表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/43

27話 予選開幕

 ウェストリア王国の王都に、冬の足音が近づく季節。


 王立音楽院の小ホールは、異様な緊張感に包まれていた。


 王立音楽コンクール、予選審査会。


 華やかな本選とは異なり、ここは一般客の立ち入りが制限された、プロによるプロのための選別の場だ。


 客席に座るのは、十名の審査員と、出番を待つ参加者、そして一部の招待客のみ。


 その張り詰めた空気が、参加者たちの胃を締め上げていた。


 舞台袖の控室。


 ここもまた、葬列のような重苦しい沈黙が支配していた。


 そんな中、異彩を放つ一団がいた。


 周囲の視線を一身に集めているのは、音瀬奏だった。


 彼が身にまとっているのは、先日ミアが仕立てた特注の衣装だ。


 白のシルクシャツに、深い藍色のベストとパンツ。ゆったりとした袖と裾は、歩くたびに優雅なドレープを描く。


 この国では見慣れない、どこか異国の風を感じさせる独特な意匠。


 そして何より、ベストの背中と胸元に銀糸で刺繍された「シュタインハイム公爵家」の紋章が、薄暗い袖でも鈍く光っていた。


「……なんだ、あの格好は」


「公爵家の紋章……? 彼が噂の?」


 周囲の参加者たちがヒソヒソと囁き合う。


 奏自身は、その視線に居心地悪そうに身を縮こまらせていたが、背後には頼もしすぎる応援団が控えていた。


「背筋を伸ばせ、カナデ。敵に弱みを見せるな」


 王宮騎士団長のライラだ。今日は非番を取り、私服姿で腕を組んで仁王立ちしている。


「そうよ。その紋章に泥を塗ったら、お父様になんて言い訳していいか分からないんだから」


 公爵令嬢のミアも、扇子で口元を隠しながら発破をかける。


「二人とも、ここはお静かに。審査員に聞こえますよ」


 宮廷楽団のアメリが、人差し指を立てて二人をたしなめる。


 三人のヒロインに見守られ、奏は小さく深呼吸をした。


 その時だった。


 関係者席へと続く通路から、冷ややかな視線が飛んできた。


「フン。予選という泥仕合には、お似合いの雰囲気だな」


 黄金のフルートを手にした金髪の青年、ベン・フォン・ホフマンだ。


 彼は予選免除の特権を持っているため、今日は高みの見物を決め込んでいたのだ。


「ベン……」


「奇抜な衣装で誤魔化そうとしても無駄だぞ、平民。ここは審査員が絶対の場だ。小手先の芸など通用しない」


 ベンは奏の衣装を見て鼻で笑った。


「せいぜい、厳格な審査員たちの前で赤っ恥をかかないことだな」


 彼は捨て台詞を残し、審査員席の後ろにある特別席へと消えていった。


「……感じ悪いわね」


 ミアがむくれるが、奏は不思議と落ち着いていた。


 ベンの言葉は、どこか自分自身に言い聞かせているように聞こえたからだ。


「……行きましょう、カナデ」


 声をかけたのは、それまで壁際で黙って精神統一をしていたソフィアだった。


 彼女もまた、今日は正装だ。


 いつものボサボサ髪は綺麗に結い上げられ、漆黒のベルベットのドレスが、彼女の白い肌と知的な美貌を引き立てている。


「ええ。行きましょう、ソフィアさん」


 二人は視線を交わし、頷き合った。


   §


 事務的なアナウンスが響き、二人はステージへと歩み出した。


 『エントリーナンバー42番。フルート、オトセ・カナデ。ピアノ、ソフィア・ツー・ロイス』


 冷たい照明。


 がらんとした客席。


 そして、机に書類を積み上げ、眼鏡の奥から鋭い視線を向ける審査員たち。


 奏たちが姿を現した瞬間、審査員たちの手が止まった。


 見慣れない衣装。


 そしてピアノの前に座るのは、かつて神童と呼ばれながら表舞台から消えた『鍵盤の魔女』ソフィア。


 審査員長である老教授が、眉をひそめて眼鏡の位置を直した。


 無言の圧力が、ステージ上の二人にのしかかる。


 だが、奏は動じなかった。


