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歌が、聴こえてきた。
儚い声の、でも、とても楽しそうな歌が。
合唱部の練習だろうか?
そう考えながら、彼は身を起こす。
ここは、一年生の学級花壇があり、水やりの当番がくる以外は人気がない場所だ。
学校の一番奥にあり、その木陰に設置されたベンチで彼は授業をサボって昼寝をしていた。
彼の昼寝スポットは、他にもあるが何処で寝るかはその時の気分次第だ。
身を起こした彼は、貴族の生徒のようだ。
制服に縫い付けられた校章、その下にこの国の国花である薔薇の刺繍が入っている。
この学校ーーエルドラド第一学校はかつて貴族の子女達が通う学院と呼ばれる場だったが、今は一般の生徒も通うことを許されているエリート校である。
彼の名前は、ジェラルド・シモンティールといった。
制服に薔薇の刺繍が入っている場合、それは貴族の証だった。
一般の生徒達の制服も同じデザインだが、刺繍は入っていない。
同じ教室で、同じ授業を受けているが、詳しい家柄こそわからないものの、制服のデザインで血の優劣が一目瞭然となっているのだ
ただ、彼はその出自から貴族の子供たちの間では浮いた存在だった。
一般の生徒の間でも、所謂不良として悪い意味で有名であった。
茶色の髪に、茶色の瞳。
ただし、少しつり上がった目は人を常に睨んでいるようにも見えた。
その目が、一点で止まる。
どこのクラスのものかはわからないが、とある花壇。
その花壇の前に少女がいた。
ここにいるのだから、おそらく一般の生徒だろう。
少女は、まるで楽団の指揮者のように指を振って歌っていた。
背中まで伸びた黒髪を赤いリボンで緩く束ね、リボンと同系色の紅い瞳をした少女である。
「…………」
その光景に、彼は息を飲んだ。
水やり用のジョウロが、彼女の歌に合わせて空中を踊り、花に雨を降らしている。
そして、太陽が差してきて小さな虹が花壇にかかった。
幻想的な光景だった。
亡くなった彼の母が、そして母と同じく今は亡き人となった彼の教育係だった女性が、まだ彼が幼かった頃、読んでくれた絵本。
その絵本の挿絵に、似ていた。
妖精達の女王が、魔法を使って妖精の国にやってきた人間達を歓迎する場面、そのものだった。
水やりを終えると、歌も終わった。
同時にジョウロが、他のガーデニング用品が置いてある場所へふよふよと浮きながら戻っていく。
片付けも終え、満足そうに少女は花壇を見る。
そして、その場を去っていった。
かつてこの世界には、魔法が実在した。
呪文によって、様々な不可思議な現象を起こす術だ。
それを使える術者は、長い歴史の中で数を減らしていった。
最後の魔法使いーー最後の魔女と呼ばれた女性も今から十年ほど前に、仕えていた宮廷のゴタゴタに巻き込まれ、亡くなってしまった。
あれから十年。
魔法使いは見つかっておらず、すでに最後の魔女が見せたとされる魔法も伝説と化しつつあった。
(間違いない。アレは、魔法だ)
彼は、与えられた寮の部屋、そのベッドの上で今日見た光景を何度も思い返していた。
最後の魔女、そんな風に呼ばれていた女性は彼と彼の腹違いの兄妹達の教育係だった。
時折、彼は彼女に魔法を見せてもらっていた。
当時、彼は母を亡くしたばかりだった。
だから、彼も最後の魔女を母の代わりにしていたのかもしれない。
(いや、今は関係ない)
魔女の死後、別の魔女が現れることはなかった。
もし、見つかれば騒ぎになるのは明らかだった。
(……また、見たいな)
あの女子生徒の魔法。
それを、また見たいなと思った。
校舎は違えど、同じ敷地内の学校に通っているのだ探せば見つかるだろう。
