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アン〜異世界の聖女物語〜キール村騒動編  作者: 島馬(しまうま)
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一話

 ひゅう。

 アンは目覚めたばかりでまだぼんやりとした意識の中、頬を刺すような隙間風を受け止める。

「ううぅ。さむーい」

 アンは冷え切ったほっぺたをほぐすように両手で撫でながら身を起こす。

 アンの住むキール村では冬になると雪の降らない日の方が珍しい。そのため当然寝室の窓は閉め切っており、目を覚ましても部屋の中は真っ暗だ。そのうえ干し草と羽毛で作られたベッドと魔獣の毛皮をふんだんに使った布団や毛布はとても暖かく、起き上がるにはかなりの時間がかかる。

 しかし今朝はいつもとは少し様子が違った。相変わらず隙間風の鋭さは失われてはいないものの、それに運ばれてくる森の香りはいつもの乾燥した木肌のものではなく少しじめっとした土と緑のそれを思わせた。

 アンはのそのそとおぼつかない足取りで窓際に向かうと、少しだけ期待を込めて窓を開ける。

「んんーっ!」

 窓を開けた途端、びゅわっと冷気が部屋に入り込んでくる。思わず目を瞑り体を縮めて風が過ぎ去るのをじっと待つと、今度は暖かい日の光がアンの冷え固まった顔を優しく溶かしてくれる。その暖かさにアンの期待がさらに高まる。ゆっくりと目を開くとそこにはやはりあんが心待ちにしていたものが広がっていた。

「春だー!」

 アンの寝室、二階の窓から見える森は太陽の光を反射してキラキラと光っている。アンはこの景色がたまらなく好きだ。森中が宝石みたいに輝いてとても綺麗なだけでも充分なのだが理由はそれだけではない。それはつまり葉に積もった雪が溶け始めているということ、春の訪れを告げる合図でもあるのだ。

 興奮した心のままにめいいっぱい息を吸うと、土と木々の匂いに混じって獣たちの息吹を感じる。雪が溶け姿を現した新芽を求めて魔獣(まじゅう)の群れが移動を始めている。それを追うように肉食の大型魔獣たちも冬眠から目を覚ましている。

 耳をすますとかすかに低い唸り声が聞こえてくる。鉄熊(てつぐま)達が早速縄張りを争っているに違いない。

 腹黒狼(はらぐろおおかみ)達は狡猾だから、きっともう森のどこかで息を潜めているだろう。

 森がにわかに活気付く気配に胸を高鳴らせていると、バシャバシャとアンの足元で水が弾ける音がした。音に向かって目線を落とすと、いつからそこに居たのか家のすぐそばを流れる川に一羽の綿鴨が浮かんでいた。冬の間はここよりずっと南の方で暮らしている彼らもこれからどんどん帰ってくるだろう。

 森に暮らす獣達が動き始めた、となればアンとしてはやる事はひとつだ。

「あっつあつーの焼きたてお肉〜、ふんふんふーん」

 鼻歌まじりに部屋を出ると、廊下にかけてある弓と矢それと小刀を一振り抱え一階に降りる。

「じゅわっとジューシー、あふれる肉汁たまらないー……って、ああ!」

 上機嫌なアンが暖炉に薪をくべようと居間に向かうと、そこには巨大な人影があった。

「お父さん!またこんなとこで寝て、風邪ひくって何回言っても聞いてくれないんだから!」

 毛布も羽織らず景気よくイビキを立てる父の姿はもう見慣れたもので、何度も注意しているのだが一度だって聞いてくれた事はない。アンはやるせ無い気持ちをため息と一緒に吐き出すと、手に持った荷物を一度置き再び二階に戻る。父の部屋から持ってきた毛布を抱えながら改めて父の姿を見て、昨日何があったか想像する。

 今日テーブルに置かれている酒樽には父のお気に入りが入っている。何か特別な日や気分がいい日に飲むやつだ。そのうえ手に持ったままのグラスにはまだ少しお酒が残っている。

