2 映えだよ~
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ぱち、と目を開けると、フリージアは見知らぬベッドの上にいた。
「……あ、ここお城か」
いつもと違う壁を眺めながら、よいしょと体を起こす。
さすが王宮だけあって、ベッドもシーツも肌ざわりがとても良い。
普段より寝つきが良かったくらいだ。
「めっちゃ寝た……」
しばらくボーっとしていると、昨夜のことがじわじわと思い起こされる。
「あー、昨日はヤバみだったなー」
なかなかの壮絶な出来事に5歳児並の感想を呟いていると、コンコンコン、とドアがノックする音が聞こえた。
「どうぞー」
「おはようございます。もうお目覚めでしたか」
王宮のメイドが、フリージアを起こしに来たらしい。
一応は侯爵令嬢なので、そのへんはちゃんとしてくれているようだった。
「おはよ~」
「それでは上へお越しください。ファビエル侯爵がお待ちです」
「おけまる~」
そしてフリージアの父、ファビエル侯爵は激怒していた。
そもそも、家が取り決めた婚約を、観衆の前で一方的に破棄しようとするところから腹立たしい。
挙句、ありもしない罪をでっちあげて、娘を糾弾するなど……!
「――ですから、早く娘を返してください」
「しかし、王妃様に毒を盛ったという証言がある以上、調べがつくまでは――」
「娘がそんなことをするはずがない!」
「しかし侯爵、リリアンヌが現場を見たと言っているんだ」
「それが本当だという証拠はあるんですか?」
「リリアンヌが嘘をついているというのか」
国王陛下はあいにく、辺境の視察に行っていて不在であった。
娘を信じる父親と、恋人を信じるジェームズでは話し合いにすらならない。
成り行きで立ち会うことになったシルフは、2人の間でため息をついていた。
そもそも、王妃の飲み物はどんなものでも必ず毒見されてから、信頼する者の手によって運ばれる。
一介の令嬢が、衆人観衆の中で毒を入れる隙なんてあるはずがないのだ。
「――お父様」
そこに、メイドに率いられてフリージアがやってきた。
「おお、フリージア!」
娘を大層心配していた侯爵は、娘にすぐさま駆け寄る。
「どこも怪我をしていないか?」
「うん、超元気」
「良かった……」
侯爵は娘を抱きしめた。
言葉遣いや態度はたまに問題だけれど、心根は優しい子だと家族は知っている。
きっと王太子の良い妻になるだろうと思っていたのだが、まさかこんな事態になるとは。
――腸が煮えくり返るようだ。
「ジェームズ殿下、このまま娘は連れて帰ります」
「そんなこと許すはずが――」
「こちらをどうぞ」
紙の束が、ばさりと侯爵から差し出された。
「口頭で説明するのも面倒ですので、すでに書面にまとめております。今回の件について、娘が無実である証拠です」
「は、これは……侯爵、まさか一晩で調べたのか?」
「娘がそんなことをするはずありませんから、簡単でしたよ。リリアンヌ・リーディー嬢は、どうやら虚言癖があるようで」
書類には、王妃の毒の件だけではなく、あとの二つの件についても、フリージアが無関係であることがきっちりとまとめられていた。
更には、リリアンヌが度々周囲に嘘の情報を触れ回っていたことも。
その内容はフリージアのことに限らず、他の女性貴族の名前も多数見受けられた。
もしこれが世に出回ってしまったら、大変なことになりそうだ。
こんな証言を、昨晩から今朝までの時間で一体どうやって集めたというのか。
常識で考えれば到底成し得ないそれを、やってのけてしまうのが侯爵が侯爵たる所以である。
(さすがお父様かっこいい)
フリージアは心の中で称賛した。
父は仕事が早い。ついでに娘に甘い。
フリージアが犯人扱いされて、父が黙っているはずがないのだ。
「こ、こんなもの、デタラメに決まって――」
「兄上」
書類を破り捨てようとするジェームズの手を、シルフが止める。
「これは貴重な証拠です。こういう事態になってしまった以上、嘘かどうか判断するのは陛下ですよ」
