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転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


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10話 川辺の晩餐会と招かれざる客

 王都の大市場での買い出しを終え、音瀬奏とライラがルミナス川のほとりに戻ってきた頃には、太陽は少し西に傾き始めていた。


 二人の手には、食料がぎっしりと詰まった大きな紙袋。


 特にライラが持っている袋はずしりと重く、普通の女性なら持ち上げることすら困難な量だが、彼女は涼しい顔で運んでいる。その頼もしい姿は、やはり可憐な令嬢というよりは、優秀な騎士のそれだった。


「ただいま、みんな。お腹空いたでしょ?」


 奏が声をかけると、茂みの奥や木の上から、待ちわびていた「家族」たちが一斉に姿を現した。


 シマリスのチップが先頭を切って駆け寄り、奏の足元をくるくると回る。続いて茶トラ猫のトラが欠伸をしながら現れ、白いウサギのミミが鼻をひくつかせ、川からは水鳥のスイが岸に上がってくる。


 彼らは二人が持っている袋から漂う芳醇な香りに、期待の眼差しを向けていた。


「ふふ、わかってるよ。今日はパーティーだ」


 奏は柳の木の下に広げた布の上に、買ってきたばかりの御馳走を並べ始めた。


 まずは、チップのために買った最高級の殻付きアーモンドとくるみ。


 市場の乾物屋で、貴族のお茶請け用として売られていた逸品だ。


 奏が一つを割って差し出すと、チップは前足で器用にそれを受け取り、口に運んだ。


 カリカリと小気味よい音が響く。チップの目が大きく見開かれ、その小さな体全体で喜びを表現するように尻尾を揺らした。今まで食べていた野生のドングリとは、コクと甘みが段違いなのだろう。


「ほら、トラにはこれだ」


 次は、精肉店特製の熟成干し肉。


 包みを開いた瞬間、濃厚な肉の香りが広がる。トラは喉を鳴らし、奏の手に頭を擦り付けた後、夢中で肉にかぶりついた。


 ウサギのミミと水鳥のスイには、朝採れの新鮮な野菜と果物を。


 瑞々しいレタスやリンゴを前に、彼らもまた一心不乱に食事を始めた。


「……壮観だな」


 その様子を少し離れた場所で見ていたライラが、感嘆の息を漏らした。


 彼女はスカートの裾が汚れないように気をつけながら、柳の根元に腰を下ろしていた。


「ライラもこっちに来て、一緒に食べさせなよ。彼らはライラのおかげでお腹いっぱい食べられるんだから」


 奏が手招きをする。


 ライラは少し躊躇いながらも、アーモンドの入った袋を持って奏の隣に移動した。


「……私は、動物にはあまり好かれないのだがな。殺気が出ているのか、いつも逃げられてしまう」


「そんなことないよ。ほら、チップ」


 奏が呼ぶと、頬袋をパンパンに膨らませたチップが、ライラの膝の上に飛び乗った。


「うわっ!?」


 ライラが驚いて体を硬くする。


 しかしチップは気にする様子もなく、ライラの手にあるアーモンドをねだった。


「……私から、食べてくれるのか?」


 ライラがおそるおそるアーモンドを差し出すと、チップはそれを奪い取るように受け取り、ライラの太ももの上で食事を再開した。


 その温かさと重み、そして無防備な姿に、ライラの表情がゆっくりと崩れていく。


「……か、可愛い」


 彼女の頬が緩み、口元に優しい笑みが浮かぶ。


 普段の「鉄の女騎士」の仮面が外れ、年相応の、いや、少女のような純粋な表情になっていた。


 すると、食事を終えたトラも近づいてきて、ライラの腰のあたりに身を寄せた。


 彼女の豊満なヒップの曲線がクッションとして丁度よかったのか、トラはそこで丸くなり、満足げに喉を鳴らし始めた。


「おや、トラまで。……ライラは座り心地がいいのかな」


「変なことを言うな! ……だ、だが、悪い気はしないな」


 ライラはトラの背中をぎこちない手つきで撫でた。


 その光景は、端から見れば聖母の絵画のようだった。


 夕日に照らされた美しい女性と、彼女に身を寄せる動物たち。


 奏はふと、彼女がとても家庭的で、慈愛に満ちた人なのだと感じた。


「ライラは、いいお母さんになりそうだね」


 奏が微笑んで言うと、ライラの手がピタリと止まった。


「……お母さん?」


 彼女は眉をひそめ、不服そうに唇を尖らせた。


「心外だな。私はまだ二十歳そこそこだぞ。未婚の女性をつかまえて母親呼ばわりとは、いくら天然でもデリカシーがなさすぎるのではないか?」


(好きな男に『母親』の枠に入れられてたまるか! 私は『恋人』候補として見られたいのだ!)


