れやかなものになっていた。
「しかし、一体どうして」
「それは多分……」
アン自身も最後の方はちゃんと聞いていなかったが恐らくマリーに関わる一連のアレの事だろう。そう思い事のあらましを簡単にローヤンにも伝える。途中シーハロンがよそよそしくなったのを見るに彼もまたマリーに魅了された哀れなオスだったのだろう。
「くくく、そうかマリーか。あいつもようやく結婚する気になってくれたか」
「良かったですね村長。これでロップ家の皆さんに何とかしてくれと頭を下げられることもなくなりますし、演説の台本も書かなくてすみそうですよ」
「全くだな。毎年同じ話じゃ若い連中も盛り上がらねえからって、毎回違う話すんの大変なんだよ。しかしそうなると今度は面倒見るベテラン連中が大変だよなぁ。おいシーハロン一走りいって暇してそうな連中に話つけて来てくれ。俺の酒蔵使って良いから」
「わかりました。小樽一つでいつでも交代できる様に誘ってみます」
そう言うとシーハロンは部屋を出て行ってしまった。
「ふむ、鐘三つまでもう少しだな。シーハロンは出しちまったし、申し訳ねえんだが着替えるの手伝ってくれるか?」
「もちろん手伝いますよ。先生ひとりだとボタン掛け違えたまま出ていっちゃいそうだし」
これは決して嫌味ではない。ローヤンは本当に掛け違えても気にしない、見てくれに関して心底無頓着でいい加減だ。誰かが手伝わなければ髪も結わないし羽織るローブも適当だ。本人も村長として見てくれが重要な時がある事は理解しているらしいがどうにも面倒でならないらしい。
結局どうにかこうにかローヤンを着飾り終えたのは鐘三つが鳴って少しした頃だった。