第41話:未開地のヒートマップ 〜緑の迷宮とバグに侵された集落〜
湿度が、質量を持って肌にまとわりついてくる。
新大陸のジャングルを歩くというのは、単なる移動ではなく、大気そのものとの闘争だった。
頭上を覆い尽くす巨木の樹冠が、太陽の光を遮断し、地上を薄暗い緑色の世界に変えている。
風は通らない。
腐葉土から立ち上る濃厚な発酵臭と、極彩色の花々が放つ甘ったるい芳香が、ねっとりと鼻腔に張り付き、呼吸をするたびに肺が重くなるような錯覚を覚える。
俺――工藤聡は、額から流れ落ちそうになる汗を、ハンカチ(王都のデパートで買った吸水速乾素材のもの)で丁寧に拭った。
`[空調管理]` マクロは常時稼働させている。体感温度は快適な24度に設定されているはずだ。
だが、視覚情報として入ってくる「蒸すような緑」と、聴覚を支配する「虫たちの羽音」が、脳に「ここは暑い場所だ」という錯覚信号を送り続けている。
生理的な不快感までは、完全には削除しきれないらしい。
「……ッ、このっ! なんだこのツタは! 切っても切ってもキリがねぇぞ!」
先頭を歩くカイルが、愛用のマチェット(山刀)を振るいながら悪態をついた。
彼の背中は既に汗でびっしょりと濡れ、逞しい筋肉が動くたびに玉のような汗が飛び散っている。
彼が切り払った太いツタからは、白濁した樹液がポタポタと垂れ落ち、それが地面の枯れ葉に落ちると、ジュッという微かな音と共に酸っぱい煙を上げた。
「カイルさん、無闇に振り回すとスタミナの浪費になりますよ。彼らの足跡をトレースしてください」
俺は指差した。
俺たちの数メートル先を、音もなく進む小柄な影たち――「森の民」の案内人たちだ。
彼らは、この複雑怪奇なジャングルの植生を完全に把握しているかのように、茨の隙間を縫い、腐った倒木を軽やかに飛び越えていく。
その動きには一切の無駄がない。まるで、最適化されたパケット通信がネットワーク網を流れるようだ。
「へっ、あいつら小さすぎて、俺の体格じゃ通れねぇ隙間ばっかり行くんだよ!」
カイルがぼやきながら、再びマチェットを振るう。
その後ろを、ミリアが杖を突きながら必死についてきている。
彼女のローブの裾は泥にまみれ、息も絶え絶えだ。
「はぁ、はぁ……工藤さん……あとどれくらい、ですか……?」
俺は視界の端に表示されている `[Map Analysis]` を確認した。
案内人たちの進行ベクトルと、地形の勾配データから予測する。
「直線距離で約1.5キロ。ですが、この悪路(高コスト地形)を考慮すると、時間にしてあと40分といったところですね」
「よ、40分……」
ミリアが絶望的な顔をする。
俺はポケットから `[塩分補給タブレット(レモン味)]` を取り出し、彼女に放った。
「舐めてください。電解質バランスが崩れています」
一行は黙々と進む。
周囲の環境音は、都会の喧騒とは全く異なる種類の「騒音」だった。
ジジジジジ……という虫の声。
ギャーッ、ギャーッという鳥の奇声。
そして、遠くで聞こえる大型獣の重い足音。
それらの音波データが、俺の `Excel・アイ` の波形モニタを常に揺らしている。
しばらく進むと、空気の質が変わった。
湿気がさらに増し、微かな「水の気配」が混じり始めたのだ。
そして、前方を行く森の民たちが立ち止まり、頭上の木々を指差した。
「■■■……(着いたぞ、ここが我らの揺り籠だ)」
俺たちは視線を上げた。
そして、息を呑んだ。
そこには、巨大な樹木を利用した「空中都市」とでも呼ぶべき集落が広がっていた。
高さ五十メートルはあろうかという巨木群。その太い枝と枝の間に、蔦や樹皮で編まれた吊り橋が張り巡らされ、鳥の巣のような住居が無数に点在している。
住居の窓からは、青白い光(発光苔のランプだろう)が漏れ出し、薄暗いジャングルの中で幻想的なイルミネーションを作り出していた。
美しい。
文明の手が入っていない、自然と調和した有機的な建築美だ。
だが。
俺の目は、その美しさの裏にある「異常」を見逃さなかった。
静かすぎるのだ。
これだけの規模の集落なら、子供の声や、生活音が聞こえてくるはずだ。
しかし、聞こえてくるのは風が枝を揺らす音だけ。
そして、集落全体を覆うように漂う、甘ったるい腐敗臭。
それは、ジャングルの腐葉土の匂いとは違う。もっと生物的な、細胞が壊死していくような不吉な臭気だった。
「……行くぞ。族長が待っている」
案内人の一人が、太い幹に垂らされた縄梯子を登り始めた。
俺たちも後に続く。
軋む縄梯子を登りきり、板張りのプラットフォーム(広場)に立つと、その惨状がより鮮明になった。
広場には、数十人の森の民たちが横たわっていた。
彼らは一様に痩せ細り、緑色の肌には赤黒い斑点が浮き出ている。
呼吸は浅く、虚ろな目で宙を見つめている者もいれば、高熱にうなされて身をよじる者もいる。
看病している者たちも、足元がおぼつかない。
「……ひどい」
ミリアが口元を押さえる。
俺は冷静に、広場の中心へと歩を進めた。
視界のモードを切り替える。
`[Analysis Mode]: Epidemiology (疫学調査)`
`[Visualization]: Heat Map (ヒートマップ)`
ピピッ。
視界がサーモグラフィーのように色分けされる。
ただし、温度ではない。「病原性魔力」の濃度分布だ。
驚くべきことに、患者たちの体から放たれているのは、ウイルスや細菌ではない。
