表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/43

29話 最強の防衛部隊

 深夜の静寂に包まれた、ソフィアの屋敷。


 その二階、東側にある客間には、音瀬奏が眠っていた。


 窓から差し込む月明かりが、枕元に置かれた黒いフルートを照らし出している。


 奏は無防備に寝息を立てていた。日中の激しい練習の疲れからか、その眠りは泥のように深い。


 その寝顔を見下ろす影があった。


 裏社会の仕事人、「影縫い」だ。


 彼は音もなくバルコニーから侵入し、すでに部屋の中央まで歩を進めていた。


 足音は皆無。呼吸の音さえ消している。


 (……チョロいもんだ)


 影縫いは覆面の下で冷笑した。


 警備の騎士もいなければ、魔法による結界もない。


 ただの無防備な貴族の屋敷だ。


 彼は懐から、すり替え用の「偽のフルート」を取り出した。


 見た目は精巧に模倣されているが、中身はスカスカの粗悪品。これを本番で吹けば、音程は狂い、奏者の評価は地に落ちる。


 影縫いは、ゆっくりと手を伸ばした。


 ターゲットは、テーブルの上にある本物のフルート。


 あと数センチ。


 指先が黒い管体に触れようとした、その瞬間だった。


 闇の底から湧き上がるような、低く、震える音が室内に満ちた。


 影縫いは反射的に手を止め、周囲を探った。


 何かがいる。


 人間ではない。もっと原始的で、鋭利な殺気を持った何かが。


 テーブルの下。


 暗闇の中で、二つの金色の光が灯った。


 次の瞬間、金色の光が軌跡を残して跳ね上がった。


 影縫いが反応する間もなく、彼の手首に鋭い痛みが走る。


 革手袋ごと皮膚を切り裂かれた感触に、彼は思わず声を漏らしそうになり、慌てて飲み込んだ。


 テーブルの上に、一匹の茶トラ猫が着地していた。


 トラだ。


 だが、普段の愛らしい姿はそこにはない。


 全身の毛を逆立て、瞳孔を極限まで開き、筋肉を鋼のように強張らせている。


 それは、街の片隅で生きる愛玩動物ではなく、自然界の頂点に立つ捕食者の姿だった。


 影縫いは舌打ちをした。


 たかが猫一匹。驚かせやがって。


「どけ、野良猫。痛い目にあいたくなけりゃあな」


 彼は短剣を抜き、威嚇するように切っ先を向けた。


 普通の動物なら、金属の匂いと殺気を感じて逃げ出すはずだ。


 だが、トラは引かなかった。


 むしろ、獲物を狩る猛獣のように身を低くし、飛び掛かる機会を窺っている。


 影縫いが一歩踏み出した瞬間、トラの姿が掻き消えた。


 速い。


 人間の動体視力を遥かに超える速度で、トラは壁を蹴り、影縫いの死角へと回り込んでいた。


 背後からの衝撃。


 首筋に熱い痛みが走る。


 影縫いは振り払おうとしたが、トラの爪は深く服と肉に食い込み、離れない。


 猫科の動物特有の、一度捕らえた獲物を逃さない執拗な攻撃。


 鋭利な牙が肩口に突き立てられ、影縫いは苦悶の表情を浮かべた。


「ぐっ……! このっ……!」


 影縫いは壁に背中を打ち付け、ようやくトラを引き剥がした。


 だが、着地したトラは体勢を崩すこともなく、即座に次の跳躍姿勢に入っている。


 その目には、人間に対する恐怖など微塵もない。あるのは、侵入者を排除するという冷徹な意志のみ。


 プロの暗殺者である自分が、たかが小動物に圧されている。


 恐怖にも似た焦りが、影縫いの理性を揺さぶり始めた。


 異変はそれだけではなかった。


 頭上から、何かが降り注いだ。


 硬質な打撃音が連続して響く。


 カーテンレールの上に並んだ数匹のシマリスのチップが、頬袋からドングリを連射していたのだ。


 まるで訓練された投石兵のように、正確に影縫いの顔面を狙っている。


 さらに、足元に衝撃が走る。


 ベッドの下から飛び出した白ウサギのミミが、弾丸のような速度で脛に体当たりを食らわせたのだ。


 視界を奪われ、足元を崩され、そこへ再びトラが襲いかかる。


 今度は顔面だった。


 覆面の上からでも分かる、肉が裂ける感触。


 影縫いの口から、ついに悲鳴が漏れた。


 もはや仕事どころではない。


 この部屋は、小動物たちの巣窟などではない。


 奏を守るために組織された、最強の防衛部隊の要塞だったのだ。


 その騒ぎで、ようやく奏が目を覚ました。


「ん……? トラ? 何してるの……うわっ!?」


 起き上がった奏の目に飛び込んできたのは、部屋の中で暴れる黒ずくめの男と、それを一方的に蹂躙する動物たちの姿だった。


「誰ですか!?」


 奏が叫ぶ。


 見つかった。


 影縫いは血走った目で奏を睨んだ。


 顔中傷だらけになりながら、彼は標的を変更した。


 楽器のすり替えは失敗だ。ならば、口封じをして強引に奪うしかない。


「悪く思うなよ、兄ちゃん!」


 影縫いはトラを短剣で牽制しながら、奏に躍りかかった。


「あっ……!」


 奏は動けなかった。


 平和な日本で育った彼に、殺意を持った暴力をかわす術はない。


 刃が迫る。


 その時。


 轟音と共に、バルコニーの窓ガラスが粉々に砕け散った。


 飛び散る破片の中、月光を背に現れたのは、燃えるような赤髪の女騎士だった。


 王宮騎士団長、ライラ・フォン・ベルンシュタイン。


 彼女は抜刀するやいなや、目にも止まらぬ速さで踏み込み、影縫いの持つ短剣を弾き飛ばした。


 金属音が響き、凶器が宙を舞う。


「そこまでだ、下種げす野郎」


 ライラは切っ先を影縫いの喉元に突きつけ、氷のように冷たく告げた。


「なっ、騎士団長!?」


 影縫いの目が驚愕に見開かれる。


 なぜここにいる?