「しかし、これを見せたらリリアンヌが――」
「冷静になってください、兄上」
「……クソ」
そんな兄弟のやり取りを見ていた侯爵は、わざとらしくため息をついた。
「ほう……どうやら弟君のほうが聡明なようだ」
ギロリとジェームズが侯爵を睨む。
「兄上」
そしてそれをシルフが諌める。
2人の違いは一目瞭然だった。
「……っ」
「申し訳ありません、侯爵。この件は陛下がお帰りになるまで保留でよろしいでしょうか」
「娘は連れて帰っても?」
「構いません。また、陛下からお呼び出しがあるかと思います」
その場は一旦お開きとなり、陛下が帰国する3日後に、また話し合いが行われることになった。
*****
「ジェームズが申し訳ないことをした」
3日後、姿を見せるなり、国王はファビエル侯爵に謝罪した。
国王が謝罪するとうのはとても珍しいことなのだが――侯爵は特に動揺する様子もなく受け入れる。
「すると陛下、娘は全くの無実ということで良いのですね?」
「もちろんだ。貴殿の証拠を見せたら、リーディー子爵令嬢も白状したよ」
「やはりすべて彼女の虚言でしたか」
「ああ。全くジェームズも、もうちょっと考えて行動すればいいものを」
侯爵はほっと息を吐いた。
安心して、隣にいる娘の頭を撫でる。
「良かったな、フリージア」
「はい、お父様」
フリージアは少し恥ずかしそうにしながら、大人しく撫でられていた。
自分よりも、父の方が不安だったのを知っていたからだ。
ファビエル侯爵が作成した資料は、少しの隙もなく正確に出来ていた。
それをリリアンヌに突き付けたところ、逃げ場がないと悟ったのだろう。
あっさりと嘘だったと認めたのだった。
ジェームズはそれを、この世の終わりのような顔で見ていたという。
「詫びと言ってはなんだが、フリージア嬢の次の婚約について、私から一言入れよう」
こんなことが起きてしまっては、さすがにジェームズと婚約関係を続けるわけにはいかない。
しかし、王太子に婚約破棄されたという事実は、状況がどうであれ、フリージアの傷になる。
進んでフリージアとの結婚を望む人間は、そういないだろう。
でもそこに、国王からの後押しがあるとなれば、話は別である。
国王絡みの縁談は、ほぼほぼ断ることができない。
「ファビエル侯爵、フリージア嬢の結婚相手候補は誰かいるか?」
つまりフリージアは、この国の独身貴族ならだれでも選び放題、ということである。
……社交が苦手なフリージアに恋人も好きな人もいるはずがないけれど。
しかし父にはなにか考えがあるらしい。その鋭い瞳がギラリと光る。
「それでは陛下、シルフ王子殿下をフリージアの夫にしていただきたい」
国王は目を丸くした。
もちろんフリージアもである。
兄がダメだったから弟を、って、それは節操なさすぎないだろうか。
「シルフか……」
国王は少し思案したあと、「まあよかろう」となんとも簡単に了承した。
「フリージア嬢のようなしっかりしたレディには、ジェームズについていてほしかったが……仕方ない」
国王が何をもってしてフリージアを「しっかりした」と評するのか不明だが、家柄と後ろ盾がどこの令嬢よりも頑丈なのは確かである。陛下はおそらく、次期国王のジェームズ王子に、強力な後ろ盾があればと思ったのだろう。まあ、それを本人がダメにしてしまったのだが。
しかし――。国王は考える。
あのしっかりしたシルフにファビエル侯がつくとなると、もしかしたら、次期国王が入れ替わっちゃったりすることもあったりするかもしれない。
まあ、そうなったときはそうなったとき。
それまでジェームズが行動を改めなければ、それまでということだ。
「うむ。シルフはシルフで真面目過ぎることろはあるが――それゆえにあやつは浮気など絶対にできないタチなので、安心してほしい」
「……はい」
ちゃらんぽらんか真面目くんか、とはなんとも極端な兄弟である。
「シルフには私から伝えておこう。追って連絡する」
「はい、陛下ありがとうございます」
