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転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


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24話 新曲『天の踊り子』

 コンクール本番まで、残り二ヶ月。


 王都の高級集合住宅にあるソフィアの部屋は、重苦しい停滞感に包まれていた。


 床には、書き損じの五線紙が散乱している。


 その中心で、ソフィアはピアノの鍵盤に突っ伏していた。


「……ダメ。これじゃない」


 彼女の絞り出すような声が、静寂に落ちる。


「技術的には完璧よ。和声の進行も、対位法の処理も、文句のつけようがない。……でも、それだけ」


 ソフィアが顔を上げる。その瞳には濃い疲労の色が滲んでいたが、奥底にある炎だけは消えていなかった。


 ここ数日、二人は新曲の構想を練り続けていた。


 しかし、どれだけ書いても、ソフィア自身が納得できないのだ。


「私の求めているのは、もっとこう……この国の常識的な音楽理論を根底から覆すような、異質な『美』なのよ! ベン・フォン・ホフマンを黙らせるには、ただ上手いだけじゃ足りない。聴く者の魂を震わせる、圧倒的な世界観が必要なの!」


 彼女は苛立ちを露わにし、自身の髪をかきむしった。


 既存の枠組みの中での「最高」では満足できない。彼女が欲しているのは、革命だった。


 奏はフルートを磨きながら、静かに口を開いた。


「少し、休憩しませんか? 根を詰めすぎると、新しいアイデアも降りてきませんよ」


「休憩なんてしてる暇はないわ! あんたも悠長にしてないで、何か刺激を出しなさいよ! 私の脳みそを揺さぶるようなやつを!」


 八つ当たりのような言葉だが、奏は怒らなかった。彼女の苦しみは、産みの苦しみそのものだからだ。


「刺激、ですか……。じゃあ、少し気分を変えてみましょうか」


 奏は立ち上がり、窓辺へと歩いた。


 厚いカーテンを少し開ける。


 ガラス越しに、王都の夜景が見えた。ガス灯の明かりが揺らめき、遠くには王宮のシルエットが浮かんでいる。


 そしてその上には、満天の星空と、青白い月。


 奏は目を閉じ、故郷の日本で見た月を思い浮かべた。


 遠い異世界の地で、同じ月を見上げている。ふと、強烈な望郷の念が胸を去来した。


 静謐な神社の境内。夜風に揺れる木々のざわめき。そして、神楽殿で舞う巫女の姿。


 奏は自然とフルートを構えた。


 その瞬間、不思議なことが起きた。


 窓から差し込む青白い月光が、まるで吸い寄せられるように奏の手元へ集まったのだ。


 漆黒の木製フルートが、光を飲み込み、管体の内側から微かに紫色の燐光を放ち始める。


 まるで、主の「想い」に呼応して、楽器そのものが呼吸を始めたかのように。


 奏は静かに息を吹き込んだ。


 指が選んだのは、この世界の明るい長調や悲しい短調とも違う、もっと深く、神秘的な旋律だった。


 風のような音が漏れる。


 あえて音を濁らせ、装飾音で揺らぎを加える。


 奏で始めたのは、異国(日本)の古典音楽をモチーフにした即興演奏だった。


 「陰音階(都節音階)」と呼ばれる、半音を含んだ独特の五音階。


 半音のぶつかり合いが生む緊張感と、そこから生まれる幽玄な響き。


 この世界の音楽が重視する「解決」を拒み、永遠に漂うような旋律。


 黒いフルートが震える。


 その振動は、物理的な空気の揺れを超えていた。


 微かな光の粒が音と共に放出され、部屋の空気を浄化していくような、不思議な圧力が生まれている。


 静寂の中に、糸を引くような音が伸びていく。


 それは華やかさとは無縁の、雅楽のような荘厳さと、どこか恐ろしさすら感じるほどの「みやび」な響きだった。


 ソフィアの指が、ピクリと止まった。


 彼女はゆっくりと顔を上げ、背後の奏を凝視した。


 その目は、奏だけでなく、彼が持つ「楽器」に釘付けになっていた。


「……何、その音階スケール? それに、その楽器……」


 彼女の表情から、苛立ちが消えていた。代わりに浮かんでいるのは、純粋な驚愕と探究心。


「ただの木管じゃない……。倍音が異常よ。空間そのものを共鳴させている? 短調に似ているけれど、違う……。この不安定な緊張感……まるで、闇の中から光が差し込むような……」


