エルフ少女との約束
僕の意識が目覚めると、あたりはすっかり暗くなっていた。どうやら、アンナの家の一室のベッドで寝かせてもらっていたらしい。ベッドの隣には、布団に上半身をうつ伏せにした状態のアンナがいた。つきっきりで看病してくれていたのかもしれない。僕が布団から出て窓から外の様子を伺うと、ジャンがこちらに気付いて元気に走り回る姿が見えた。
(よかった。僕の思いは確かに届いたみたいだ)
そう安堵の呟きを漏らしたところで、アンナがこちらを振り向いて起き上がった。
「体の具合はどう?大丈夫?」
「あぁ、なんとか大丈夫みたい。正直、死ぬかと思ったけど」
そう言いつつ、先ほどの出来事を少しずつ僕は思い出していた。僕は確かに魔法を使ったのだ。それも、ジャンを完全回復させて生き返らせる死者蘇生の魔法だ。死者を蘇らせることがこの世界でどの程度すごいことなのかは分からないが、僕の故郷では間違いなく歴史や常識もひっくり返るほどの大偉業だろう。
「ちょっと待っててね。いま、お母さんが晩御飯を作ってくれているから」
そう言われれば、キッチンのある居間で、アンナによく似た顔で金髪の女性が料理しているのが見えた。ひとつ違うのは、真横に尖って伸びた長い耳。もしかすると、アンナのお母さんは人間とは違う種族なのだろうか。
「アンナのお母さんは人間とは違う種族なの?」
「ええ、そうよ。わたしのお母さんは純血のエルフ。お父さんは人間」
なるほど、だからアンナは髪の毛は金髪だけど、耳は長くないんだ。そう思いつつ、アンナの顔を見ていると、急にアンナが真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「タツヤ。あなたに話したいことがあるの」
とても真剣な話がしたいようなので、ここは素直に頷いておく。
「さっきのあなたの魔法、すごかったわ。わたし、感動したの。わたしと同じ年くらいのタツヤがあそこまで洗練された魔力を生成できるなんて考えもしなかった」
「いや、あれはその場の勢いというか・・・見よう見まねでやっただけだし」
「謙遜することはないわよ。その年で最上位魔法が一つでも使えれば英雄になる素質があるってお母さん言ってたくらいだから」
「え、英雄なんて大げさな」
「それでね、わたしはいつも考えてたことがあるの」
そこで、話の流れを変えるように一度呼吸を整えてからアンナは話し始めた。
「この世界は弱肉強食。強い者が弱い者を喰らって生きている。さっきジャンが魔犬にされたように・・・。でも、それは私たち人族も同じ。この村の人たちを見たら分かるでしょ?毎日の食糧をかき集めるので精いっぱいだし、魔法以前に文字すらまともに読めない。かたや、王都で魔法を学ぶ裕福な人たちは魔法を駆使し、さらに大きな富を得ていく。貧富の差はどんどん大きくなるばかりだわ。けど、この村や貧困に苦しむ人たちが幸せになれないなんてことは絶対に私は認めたくない。誰も自分の出自なんて選べないもの。だから・・・」
私がこの世界を変えようと思ったの。
「魔法に支配されているこの世界を変えるには、まず、私が魔法を理解しないといけない。その上で、魔法の力に偏重したこの世界を変えたいの」
つまりアンナは魔法至上主義的な世界を変えたいってこと・・・なのかな。僕の日本社会の学力至上主義みたいな感じで。いや、話はそんな単純じゃないことくらいわかっているつもりだけど。
「それでタツヤに提案というか・・・お願いがあるの」
「な、なんでしょう・・・?」
「わたしと一緒に戦ってほしいの」
「なにと?」
「この世界と」
「・・・・」
そりゃ偶然だったとはいえ、あれだけの魔法を見せちゃったんだ。そういう話になるよね。この人となら自分の願いを叶えられるかもしれない、なんて考えたらアンナはきっと止められないし止まらないだろう。
(困ったことになったなあ・・・。いっそ、本当のことを話してしまおうか)
そんなことを思いながら逡巡していると、アンナが見かねて助け舟を出してくれた。