かくして、フリージアの婚約者は一晩で第一王子から第二王子に変わったのだった。
(うわーちょービミョー)
フリージアは複雑な気持ちを抱えながら、父と共に帰路についた。
*****
シルフは愕然としていた。
まさか、昨日の今日で自分に婚約者ができるとは。
しかも断ることは出来ない。
更に兄の元婚約者。
別に結婚に夢があったわけでもないし、親の勧めでどこかの国の見ず知らずの王女だとかと結婚するのだと覚悟はしていたから、そこは別にいい。
どこにでもいるような普通の令嬢を妻に迎えて、まあまあ平和な夫婦関係が築ければいいかな、まあ最悪仮面夫婦でも問題ないか、とも思っていた。
しかし。しかしこれは、この人は。
「シルフ王子よろみ~」
「……よろしくお願いします」
規格外すぎる。
どこにでもいるような普通の令嬢でよかったのに。
どこで間違ってこんな宇宙人連れて来たんだろう。
「フリージアは、ちょっと言葉に癖がありますが、ちゃんとした場ではちゃんと喋りますので」
親ばかのフェビエル侯爵は笑ってそう言うが、婚約者でかつ第二王子であるシルフとの顔合わせはちゃんとした場ではないのだろうか。
「……それはそれは。ではレディ、参りましょう」
笑顔が引きつりそうになるのを我慢しつつ、フリージアをエスコートするために手を差し出す。
「はーい」
彼女が普通に手を乗せてくれたので、シルフは心底ほっとした。
シルフがさっそく彼女を迎えに来たのは、婚約に関すること――もっと言えばその先の結婚のことについてだ。
シルフとフリージアの婚約は、国王の進言のおかげで滅多なことでは覆らない。
最早結婚は決まったようなもので、今回もお城でフリージアのウェディングドレスの採寸とデザイン決めがあるために連れ出したのだった。
「……かなC」
お城へ向かう馬車の中、フリージアはポツリとつぶやいた。
向かいに座っていたシルフは、それを聞いて眉間に皺を寄せる。
「その言葉遣い、どうにかならないのですか?」
「今日は一日中可愛がってあげようと思ってたのに、カブちゃん」
「淑女教育は一通り受けたと聞いたのですが」
「でもやっぱり離れるなんてつらたん。一番のトモダチだもん」
「失礼ですが、まるで子供のお喋りのように聞こえ……」
「だから連れてきちゃった、カブちゃん」
淑女にあるまじくドレスの裾をベロン、と捲った彼女の足元から、なんと茶色い昆虫が出て来たではありませんか!
「あ、あなた、なんものを持ち込んでいるんだ!」
シルフはぎょっとして思わず足を高く上げる。
虫が足に飛びつきそうだったのだ。
「1人にしておけなくって、カブちゃん。てかちゃんと私の足にひっついてきたんだ、マジ天才この子」
「信じられない……早くその虫をしまうか逃がすかしてください!」
「あ、シルフ王子って虫キライ?」
「嫌いではありません。得意じゃないだけで……」
「あ、カブちゃん肩に乗っけてあげようか?インスタ映えだよ~」
「やめてください、その虫を下ろして」
「映えだよ~」
「や、言い方が悪かったですね、仕方ない、あなたにも分かるように言います。僕は虫がだいきら……ア――――――!!!!」
「カブちゃん、パパの肩はどう?」
「ア――――!取って!早く取って!ちょ、ちょっと、誰かいないのか、早く!」
結局、シルフの叫び声に気付いた従者にカブちゃんは保護されることになった。
フリージアは残念そうな顔をしていたが、シルフが苦手なら仕方ないと最終的には諦めたようだった。
「……はあ、一体何なんだ……」
シルフは額に手を当ててうなだれた。
シルフはこれまで、まっとうに生きて来たつもりだった。
傲慢で遊び惚けている兄を尻目に、真面目に勉強し、学院だって飛び級で兄とほとんど同時期に卒業した。
そんな真面目な自分に、なぜこのような災いが己に降りかかるのだろうか。
全てはあのバカな兄のせいだ。
城までの道のりは長い。
この先もフリージアと行動をせねばならないと考えると、シルフはため息が出るのを抑えられそうになかった。