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転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


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36話 王室教師、復帰

 ウェストリア王国の冬は、ことのほか厳しい。


 だが、その寒ささえも心地よく感じられるほど、音瀬奏の毎日は充実していた。


 王立音楽コンクールでの優勝、そしてマリーとの劇的な再会から数日が経ち、街には冬の祝祭を待ちわびる色とりどりの飾りが目立ち始めている。


 奏の生活は、大きく様変わりしていた。


 いや、正確には「元のスローライフに戻りつつ、新しい役割が加わった」と言うべきか。


 そんな奏の、ある穏やかな日々の記録。


   §


 週の初め、ある晴れた朝のこと。


 奏はいつものように『金羊亭』で朝食を済ませると、迎えの馬車には乗らず、徒歩で王宮へと向かった。


 王宮の通用門をパスし、長い回廊を抜けて、「青の塔」と呼ばれる離宮へ。


 そこが、マリー王女の住まいであり、新しい仕事場だった。


「おはようございます、マリー様」


 レッスン室に入ると、すでに準備を整えたマリーが待っていた。


 彼女は奏の姿を見るなり、花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる。


(先生! おはようございます!)


 接触テレパスによる元気な声が、奏の脳内に響く。


 彼女は奏の手を両手で握りしめ、ブンブンと振った。


(今日もいい天気ですね! 先生に会えて嬉しいです! 昨日の夜は先生の夢を見ました!)


 相変わらずのハイテンションだ。


 再会したあの日から、マリーの好意は天井知らずで加速している。


「それは光栄です。……では、さっそく基礎練習から始めようか」


 奏が少し厳しめな口調で言うと、マリーは「はい!」と敬礼のようなポーズをとった。


 レッスンは、以前よりも密度が濃くなっていた。


 マリーには、驚くべき音楽の才能がある。


 耳が良く、一度聴いたメロディは忘れない。そして何より、感情を音に乗せるセンスが抜群だった。


 言葉を持たない彼女にとって、音楽こそが世界と対話する唯一の言語なのだ。


(先生、ここのフレーズ……もっと滑らかに吹きたいんですけど、指が追いつきません)


「ここはね、指の力をもっと抜いて。……こうやって、鍵盤を撫でるように」


 奏が後ろから手を添えて教えると、マリーの頬がみるみる赤くなる。


(ひゃう……っ! せ、先生の息が……耳に……)


