第9話:外部参照の切断 〜呪いという名のリンク切れ〜
カイルと呼ばれた剣士の剣先が、俺の喉元に向けられたまま微動だにしない。
切っ先まで磨き上げられた鋼の輝き。そこには、俺の引きつった営業スマイルが映り込んでいる。
距離にして一メートル半。踏み込まれれば、瞬きする間に頸動脈を切り裂かれる間合いだ。
「……誰だ、貴様」
カイルの声は低く、地を這うような敵意を孕んでいた。
背後にいる斥候のリックが、短剣を逆手に持ち替え、いつでも俺の背後へ回り込めるように重心を低くしている。
魔術師の少女ミリアは、苦悶の表情を浮かべながらも杖を構え続けているが、その足元は小刻みに震えていた。限界が近い。
「怪しい者ではありません……と言っても、信じてもらえないでしょうね」
俺はゆっくりと、刺激しないように肩をすくめた。
視線を剣士から外し、少女の足元へと向ける。
「信じるか信じないかは後回しでいい。ただ、そのお嬢さんの足、今のうちに処置しないと手遅れになりますよ。『スネーク・カース』。そうでしょう?」
少女が息を呑む音が聞こえた。
カイルの眉がピクリと動く。
「……なぜ、毒の種類まで分かる。やはり貴様が仕掛けたのか?」
「まさか。俺はただ、データの……いや、状態の異常が見えるだけです」
俺は一歩、前に出ようとした。
カイルが剣を引く。
「動くな!」
「時間がないんですよ」
俺は真顔になり、あえて強い口調で言った。
ステータスウィンドウの表示が変わっている。
`[Debuff]: 呪毒(進行中: 18%)`
進行速度が上がっている。おそらく、この会話のストレスと興奮が、血流に乗って毒の回りを早めているのだ。
「彼女のMPは残り少ない。治癒魔法をかける余裕もないはずだ。ポーションも切らしているんじゃないですか? だから、そんな危険な状態で森を彷徨っている」
図星だったのだろう。斥候のリックが舌打ちをした。
`[Whisper]: カイル、どうする? ミリアはもう歩けねえ。このままじゃ街まで持たないぞ`
カイルが葛藤する。
剣を下ろすべきか、この正体不明の男を斬るべきか。
その一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。
営業トークの基本。相手に「No」と言わせない二択を迫る。
「俺に診させるか、ここで彼女が足(あるいは命)を失うのをただ見ているか。好きな方を選んでください。報酬は、街への案内だけでいい」
沈黙。
森のざわめきだけが聞こえる。
数秒後、カイルは苦渋の決断を下したように、剣先をわずかに下げた。
「……変な真似をしたら、即座に首を刎ねる」
「商談成立ですね」
俺は内心で安堵の息を吐き(冷や汗でワイシャツの背中が再び濡れそうだ)、ミリアの方へ歩み寄った。
少女が怯えたように身を引く。フードの下から覗く瞳は、熱に浮かされ、潤んでいる。
「痛いと思いますが、少し我慢してくださいね」
俺は彼女の前に片膝をつき、ローブの裾を捲り上げた。
――酷い。
そこにあったのは、もはや人間の肌ではなかった。
左足のふくらはぎに、二つの噛み跡。そこを中心に、幾何学模様のような紫色のあざが広がり、皮膚が炭のように黒く変色している。
腐敗臭。
肉が腐る臭いと、もっと得体の知れない、鼻の奥をツンと刺すような魔的な悪臭が混ざり合っている。
俺は顔をしかめそうになるのを堪え、その患部を「凝視」した。
Excelの目(解析モード)が起動する。
ピピッ。
緑色の枠線が患部を囲む。
`呪毒の噛み跡`
----------------------------------
[Value]: =EXTERNAL_LINK('Curse_Source.xlsm'!Venom_Damage)
[Status]: 更新中 (自動)
----------------------------------
やはりか。
この世界における「呪い」の正体。
それは、体内に残留する毒素そのものというより、術者(この場合は毒蛇か?)との間に結ばれた「見えないパス(経路)」を通じて、継続的にダメージ計算式が送り込まれている状態なのだ。
`=EXTERNAL_LINK`。外部参照。
本体の蛇はどこかにいる(あるいは死んでいるかもしれないが、ファイルパスだけが生きている)。そこから常に「ダメージ」という値が、彼女の足というセルに上書きされ続けている。
だから、ただの解毒薬(セルの値をクリアするだけ)では治らない。
次の瞬間には、また外部から値が更新されてしまうからだ。
根治するには、この「リンク」自体を断ち切る必要がある。
「……何が見えているの?」
ミリアが、うわごとのように呟く。
「悪い繋がり、ですね」
俺は彼女の患部に右手をかざした。
触れる必要はない。範囲選択さえできればいい。
患部のセル `Milia_LeftLeg` を選択。
意識の中で、リボンインターフェースを展開する。
[データ] タブを選択。
[接続] グループにある、あのアイコンを探す。
