勝利の定義
「お前最近ゲームしすぎじゃない?大丈夫か」
塾の友人の豊川に声をかけられる。塾の行き来の間も塾の教室にいる間もずっとゲームをしている僕を本当に心配したのかもしれないし、ただ僕に構って欲しかっただけなのかもしれない。
「今だけだから大丈夫。僕よりも自分の心配したら?」
たまたま強いボスとの戦闘でゲームに集中していた僕はそんな豊川を疎ましく感じ、つい嫌な事を言ってしまった。今思えばこの些細なやりとりがこの先の僕の未来を変えてしまったのかもしれない。
僕は七月の模試の結果が良かったご褒美に、両親からずっと欲しかったゲームを買ってもらった。受験まではまだ一年以上もある。我慢するべきかとも思ったが、少しくらい好きな事をしてもいいだろうと言う気持ちに負けてしまった。だが後悔はしていない。買ってもらったゲームは僕の想像を超えて遥かに面白いものだったからだ。
「そうかよ。せいぜい俺にこの夏で抜かれないように気をつけろよ」
豊川は案の定少し怒ったらしく、そう言うとどこかに行ってしまった。豊川は僕よりも偏差値が10も低い。数ヶ月で縮まるような差ではないので、僕はゲームをしながら一人で豊川の台詞を反芻すると小さく鼻で笑った。
いつも僕は塾からの帰り道を友人と四人で帰っていた。その友人の中には豊川も含まれていて、その日の帰り道に豊川ともう一人の友人の三山が、ゲームをしながら歩いている僕を置いて走って帰っていった。先程の嫌味への報復だろうか、くだらないなと思いながら僕はゲームをしながら一人で歩き出す。
何か違和感を感じてふと後ろを見ていると、三人目の友人である川口がなぜか立ちながら涙を拭いていた。
「あれ、川口は行かないの?」
「僕あの二人にいじめられているんだ」
鼻水をすすりながら川口は言う。
「ああ、そうなんだ」
てっきり僕への嫌がらせかと思いきや、あの二人の標的は川口だったらしい。
「まあいいや。帰ろう」
「中島は僕と一緒にいてもいいの?」
「なんで?なんか理由があって川口はいじめられてるの?」
「ううん。全然わからない。先週から急に」
先週からだったのか。ゲームばかりやっていたせいか僕は全く気づいていなかった。
「じゃあいいんじゃない。僕もよくわからないし」
「ありがとう」
その日から僕は川口と一緒に塾に行き、一緒に帰った。川口はゲームばかりしながら相槌を打つだけの僕に一生懸命色々な話をしていた。僕が相槌を打っているだけでも川口はずっと勝手に話していてくれるので僕は四人でいる時よりも気楽だった。川口はアニメの話をする事が多く、僕もよく見ているアニメの話をしている時はお互いにアニメの良さを共感したりした。そんな風にたまに僕がいい反応をする時は川口はとても楽しそうに見えた。マイペースな僕にとって川口は一緒にいてちょうどいい友人だなんて僕は思っていた。
「でもあのアニメって主人公と敵のどっちが正しいかわからないよね」
僕達の好きなアニメは小学生が見るには難しい内容で、いわゆる単純な勧善懲悪の物語ではなかった。
「考え方次第だね。型にはまって安定した生活を求め、守る主人公達も正しいと思うけど、それがつまらなくて自分達で未来を切り開こうとする敵の考えもかっこいいし間違ってはいないと思う」
「だよね。僕は敵の考え方の方が好きだなぁ。でもやっぱり最後は主人公が勝って敵は死んじゃうんだろうなぁ」
「まあ結局どう生きるかが正しいかなんて現実世界でもこれまで答えが出てこなかったわけだから、どんな形でも長生きした奴が勝ちだよ。どれだけ正しさを主張したって死んでしまったら生きている人間の言っている事が正しくなっちゃうだろうし」
こんな風に周りの大人が聞いたら笑ってしまうような小難しい内容を話したりして、二人で悦に浸ったりもした。
