第6話:検索条件:食料(ワイルドカード) 〜VLOOKUPで探す命〜
森の朝は、意外なほどに騒がしい。
鳥たちのさえずり、風が梢を揺らす音、名も知らぬ虫たちの羽音。
それらがBGMとして流れる中、俺は慎重に歩を進めていた。
`気配察知` スキルは、想像以上に便利だった。
視界の右上に、小さなレーダーチャートのようなウィンドウが常駐している。
中心が俺(現在選択中のセル)。
そこから波紋のように広がるグリッド線上に、色付きのドットが表示される。
・青いドット:非生物(水、鉱石など)
・緑のドット:植物(特に魔力反応のあるもの?)
・赤いドット:動物・モンスター(敵対的)
・白いドット:動物(中立・非敵対)
右前方に表示されている「青いドットの群れ」を目指して歩く。
距離にしてあと百五十メートルほど。
喉の渇きは限界を超え、舌が乾いたスポンジのようになっていた。視界が少し揺れるのは、脱水症状の初期段階かもしれない。
藪をかき分ける。
トゲのある植物がワイシャツの袖に引っかかるが、今の俺の皮膚は `硬質化` スキルのパッシブ効果(常時発動している微弱な防御力)のおかげか、傷つくことはなかった。トカゲのデータ様々だ。
やがて、水音が聞こえてきた。
チョロチョロ……という、控えめだが、今の俺にとっては天上の音楽にも勝る美しい音色。
視界が開けた。
岩肌の裂け目から清水が湧き出し、小さな泉を作っている場所に出た。
水は澄み切っていて、底の小石までくっきりと見える。
俺は駆け寄りたい衝動を抑え、まずは周囲を警戒した。
水場は動物たちの集会所だ。先客がいるかもしれない。
レーダーを確認する。赤いドットはない。白いドットが二つ、すぐ近くにあるが、逃げていく動きを見せている。小鳥か何かだろう。
安全を確認し、泉の縁に膝をつく。
念のため、鑑定(数式バーでの確認)を行う。
`岩清水`
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[Quality]: 良
[Bacteria]: None
[Effect]: 水分補給、微量なMP回復効果
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合格だ。
俺は両手で水を掬い、貪るように口に運んだ。
冷たい!
キーンと染み渡るような冷たさと、雑味のない甘露のような味わい。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げているのがわかる。
二回、三回と掬って飲む。
空っぽだった胃袋に水が満たされ、重さを感じるようになると、ようやく生きた心地がした。
「……ふぅーっ……」
大きく息を吐く。
顔を洗う。冷水が熱った肌を引き締めてくれる。
水面に映る自分の顔を見た。
酷い顔だ。
髪はボサボサ、目の下には隈、無精髭が伸びている。ワイシャツは泥と血で汚れ、ネクタイはない。完全に遭難者か、落ち武者の様相だ。
だが、その瞳には昨日までの淀んだ諦念はなく、ギラギラとした生気が宿っていた。
水分の次は、固形物だ。
腹の虫がまた鳴いた。
周囲を見渡す。
泉のほとりには、シダ植物や苔が生い茂っているが、食えそうなものは見当たらない。
昨日の `ポイズンベリー` のような罠もある。慎重にならざるを得ない。
ふと、レーダーの端に白いドットが反応した。
距離、二十メートル。
茂みの向こう側だ。
俺は音を立てないように立ち上がり、茂みに近づいた。
隙間から覗き込む。
いた。
ウサギだ。
だが、地球のウサギとは少し違う。
耳が四つあり、額に小さな一本角が生えている。毛並みは薄い紫色で、草を食んでいる。
`ホーンラビット`
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[Level]: 2
[HP]: 25/25
[State]: 食事中
[Drop]: ホーンラビットの肉、角、毛皮
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レベル2。俺と同じだ。
HPは低い。勝てる相手だ。
そして何より、[Drop] 欄にある `肉` の文字が、俺の狩猟本能に火をつけた。
しかし、どうやって捕まえる?
近づけば逃げられるだろう。
素手で捕まえられるほど甘くはないはずだ。
飛び道具はない。石を投げても当たる自信はない。
俺は思考を巡らせた。
Excelスキルで、何かできないか。
「セルの結合」は接触しなければ発動しない。
「罫線」は壁を作るだけだ。檻を作って閉じ込める? いや、展開速度が間に合うか?
もっと、遠距離から干渉できる手段はないか?
俺はホーンラビットのいる場所を凝視した。
座標 `AD4602`。
そのセルに対して、俺ができる操作。
コピー&ペースト?
ウサギをコピーしても肉が増えるだけで、捕まえられなければ意味がない(そもそも生物のコピーが可能かどうかも不明だ)。
……待てよ。
「セルの挿入」はどうだ?
行や列を挿入すると、既存のセルは右や下にずれる。
もし、ウサギの足元のセルに、強引に「何か」を挿入したら?
あるいは、「並べ替え(ソート)」?
範囲選択して、昇順・降順に並べ替える。
もし、俺とウサギの間の空間を「距離の昇順」で並べ替えたら、ウサギが俺の目の前に来るのか?
