プロローグ
投稿のための下書きです
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いまだ溶けきらぬ雪に覆われた山間を鋭い風が吹き抜ける。雪よりもなお白いその体躯に月光を浴びて駆ける銀狼の姿は、神話に語られる神の使いの様な美しさであった。
しかし銀狼の表情は険しい。時折後ろを見やっては再び脚に力を込める。視線の先では、何体ものヒトの子程の人形たちが浮遊し彼を追い立てて来る。
乳白色の奴らはそれ自身が淡く光を放ち、虹色に輝く薄羽を小刻みに震わせながら彼の背中に矢を放つ。打ち出された矢は光を纏い雷となって彼の心の臓に喰らいつく。幾分か見慣れた八度目の攻撃に、彼も冷静に身を捩り軌道を変え対処していく。それだけに留まらず彼は同時に反撃の一手も用意する。
踏込みの際に、大地を蹴り飛ばし練り上げた術式を設置する。埋め込む術式は時限発生型。打ち出すは十の魔弾。
三つは真っ直ぐ、三つはうねり、残る四つは獲物の回避軌道を断つように追い立てる。銀狼の牙、必中の魔弾である。それを七つ、八つと踏み込む足で設置していく。
狼を追う人形の一つが彼の設置した術式の真上を通過した瞬間、その足元、死角となった大地から突如十の破壊が打ち上げられた。人形は成すすべなく破壊される。それに呼応するように、次々と術式が発動、さらに六体の人形か魔弾によって打ち砕かれた。
しかし確かに打ち砕かれたはずのそれらは砕け散ると液状化し霧散、大きな霧が一点に集まったかと思えばそこには先ほどとなんら変わらぬ傷一つない姿の人形が現れる。これもまた見慣れた八度目である。
実にうんざりする光景だ。
この一見無益にも思えるやりとりだが、逃げる銀狼とて何も考えなしに行なっているわけではない。人形の数は十三体、その全てが無限に復活する生命体とは考え難い。何かしら仕組みがあるとしてその仕組みの核となる部分が存在すると仮定した。
そもそも生命体とも思えない見た目である。よって遠隔操作された傀儡であろうとあたりをつけている。
手始めに躁者から離れればなんらかの変化が起こると考え一晩中走ってみたが、奴らは変わらず元気に追い立ててくる。
となれば、答えはおのずと見えてくる。
躁者は奴らの中にいる。
十三体の人形のうち一体のみが本体で、十二体いる分身体は何度破壊しても復活する。それが奴らなのだろう。そう考えて、先ほどの反撃だ。
銀狼の予想は的中していた。十三のうちの一体が、術式が発動し始めた際大きく進路を変えたのだ。必中の魔弾から逃れるように。というより他の個体を盾にして被弾を避けるようにだ。
ならば後は、さほど難しく考えることはない。本体を執拗に狙ってやれば良いだけだ。
しかし奴らもそう甘くはなかった。本体が気取られたことを察知したのだろう、攻撃が変化した。分身体が携えていた大弓は霧散し、今は身の丈を超える巨大な突撃槍を携えている。それらが自身をも雷轟に変え、一斉に突撃を開始した。
ーーー勝機!
奴は急ぎ過ぎた。本体が透けた途端に、相手に攻撃の隙を与えぬ波状攻撃。それ自体は悪手ではない。
しかし銀狼は脚を止める。背を丸め脚を開き、大地を固く踏みしめる。雪の冷たさを心地よく感じつつ、大きく大きく息を吸う。肺が膨らみ毛が逆立つ。骨が軋み身体が限界を訴えてもなお体内に空気を押し込める。
奴らはすぐそこまで迫っている。だが遅い。奴らの槍が喉笛を突き破るより早く、彼は反撃の雄叫びをあげる。背を弓なりにしならせて、胸を突き出し、渾身の力で肺を押しつぶす。
「ーーーーッ」
質量をもつ咆哮は目に見えぬ圧塊。いちばん近くにいた傀儡は瞬く間に消え去った。
そして近いものから順に、雷が掻き消され露わになった体がひしゃげ、砕け、飛び散っり消え去った。触れたもの全てを押しつぶす衝撃波は周りの木々をなぎ倒し、一瞬で奴らを飲み込んでゆく。飛び込んできた十二体、全てが一斉に塵となった。
もう群がる壁はない。破壊された傀儡が復活する前に本体に飛びかかり噛み砕く。衝撃に脳を揺さぶられふらつく脚に力を込めて奴の本体をにらみつけると、無防備になった奴は空高く幾重にも重なった術式の上に立っていた。
ーーー見事なり!
敵は油断などしていなかった。ずっと時を待っていたのだ、獲物が脚を止めるその一瞬を。そのためならば自身の身を危険にさらすことも厭わない、一撃にかけた極大の攻撃術式。
人形を挟み込むよう上下に幾重にも重ねられた魔法陣の間を稲妻が走るたび、銀狼の頭上に光の粒が現れる。
触れたものは空気でさえ焼き尽くす浄化の光、裁きの剣。直撃すれば死は免れない。そして、回避するにも時間が足らなかった。彼は勇敢な戦士だ、強敵と会い見えたことに後悔はない。戦いの中力つきることも、悪くないと思っている。
ーーーだが今はまだその時ではないのである!
布石は、最初に打った。
時限起動型術式、必中の魔弾。
設置した八つの最後の一つ、発動したのは、質量ある咆哮の直後。奇襲になればと、一つだけ大きく遅らせたのが功を奏した。敵の特攻をみて、咄嗟にタイミングを合わせたのだ。
結果、残る敵は本体のみ。放たれた十の魔弾は、自らの術式に拘束された敵を穿ち、打ち砕く。術者の不在により、己を保てなくなった術式は、周囲を巻き込み崩壊を始める。
光は膨れ上がり四散する。
焼かれた空を埋めるように、大気が渦巻く。
銀狼は体を丸め主人を失った魔力の奔流から身を守る。
轟音が過ぎ去った後、あたり一帯は焼け野原となっていた。