それから二週間ほど経ち、小学校は夏休みで僕達は夏期講習の為に毎日塾に通っていた。僕はいつものように川口と一緒に塾の教室に着いて席に座ると、授業の時間まで再びゲームを始めた。ゲームをしていると黒板の前で豊川と川口が話しているのが視界の隅に見えた。珍しいなと思ったが揉めている様子もなく、二人が仲直りできたならそれでよかったなんて思って特にその光景に興味は持たなかった。
そして授業が終わっていつものように教室の外でゲームをしながら川口を待っていると、川口は豊川と三山の二人に挟まれて楽しそうに満面の笑みで教室から出てきた。なんとなくショックを受けた僕は川口の方を見ると、川口と目が合った。しかし川口は気まずそうに僕から目を逸らし、豊川と三山の三人でそのまま帰っていった。僕はショックを受ける反面仕方がないなと思った。川口からすればいつもゲームに夢中になっている僕はいい友人ではなかっただろうし、ちゃんと話を聞いてくれる二人といる方が楽しいだろう。僕は今まで一人で帰る事が苦痛だなんて考えた事もなかったが、この日の帰り道はなぜか少し寂しく感じた。
家に帰ると川口と僕が好きなアニメが放送されていた。アニメはクライマックスで、僕達が想像していた結末とは違ったが、いい意味で期待を裏切った最高の内容だった。僕は布団に入ると天井を見上げた。
「明日は僕から話しかけよう。このアニメの話をすればきっと盛り上がるし、川口は僕といた方が楽しいと思うだろう」
そんな事を考えながら眠りについた。
次の日僕は川口といつも一緒に塾へ向かう電車のホームで川口を待つ。その日はゲームをやらずにかばんの中にゲームをしまっておいた。しかしいつもの電車の時間になっても川口は来なかったので、僕はもう一本だけ待ってみようと思いいつもの電車をそのまま見送った。見送っていると一番後ろの車両の中から僕を見て笑う三人の姿が見えた。
「ああ、そう言う事か」
思わず僕はつぶやいた。僕はいつも川口と一番前の車両の近くで待ち合わせをしていたが、彼らは僕を嘲笑う為に僕の気づかない一番後ろの車両付近で待ち合わせをしていたのだろう。あの日黒板の前で川口と豊川が話していた内容がなんとなく想像できる。『また俺達の仲間に入れてやるから中島と話すのをやめろ』そして川口はその提案を受け入れたのだろう。
当然のように悲しみはこみ上げてきたが、くだらないなと自嘲気味に笑うと僕はかばんからゲームを取り出した。
塾の教室に着くと僕は自分の席につき、いつものようにゲームを始めた。以前のように視界の隅に黒板の前で話す三人の姿が見える。三人は気のせいかこちらを見て笑っているようにも見えた。なぜだか無性に腹が立った僕は、ガタンと音を立てて席を立つとゲーム機をかばんにしまい教室を出てトイレに向かった。トイレで用を足し、手を洗いながら自分の顔を鏡で見ると鏡を右手で軽く殴った。
少しすっきりした僕はできる限り平静を装いながら教室に戻り、自分の席に戻ると驚愕する。僕のゲーム機が床に叩きつけられ、画面がバキバキに割れていたからだ。どうやったのかわからないが、かなりの力がかけられた様子でゲーム機はへこみ、ソフトも形が変形してしまっていた。もうゲーム機を変えてもこのソフトでプレイする事はできないだろう。今までがんばったデータが全て無駄になった。
その瞬間僕の頭は怒りで我を忘れ、まっすぐに豊川の元に向かうと思い切り豊川の顔を殴った。豊川は白々しく驚いて、いかにも突然殴られた被害者みたいな顔をしたが、僕はそのまま豊川の上に覆いかぶさり首を絞める。慌てて三山が僕を後ろから止めに入るが、豊川の首を絞める僕の手の力は緩まず、豊川の顔は目玉が飛び出るかと言う勢いで目を見開き真っ赤になっていった。
「おい!何してるんだ!!」
塾の教師の怒声ではっと我に帰る。教師はすぐに僕を豊川から引き離すと周りの生徒に何があったかを聞いた。豊川はいかにも苦しそうにげほげほと咳をしたりヒューヒュー呼吸を整えようとしたりしていた。僕はやっぱり大人の力は強いんだなとか思いながら呆然としていた。