赤黒い「ノイズ」のような魔力の粒子だった。
それが体内で循環し、正常な生命維持プロセス(生体マクロ)を書き換え、エラー(症状)を引き起こしている。
俺は、一人の子供の患者の前に膝をついた。
小さな女の子だ。苦しそうに肩で息をしている。
俺は彼女の額に手をかざした。
`[Target]: Young Forest Elf`
`[Error Log]:`
` - Mana Circulation: Failed (Error 404)`
` - Vitality: Critical Low`
` - Root Cause: External Contamination (外部汚染)`
「……感染症ではありませんね」
俺は呟いた。
後ろで見ていた案内人のリーダーが、驚いたように俺を見た。
「分かるのか? 我々の祈祷師ですら、原因を特定できなかったというのに」
「ええ。これは『魔力中毒』の一種です。それも、極めて質の悪い、汚染された魔力を長期的に摂取したことによるシステム障害です」
俺は立ち上がり、集落の奥、最も高い木の上に作られた社のような建物を指差した。
ヒートマップにおいて、そこから最も濃い「赤黒い反応」が噴き出しているのが見えたからだ。
「あの方角。……あそこには何がありますか?」
リーダーの顔色がサッと変わった。
「あそこは……『水源』だ。我らが守り神、『古き地下遺跡』から湧き出る聖なる水が流れてくるところだ」
「なるほど。聖なる水が、毒水に変わったというわけですか」
俺は確信した。
原因は「水」だ。
汚染された魔力が水に溶け込み、それを飲んだ彼らの体内ネットワークを破壊している。
その時、社の扉が開き、杖をついた老人が現れた。
全身に鳥の羽や骨の装飾品をつけた、いかにもな長老だ。
彼もまた、病に侵されているのか、顔色は土気色で、歩くのもやっとという様子だった。
「よそ者よ……。我が民の苦しみを見物に来たか……」
長老の声は掠れていた。
「いいえ。取引に来ました」
俺はカイルとミリアを制して、一人で長老の前に進み出た。
ビジネスの時間だ。
同情で動いてはいけない。対等なパートナーとしての契約が必要だ。
「族長とお見受けします。
単刀直入に申し上げます。私は、この病の原因を特定し、解決策を持っています」
長老の濁った瞳に、微かな光が宿る。
「……真か?」
「はい。原因は、あなた方が守っている『遺跡』の中にあります。
おそらく、遺跡の制御システム(ダンジョンコア)が暴走し、冷却水代わりの魔力が漏れ出しているのでしょう」
俺は空中に、簡単なグラフと図解を描いた。
`[Current State]` (汚染された水流) → `[Future State]` (浄化された水流)
視覚的なプレゼンは、言葉の壁を超える。
「我々が遺跡に入り、その暴走を止めます。
そうすれば、水は元通りになり、あなた方の病も治るでしょう」
「……それで? 貴様らの望みは何だ?」
長老は警戒を解かない。当然だ。
見ず知らずの人間が、タダで助けるわけがない。
「三つあります。
一つ、この周辺の土地の『開発権』。
二つ、あなた方の集落を、我々のリゾート開発における『観光パートナー』として提携すること。
三つ、遺跡の『管理権』を譲渡すること」
「観光……? 管理権……?」
長老は聞き慣れない言葉に眉をひそめたが、俺の提示した条件が「森を奪う」ものではなく、「共存」を前提としていることは理解したようだ。
彼は周囲を見渡した。
苦しむ子供たち。倒れた若者たち。
一刻の猶予もないことは、彼自身が一番よく知っている。
「……良かろう。
もし本当に、この悪夢を終わらせることができるなら……我らは貴様らを『友』として迎え入れよう。
だが、失敗すれば……」
「その時は、我々もその遺跡で野垂れ死ぬだけです」
俺は平然と言った。
長老は深く頷き、懐から古びた石板を取り出した。
「これを持っていけ。遺跡の『鍵』だ。
かつて我らの祖先が封印した、禁断の扉を開くものだ」
俺は石板を受け取った。
ずっしりと重い。
表面には、複雑な幾何学模様――集積回路の回路図にも似た紋様が刻まれている。
`[Key Item]: Ancient Access Card`
`[Permission]: Guest User`
俺は石板をスーツの内ポケットにしまった。
「カイルさん、ミリアさん。準備はいいですか?」
「おうよ。ようやく暴れられそうだ」
カイルがマチェットを剣に持ち替える。
「はい! 解毒と回復の準備、できてます!」
ミリアが杖を握りしめる。
俺たちは広場を後にし、集落の奥、水源へと続く吊り橋を渡り始めた。
その先には、巨大な岩盤をくり抜いて作られた、古代遺跡の入り口が黒い口を開けて待っていた。
入り口からは、目に見えるほどの濃さで、赤黒い瘴気が噴き出している。
ガイガーカウンターならぬ、魔力計のアラートがガンガン鳴っている状態だ。
俺はネクタイを締め直し、深呼吸をした。
ここから先は、自然界ではない。
暴走した古代のシステム(デジタル)が支配する領域だ。
俺の庭だ。
「……さあ、サーバーメンテナンスの時間だ。
バグり散らかした古代の遺産を、最新のOSにアップデートしてやろう」
俺は革靴で、遺跡の冷たい石畳を踏みしめた。
コツン、という硬質な音が、闇の奥へと吸い込まれていった。




