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だいじょうぶMyガールフレンド

作者: 嚙草
掲載日:2026/10/08

地球に巨大隕石が迫り、その衝突は不可避だった。


「こわいよ」と彼女は言って、僕は形のいい彼女の頭を何度も何度もなでる。


明かりを落とした部屋は、所々に家電の待機表示ランプが小さく光る他は暗く静まり返り、僕らは同じ布団にくるまって、小さな彼女は僕の腕の中で震えている。


「あれが見え始めてから、何もかも変わってしまった」「そうだね」


僕は彼女と出会った頃の事を考える。それはまだ春が来る前、空にはまだあれが分かるほどには見えなくて、僕らは互いの秘密を教え合うのに夢中で、しかし水面下では、全世界の首脳があれに対して最後の絶望的な戦いを開始した頃だった。


そして今、秋が来て、全ては変わってしまった。


社会は自暴自棄になった。あれの衝突地点と予想された地域から人々は大挙をなして逃げ出し、しかし予想地域はたびたび変わり、その都度人々は右往左往した。


彼女の好きだったものも変わってしまった。それは、人々の信頼、細やかな気配り、ふとした瞬間に見ず知らずの人と交わされる笑顔。


早朝、ゆっくりと目を覚ます町、活動を始める人々。


昼間、誰もが社会のために一生懸命で。


夜、家々の窓からもれる明かり。その一つ一つに幸せがある、そんなことを考えながらたどる家路。


みんなが今に割と満足で、明日にまだ希望を持っていて、夜眠る時には穏やかな顔で眠れる、そんな毎日。


でも今は。


僕は彼女を強く抱いて、彼女はすすり泣くような声を上げる。僕の裸の胸に顔を深くうずめた彼女の表情は、僕には見えなかった。


・・・


そんな風だったから、


「それでもまだ、私にもできることがあると思うの」


すすり泣きが止んでしばらくしてからそんな声が聞こえたので、僕は慌てて彼女をいさめる。


窓の外の世界は、今や暴力と略奪が横行し、それを防ごうとする政府は法規制をどんどん変えて、社会は内戦のようになってしまった。


僕らは何とか食料を確保して、今はこうして高いビルの一室にこもっている。


このビルには自治があったから、水の不自由さえ我慢すれば、夜の安全は何とか保たれている。


僕らの町はこれまで、あれの衝突予想地域には挙げられていない。そして衝突予想日は11月2日13時ちょうど。それまで、もう僕ら個人にできることなど何もなかった。


それでも僕のスマホにはしばしば外から連絡があって、それは治安を守るための奉仕活動の募集だったり、こんな状態になるまであれの事を隠し続けた政府に対する共闘の呼びかけだったり、思い出したくもない奴からの下らない依頼だったりした。


彼女に来る連絡は僕のとは少し違った。まだ世界が平和だった頃、国際協力活動で世界中を飛び回っていた彼女には、海外からの連絡もひっきりなしに来た。


それでも。


「だめだ」と僕は強く言った。「いくら君だって、もうできることなんかない」


彼女を説得する。彼女のできる頑張りは、あくまで世界が自制心と良心で守られていた間にだけ通用するものだ。それは自らを修復しようとする社会をちょっと後押ししていただけに過ぎない。どれだけ彼女に能力があったとしても、一個人にできることなど限られている。それに、と僕は泣きそうな気持ちをこらえながら話す。そもそも脅威は、地球を離れたはるか宇宙空間にあるのだ。


「だけど、希望を失いたくない」と、彼女は小さな声で話す。こわくてどうしようもなく震えているくせに。この小柄な体のどこにそんな意志の力が隠れているんだろう。


思えば、彼女の頑張りにはいつも驚かされる僕だった。


だけど、僕のところに帰ってくるたびに、彼女は震えて泣いたのだ。


それでも彼女は、話すのをやめない。


「さっきも連絡があったの。手伝ってくれ、助けてくれって」


そうして彼女は連絡してきた奴の名前を言う。そいつなら僕のところにも何度も連絡をしてきた。僕はそいつをぶん殴ってやりたくなった。


それを聞くと彼女は可笑しそうに笑った。


「絶対無理だよ。その前に取り押さえられちゃう」


「わかるもんか」と僕は強がって見せる。ああ、彼女がそんなつまらない責任など忘れて、僕のつまらない冗談を笑うことだけに満足してくれるなら、僕はアメリカ大統領にだって、ロシアの大統領にだって、中国国家主席にだって、ゲンコツを振り上げてみせる。


ひとしきりくすくすと笑っていた彼女はしかし、その間にゆっくりと心を固めていった。そして不意に僕の腕の中からするりと抜け出すと、暗闇の中、衣装ケースの方に向かうのだ。


ほのかな明かりに照らされた、裸の背中、可愛いおしり。


そして彼女が身につけ始めた服を見て、僕は声を上げてしまう。


「だめだ!」


振り返った彼女の眼には、まだ涙のきらめきがあったけど、しかしその表情には、迷いはもうないのだった。


「私にしかできないことが、まだあるみたいなの」「無理だよ! あれは宇宙にあって、全世界が立ち向かって、そしてさじを投げたんだぜ! 僕らは今、安全な所で小さくなって隠れて、衝突後のことを考えておくのがいいんだ」