 雑念だらけだ。


 だが、いざ楽器を構えると、彼女の瞳は真剣そのものになる。


 フルートの音色が重なる。


 師弟の二重奏。


 窓の外の冬空へ吸い込まれていくそのハーモニーは、王宮の使用人たちの間でも評判になっていた。


 「沈黙の王女」が奏でる、愛の歌だと。


   §


 それから数日後の午後。


 この日は、宮廷楽団の練習場へ足を運んだ。


 「特別講師」としての顔出しだ。


 練習場の扉を開けると、熱気のある音が溢れ出してきた。


 以前のような、バラバラで殺伐とした音ではない。


 未熟だが、一つにまとまろうとする意志のある音だ。


「……そこ! ホルンが遅れてる! もっと僕のブレスに合わせろ!」


 オーケストラの中央、首席フルート奏者の席から怒鳴り声が響いた。


 ベン・フォン・ホフマンだ。


 彼は髪を振り乱し、自席から立ち上がって他のパートに指示を飛ばしている。


 本来なら指揮者の領分だが、気弱なカール指揮者は苦笑いしつつも、ベンの熱意に任せているようだ。


「あら、先生のお出ましよ」


 コンサートミストレスのアメリが、目ざとく奏を見つけて手を振った。


 演奏が止まる。


 団員たちが一斉に奏の方を向き、敬意のこもった眼差しを向ける。


「……ちっ。来たか」


 ベンはバツが悪そうに鼻を鳴らし、ドカッと椅子に座り直した。


 その顔は少しやつれているが、目は以前よりも澄んでいる。


「調子はどう、ベン?」


「悪くない。……いや、最悪だ。こいつら、僕の要求するレベルについてこれないんだ」


 ベンは楽器を磨きながら憎まれ口を叩くが、その表情はどこか楽しげだ。


「でも、お前も随分と柔軟になったじゃない。以前なら『僕に合わせろ』の一点張りだったのに、今は『ブレスに合わせろ』って、呼吸を共有しようとしてる」


 奏が指摘すると、ベンは耳まで赤くしてそっぽを向いた。


「う、うるさい! ……お前の演奏を聴いて、少しは参考にしてやってるだけだ。勘違いするな」


 分かりやすいツンデレだ。


 アメリが後ろでクスクスと笑っている。


「実際、ベンのおかげで緊張感が出たわ。……ゲルマン伯爵が顔を出さなくなったのも大きいけどね」


 休憩時間、アメリがコーヒーを片手に近づいてきた。


 彼女の声が少し低くなる。


「伯爵、最近ずっと引きこもってるのよ。事務局長室に籠もりきりだし、予算の承認も遅れがち。……でも、練習場の空気は変わったわ」


「何か企んでるのかな?」


「さあね。何やら怪しげな業者と打ち合わせばかりしてるけど……。まあ、現場に口出ししてこないだけマシよ」


 少し気になる情報だったが、今の奏にはどうすることもできない。


 奏は楽団員たちにいくつかアドバイスをし、激励の言葉を残して王宮を後にした。


   §


 そして、休息の日。


 奏は王都の喧騒を抜け、ルミナス川のほとりで穏やかな午後を過ごしていた。


 ここが、彼の本当の家であり、安息の地だ。


「おかえりなさーい、カナデ!」


 川辺に近づくと、元気な声が飛んできた。


 シュタインハイム公爵令嬢、ミアだ。


 彼女は今日も今日とて、護衛の目を盗んで遊びに来ているらしい。


「ただいま、ミア。……今日は家庭教師の先生はお休み?」


「ええ。この前のテストで満点を取ったから、ご褒美に外出許可をもぎ取ってきたのよ」


 彼女の足元では、シマリスのチップと白ウサギのミミが、待ちきれない様子で跳ね回っている。


 茶トラ猫のトラは、日向ぼっこをしながら尻尾で挨拶をしてくれた。


 さらに、木陰のベンチには先客がいた。


「……うーん、ここが繋がらないのよね」


 五線譜とペンを持ったソフィアだ。


 彼女はブツブツと独り言を言いながら、譜面と睨めっこをしている。


「作曲?」


「ええ。次の協奏曲の構想なんだけど……第二楽章へのブリッジが決まらないの。あんた、ちょっと何か吹いてみてよ」


 彼女は煮詰まっているようだが、その目は楽しそうだ。


 奏がフルートを取り出すと、どこからともなく騎士たちが現れた。


 ライラ率いる、王宮騎士団第三部隊だ。


 彼らは「警備」という名目で、完全にここを休憩所にしていた。


「待っていたぞ、隊長殿!」


 ライラが芝生の上にシートを広げ、くつろぎの体勢に入る。


 鎧を脱ぎ、私服姿になった彼女は、すっかり「休日のOL」のような雰囲気だ。


「今日は静かな曲で頼む。……最近、デスクワーク続きで肩が凝ってな」


「了解。癒やしコースだね」


 奏は川面に向かって息を整えた。


 穏やかな川のせせらぎ。


 風の音。


 そして、仲間たちの温かい気配。


 フルートが歌い出す。


 即興の、柔らかいワルツ。


 ミアがそれに合わせてステップを踏み、ソフィアが「それだ!」とペンを走らせる。


 ライラは目を閉じ、深い呼吸と共に夢の中へと落ちていく。


 動物たちも、奏の足元に集まって丸くなった。


 平和だ。


 王宮での煌びやかな時間も素敵だが、やはりこの場所こそが、奏にとっての原点であり、帰るべき場所だった。


 一曲吹き終えると、自然と拍手が起きた。


 通りがかりの市民たちも、足を止めて聴き入っていたようだ。


「……やっぱり、あんたの音はここが一番響くわね」


 ソフィアが満足げに伸びをした。


「壁がないからかしら。音がどこまでも飛んでいく感じ」


「うん。僕もそう思う」


 奏はフルートを愛おしそうに撫でた。


 この生活を守るために、王宮入りを断ったのだ。


 その選択は間違っていなかったと、心から思える。


 だが。


 その平穏な空気に、微かなノイズが混じり始めたのは、日が傾きかけた頃だった。


「……ん?」


 昼寝から目覚めたライラが、不審そうに川下の方を睨んだ。


 つられて奏もそちらを見る。


 数百メートルほど下流の岸辺に、数人の男たちの姿があった。


 作業服を着て、何か大掛かりな機材を運んでいる。


 測量機器のようだ。


「何かしら、あれ」


 ミアが首を傾げる。


「護岸工事? にしては、場所が変ね。あそこは自然保護区の境界ギリギリよ」


 男たちは、大きな図面を広げ、川辺を指差しながら何やら話し込んでいる。


 時折、こちらの方をチラチラと見ているような気もした。


 動物たちが、落ち着きなく騒ぎ出した。


 猫のトラが毛を逆立て、低い唸り声を上げる。


 野生の勘が、何か危険なものの接近を告げているのだ。


「……おい、お前たち」


 ライラが立ち上がり、部下の騎士に命じた。


「あいつらの所属を確認してこい。このエリアでの工事など、聞いていないぞ」


「はっ!」


 騎士が駆けていく。


 奏は、胸騒ぎを覚えた。


 アメリの話していた、ゲルマン伯爵の不審な動き。


 そして、突然現れた測量隊。


 無関係とは思えなかった。


 夕日が、川面を赤く染めていく。


 その色は、平和な一日の終わりを告げる美しい茜色であると同時に、これから訪れる波乱を予兆する、不吉な血の色にも見えた。


 奏は無意識にフルートを握りしめた。


 この場所を、この時間を、壊させるわけにはいかない。


 冷たい風が吹き抜け、冬枯れの葦をざわつかせた。


 終わらないはずの休日に、静かに、しかし確実に、暗い影が忍び寄ろうとしていた。


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