それでも時は流れている
彼は草原の中で詠っていた
現実と幻想
どちらを追えばいいのだろう
僕には交差させることができない
夢想の現がすごせたらいいのだろうに
一冊の古文書を片手に
白く長い魔道着をたなびかせる
大地に展開してゆく
複雑な法円は闇夜の色を放ち
かつてない力で大地を揺らす
頬を伝う雫はそのままに
詠いつづけていた
『それでも時は流れている』ということを忘れて
彼女は海原の中で謡っていた
過去は何処に行ったんだろう
現在は何処に行くんだろう
未来は何処にあるんだろう
輝く鱗を硬い岩肌にあずけ
白く細い滑らかな喉を震わす
海流に誘われ訪れた帆船は
憎しみの音に飲みこまれ
苦しみの中で朽ちることだろう
絞めつける胸に手をあてて
謡いつづけていた
『それでも時は流れている』ということを忘れて
鳥は風の中で歌っていた
涼やかに
高らかに
伸びやかに
穏やかに
気流にのり
身を打つ風をあやつって
どこまでも
どこまでも
歌いつづけていた
『それでも時は流れている』ということを忘れて
一条の軌跡を残して鳥がゆく
どこまでも広がる青い空
ときに青草の匂いを含み
ときに海風が颯爽と舞う
七色の橋を架ける大気がそこにある
鳥はただ空を翔けた
彼がふと見上げた眼前を
そして彼女の瞳のその横を
彼らは鳥を見つめた
地平線に消えゆくその鳥を
膨れた法円は
力の拮抗を乱して雲散する
彼は悔やむでもなく
銀の錫杖を野に下ろした
頬を打つ風が冷たい
色褪せた紙が風に弄ばれるのを見とめて
彼は
今はただそれを閉じることにした
艶のある音色が
なごりも残さず霧消する
彼女は疲れた様子を見せて
珊瑚のような小さな口から息を吸った
胸を満たす潮の香り
深く蒼く静かな住処が恋しくなって
彼女は
凪いだ海へと帰っていった
彼らはいつか
またその場を訪れる
真っ直ぐに飛び抜ける
鳥の姿を見るために
『それでも時は流れている』のだと
今この時を
精一杯
生きてゆくために