7 余計なお世話です
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――絶望の朝がやってきた。
「……」
目の前には天井、窓の外から差し込む朝日に、遠くから聞こえる鳥のさえずり。
肩が沈むくらい柔らかいベッドと、肌触りの良いシーツ。
とてもよく眠っていた。
快適で快眠だった。
スッキリした、清々しい朝だった。
ただ一つ、残念なのは。
――シルフが酔って記憶をなくすタイプの人間ではなかったということだ。
隣で眠るフリージアを見て、さらに自分ががっちりと彼女の手を掴んだままなのに気付いて、シルフは頭を抱える。
「やってしまった……」
二日酔いで頭が重いが、思考は冴えていた。
昨日は酔っていた。
全然帰ってこないフリージアになんだかムカムカして、それをごまかすためにワインを何杯も飲んだ。
シルフは酒に弱いわけではない。
第二王子ともなると、色々な外交の場に駆り出される。そこでお酒を嗜むのは毎回のことだし、時には無理に飲まされる時もある。
自然とアルコールには強くなり、ちょっとやそっとじゃ酔ったりしなくなった。
酔ったとしても理性は保てる程度だし、自分の許容量は分かっているつもりなので、そもそも泥酔するまで飲むことはなかった。
それがなぜ。
他国の、それもいけ好かない男の国で、自分の妻をソイツに掻っ攫われて一人寂しく酒に逃げて潰れるなんて……滑稽すぎる。
シルフは、自分の理性にかなり自信があった。
どんな感情だって、理性で抑えることができるし、それは一国の王子として当然のことだった。
(……フリージア嬢にどんな顔を向ければいいんだ)
いくら考えても答えの出ない問いに自分自身でも辟易しつつ、シルフはとりあえず隣で眠っている彼女を起こさないようにそっとベッドから抜け出した。
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その日、フリージア付きの侍女達は少しだけ戸惑っていた。
フリージアはいつも、誰かが起こすまで起きない。
目が覚めても、「あと5分」となどと言って、30分はベッドの中で粘る。
そして起きたら起きたで、「このドレスはありよりのナシ」「睫毛が足りない死ぬ」「カラコンがないとか終わってる」とぶつぶつを文句を言う。
侍女はそれを毎回フルシカトして身だしなみを整える。
「太るからいらない」とのたまうフリージアに朝食をぶち込んで、やっと朝のルーティンが終わるのだ。
が、今日はどうしたことか。
まず、フリージアは自分で起きた。
これは、フリージアが妃になって初めてのことだった。
起きて、ベッドにいるのが自分ひとりなのを確認して、「……あ、お、王子は?」と尋ねて来た。
傍にいた侍女が、
「もう起きて、支度をされていますよ」
と答えると、力が抜けたように「そう」と答えた。
そのあとも、フリージアはずっと変だ。
「フリージア様、今日のドレスはこちらでよろしいですか?」
「……え、うん」
「今日はお顔の血色がよろしいので、いつもよりお化粧はナチュラルめにいたしますね」
「うん」
「髪は、いつもアップにしていますが、たまには横にながしてみるのはどうでしょう」
「うん」
なにを聞いても「うん」としか答えないので、侍女は思う存分自分の趣味でフリージアを着飾ることが出来た。フリージアはいつも、かわいらしいドレスを嫌がったり、薄めの化粧に文句を言ったりするので、これは大いなる快挙である。
もともと顔立ちだけは美しいフリージアだが、今日のフリージアは美しいながらも、下ろした髪型や桃色のドレスで、かわいらしさを湛えた出来栄えなっている。
これはあの生真面目なシルフ殿下も、少しは表情を変えるのではないか、と侍女はひそかに期待した。
――朝食は、アズハル王と一緒に摂ることになる。
フリージアが向かうと、すでに他の二人は席についていた。
テーブルの上には、焼き立てのパンと温かいスープ、サラダ、そのほかにも卵料理やら肉料理やらが所狭しと並び、朝食の域を超えたボリュームだった。
