そのさき。
少しばかり、虐待描写がありますので苦手な方はご注意下さい。
バンッ!バンッ!ダンッ!!
暴力的な音をほんの先で聞く。
音の合間、合間に、時に呻き声が漏れる。耐える声が、どうしようもないと、漏す声が。
私はそれを聞かなければいけない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。
でも、聞かなければならない。
泣いちゃ駄目って、思う。
でも、思う先からぼろぼろと私は泣いていた。ぼろぼろ、ぼろぼろ。
竹刀で叩かれ続ける兄の呻き声を聞きながら。
「ご……」
謝ろうと口を開いた私の頬を温かい手が撫でた。
「お前が謝る事じゃない。だから、謝らなくていいんだよ。僕がそうしたいからそうしたんだよ」
脂汗と身体中にできた痣、床に突っ伏し、丸く縮こまり痛みに耐えていた兄は、私を見上げながらか細い声で言う。それでもごめんね、と言いたかった。ごめんね、と言いたかった。そして、もう助けなくていいよ、と言いたかった。でも、言えなかった。
だって、私は助けて欲しかった。誰かに助けて欲しかった。
もういいよって、言わなきゃって、兄の苦しそうな姿を見る度に思うのに、言ったら、もう助けてもらえないかもしれないという思いと先ほどまで兄が受けていた苦しみ、音、痛みへの恐怖で私は、どうしても言う事ができなかった。
だって、私を助けてくれるのは兄だけだったから。
光が射した。
眩しくて、目をうんと細めた私に上から声が降ってきた。
「でておいで。怖かっただろう。遅れてごめんな」
兄だった。兄の声だった。
私にとって、兄の声はまさに天からの声だった。
もうだいじょうぶ、の声なの。でも、でもね、
ひぃっく、ひっく、と泣き声をなんとか堪えながら、それでも言った。
「だ、だめ、だよ……。出たら怒られる、よ。だめだよ」
兄は微笑む。
いいんだよ、と微笑む。
その時、私は口にした。絞り上げるように、胃の底から絞り上げるようして、口にした。
「……ご、……ごめ、な、さ……い……」
微笑んでいた兄の表情がゆっくりと、ゆっくりと、崩れてゆきました。
眉が寄りました。眉と眉の間に何本か線ができて、うきあがりました。口を、少し、少しだけ開かせて、何かを私に言おうとして、でも、閉じられてしまいました。瞳がおかしくなりました。肩が震えていたと思います。
兄の手がかたかたと小刻みに震えながら、私に伸ばされます。
私は兄の瞳を見ていました。
兄の手は私の首をつかみました。
そのまま、ゆっくりと、ゆっくりと、兄の手は私の首を圧迫していきました。
最初は我慢しました。最初の、そう、ほんのすこし。
「ぐっ、ぐふっ」と喉から私の何かがせり出したら、もうだめでした。
ばたばた、ばたばた、足を動かしました。
手をぶんぶん振り回して、兄の腕を打ちました。
何度も。何度も。何度も。何度もです。何度も。
前触れなく、息苦しさはなくなりました。
咳き込み、咳き込み、息を整え、瞑っていた目を開き、兄を視界にいれると。
彼は元通りの微笑みを私にくれました。
てのひらをのばしました。
その先には、兄がいます。兄の首に腕をまわし、耳元に泣き声混じりで言いました。
「私、お兄ちゃんの妹じゃなければよかったね」
耳元から顔を離し、兄を見ると、彼は小首をかしげていました。
そうして、ああ、と呟くと。
彼は首を傾けたまま、私の唇に自分の唇を落としました。
わけがわか、りま、せん。
「君が妹でなければ、こういう事もできたね」
そういう事ではありません。
兄は苦笑すると、私を引き寄せ、抱き締めました。
「君が謝る事じゃ、ない」
「大丈夫。撲たれたり、殴られたり、痛いけれどね。我慢できるものなんだよ。蹴られているとする。その蹴られている腹あたりに、そう、ここあたりだよね、まぁ、腹じゃなくてもいいけれど。その部分にね、何度も頭の中で言うんだよ。『痛くない。痛くない』ってね。――、まあ、もちろん痛いね。痛い。うん。でも、なんだか我慢できるものなんだよ。我慢して、我慢して、どこまで我慢しているのかなぁ。でも本当にそのうち痛くなくなるんだよ。とても、嫌だけれどね。困った事に我慢できてしまう。ただ、本当に、どこまで我慢できるのかは、よくわからないけれど、ね」
私は兄の腕の中でずっと泣いていました。ずっと。
もしかしたら、兄も泣いていたかもしれません。
私を助けてくれるのは兄です。兄しかいません。
でも、兄を助けてくれる人はいないのです。
痛いのは嫌です。
だから、私は兄を助ける人になれないのです。
誰か、どうか、誰か、兄を助けてくれませんか?
よく自分が使用する文体、表現で書いて見た小話です。