**第34話:魔王軍のブラック事情 〜労基署なき荒野〜**
魔王ゼノスとの契約が成立した直後。
俺は早速、魔王城の「総務局(という名の物置小屋)」へと案内された。
案内役は、魔王が約束した「サキュバスの秘書」だ。
リリム。
背中にはコウモリの翼、頭には小さな角、そしてボンテージ風の露出の高い衣装を身に纏った、紫色の髪の美少女。
本来なら男を誘惑して精気を吸う種族だが、彼女の目は死んだ魚のように濁っていた。
「……こちらが総務局ですぅ。工藤様ぁ……」
リリムが気だるげに扉を開ける。
中は、埃とカビの臭いが充満する、薄暗い部屋だった。
机の上には、飲みかけの謎の液体(毒?)や、食べ残しの骨が散乱している。
`リリム(秘書)`
`[Level]: 15`
`[Skill]: 誘惑(現在封印中), 事務処理(低)`
`[State]: 慢性疲労, 諦め`
「……ひどいですね」
「はいぃ。前の局長は、過労死しましたぁ。その前は発狂して逃げましたぁ」
リリムが虚ろな目で笑う。
魔王軍の人材消耗率は異常だ。
俺は部屋の中央に立ち、`[全選択]` → `[クリーンアップ]` を物理実行した。
魔法的な掃除で部屋を一掃し、窓を開けて空気を入れ替える。
そして、リリムに最初の指示を出した。
「リリムさん。まずは全軍の名簿と、給与台帳を持ってきてください」
「えぇ……紙の山から探すんですかぁ……三日かかりますぅ……」
「データでありませんか? 水晶玉とか、石版とか」
「ないですぅ。全部、各部隊の隊長が『手書き』してますぅ」
絶望的だ。
デジタル化どころか、標準化すらされていない。
俺は仕方なく、魔王軍の各部署を回り、直接データを吸い上げることにした。
まずは、魔王城の地下にある「兵站部」。
そこでは、数百匹のゴブリンたちが、食料や武器の運搬作業に従事していた。
彼らは痩せ細り、ボロボロの布を纏い、鞭を持ったトロールの監督官に叩かれながら働いている。
パシィッ!
「働け虫ケラども! ノルマが終わるまで飯抜きだ!」
トロールが怒鳴る。
ゴブリンの一人が倒れるが、誰も助けようとしない。
典型的な「恐怖政治」だ。
俺はゴブリンたちの労働環境を解析した。
`[Analysis]: Goblin Labor Force`
`[Work Hours]: 18 hours/day`
`[Salary]: Moldy Bread (カビたパン) x 1`
`[Satisfaction]: -100% (Rebellion Imminent)`
反乱寸前。
これでは生産性が上がるわけがない。
俺はトロールの前に進み出た。
「監督官。少しよろしいですか」
「あぁ? なんだ人間。ここは神聖なる労働現場だぞ」
トロールが俺を睨み下ろす。
俺は懐から、魔王の署名入り任命書(アドミニストレータ権限)を見せた。
「本日より総務局長に就任した工藤です。……この現場、効率が悪すぎますね」
「なんだと!? 俺たちは寝ずに働かせてるんだぞ!」
「ええ。寝ずに働かせているから、効率が悪いんです」
俺は倒れたゴブリンを指差した。
`[Status]: 栄養失調, 筋力低下`
「彼らのスペック(体力)に対し、負荷が過剰です。結果、作業速度が低下し、ミス(荷物の落下破損)が多発している。破損した物資のコストは、彼らの食費を上回っていますよ」
俺は空中に計算式を表示した。