 警備はいないはずだった。屋敷の周囲は確認したはずだ。


「お前、私の勘を甘く見るなよ」


 ライラの瞳が、怒りで燃え上がっていた。


「胸騒ぎがしてな。屋敷の外で張り込みをしていたのだ」


 実は、ライラは昨日の会議で警備を却下された後も、どうしても不安が拭えずにいた。


 そこで、非番を利用して個人的に屋敷の近くで待機していたのだ。


 すると、数分前。


 一羽の水鳥――スイが、ライラの元へ飛んできた。


 スイは必死に鳴き声を上げ、屋敷の二階を指し示すように飛び回った。


 それを見たライラは確信したのだ。


 『何かが起きている』と。


「動物たちに感謝するんだな。彼らが知らせてくれなければ、貴様を斬り捨てていたところだ」


 ライラの背後から、騒ぎを聞きつけたソフィアとマーサ、そして泊まり込んでいたミアが駆け込んでくる。


 部屋の惨状を見て、彼女たちは絶句した。


 割れた窓ガラス、散乱したドングリ、そして血まみれになって取り押さえられた侵入者。


 その男の周りを取り囲むように、トラを筆頭とする動物たちが、未だ警戒を解かずに唸り声を上げている。


「……ライラの言った通りだったわね」


 ソフィアが青ざめた顔で呟いた。


「ええ。まさか、本当に襲ってくるなんて……」


 ミアも震えている。


 奏は、呆然としながらも、足元に擦り寄ってきたトラを抱き上げた。


 トラは先ほどまでの修羅の形相が嘘のように、奏の腕の中で甘えた声を上げている。


「みんな、助けてくれたんだね……ありがとう」


 奏が撫でると、トラは誇らしげに喉を鳴らし、チップは肩に乗って胸を張った。


   §


 その後、影縫いは駆けつけた騎士団員たちによって連行された。


 全身傷だらけの彼は、騎士団に捕まったことよりも、あの猫から解放されたことに安堵しているようだった。


 現場検証の結果、床に落ちていた「偽のフルート」が発見された。


「……なるほど。楽器のすり替えが目的だったか」


 ライラが偽物を手に取り、忌々しげに吐き捨てた。


「盗むのではなく、音の出ない楽器を握らせて、本番で恥をかかせる……。なんとも陰湿な手口だ」


 それを聞いたソフィアは、怒りで眼鏡を曇らせた。


「許せない。音楽家にとって、楽器は命よりも重いものよ。それを……こんなガラクタとすり替えようとするなんて!」


 彼女は偽のフルートを床に叩きつけようとしたが、奏がそれを止めた。


「待って、ソフィアさん。……これは証拠になります」


 奏の声は静かだったが、その瞳には珍しく強い光が宿っていた。


 彼は自分の黒いフルートを強く握りしめた。


「僕を負かしたいなら、演奏で勝負すればいい。でも、楽器を傷つけたり、僕の友達どうぶつたちを危険な目に合わせたりするのは……絶対に許しません」


 いつも温厚な奏が見せた、静かな怒り。


 それは、彼が「戦う覚悟」を決めた瞬間だった。


「犯人の背後関係は、私が必ず吐かせる」


 ライラが誓うように言った。


「おそらくゲルマン伯爵の差し金だろうが、証拠がなければ手出しはできない。だが、この男を尋問すれば糸口は掴めるはずだ」


 ライラは奏に向き直り、深々と頭を下げた。


「すまなかった、カナデ。私の警備が甘かったせいで、怖い思いをさせた」


「いいえ、ライラさんが来てくれなかったら、どうなっていたか……。本当にありがとうございます」


 奏は微笑んだ。


「そうよ。ライラがいなきゃ、カナデは刺されてたかもしれない。……感謝するわ、ライラ」


 ソフィアも素直に礼を言った。


「ふん。礼には及ばん。私は私の役目を果たしただけだ」


 ライラは照れくさそうに顔を背け、剣を鞘に納めた。