 彼女は内心で地団駄を踏んだ。所帯じみていると言われたようで、少し傷ついたのだ。


「あ、ごめんごめん。そういう意味じゃなくて」


 奏は慌てて手を振った。


「僕の故郷では、ペット……動物の家族のことを『自分の子供』みたいに可愛がる文化があるんだ。だから、飼い主のことを『パパ』とか『ママ』……お父さん、お母さんって表現することがあるんだよ」


「……ペットの、親?」


「そう。だから、彼らが僕の子供だとしたら、今のライラはすごく優しいお母さんに見えるなって。……最高の褒め言葉のつもりだったんだけど」


 奏は申し訳なさそうに頭をかいた。


 その言葉を、ライラは脳内で反芻し、そしてハッとした。


(待てよ……。彼らがカナデの『子供』で、私が『母親』……ということは……)


 彼女の思考回路が、とんでもない数式を導き出した。

 

 父=カナデ。母=ライラ。

 すなわち、夫婦。


(ふ、ふふふ、夫婦……ッ!?)


 ライラの顔が一気に沸騰した。


 奏は単に「飼い主」という役割の話をしているだけなのだが、乙女回路がフル稼働しているライラには、それが「僕たち、まるで夫婦みたいだね」という甘い囁きに変換されて聞こえてしまったのだ。


「そ、そうか……。異国の文化というやつか……」


 ライラは咳払いを一つして、真っ赤な顔を隠すように俯いた。


 しかし、その口元はだらしなく緩んでいる。


「な、ならば仕方あるまい。郷に入っては郷に従えと言うしな。……ふん、お母さん、か。悪くない響きだ」


 彼女は先ほどよりもずっと優しい手つきで、膝の上のトラを撫でた。


 その瞳は、慈愛と、そして隠しきれない幸福感で潤んでいる。


(私とカナデの、子供たち……か)