`破損コスト > 人件費(食費)増額分`
「つまり、彼らに飯を食わせ、8時間睡眠を取らせた方が、トータルのコストは下がるんです」
「けっ、計算なんか知るか! 魔王軍は気合いだ!」
トロールが鞭を振り上げる。
話が通じない脳筋管理職。
俺は溜息をつき、`[条件付き書式]` を発動した。
対象:`トロール監督官`
ルール:`[知能指数 (Int) < 20]`
書式:`[強制ミュート] & [凍結 (Freeze)]`
カチンッ。
トロールが氷像のように固まった。
周囲のゴブリンたちが、目を丸くして俺を見ている。
「……君たち。これからは3交代制(シフト制)にします。
A班は朝から夕方まで。B班は夕方から深夜まで。C班は深夜から朝まで。
休んでいる間は、しっかり飯を食って寝なさい。給料も新鮮なものに変えます」
ゴブリンたちが顔を見合わせ、そして一斉に歓声を上げた。
「新局長万歳!」「パンが食えるぞ!」
`[Trust]: Goblins -> Respect`
彼らの頭上のステータスが、`[State]: やる気` に変わった。
こうして、兵站部の生産性は一日で150%向上した。
だが、これはまだ序の口だ。
魔王軍には、「四天王」と呼ばれる四人の大幹部がいる。
彼らこそが、組織を分断し、私物化し、予算を食いつぶしている元凶だ。
俺はリリムに言った。
「リリムさん。四天王全員に招集をかけてください。
『定例予算会議』を開催します。欠席者は予算ゼロ(査定マイナス)と伝えて」
「は、はいぃ……殺されますよぉ……」
リリムが怯える中、俺は不敵に笑った。
四天王?
俺にとっては、ただの「コストセンター」に過ぎない。
Excelという名のメスで、徹底的に切り刻んでやる。
アルタ・ノヴァ支部に平和が戻ってから、二週間が過ぎた。
王都での動乱が嘘のように、ここには穏やかな時間が流れている。
午前十時。
俺はいつもの「統括席」で、淹れたてのコーヒー(`本日の豆:深煎りマンデリン`)の香りを楽しみながら、日報のチェックをしていた。
ホールでは、冒険者たちが「スマート依頼板」を使ってスムーズに仕事を受注している。
受付嬢たちは談笑しながら余裕を持って事務処理をこなし、ガント支部長は大人しく(俺の監視下で)書類にハンコを押している。
`[System Status]: All Green`
`[Pending Tasks]: 0`
完璧だ。
あまりに順調すぎて、逆に不安になるほどの静寂。
俺の「社畜センサー」が、微かな違和感を訴えていた。
こういう時こそ、システム障害は前触れなく発生するものだ。
その時。
一羽の漆黒のフクロウが、開け放たれた窓から滑り込んできた。
通常の伝書鳩ではない。
全身から不気味な紫色のオーラを放ち、その瞳は赤く輝いている。
フクロウは真っ直ぐに俺の元へ飛来し、デスクの上にポトリと一通の封筒を落とした。
真っ黒な封筒。
封蝋には、禍々しい「逆さ五芒星」の紋章。
「……なんだ、これ」
俺はマグカップを置き、警戒しながらその封筒を `鑑定` した。
`[Object]: 魔界からの招待状`
`[Sender]: CEO (Chaos Executive Officer)`
`[Priority]: Critical`
`[Security]: Embedded Hyperlink (強制転送)`
「強制転送」?