 彼はステージの中央に立ち、黒い木製のフルートを構えた。


 ソフィアがピアノの前に座り、鍵盤に手を置く。


 合図はない。


 呼吸一つで、二人の世界が始まった。


 『天の踊り子』。


 その曲は、アカデミックなこの場の空気を一瞬で凍りつかせる、不穏で神秘的な和音から始まった。


 カリカリと音を立てていた審査員たちのペンが、一斉に止まる。


 重厚なピアノの低音が、大地の鼓動のように響く。


 そこに、奏のフルートが入る。


 それは、風の音だった。


 しかし、教則本にあるような綺麗な音ではない。遠い異国の、霧深い山奥から吹き下ろす、神聖な風。


 この世界には存在しない独特の音階。


 半音を含んだ浮遊感のある旋律。


 解決しない和音。


 意図的に作られた「間」。


 審査員長が、呆気にとられたように口を半開きにした。


 なんだ、これは。


 楽典のルールから逸脱している。


 不協和音ギリギリの響き。だが、なぜこれほどまでに耳に残るのだ。


 曲は、静寂の導入部から、徐々に熱を帯びていく。


 巫女が鈴を鳴らして舞うような、煌びやかな中盤へ。


 ソフィアのピアノが、正確無比なリズムで変拍子を刻む。


 そこに奏のフルートが、自由自在に絡みつく。


 装飾音符を多用し、ピッチを揺らし、生き物のようにうねる音。


 黒いフルートが、照明を吸い込んで鈍く輝く。


 その音色は、物理的な空気の振動を超え、狭いホールの空気を震わせていた。


 審査員席に、動揺が走る。


 ある者は顔をしかめ、ある者は身を乗り出し、ある者はペンを握りしめて震えている。


 そして、クライマックス。


 循環呼吸による、終わらない旋律の奔流。


 地を這う低音から、一気に三オクターブ上の超高音へと駆け上がる。


 天岩戸が開く。


 光が溢れ出す。


 強烈な最後の和音が叩きつけられ、フルートの残響が天井へと吸い込まれていく。


 演奏終了。


 ……シーン。


 完全な静寂が、ホールを支配した。


 だが、それは感動による静寂ではなかった。


 混乱だった。


「……なんだ今の曲は」


 審査員の一人が呟いたのを皮切りに、審査員席がざわつき始めた。


「和声進行が滅茶苦茶だ! 解決していないじゃないか!」


「いや、しかしあの技巧……循環呼吸をあそこまで完璧に使いこなすとは」


「音が汚い! あんな風のような音、クラシックではない!」


「何を言う! あれこそが新しい表現だ! 私は鳥肌が立ったぞ!」


 議論が始まった。


 いや、それは口論に近かった。


 保守的な審査員たちは顔を真っ赤にして否定し、革新的な審査員たちは熱弁を振るって擁護する。


 舞台袖のライラたちが、不安そうに顔を見合わせる。


「……どういうことだ? 揉めているのか?」


「賛否両論……って感じね」


 アメリが厳しい表情で呟く。


 関係者席のベンは、その様子を見てニヤリと笑った。


「見ろ。やはりダメだったな。あんなゲテモノ、格式あるコンクールで認められるはずがない」


 ステージ上の奏とソフィアは、そんな騒ぎを静かに見下ろしていた。


 不安そうな表情はない。


 むしろ、ソフィアの口元には微かな笑みさえ浮かんでいた。


   §


 結果発表までの時間は、永遠のように長く感じられた。


 審査員室からは、怒鳴り合うような声さえ漏れ聞こえていたという。


 そして、ついに結果がホールの掲示板に張り出された。


 王立音楽コンクールの伝統として、合格者の名前だけでなく、審査員からの「寸評」が全員分公開されるのだ。


 人だかりをかき分け、奏たちが掲示板の前に立つ。


 ずらりと並んだ参加者たちの講評。そのほとんどは、簡潔なものだった。


 『基礎技術は安定しているが、表現力に欠ける』

 『選曲ミス。自身の技量に見合っていない』

 『可もなく不可もなく。個性が薄い』


 淡々とした、数行のコメント。


 だが、そのリストの中で、一つだけ異彩を放っている箇所があった。