普段なら「イエーイ!」とはしたなく喜ぶフリージアだが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。
「おばよう、ブリージア嬢」
アズハル王が、ダミ声でフリージアに挨拶をする。
昨日散々歌ったせいで、声が枯れてしまったらしかった。
目の下には、しっかりと濃いクマが出来ている。
「おはよ。アズハル王、声ガラガラだね」
「ああ。起ぎだらごんなになっでだ」
「ウケる」
アズハル王のガラガラ声で少し笑みを見せたフリージアは、自分の隣に腰かけるシルフを見ると、ピシリとその動きを止めた。
「……」
時分を見つめたまま石像のように動かないフリージアを見て、シルフも気まずそうに視線を逸らす。
「……」
昨日とは違う2人の雰囲気に、アズハル王はそっと様子をうかがった。
「お、おはようございます」
「……おはようございます」
シルフは言葉に詰まっているし、フリージアは蚊の鳴くような小さな声だ。
いかにも、昨晩なにかありましたよと言うようなやり取りだった。
しかも――フリージア嬢の顔が真っ赤になっているところを見ると、その「なにか」は女性が恥じらうようなものであったらしい。
何かを察したアズハル王は、にやりと意地の悪い笑みをシルフに向けた。
「……シルフ殿下、夜はよく眠れましたかな?」
「……ええ、とても」
「それはなにより。昨日はフリージア嬢を長く借りてしまってすまなかったな」
「…………いいえ」
思いっきり不機嫌が滲み出たシルフの返事に、アズハル王の笑みは更に深くなる。
真面目なシルフが稀に見せる子供のような素直な感情は、彼の好奇心を揺さぶるようだった。
「昨晩、宴が終わったのは夜明け前のことだったが、シルフ王子はどうしていたんだ? けなげにフリージア嬢が戻ってくるのを待っていたのか?」
「……まあ、私は彼女の夫ですから」
まさか自棄酒して泥酔していましたなんて言えるはずもなく、シルフ少し澄まして答える。
が、相手はそんな彼を見て微かに頬を緩ませたので、虚勢はばれているようである。
「今更かもしれないが、昨日あんなに遅くなってしまったのは俺にも責任がある。あまりフリージア嬢を叱らないでやってくれよ」
「……言われなくても」
「ほう? 昨日君は遅く帰ってきたフリージア嬢になんと声を掛けたんだ? 妻を心配する夫はこういう時にどう声をかけるのか、ぜひ聞かせていただきたいな」
昨日の夜……そのワードでもわああんと浮かんできた泥酔メモリーを、シルフはあわてて追い払った。
「別に、少し注意しただけです」
「ふうん……それは、フリージア嬢が昨日よりあからさまに口数が少ないのと関係があるのか?」
自分の名前が出て、フリージアがあからさまに肩を揺らす。
そんな彼女を見て焦ったのか、昨日の記憶を思い起こして狼狽えたのか、思わずシルフは大きな声を上げてしまった。
「し、知りません!」
アズハル王は、下を向いて肩を震わせている。
我慢できなかったのだ。むきになるシルフが面白すぎて。
「まあ、酒は飲んでも飲まれるなってことだな」
「余計なお世話です」
ふてくされたようにそう言うシルフは、昨日の生真面目でつまらない王子という印象とはかけ離れている。
人は見かけによらないものだ、とアズハル王はまた笑った。
「……」
シルフは、そろりとフリージアに目を向ける。
なぜか、今朝の彼女はいつもと違い、淡いピンク色のドレスを身にまとっていた。
(……かわいい)
普段は纏めてアップにしている髪を、今日はゆるく編んで下ろしている。
(だめだ、フリージア嬢がかわいい女の子にしか見えない。中身は宇宙人なのに)
なぜか早くなる鼓動の意味を、シルフは絶対に気づきたくない。
「そうだ、今日の予定を伝えていなかったな」
「大方は聞きました。城下町の方へ視察に伺えるとか」
「ああ、それなんだがな、生憎俺は執務が溜まっていて、同行できそうにないんだ。お前達2人で行ってきてくれ。もちろん護衛はつける」
「ふ、2人で、ですか……」
「ああ、新婚夫婦仲良く2人で」
ニタリと笑うアズハル王は、おそらく何かよからぬことを考えているに違いない。
シルフは悪い予感しかしなかった。