俺が危険を察知して手を引っ込めようとした、その瞬間。
封筒が勝手に開封され、中からどす黒い霧が噴き出した。
`[System Event]: Redirecting...`
`[Target]: Kudo_Satoshi`
`[Destination]: Domain "Demon_Castle"`
視界が歪む。
空間がグニャリと曲がり、俺の身体がデータ化されて吸い込まれていく感覚。
いわゆる「302リダイレクト(一時的な転送)」だ。
「工藤さん!?」
エリーナの悲鳴が遠く聞こえた。
次の瞬間、俺の視界は暗転した。
ギルドの木の床の感触が消え、冷たく硬質な石の床の感触に変わる。
コーヒーの香ばしい匂いは消え、硫黄と血の錆びたような臭いが鼻をつく。
俺は目を開けた。
そこは、広大で薄暗い広間だった。
天井は見えないほど高く、巨大な柱が何本もそびえ立っている。
壁には松明が燃え、揺らめく炎が巨大な影を落としていた。
そして、部屋の最奥。
骨と頭蓋骨で組み上げられた巨大な玉座に、その存在は座っていた。
漆黒のフルプレートアーマー。
兜の隙間から漏れ出す、紅蓮の瞳。
背中から伸びる、破れた黒い翼。
圧倒的な魔力が、物理的な重圧となって空気を震わせている。
魔王。
この世界の「人類の敵」の頂点。
俺は立ち上がり、埃を払うようにスーツを正した。
不思議と恐怖はなかった。
なぜなら、魔王の足元に散らばっている「それ」が、あまりにも見慣れた光景だったからだ。
書類。
書類。
書類の山。
玉座の間は、紙屑の海だった。
羊皮紙、石版、ボロボロの地図。
それらが無造作に積み上げられ、一部は雪崩を起こし、魔王の足首まで埋め尽くしている。
「……ようこそ、人間」
魔王が重々しく口を開いた。
その声は、地底から響くような重低音だった。
「我が名は魔王ゼノス。この世界の闇を統べる者である」
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。アルタ・ノヴァ支部事務員、工藤聡です」
俺は一礼した。
名刺があれば渡すところだが、切らしている。
「単刀直入に聞こう。……貴様、王都の地下で我が配下を葬ったな?」
「ええ。業務の一環として処理させていただきました」
「ベルゼの魔法陣を『逆流』させたあの手際。そして、人間どもの軍隊を一瞬で再編成した指揮能力。……見ていたぞ」
魔王ゼノスが、ガシャリと音を立てて身を乗り出した。
殺気が膨れ上がる。
処刑か?
俺は身構えた。
だが、魔王の口から出た言葉は、予想外のものだった。
「貴様……『計算』ができるそうだな?」
「……は?」
「それも、人間業ではない速度で。……この書類の山を、片付けることができるか?」
魔王が、苦々しげに足元のゴミ(書類)の山を蹴飛ばした。
そこには、『食料枯渇報告書』『ゴブリン給与未払い訴状』『四天王の経費精算書(不備あり)』といった文字が見えた。
「我は強い。世界を滅ぼす力がある。……だが、部下どもが無能すぎる!
報告は上がってこない、物資は届かない、給料が安いと反乱が起きる!
これでは人間と戦う前に、我が軍が崩壊する!」
魔王の兜の奥から、悲痛な叫びが聞こえた。
俺は `Excel・アイ` で魔王を解析した。
`魔王ゼノス`
`[Level]: 99`
`[Skill]: 世界崩壊魔法, 威圧`
`[Status]: ストレス性胃炎, 過労, 孤独`
……なんだこのステータスは。
世界最強の存在が、中間管理職のような病を抱えている。
「つまり、私をスカウトしたいと?」
「そうだ。貴様を『魔王軍・総務局長』として迎える。
年俸は金貨1,000枚。福利厚生完備。サキュバスの秘書もつけよう。
……頼む。このカオス(混沌)を、なんとかしてくれ」
魔王が頭を下げた。
世界の敵が、一人の事務員に頭を下げている。
俺は溜息をつき、眼鏡を押し上げた。
金貨1,000枚。破格だ。
だが、それ以上に俺の心を動かしたのは、目の前に広がる「未整理データ(ゴミ屋敷)」への、どうしようもない使命感だった。
「……条件があります」
「なんだ? 世界の半分か?」
「いいえ。全権委任です。
人事、経理、兵站。すべての権限を私にください。四天王だろうが将軍だろうが、私の『効率化』に従わせます」
魔王は顔を上げ、紅蓮の瞳を光らせた。
そして、ニヤリと(兜越しに気配で)笑った。
「良かろう。好きにしろ。……貴様の手腕、見せてもらおうか」
`[Quest Accepted]: 魔王軍の再建`
`[Difficulty]: Nightmare`
こうして、俺は人間界を離れ、魔界のブラック企業へと「再就職」することになった。
まずは、現状把握からだ。