 エントリーナンバー42番。オトセ・カナデ。


 その欄だけ、文字が枠からはみ出しそうなほど書き込まれていたのだ。


 『既存の音楽理論に対する冒涜である。和声の解決を放棄した構成は不快極まりない(審査員A)』

 『いや、これこそが新時代の幕開けだ。未だかつてない音響体験(審査員B)』

 『技術は超一流だが、音楽性が野蛮すぎる。品位に欠ける(審査員C)』

 『魂を揺さぶられた。満点以外ありえない(審査員D)』

 『評価不能。だが、無視することもできない』


 絶賛と酷評。


 真っ二つに割れた意見が、そのまま羅列されている。


 そして、備考欄には審査員長による総評が赤字で記されていた。


 『審査員の間で激しい議論となったが、奏者の圧倒的な技術と独自の世界観を鑑み、その真価を問うため、本選への出場を許可する』


 結果は、『通過』。


 控室に戻った奏とソフィアを、ヒロインたちが迎える。


「よかった……! 通過よ、カナデ!」


 ミアが胸を撫で下ろす。


「ヒヤヒヤさせやがって。だが、こんな講評、初めて見たぞ」


 ライラが掲示板の方を振り返りながら苦笑する。


 しかし、当の奏とソフィアは、顔を見合わせてニヤリと笑った。


「予想通り、ですね」


「ええ。むしろ、上出来よ」


 二人の反応に、アメリが目を丸くする。


「ちょっと、あんたたち。半分は悪口よ? 喜んでるの?」


 ソフィアは眼鏡の位置を直し、誇らしげに胸を張った。


「当たり前でしょう。芸術において、一番の失敗は『無関心』よ。『綺麗でしたね』で終わる演奏なんて、毒にも薬にもならない。これだけ議論を巻き起こしたなら、それは私たちの勝ちよ」


「賛否が分かれたということは、それだけ審査員の心に爪痕を残したということです」


 奏も力強く頷く。


「新しい音楽というのは、いつだって最初は否定されるものですから。僕たちが作った『天の踊り子』は、それだけ革新的だったという証明です」


 二人の目には、一点の曇りもなかった。


 異例の講評、割れる評価。


 それら全てが、彼らにとっては勲章であり、勝利宣言だったのだ。


「……なるほどな。変人同士、気が合うわけだ」


 ライラが呆れたように、しかし感心したように息を吐く。


 一方、廊下の陰では。


 ベンが信じられないものを見る目で、掲示板を睨みつけていた。


「通過……だと?」


 ギリリ、と歯ぎしりの音がする。


「あんな……あんな騒音を、本選に出すというのか? 『冒涜』と書かれているじゃないか! 審査員たちは正気か!?」


 許せなかった。


 自分の信じてきた「正解」の音楽とは真逆の、異質な存在が認められたことが。


 そして何より、他の参加者たちが数行のコメントで片付けられている中で、あの平民だけがこんなにも多くの言葉を費やされ、注目されているという事実が、ベンには耐え難かった。


「……認めない。僕は絶対に認めないぞ」


 ベンは黄金のフルートを握りしめ、憎悪のこもった目で奏たちの控室を睨んだ。


「本選で思い知らせてやる。本物の音楽とは、高貴で、完璧で、誰からも文句の出ないものだということを!」


 彼は荒々しい足取りでその場を去っていった。


 奏は、窓の外を見た。


 王都の空には、厚い雲がかかり始めている。


 予選は突破した。


 だが、それは単なる通過点ではない。


 「新しい音楽」と「古い権威」との、全面戦争の幕開けだった。


「……行こう、次へ」


 奏は黒いフルートを握りしめた。


 その温もりが、彼に「間違っていない」と告げているようだった。


 賛否両論の嵐を巻き起こし、異端のコンビは本選へと駒を進める。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださってありがとうございます!
面白いと思ったらブックマーク・ポイント評価等
応援をしてくださると嬉しいです!
よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