それに、話もしてみたいと彼は考えていた。
自分なんかが声を掛けたら怖がるだろう。
しかし、話をしてみたかったのだ。
あの、小さな魔法使いと。
そして、あの歌声をもう一度聴きたいと思ったのだ。
翌日。
彼は早速、昨日の花壇のある庭で待ってみることにした。
花の世話をしていたのだから、また来るかもしれないと踏んだのだ。
現れたのは、教師だった。
どうやら朝の水やりは、生徒ではないらしい。
場所を移る。
授業中の校舎内をうろつくと後が面倒なので、昼休憩まで待ってから彼は動き出した。
一般の生徒達は昼休憩を、今日のような天気の良い日は中庭で弁当を広げて食べる者が、比較的に多いと聞いていたからだ。
学食もあるが、そこは貴族の生徒達の縄張りと化していて一般の生徒達は入りにくい空気となっているためだ。
なにより、金額が庶民の感覚だと高すぎるのだ。
その中庭に向かう途中。
みつけた。
昨日の少女を、みつけた。
彼女は、他の女子生徒に囲まれるようにして、どんどん人気のない場所へと歩いていく。
少女の顔は暗い。その手には、布で包まれた小さな箱を抱えている。
それを、彼は追いかける。
予想はついた。
そして、完全にこの時間なら人が来ることがないであろう、空き教室に入っていく。
扉が閉まった。
直ぐにジェラルドは、その扉の前に立つ。
そして、何食わぬ顔で扉を開けようとした瞬間。
何か叩くよう音と、続いて物が床に落ちる音が聞こえてきた。
扉を開くと、
「ほら、這いつくばってその弁当食えよ!」
少女を取り囲んでいた女子生徒の一人がそんなことを言った。
ガララ、と空き教室の扉をジェラルドはわざと聞こえるように開けた。
途端に、女子生徒達が驚いて彼を見てきた。
「何してんの?」
少し、低めの声でそう訊ねてみる。
聞くまでもなく、イジメの現場だった。
彼女達の視線が直ぐにジェラルドの制服の刺繍に向いた。
それだけで、目の色が代わり態度もしどろもどろになる。
「あ、いや」
「これは、その」
「ち、違うんです」
何がどう違うのか、ジェラルドにはさっぱりだったが、とりあえず睨みを効かせて言うだけのことは言おうと、彼は口を開いた。
「あー、言い訳は良いから、ここ今から使うから出ていけよ、アンタら邪魔」
その言葉に、慌てたように女子生徒達はその場から退散した。
目的の少女も落ちた弁当箱を拾って、頭を下げて出ていこうとする。
しかし、その手を掴んでジェラルドは無理やり自分の方を向かせると、言った。
「お前は残れ。
お前と話がしたい」
サァーっと、少女の顔から血の気が引いた。
「あ、あの、その私、そういうことは不慣れで、身体も貧相ですから、食べても美味しくないです!」
何か盛大に勘違いをしている少女に、溜息を吐いてジェラルドは言った。
「昨日の花壇」
「え」
「俺は、見てた」
「はい?」
「お前、魔法使いだろ?」
「え、えーと、なんの話だかさっぱりで」
少女がとぼけようとするので、本当は苦手だが芝居をうつことにする。
そのまま床に少女を押し倒して、続けた。
「俺は昨日、お前が花壇に水をやるのを見た。
とぼけるなら、それでもいいさ。
体に聞くまでだ、でも素直に話すなら今すぐ退くけど?」
「……い、いや、貴族様がそんなことしちゃ大問題かなーと思うんですけど!」
「質問に答えるだけでいい。
最後の魔女、リーサを知っているか?」
その名前に、少女の顔が驚きで固まった。
「知っているんだな。
なら、お前はやっぱり魔法使いなのか?」
少女を縫い止めている手に、力が籠った。
「……誰にも」
少女が諦めたように口を開いた。
「誰にも、私のことを話さないと約束してくれますか?」