「すぐにとは言わないわ。あなたがいつまでこの村にいるかは知らないけど、それまでに返事をくれればいいから」
「うん・・・ありがとう。もう少し考えてみるよ」
アンナは僕に向かって期待を込めた笑顔を浮かべたので、僕もぎこちなく笑っておいた。
そのあと、アンナの家族と夕ご飯を食べた。アンナのお母さんは何度も僕にお礼を言った。きっと将来は立派な魔法使いになれる、とも言ってくれた。アンナとの問題もあるが、僕は自分が魔法を使えるようになっていたことに今更ながら驚いていた。もしかしたら、アンナの治癒魔法に感化されて僕の身体に何か大きな変化があったのかもしれない。なんのとりえもなかった僕だけど、こうしてアンナに出会って魔法が使えるようになって、ジャンを助けることができて・・・。僕はここに来るべくして来たのだろうか。
その後数日はアンナの家で過ごすことになった。村の子どもたちは学校に行かない代わりに両親の仕事を手伝ったり、休憩時間には日本でいう鬼ごっこみたいな遊びもした。ちょうど日本からサッカーボールを持ってきていたので、簡易ゴールを作ってサッカーをしたりもした。
僕はこの村での日常がとても気いっていたが、さすがに数日も経つと、元の世界の両親や学校のことが心配になってきた。しかし、お世話になっている村を抜け出して白い穴のところに行くと、アンナが心配するかもしれないし、なにより、僕はまだあれからアンナに何の返事もできていなかった。もし、アンナとこの世界で生きていくことにした場合、もうもとの世界には戻れないだろうと思った。そろそろ決断しなくてはいけないだろう。
「アンナ。ちょっといいかな」
アンナが両親の書斎で勉強しているところへ僕は入っていった。アンナも僕の雰囲気から真剣さを感じ取ったのか、すぐに手を休めてこちらを見た。
「ようやく決心がついたのね。返事をきかせてくれる?」
「うん。そのことなんだけど・・・。もう一日だけ僕に時間をくれないかな?故郷に一度帰って、両親の顔を見ておきたいんだ。そうすれば、自分の気持ちにケジメがつけられると思って」
「そういうことならもっと早く言ってくれればよかったのに。どこに故郷があるかは知らないけど、お父さんに頼んで驢馬くらいなら出してもらおうか?」
「いや大丈夫だよ!この村にも一人で来たんだし、平気平気」
「そお?何かあったらすぐに言うのよ。けど、実は私も明日はちょっと忙しかったからちょうどいいわ。すぐに帰ってきてね」
「うん。努力するよ」
翌日、僕はアンナとご両親に挨拶をして、もう一度白い穴のあるところへ向かった。穴が消えていたらどうしようかと心配したが、行きと同じように白い穴は僕を迎えてくれた。
(元の世界では何のとりえもない僕だけど、それでもここまで育ててくれた両親がいるし家族もいる。友達も少しだけいた。最後にもう一度、彼らの顔をみて、それから別れよう)
僕はこの時まで元の世界より異世界で生きることを選ぶつもりだった。アンナのいる世界にも僕の世界と同じように飢餓や貧困があったけど、僕はこの世界なら元の世界よりもきっと誰かの役に立てるだろうと思ったからだ。なんのとりえもない僕の人生に意味をくれたアンナと一緒ならきっと、つらいこともあるだろうけど、何か大きなことをなすことができるに違いない。
そんなことを思いながら白い穴を潜り、元の世界・・・日本に降り立ったときだった。突然、白い穴が強い光を放ったかと思ったら、みるみるうちに小さくなってゆき、やがて跡形もなく消えてしまったのだ。まるで、最初から僕がここに来るのを見計らっていたかのように。
「ち、ちょっと!待ってよ!?」
僕は必死に追いすがったけどもうあとの祭り。そこにはもう何もなかった。
(こんなことって・・・ひどいよ神様)
僕はもう2度と異世界に行けないことよりも、アンナとの約束を果たせなくなったことがショックでしばらくそこに立ち尽くしていた。そしてアンナや両親、村の子どもたち、ジャンの顔を思い出して、その場に倒れこみむせび泣いた。パトカーのサイレンの音近づくのを聞きながら、ゆっくりと意識を手放した。