「悪しきを挫き、弱きを助ける。それが騎士の――」


「あら、そういえばライラ」


 ソフィアが冷ややかな声で呼び止めた。


「ん? なんだ?」


「さっき、あんたが派手に登場した時……窓ガラス、どうなったか覚えてる?」


 ソフィアが指差した先。


 バルコニーへと続く大きな窓は、見るも無惨に粉砕され、寒風が吹き込んでいた。


「あ……」


 ライラの動きが凍りついた。


「侵入者を捕まえたのはお手柄だけど……。あれ、特注の防音ガラスなのよね。職人を呼んで、枠ごと交換しないといけないわ」


 ソフィアは眼鏡の奥の瞳を光らせ、にっこりと微笑んだ。


「請求書、騎士団に回していいのかしら? それとも、ベルンシュタインじっか?」


「ま、待てソフィア! あれは緊急避難というか、正当な突入行動で……!」


「あら、窓を割らなくても鍵を開けて入ればよかったんじゃない? あんたの怪力ならノブくらい壊せたでしょうに」


「うぐっ……」


 正論だった。


 かっこよく登場したいという下心がなかったと言えば、嘘になる。


「べ、弁償する……。私の給料から……」


 ライラはガックリと肩を落とした。


 王宮騎士団長の給料は決して安くはないが、特注ガラスの値段を考えると、向こう数ヶ月は「塩とパン」の生活になりそうだった。


「ふふっ、ライラさんらしいですね」


 奏がクスクスと笑うと、ミアもアメリも吹き出した。


 緊迫していた空気が、一気に和らいでいく。


   §


 騒動が落ち着いた後。


 奏はバルコニーに出た。


 足元には、砕け散ったガラスの破片がキラキラと光っている。

 

 庭の木々には、まだ興奮冷めやらぬ動物たちの気配があった。


 彼らは奏を守りきった満足感に浸りながら、それぞれの巣へと戻ろうとしていた。


「みんな、ありがとう」


 奏が心の中で語りかけると、木々のざわめきが返事をしているように聞こえた。


 奏は夜空を見上げた。


 月は高く、冴え冴えと輝いている。


 敵は、本気だ。


 手段を選ばず、奏を潰しに来ている。


 その事実は怖かった。


 けれど、今の奏には恐怖以上に、支えてくれる仲間たちの存在が心強かった。


 ソフィア、ミア、アメリ。


 不器用ながらも命がけで守ってくれたライラ。


 そして、小さな最強の騎士である動物たち。


 負けられない。


 奏は改めて思った。


 自分のためだけではない。


 みんなの想いを守るために、最高の演奏をして、必ず勝つ。


 そして、遠い王宮にいるマリーにも、この音を届けるのだ。


    §


 翌朝。


 報告を受けたゲルマン伯爵の執務室では、高価な壺が壁に投げつけられ、粉々に砕け散っていた。


「失敗だと……!?」


 伯爵の怒声が響く。


「は、はい……。影縫いは捕縛されました。なんでも、屋敷の中に『猛獣』がいたそうで……」


「猛獣? 王都の真ん中にそんなものがいるわけがないだろう!」


 伯爵は秘書を怒鳴りつけた。


「ええい、役立たずどもめ! こうなれば……」


 伯爵の目が、狂気じみた光を帯びる。


「本選の舞台そのものを、奴の処刑場に変えてやる」


 小細工が通じないなら、権力という暴力でねじ伏せるまで。


 伯爵の最後の悪あがきが始まろうとしていた。


 それが、自らの破滅を招く引き金になるとも知らずに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださってありがとうございます!
面白いと思ったらブックマーク・ポイント評価等
応援をしてくださると嬉しいです!
よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