第32.34話:全シート再計算(F9) 〜民衆という名の巨大データベース〜
静寂。
地下水路の淀んだ空気が、さらに重く沈殿していく。
宰相バルバロスの顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちていく様は、まるで安物のメッキが剥げるようだった。
彼の視線は、俺の手にある通信石に釘付けになっている。
「……な、何を言っている? 放送だと?」
「ええ。聞こえませんか? 地上からの『怒号』が」
俺は天井を指差した。
地下深くにいる俺たちにも、微かに、しかし確実に伝わってくる振動。
それは、オーガの足音ではない。
何万という人間の足音と、叫び声だ。
王都の中央広場、市場、大通り。
あらゆる場所に設置された魔法スピーカーから、先ほどのバルバロスの「自白」が流れたのだ。
『私が操る王』『証拠は揉み消せる』『魔王軍との通謀』。
これ以上の「炎上案件」はない。
「ば、馬鹿な……! 通信魔法の回線は全て監視下にあるはずだ! 貴様ごときがハッキングできるはずがない!」
「正規の回線ではありませんよ。私が使ったのは、地下の魔力パイプラインを物理層(レイヤー1)で直接振動させる、アナログな手法です」
俺は肩をすくめた。
Excelで言えば、ネットワーク経由ではなく、直接CSVファイルをサーバーに流し込んだようなものだ。
泥臭いが、セキュリティの影響を受けない。
その時。
地下水路の入り口側から、新たな足音が響いてきた。
近衛兵たちの足音ではない。もっと不揃いで、しかし圧倒的な「数」の暴力。
「こっちだ! 声は下から聞こえたぞ!」
「売国奴バルバロスを許すな!」
「俺たちの税金を返せ!」
民衆だ。
怒れる市民たちが、鍬やハンマー、包丁を持って雪崩れ込んできたのだ。
さらに、その先頭には、見覚えのある白髪の男が立っていた。
財務大臣、ヴァルザック。
彼は幾重もの拘束魔法を自力で解除したのか、あるいは部下に助けられたのか、ボロボロの服を纏いながらも、鬼神のような形相で杖を握りしめていた。
「バァァァルバロォォォスッ!!!」
ヴァルザックの怒号が響く。
彼は杖を掲げ、極大魔法の詠唱を始めた。
`[Ancient Magic]: Judgment Hammer (断罪の槌)`
黄金の光が地下空間を満たす。
「ひぃッ!?」
バルバロスが悲鳴を上げ、後ずさる。
近衛兵たちも、押し寄せる民衆の波と、財務大臣の威圧に圧倒され、剣を落として戦意を喪失した。
「ま、待てヴァルザック! 話し合おう! 私には王がいる! 国王陛下の名において……!」
「王だと? 貴様が操り人形にしていた陛下が、今さら貴様を守ると思うか!」
ヴァルザックが杖を振り下ろす。
黄金のハンマー(魔力塊)が、バルバロスの目の前に落下した。
ズドォォォォン!!
地面が割れ、バルバロスが衝撃波で吹き飛ぶ。
彼は汚水の中に転がり、泥まみれになりながら這いつくばった。
「おしまいですね、宰相閣下」
俺は静かにバルバロスの前に立った。
彼は見上げ、憎悪に満ちた目で俺を睨んだ。
「き、貴様……! たかが事務員風情が……! この国の秩序を壊して、何になる!」
「秩序? あなたが作ったのは『バグだらけの仕様書』ですよ」
俺は彼を見下ろした。
「俺はただ、デバッグ(修正)をしただけです。古いコードを消し、新しいロジックを組む。……それが、事務員の仕事ですから」
バルバロスは何か言い返そうとしたが、駆けつけた民衆に取り押さえられた。
「捕まえろ!」「ギロチンだ!」という怒号の中、彼は引きずられていった。
残されたのは、山積みのミスリル武器と、疲れ果てた俺たち。
ヴァルザックが近づいてきて、俺の肩に手を置いた。
「……よくやった、工藤。本当に、よくやってくれた」
その目には涙が浮かんでいた。
長年、政敵に苦しめられ、国を憂いてきた老臣の、重い感謝の言葉。
「仕事ですから。……ああ、残業代の請求書、後で回しますね」
俺は冗談めかして言ったが、ヴァルザックは真顔で頷いた。
「いくらでも払おう。この国が生まれ変わるための、必要経費だ」
こうして、「王都動乱」は幕を閉じた。
翌日、バルバロス一派は全員逮捕され、国王陛下(長年、薬で洗脳されていたが解毒された)による親政が復活した。
第三騎士団は解体・再編され、横領されていた資金は国庫に返還された。
インフレは収束に向かい、金貨の純度も徐々に戻りつつある。
そして、俺――工藤聡は。
数日後。
王城の謁見の間にて。
国王陛下より、勲章と「伯爵」の位を授与されることになった。
「工藤聡よ。そなたの功績は筆舌に尽くしがたい。よって、王都の一等地に屋敷を与え、終身名誉顧問として……」
王の言葉が続く中、俺は心の中で `[ESC]` キーを連打していた。
いらない。
貴族の位なんて、面倒な付き合いとしがらみが増えるだけだ。
俺が欲しいのは、そんなものではない。
「陛下。恐れながら」
俺は片膝をついたまま、発言を求めた。
「爵位も屋敷も辞退いたします。私には分不相応です」
どよめきが起こる。
王が目を丸くする。
「では、何を望むのだ?」
俺は顔を上げ、ニッコリと笑った。
「アルタ・ノヴァへの帰還許可を。……あそこには、まだ片付けていない書類と、俺を待っているコーヒーメーカーがありますから」
王は呆気にとられた後、豪快に笑った。
「欲のない男だ。……良かろう。だが、王都の危機には必ず駆けつけること。それを条件とする」
`[Quest Completed]: 王都動乱`
`[Reward]: 自由, 伝説の事務員という二つ名, ヴァルザックの個人的な借金(恩義)`
俺は王城を後にした。
外には、カイルが馬車を用意して待っていた。
「よお、伯爵様。お帰りか?」
「ただの事務員に戻りましたよ。さあ、帰りましょう。……エリーナさんが、また計算ミスで泣いている頃かもしれません」
馬車が動き出す。
背後に遠ざかる王都の街並みは、来た時よりも少しだけ、明るく輝いているように見えた。
俺の戦いは終わらない。
どこへ行っても、非効率と理不尽がある限り、俺とExcelの出番はある。
だが、今はただ、あの住み慣れたギルドのボロい執務室で、ゆっくりとコーヒーを飲みたい気分だった。
`Active Worksheet: アルタ・ノヴァ支部`
`Status: Ready`
俺は目を閉じ、心地よい揺れに身を任せた。
***
**第四章:完**