「でも、その後に苦しみはずっと続く」 彼女はぐい、と涙をぬぐい、後には凛凛しく前を向く意志だけが残っていた。


「みんなの幸せが守れるんだったら、私はもう少し頑張ってみる」 そう言って、へその辺りから始まるジッパーを首まで引き上げる。


「だめだ、行かないでくれよ!」 その頃にはもう僕は、自分のことしか考えることができなくなっていた。彼女が行ってしまう。小さな頑張り一つで、絶望的な大災厄に立ち向かうために。


それはあまりにも勝算のない戦いで、彼女を失うかもしれない恐怖に、僕はもうなりふり構わず、ベッドを飛び出すと彼女の腕を掴む。


「たのむ、ここにいて。ここにいれば、ともかく二人で暮らしてゆけるんだ。さもなければ、君が、君が無くなってしまう」


彼女は温かく僕を見返すと、大丈夫、と言う。


「あなたも、地球も、私が守る」 そして限りなく優しく、泣いている僕を抱きしめる。


大丈夫、3分までならきっと。そして帰ってくる。あなたの所に。必ず。


そして暮らすの。元の通りの、平和な世界で。


「行かないでくれよ! 君が全部抱える必要なんてないんだ! 世界なんかほっといて、僕のために生きてくれ!」 

愛してるんだ、君の事を。


それを聞いて再び、彼女の目に涙があふれるけれど、その手はゆっくりと優しく、しがみついている僕の腕を離すのだ。


ありがとう。その言葉さえあれば、私は頑張れる。


ピシリと耐放射線スーツを身にまとった彼女はスマホを取り出すと、どこかに電話する。そして一言、「行きます」と言う。そうしてバルコニーに続く部屋の窓を大きく開け放つ。すると、かつて都心だった町には心を温める明かりは全く見当たらず、その代わりに星の無い夜空に禍々しい輝きを煌々とほとばしらせて尾を伸ばす巨大な彗星があるのだった。


もう彼女を止めることはできない。そう悟った僕はただ一言、「生きて、僕のところに戻ってきてくれ」と言う。「必ず」 彼女は答えて、すると急に彼女の周りの空気がゆがむように感じ、次の瞬間、彼女はもう目の前にいなくて、わずかに熱くなった空気だけがそこに残り、目を上げると、夜空を長い尾で覆いつくさんとする大災厄に向かう、一筋の白銀の光が見えるだけだった。


3分。それは超人といえど呼吸という太古からの呪縛からは逃れられないという、生命(いのち)の証なのだった。


それから、僕が今まで生きてきた中で一番長い3分が始まった。


・・・


1分。バルコニーの僕はただ震えて、空の大災厄を見上げている。


・・・


2分。何も考えられない。今、この瞬間、彼女はどうしているのだろうか。


・・・


3分。叫びだしそうになり、必死に口を押さえる。どうしようもなく涙がこぼれる。


・・・


そうして、4分が過ぎ、5分が過ぎ、しかし彼女は戻らず、夜空の大災厄はその威風を衰えさせることも無く、何事も無かったかのように煌々と輝き続ける。僕は声も無く、ただ泣きじゃくりながら、飛びそうになる意識を必死に押さえ込んでいる。まだだ。彼女は僕のところに帰ってくると約束した。彼女は今まで約束を破ったことがなくて、その彼女が言ったんだ。元通りの平和な世界で暮らすんだって、そう言ったんだ!


・・・


ふと。


かすかに。


わからないぐらいの変化でそれは始まって、


しかしすぐにはっきりとして、


僕はただ茫然と夜空を見上げる。


人類を、世界をあざ笑い続けた大災厄は今、その輪郭を急速におぼろげにさせ、細かな欠片となり、ゆっくりと夜空に広がってゆくのだった。


それは吹き付ける太陽風にあおられ、きらきらと無数のスペクトルを反射させた。


全天が星よりも多くの輝きに包まれ、世界が息をひそめてその一部始終を見守る中、僕のスマホが唐突に鳴り出す。


スピーカーから聞こえる声に、僕は怒鳴りつける。


ばか! 見りゃわかるだろ! 彼女がやったんだよ、世界を守るために!


それからスマホの向こうから聞こえる、泣き声とも喜びともつかない騒音に向かって、


さっさと準備しろ、行くんだ、もう一度彼女に会うために! と叫ぶ。


ばかやろう、ロケットの一台や二台、なんとかしろ、大統領声明なんか後回しだ、早くしろ、ぶんなぐるぞ!


それから早くも聞こえてきたスクランブルのヘリの音を聞きながら、彼女のことを思い、僕は強く強く拳を握る。


大丈夫だ、彼女なら。


僕は彼女に初めて会った時のことを思い出す。


あの時、大破して月面に不時着していた異星の宇宙船の中で、仮死状態だった彼女は、しっかり息を吹き返したじゃないか。


大丈夫だ。待っててくれ、


僕がもう一度君を見つけるから。



***



地球の衝突コースに入りつつあった直径32kmの巨大彗星の核は、細かく砕かれてその形を失い、地球と月の引力を受けて次第に広がり、地球の赤道上にベルト状に広がった。水素とメタンを豊富に含んだ無数のカケラは、来るべき火星移住、そしてさらに深宇宙への探索のためのエネルギー源として有望だった。


しかしそんなつまらない話はどうでも良くて、


そんなことよりも、


今、この大銀河の端に浮かぶ小さな惑星の上で、


恋人達が再び、ささやかな幸せを未来へとつなぎ始めたこと、


それが大切なのだった。


・・・


2019年10月31日。


地球より。


未来へ。


(おわり)

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