「相当疲れてたのかな」

 起こさないよう気遣いながらそっとグラスを取るとそれ;をテーブルに置く。代わりに毛布を全身を覆うようにかけ、暖炉に火をつける。

 父は昨日夜遅くまで出かけていた。おそらく村長の家で集まっていたのだろう。アンの父、ジョン・ウッドはキール村で一番の鍛冶屋だ。それだけでなく村の物造り全てを取り仕切っている立場でもあるので事あるごとに村長の家に呼ばれている。と言ってもやっていることと言えば大半が酒盛りで酔っ払って帰ってくることばかりだが、そういう日は大抵日が落ちる頃には家に帰ってくる。

 しかし昨晩はずいぶん遅かった。あまりに遅いので帰りを待たずに寝入ってしまったほどだ。そんなに遅くまで話し込んでいたとなればそれはずいぶん大切な話だったのだろう。そしてそれが満足いく方向に纏まったに違いない。

「で、たまらず酒をひとくちあおったところで疲れ果てて寝ちゃったと」

「ばかやろう、酒のひとくちで寝てたまるかよ」

「わわっ、起こしちゃった?」

「別に悪かねぇ。それよか訂正しろ、ふたくちだ」

 ほとんど変わらないじゃないかと眉尻を下げながらも軽く返事をする。

「なあおい、今から狩りに出るのか?だったらやめとけ」

「え?なんで?」

 正しく、狩りに出かけようと外着に着替えていたアンは思わぬ制止に戸惑った。ようやく訪れた春。それに今は日が出てまもない時間で、獲物達も多少の危険は承知で森の中でも見晴らしの良い平地の餌場に姿を表す。絶好の機会なのだ。

「今日から祭りが始まる。もう少しすれば旗も昇るだろうよ」

「昨日の帰りが遅かったのはそれだったんだ」

 キール村では毎年冬が終わるこの時期に春の訪れを祝って盛大な祭りが行われる。祭りとは言っても噂に聞く王都のパレードのようなものではなく、村の腕自慢を何十人も集めて何日も森に狩りに出る。その間、残った者たちは次々と運ばれるとれたての獲物を捌いては焼き捌いては燻す。それを一週間続けた後、一晩中森の恵みと酒を囲んで踊り明かすのだ。そして祭りが終わると種植えの季節が始まる、これがキール村の風物詩だ。

 そして毎年議論に議論が重ねられるのが、いったい誰を狩に出すのかだったりする。やれどこそこの倅が頃合いだとか、あそこの親父は膝を悪くしているだとか、祭りで狩人に抜擢されるのは村では最大級の名誉なので当然希望者も殺到する。あっちを立てればこっちが立たずといった具合になかなか話がまとまらない。去年はそうとう荒れたらしく父が連日不機嫌だったことを思い出した。

「今年はすんなり決まったんだね」

「去年よかマシってだけだがな。そんなこたぁ良いんだよ」

 そう言う父の顔は満面の笑みで彩られており、まるで計画が成功した悪戯小僧のようだ。確かに祭りが始まると村中が忙しくなるしアンも毎年のように獲物を捌く手伝いが始まるだろう。だがそれは今狩に出てはならない理由になっていない。

「それで、どうして今から狩に出かけちゃいけないの?」

「言っただろ?旗が昇るって」

「旗が昇るって、村長の家に狩人組が集まる奴でしょ?まさか私も呼ばれるってこと?」

 そんなまさか、自分で言っておいて耳を疑ってしまう。アンは十四とまだまだ子供だし人族の女だ。村で一番多い獣人族や父のような土人族と比べるとずっと非力だし、耳長族のように木々の声も聞こえない。同じ人族でもいつも村を守っている自警団の若い男達がいる。アンも一人で狩に出れる程度にはなったが祭りの狩人に抜擢されるとは到底思えない。

 しかし父の顔は緩み切った笑みを浮かべだままだ。まさか?本当にそんなことがあるのだろうか?