いや、それは物理法則への干渉が大きすぎて、MPが足りない気がする。
もっと単純な機能。
そう、「検索(Find)」だ。
Ctrl + F。
特定の文字列や値を探して、そのセルにジャンプ(アクティブ化)する機能。
俺は試してみることにした。
意識の中で、検索ウィンドウを開く。
検索する文字列: `ホーンラビット`
検索範囲: `シート全体`(視界内)
[次を検索] ボタンを押すイメージ。
ピピッ。
視界が強制的に動き、ウサギにフォーカスが合った。
それだけだ。
ただロックオンしただけ。物理的な移動は発生しない。
「くそっ、使えねえ……」
心の中で悪態をつく。
ウサギが耳をピクリと動かした。気配を察知されたか?
逃げられる。
焦る俺の脳裏に、ふと、ある「関数」が浮かんだ。
VLOOKUP関数ではない。もっと物理的な移動を伴う関数。
いや、関数じゃない。
「ハイパーリンク」だ。
セルにリンクを埋め込み、クリックすると別の場所に飛ぶ機能。
もし、ウサギのいるセルに、俺の足元のセルへのハイパーリンクを設定し、強制的に実行させたら?
MPを消費する感覚がある。
これは高度な操作だ。
俺はウサギの足元のセル `AD4602` を選択した。
右クリックメニュー → [リンク]。
[アドレス]: `AC4590` (俺の目の前のセル)
[表示文字列]: `ニンジン` (囮としてのメタデータ)
設定完了。
ウサギの足元に、青い下線付きの文字が浮かび上がったように見えた。
ウサギがそれに気づき、ふと足元を見る。
`ニンジン` という魅力的な文字列(概念)に惹かれたのか、あるいは単に異変を感じたのか、ウサギはその場所を踏んだ。
クリック!
シュンッ!
音が置き去りにされた。
次の瞬間、ウサギの姿が掻き消え――
ドンッ!
俺の目の前の地面に、尻餅をつくような体勢で出現した。
「キュッ!?」
ウサギは何が起きたのか理解できず、目を白黒させている。
俺も驚いたが、チャンスは一瞬だ。
「セルの結合!」
俺は叫び(実際には声に出さず、念じた)、ウサギに手を伸ばした。
だが、今回は捕食(吸収)が目的ではない。
ただ捕まえて、物理的に仕留めたいのだ。吸収してしまうと、肉として食べられない可能性がある(昨日のトカゲのように消滅してしまう)。
だから、結合ではなく、単純な「拘束」をイメージした。
俺の手のセルと、ウサギの身体のセルを……結合して、動けなくする!
俺の手がウサギの首根っこを掴む。
暴れるウサギ。角が俺の手首を掠める。痛い。
だが、離さない。
[セルの結合] 実行。
ただし、今回は [値の保持] ではなく、単なる [結合] 。
俺の手のひらと、ウサギの首の皮が、分子レベルでくっついた感覚。
接着剤どころの話ではない。一体化したのだ。
ウサギが必死に足をバタつかせるが、俺の手から離れることは物理的に不可能になった。
俺は反対の手で、近くにあった手頃な石を掴んだ。
「ごめん」
謝罪の言葉を口にしながら、俺は石を振り下ろした。
生きるためだ。
鈍い音がして、ウサギの抵抗が止まった。
[State]: 食事中 → 死亡
俺は深く息を吐き、結合を解除([セル結合の解除])した。
ポロリと、ウサギの死骸が地面に落ちる。
まだ温かい。
これが、異世界での最初の狩りだった。
魔法でも剣技でもない。
ハイパーリンクという罠と、セル結合という拘束技による、泥臭い勝利。
俺は震える手で、ポケットから十徳ナイフ……なんてものは持っていないので、鋭利な石片を探し始めた。
解体しなければならない。
やったことはない。YouTubeで見た動画の知識だけが頼りだ。
(……待てよ?)
俺はナイフ代わりの石片(`黒曜石の欠片` [Sharpness]: High)を見つけながら、ふと思った。
解体作業。
皮を剥ぎ、肉を切り分け、内臓を取り出す。
これって、データの「分割」機能でいけないか?
[データ] タブ → [区切り位置]。
カンマやタブで区切られたデータを、別々のセルに分割する機能。
もし、このウサギを「皮」「肉」「骨」「内臓」という区切り文字で構成されたデータだと定義できれば……。
俺はゴクリと唾を飲み込み、死んだウサギに手をかざした。
実験だ。
もし成功すれば、グロテスクな作業をスキップできる。
対象選択: `死んだホーンラビット`
機能実行: [区切り位置]
区切り文字: [要素ごと] (概念的な指定)
実行。
パカッ。
まるでプラスチックモデルのパーツがランナーから外れるように。
あるいは、調理済みの料理が盛り付けられるように。
ウサギの死骸が、一瞬で四つのパーツに分かれた。
1. 綺麗に剥がされた毛皮
2. 血抜きされた肉ブロック(骨なし)
3. 骨の山
4. 内臓(魔石を含む)
それぞれのパーツが、別々のセル(隣接する空間)に整然と並んでいる。
血の一滴すら飛び散っていない。
完璧なプレパレーション(下処理)。
「……便利すぎるだろ、Excel……」
俺は感嘆の声を漏らした。
これはもう、チートと言っていい。
俺は肉ブロックを手に取った。
まだ生だが、これで食料は確保できた。
次は火だ。生肉は怖い。
だが、この万能ツールがあれば、火起こしすらも「関数」で解決できるかもしれないという期待が膨らんでいた。