 満更でもないどころか、有頂天だった。


 彼女は幸せな妄想に浸りながら、至福の時間を噛み締めた。


   §


 平和な晩餐会が続いていた、その時だった。


「――おい! そこの庶民ども!」


 場の空気を切り裂くような、甲高い声が響いた。


 動物たちが一斉に顔を上げ、警戒してライラの背後や奏の足元に隠れる。


 トラだけは「うるさいな」と言いたげに、不機嫌そうに耳を伏せた。


 奏たちが振り返ると、土手の上に一人の男が立っていた。


 夕日を背に、無駄にキラキラとした装飾のついた服を着込み、金髪を風になびかせている。


 手には金色のフルート。


「……誰だ?」


 ライラが低い声で尋ねる。その瞳には、すでに騎士としての鋭い光が戻っていた。せっかくの「家族団欒」を邪魔された怒りが滲んでいる。


「さあ……知り合いじゃないけど」


 奏が首を傾げていると、男が大げさな仕草で土手を降りてきた。


 足元の石に躓きそうになりながらも、なんとか体勢を立て直し、二人の前で仁王立ちする。


「ふん、こんな汚い川辺で宴会とは、いかにも平民らしい楽しみ方だな! 僕のような高貴な人間には理解できない世界だ」


 男は鼻で笑い、チラリと奏が手に持っている黒いフルートを見た。


「その薄汚れたフルート……貴様だな? 我が叔父、ゲルマン伯爵の英断により宮廷楽団を追い出されたという、元・首席奏者というのは!」


「ええと、音瀬奏ですけど……あなたは?」


 奏が立ち上がって尋ねると、男は待ってましたとばかりにスカーフを翻した。


「よくぞ聞いた! 僕こそが、貴様の後任として宮廷楽団の首席フルート奏者に就任した、選ばれし天才!」


 彼はビシッとポーズを決めた。


「その名も、ベン・フォン・ホフマンだ! 光栄に思うがいい!」


「へえ、あなたが新しい……。はじめまして、ホフマンさん」


 奏は深々と頭を下げた。


 嫌味を言われていることに気づいているのかいないのか、その態度はあくまで礼儀正しい。


 ベンはその反応のなさに拍子抜けしたように顔をしかめたが、すぐに気を取り直した。


「ふっ、余裕ぶるのも今のうちだ。僕は今日、貴様に真の『格』というものを見せつけに来てやったのだ!」


「格、ですか?」


「そうだ! このベン・フォン・ホフマン様の完璧な演奏を聴けば、貴様のような平民は恥じ入って、二度と楽器を持てなくなるだろう!」


「それはすごいですね。どんな演奏なのか、少し興味があります」


 奏が純粋な興味を示すと、ベンはニヤリと笑った。


 ライラが不快そうに立ち上がろうとするのを、奏は手で制した。


「大丈夫だよ、ライラ。せっかくだから聴かせてもらおう」


「……お前が良いなら構わんが」


 ベンはもったいぶって金色のフルートを構えた。


「心して聴け! これが王宮の、貴族の音楽だ!」


 ベンが大きく息を吸い込み、吹き始めた。


 彼が選んだのは、非常にテンポの速い、技術的に難解な練習曲だった。


 指は目にも止まらぬ速さで動き、舌突き(タンギング)も正確で鋭い。


 確かに、技術はある。「そこそこ」どころか、かなりの腕前と言ってもいいだろう。


 だが、それだけだった。


 彼の演奏には、抑揚も、感情も、歌心も一切なかった。


 ただひたすらに速く、正確に、そして無駄に大きな音で音符をなぞっているだけ。それは音楽というよりは、高性能な機械が発する騒音に近かった。


 聴いているこちらの神経を逆撫でするような、冷たく、攻撃的な音の羅列。


 ライラは眉をひそめ、耳を覆いたくなる衝動をこらえた。


 奏は静かに聴いていたが、その表情には感銘の色は一切なく、ただ分析するように小さく頷いているだけだった。


「……どうだ! この圧倒的な技術! 貴様には真似できまい!」


 一曲吹き終えたベンが、勝ち誇ったように胸を張った。息が上がっている。


「ええ、確かに。その速さでのタンギングは、かなりの練習量が必要ですね」


 奏が正直な感想を述べると、ベンは鼻高々に笑った。


「はっはっは! そうだろそうだろ! まいったか!」


 しかし、その直後だった。


 水鳥のスイが、翼を大きく広げて低空飛行でベンに向かって突撃した。


「うわっ!? な、なんだこの鳥は!」


 スイはベンの派手なズボンの裾をくちばしで強くつついた。


「痛っ! やめろ、僕の高級スラックスが!」


 さらにミミも加勢し、ベンの革靴を後ろ足で蹴りつける。


 トラは低い唸り声を上げながらじりじりと距離を詰め、チップは木の上から食べ終わったクルミの殻を正確に投げつけた。


 見事な連携プレーだった。


 彼らは、カナデの奏でる心地よい「波」を愛している。ベンの発する音は、それとは対極にある、神経質で攻撃的な「ノイズ」だったのだ。聖域を汚す騒音男は、排除すべき敵である。


「ひ、ひえぇっ! なんだこの凶暴な動物たちは! 飼い主はどこだ!」


 ベンはたまらず逃げ出した。


 しかし、スイの追撃は執拗だった。お尻をつつかれながら、ベンは情けない悲鳴を上げて走り回る。


「覚えてろよ、カナデ! 今日のところはこれくらいにしてやる! だが忘れるな、いつか必ず僕の凄さを思い知らせてやるからなー! ……痛い痛い! つつくな!」


 ベンは捨て台詞を残し、夕日の向こうへと消えていった。


 嵐のような登場と退場だった。


「……技術はあるが、それだけの男だな」


 ライラが冷ややかな声で言った。騎士としての直感で、彼の本質を見抜いたようだ。


 そして奏の方を向き、首を傾げた。


「なあ、カナデ。あいつの名前、なんと言っていた?」


「ええと……ベン・フォン……ハンペン?」


「ハンペンか。なるほど、白くて中身がなさそうな男だったな」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。


「さあ、お口直し……じゃないけど、お耳直しに一曲どうかな?」


 奏は自分のフルートを取り出した。


 動物たちが期待に満ちた目で戻ってくる。スイも「任務完了」とばかりに胸を張って帰還した。


 奏が奏で始めたのは、夕暮れに似合う穏やかなバラード。『アメイジング・グレイス』。感謝と祈りの歌。


 深く、温かい音色が川面に広がる。


 先ほどのベンの騒音でざわついた空気が、一瞬で浄化されていく。


 風が止まり、鳥たちがさえずりを止め、世界が奏の音に耳を澄ませる。


 それは、技術をひけらかすための音ではなく、誰かの心に寄り添うための音だった。


 ライラはその音を聴きながら、胸元のブローチに手を添えた。


 今日の喧騒、市場での買い物、動物たちとの触れ合い。


 その全てが、この音の中に溶け込んでいるような気がした。


(……ああ、なんて心地よいのだろう)


 彼女は奏の横顔を見つめた。


 夕日に照らされた彼は、どこまでも優しく、そして美しかった。


 この時間が永遠に続けばいいのに。


 そう願わずにはいられないほど、幸せな時間だった。


 曲が終わると、あたりはすでに薄紫色に染まっていた。


「……ありがとう、カナデ。素晴らしい一日だった」


 ライラが立ち上がり、スカートの砂を払った。


 その動作一つにも、隠しきれない女性らしい色気が漂う。


「こちらこそ。付き合ってくれてありがとう。……また、来てくれる?」


「当然だ。私はお前の……そう、金庫番だからな」


 ライラは悪戯っぽく微笑み、胸元のブローチを指先で弾いた。


「それに、このブローチの礼も、まだ十分に返していない」


「ふふ、期待してるよ」


 二人は視線を交わし、柔らかく笑い合った。


 言葉以上の何かが通じ合った瞬間だった。


「ではな。……おやすみ、チップ。トラ、ミミ、スイも」


 ライラは動物たちにも声をかけ、名残惜しそうにその場を後にした。


 帰り道、彼女の足取りは来る時よりもずっと軽やかだった。


 胸には小さな銀のブローチ。


 そして心には、温かい思い出という宝石を抱いて。


 こうして、「水の音楽隊長」の休日は、騒がしくも温かい幕切れを迎えたのだった。


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