 アンが問いただそうと口を開きかけたとき、どんどんどんと誰かが扉を叩く音がした。こんな朝早くにいったい誰が来るだろう?とにかく外で待たすのはまずいと思いアンは玄関にかけていく。急いで扉を開けると立っていたのは見慣れた少年、村長の家で小間使いとして働いているシーハロン・ノットだった。

「やあ、アン。おはよう」

「おはようシー兄ぃ、どうしたのこんな朝早くから?」

 聞いては見るが帰ってくる答えはおそらく先ほどまで父と話していた内容の続きだろう。見ればシーハロンは弓も持たずたくさんの矢が詰まった矢筒だけ腰にかけていし、何かが書き連ねられているであろう羊皮紙を大事そうに抱えている。それに家の中に招こうとすると、玄関で良いと断られた。

「今日から迎春祭が始まるからその報告と、後これを」

 そう言うとシーハロンは矢筒から矢を二本抜き取りアンに手渡す。それをアンが受け取ったのを確認すると、シーハロンは羊皮紙を広げて家中に伝わる大声でその内容を読み上げ始めた。

「鍛冶衆頭目ジョン・ウッド、並びにその娘アン・クルルギ。両名を今年の迎春祭狩人衆に任命すること、村長代理として宣言します!」

「本当に?」

「ははは、流石にアンでも戸惑うよね。でも本当だよ、おめでとう」

「信じられない」

「そうかな?」

「当たり前じゃない!だって私、一度だってお父さんに勝てた試しがないのよ?」

 父に連れられて初めて森に入った時から、様々なことを学びはしたがどう足掻いても父には敵わなかった。そんな父ですら毎年必ず選ばれると言うわけではないのだ。だと言うのにまさか自分に指名が入るだなんて。しかしそれを聞いたシーハロンは困った様な参った様な何とも言えない顔をしていた。

「そうそう、これもローヤン村長からの言伝なんだけど、ジョンさんは疲れて寝てるだろうから集会には顔出さなくてもいいって」

「構わねえよ、娘の晴れ舞台だ。顔くらい出すさ」

 タイミング良く居間から現れた父は手に持ったジョッキをシーハロンに手渡す。それはほんのりと湯気を立て、柔らかい酒精を纏っていた。

「すみません。もしかして起こしちゃいました?」

「餓鬼が一丁前に気を使ってんじゃないの。お前が来る前から起きてたよ。それよりこれから何軒も回るんだろ?冷えねえ様に飲んでおけ」

「わあ、ありがとう御座います。頂きます!」

 シーハロンもそれを嬉しそうに受け取ると一気に飲み干した。

「じゃあ僕は次の家に向かいますね、あと、集合はいつもの昼の鐘三つです。アン、改めておめでとう。アンにならみんな安心して狩人を任せられるよ」

「ありがとシー兄ぃ。私頑張るね」

 いそいそとシーハロンが立ち去った後も、アンはしばらくその場から動くことができなかった。手に持った二本の矢を強く握りしめる。もしかしてこの矢は手放した瞬間霞となって消えてしまうのではないだろうか?そんな不安さえよぎる。そんなアンの背中を大きな掌がドンと叩いた。

「おいおい、いつまでそこで突っ立ってるんだ?朝飯食ったら森に篭る支度が待ってんだ、間に合わなくなっても手伝ってやんねーぞ?」

 父にせっつかれてようやくアンはやらねばならないことが山積している現実に気がついた。そして飛び跳ねる様に動き出す。

「あわわ!えっと、取り敢えず水汲んで来る!」

「おうおう、足滑らして転ぶんじゃねぇぞー」

 勢い良く家から飛び出すと太陽の光に目がくらむ。凍てつく風と暖かな太陽の日差しを両の頬で感じながらアンは大きく息を吸い込む。冷たい空気が火照った心に心地よい。意識もどんどん澄み渡っていく。遠くでシーハロンの声が聞こえる。彼に呼ばれた人はさっきのアンみたいに目を丸くしているだろうか?それとも今のアンみたいに胸を高鳴らせているだろうか?ともあれアンはそうしないわけにはいかなかった。心がそれを拒めなかった。

「いやったぁあああああ!」

 日が出て間もないキール村にアンの声が響き渡る。

 こうしていささか唐突ではあるが、キール村の変わらぬ日常と共にアンの生涯を決定づける運命の一週間が始まった。


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