あった。
鎖の絵が描かれたアイコン。
`[リンクの編集 (Edit Links)]`。
選択。
脳内にダイアログボックスが表示される。
----------------------------------
[リンクの編集]
リンク元: Curse_Source.xlsm
種類: Worksheet
状態: 警告: 値は自動更新されています
----------------------------------
こいつだ。
このリンクが、彼女の生体データを蝕んでいる。
俺は、そのリンク元を選択し、右側にあるボタンに意識を集中させた。
`[リンクの解除 (Break Link)]`
警告が出る。
『リンクを解除すると、外部参照は現在の値に変換されます。元に戻すことはできません。よろしいですか?』
構わない。
数式(呪い)を、ただの数値(傷)に変えてやる。
[リンクの解除] を実行。
ブツンッ。
耳元で、太いゴムが切れたような音がした。
同時に、ミリアの足から立ち上っていた黒いモヤが、霧散した。
`[Value]: =EXTERNAL_LINK`
↓
`[Value]: 壊死した組織(静的データ)`
数式が消えた。
これでもう、呪いが広がることはない。あとは、そこに残った「壊死した組織」というゴミデータを処理するだけだ。
俺は続けて、先ほど自分の服に使った `置換` を実行した。
[検索する文字列]: `壊死した組織`
[置換後の文字列]: `` (空白)
実行。
シュワワワ……。
炭化していた黒い皮膚が、光の粒子となって剥がれ落ちていく。
その下から、少し赤味を帯びた、新しい肉芽が見えてきた。
完全治癒ではない。失われた肉が再生したわけではないからだ。
だが、毒々しい紫色は消え、健康的なピンク色の傷口に変わっていた。
「……え?」
ミリアが目を見開く。
痛みが消えたのだ。
彼女は恐る恐る自分の足を見下ろし、そして息を呑んだ。
「呪いが……消えた……? 詠唱も、魔法陣もなしに……?」
後ろで見ていたカイルとリックも、言葉を失っていた。
彼らの視点では、俺が手をかざした瞬間、黒い瘴気が吹き飛び、腐った肉が浄化されたように見えただろう。
神聖魔法のような光のエフェクトはない。
ただ、事務的に、現象が書き換わっただけ。その「当たり前のような変化」こそが、逆に異様だったはずだ。
俺は立ち上がり、膝の泥を払った。
MPバーを見る。
`MP: 4/10` → `1/10`
危ない。リンク解除は重い処理だったらしい。強烈な倦怠感が襲ってくる。
だが、ここで弱みを見せるわけにはいかない。
「処置は完了しました。あとは普通の切り傷と同じです。清潔にして、薬草でも塗っておけば治るでしょう」
俺は営業スマイルを崩さず、カイルの方を向いた。
「さて、約束通り、街まで案内してもらえますか?」
カイルは呆然としたまま、剣を鞘に収めた。
その瞳から敵意は消えていたが、代わりに底知れない畏怖の色が浮かんでいた。
「……あんた、一体何者だ?」
「工藤聡。しがない……事務員ですよ」
「ジムイン……?」
カイルは聞き慣れない単語を口の中で転がし、困惑したように首を振った。
だが、彼は冒険者としての仁義を通すことにしたらしい。
姿勢を正し、右手を胸に当てて一礼した。
「……感謝する、工藤。俺の名はカイル。こっちはリック、そしてミリアだ。疑ってすまなかった。命の恩人に対して、剣を向けた非礼を詫びる」
「いえ、お互い様です。こんな場所ですから」
俺も軽く頭を下げる。
握手を求めようかと思ったが、まだそこまでの距離感ではないと判断し、手を下ろした。
「ミリア、立てるか?」
リックが駆け寄り、少女に肩を貸す。
ミリアは立ち上がり、俺の方を向いた。その頬には赤みが戻りつつある。
「あ、あのっ! ありがとうございました……! その、すごい魔法でした。あんな術式、見たことありません」
「魔法じゃありませんよ。ただの整理整頓です」
俺は肩をすくめた。
謙遜ではない。事実だ。
だが、ミリアはその言葉を「高位の賢者の謙遜」と受け取ったらしく、尊敬の眼差しを向けてきた。
こうして、俺は異世界で初めての「コネクション」を得た。
カイルたち三人の頭上のステータス。
`[State]: 警戒` の文字が消え、代わりに `[State]: 友好的(信頼度: 低)` に変わっていた。
信頼度:低。
まだ完全に信用されたわけではない。
だが、これで街に行ける。情報が得られる。
俺は心の中でガッツポーズをした。
「街までは半日ほどだ。日が暮れる前には着くだろう。ついてきてくれ」
カイルが先導する。
俺は彼らの後ろについて歩き出した。
革靴が土を踏む。
その一歩一歩が、俺をこの世界の「部外者」から、「登録ユーザー」へと近づけていくような気がした。
だが、俺はまだ知らなかった。
彼らが向かう街――辺境都市「アルタ・ノヴァ」が、俺のExcelスキルにとって、絶好の(そして最悪の)「ブラック職場」であることを。