 ソフィアは独り言を呟きながら、ピアノに向き直った。


 彼女の指が、鍵盤の上を走る。


 奏のフルートが出した音を拾い、分析し、和音を当てはめようとする。


 しかし、いつもの機能和声がハマらない。


 ありきたりな解決という定石が、この高貴な旋律にはあまりに俗っぽく感じられるのだ。


「解決しない……。でも、美しい。何なの、この異国の響きは」


 ソフィアの目が、狂気と歓喜でギラギラと輝き始めた。


「ねえカナデ! その旋律、もっと続けて! その奇妙な『間』も、揺らぎも、全部そのまま!」


「ええ、いいですよ」


 奏は頷き、今度は少し息の圧力を変えた。


 黒いフルートがさらに強く脈打ち、音が光の帯となって広がる。


 神楽舞のように、静から動へ。


 ゆったりとした導入から、すずを鳴らして舞うような、細かく煌びやかなパッセージへと移行する。


 ソフィアが叫んだ。


「これよ! 私が探していたのは、この『聖なる響き』よ!」


 彼女は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、新しい五線紙を鷲掴みにした。


「カナデ、あんたのその神秘的な旋律を、私のピアノで支える。この国の堅牢な構造と、その異国風な叙情を融合させるの。……誰も聞いたことのない、新しい調和が生まれるわ!」