その後僕は塾長に呼ばれて事情を聞かれ、ゲーム機が豊川によって破壊された事を伝えた。しかし他の生徒は誰も豊川が僕のゲーム機を破壊した事を証言せず、豊川もとぼけた為に『いずれにしても手を出した中島が悪い』とか言うわけのわからない結論で話は終わり、なぜか僕が豊川に謝らされる羽目になった。当然納得のいかない僕の顔を見て、豊川は上目遣いでうれしそうに少し笑った。それを見た僕は再び豊川の顔を思い切り殴る。歯が折れて口から血を流す豊川を見下ろして僕はようやく怒りが収まり冷静になった。そして同時にまずい事をしたと思った。
豊川の父親は弁護士をやっていて、殴られて顔の腫れた息子を見て塾長に激怒した。僕は呼び出された母親と共に豊川の父親が塾長を怒鳴りつける様子を見ていた。裁判をするだとか塾をやめさせろとか言っているように聞こえた。
「あんたなんて事したのよ・・・。なんで・・・」
「あいつが悪い。僕のゲーム機をこんなにしたんだから」
「ゲームなんてまた買ってあげるじゃない。どうして手を出したりしたのよ。手を出したら何があっても悪いのは手を出した方になるのよ」
「それ以前にも・・・あいつは僕を孤立させて笑い者にしたり・・・」
「何でお母さん達に相談しなかったの?こんな事になってからじゃ遅いでしょう」
母親の言っている事は正論だったが、子供の僕にはどうしても納得する事ができず、どうして母親なのに僕の事を理解してくれないのだろうと怒りさえ覚えた。
そうこうしていると塾長に母親が呼び出され、母親は豊川と豊川の父親に土下座して謝っていた。なぜだかその光景を見ていると悲しくなって、次に僕も同じように土下座させられるのかと思うと我慢できなくなったので母親を置いて黙って一人で塾から帰った。
塾から出ると向かい側の道に少し前まで豊川達と一緒に忍び込んで遊んでいた廃ビルが月夜に照らされていた。あの頃の僕にとってそのビルは面白いことばかりのアトラクションだったのに、今見ると不気味で恐ろしく、とてつもなく大きく見えた。
帰りの電車のホームに着くと壊されたゲーム機をかばんから取り出す。じっと割れた画面を見ていると、模試でいい成績をとって褒めてくれた両親の顔を思い出した。変形したゲームソフトを見て一緒にこれを買いに行った時の事を思い出した。それと同時に土下座している母親の姿が浮かび、なぜだか無性に悲しくなった。もしも塾をやめさせられたらどうなるのだろう。僕にできるのは勉強だけなのに。裁判になったりしたら・・・どれだけ両親に迷惑がかかるのだろうか。
小学生の喧嘩が裁判になる事なんてあるわけない。そんな事も僕にはわからなくて、ただこれからの不安と優しかった両親の顔が頭から離れなくてただただ涙が流れた。
まもなく電車が来る為白線の後ろに下がって電車を待つようアナウンスが流れる。まもなくして電車は来て、白線の内側にいる僕に駅員が危ないから離れるように促すが僕は動かない。見かねた駅員は僕の手を引き無理やり外側に引っ張ろうとしたが僕の顔を見て少し驚く。その隙に僕は後ろ向きに線路へと飛び込む。
こんな理由で死ぬなんて馬鹿馬鹿しいと思うだろう。僕もそう思う。でもなんとなく楽になりたかった時に電車が来てしまったんだから。仕方がなかったんだ。
電車は急ブレーキをかけて線路とタイヤの擦れる音がホームに響くが間に合わず、僕の目の前に突っ込んできた。その瞬間周りの動きがスローモーションになったかのようになり、電車の運転手の焦る顔、僕の手を引いた駅員の驚く顔、そしてちょうどホームに来たのか驚く川口の顔が見える。あいつはきっとこの光景がトラウマになって毎晩夢に見たりするんだろう。いいタイミングで来てくれた。
「ざまーみろ」
僕は川口にそう呟いたが聞こえたかどうか、電車が僕の体をぺちゃんこにする前に言えていたのかどうかはわからない。どうしてそんな事を言ったのかも。負けたのは僕の方なのに。