 彼女の手が、猛烈な勢いで譜面を書き殴り始めた。


   §


 そこからの三日間は、まさに地獄のような修羅場だった。


 ソフィアは不眠不休でペンを走らせた。


 奏もまた、彼女の要求に応えて「異国の音」を引き出し続けた。


 窓の外では、夜が明け、日が昇り、また夜が訪れる。


 時間の感覚などとうに消え失せていた。


 食事はメイドのマーサが運んでくるサンドイッチを、片手でつまむだけ。


 会話は最小限。しかし、密度は濃かった。


「ここの伴奏、アルペジオじゃ軽すぎる。もっと重厚に、鐘を打つような和音で」


「じゃあ、フルートは低音で地を這うように入ります。そこから一気にオクターブ跳躍して、天へ抜けるように」


「いいわ! 重力からの解放! それがテーマよ!」


 距離が、消滅していた。


 ピアノの椅子に二人で並んで座り、一つの楽譜を覗き込む。


 互いの呼吸が、体温が、思考が、溶け合って混ざり合う感覚。


 奏の髪がソフィアの頬をくすぐり、ソフィアの指先が奏の腕に触れる。


 しかし二人は気にする様子もない。


 それは、恋人同士の営みよりも濃密で、魂の奥底で結ばれた共犯関係だった。


 異世界の神秘と、この世界の技巧の融合。


 そして、黒いフルートが持つ魔力的な響き。


 二人でなければ決して辿り着けなかった境地。


 そして――三日目の午後。


 窓から差し込む陽光が、部屋いっぱいに広がっていた。


 眩しいほどの昼下がり。


 ソフィアが最後の一音を書き終え、ペンを放り投げた。


 乾いた音が床に響く。


 彼女は肩で息をしながら、完成したばかりの譜面を両手で持ち上げた。


 インクがまだ乾いていない。黒い音符の羅列が、まるで生き物のように躍動している。


「……できた」


 ソフィアの声が震えていた。


「これよ。これこそが、私の……私たちの革命歌よ」


 彼女は譜面を奏に突き出した。


 一番上には、走り書きでタイトルが記されていた。


 『天の踊り子(Tänzerin des Himmels)』


 それは、優雅さと荘厳さを兼ね備えた、世界で唯一の協奏曲。


 前半は、異国の宮廷音楽を思わせる悠久の時を感じさせる導入部。


 中盤は、巫女が鈴を鳴らし、袖を翻して舞うような、華麗で神秘的な変奏。


 そして後半は、天岩戸が開くかのような、圧倒的な光に満ちたクライマックス。


「これを演奏できるのは、この世界で私とあんただけだわ」


 ソフィアは断言した。


 目の下には濃い隈ができ、髪はボサボサだが、その顔には勝利を確信した女神のような笑みが浮かんでいた。


「勝てるわ。ベン・フォン・ホフマンだろうが、宮廷楽団だろうが、まとめてなぎ倒せる」


「はい。……すごい曲です、これ」


 奏もまた、興奮で胸を熱くしていた。


 故郷の神聖な空気が、ソフィアの手によってこんなにも素晴らしい芸術作品に昇華されたのだ。


 この曲を吹く自分を想像するだけで、指先が痺れるようだ。


「ありがとう、カナデ。あんたがいなきゃ、この曲は生まれなかった」


 感極まったソフィアが、衝動的に奏に抱きついた。


「わっ、ソフィアさん!?」


「うるさい、黙って抱きしめられてなさいよ。……今は、この達成感を分かち合いたいの」


 彼女は奏の胸に顔を埋め、子供のように強くしがみついた。


 三日三晩の不眠不休。極限状態のテンションと疲労、そして歓喜が、彼女の理性のタガを外させていた。


 奏も苦笑しながら、彼女の華奢な背中に手を回す。


 戦友への労りと、感謝を込めて。


   §


 部屋の空気が一変したのは、その時だった。


 控えめなノックの音が響き、メイドのマーサが扉を開けた。


「お嬢様、お客様がお見えです。……三日ぶりにお部屋の鍵が開いておりましたので、そのままお通ししてしまいましたが」


 マーサが困ったように、しかし口元に微かな笑みを浮かべて言う。


 その背後から、三人の女性が姿を現した。


 王宮騎士団長のライラ。


 宮廷楽団のアメリ。


 そして、シュタインハイム公爵令嬢のミアだ。


 三人は、差し入れの昼食や果物を手に、音信不通になっていた「合宿所」の様子を見に来たのだった。


 そして、見てしまったのだ。


 昼下がりの明るい日差しの中、散乱した楽譜の山の上で、ピアノ椅子に座ったまま、熱く抱擁し合う奏とソフィアの姿を。


 沈黙が落ちた。


 時間が凍りついたようだった。


「あら……」


 最初に反応したのは、メイドのマーサだった。


 彼女は手にしたトレイを持ち直しながら、感心したように目を細めた。


 (お嬢様……ついにやりましたね)


 そんな、主人を温かく見守るような声色だった。


「ほう……」


 次に声を漏らしたのは、アメリだ。


 彼女はニヤリと口角を上げ、面白がるような視線を二人に送った。


 (偏屈な魔女と、天然の笛吹き。……まさか、こんな化学反応を起こすとはね)


 興味深い実験結果を見た学者のような響きだ。


 そして――。


「な、なにしてんのよ!! 離れなさいッ!!」


 静寂を引き裂く、ミアの絶叫が響いた。


 彼女は顔を真っ赤にして、バスケットを放り出し、地団駄を踏んだ。


 その目は涙目になっている。大好きな兄のような存在が、目の前で知らない女性に取られている。直球の嫉妬と怒りだった。


 その一方で。


 一番深刻な反応を示したのは、ライラだった。


「え……」


 燃えるような赤髪の女騎士は、その場に立ち尽くしていた。


 手にした紙袋が、音もなく床に滑り落ちる。


 言葉が出なかった。


 怒りでも、呆れでもない。


 ただ、目の前で完成されている「二人の世界」を見せつけられ、思考が停止してしまったのだ。


 あの偏屈で人嫌いな「魔女」ソフィアが、あんなにも無防備に、女の顔をして奏に甘えている。


 そして奏も、それを自然に受け入れている。


 二人の間に流れる、極限状態を共有した者だけが持つ、濃密で絶対的な空気。


 そこには、自分が入る隙間など1ミリもないように見えた。


 ズキリ、と胸が痛む。


 剣で斬られた傷よりも深く、鋭い痛み。


 嫉妬と混乱で、ライラの頭の中は真っ白になっていた。


「……あ」


 奏がようやく気づき、慌ててソフィアから離れようとするが、ソフィアはまだ夢見心地で離さない。


 むしろ、奏の首に腕を回し、その匂いを吸い込むように密着している。


「え、えーっと……これは、その、曲が完成して……!」


 奏がしどろもどろに言い訳をする。


 しかし、その言葉は誰の耳にも届いていないようだった。


 ミアは今にも飛びかかりそうな勢いで詰め寄り、アメリは楽しげに肩を震わせ、ライラは魂が抜けたように立ち尽くしている。


 窓の外では、雲間から射した光が、混乱する室内を静かに照らし出していた。


 新曲は完成した。


 だがその先に待つのは、コンクールという舞台だけではなさそうだった。


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