第28話:財務大臣の憂鬱 〜#DIV/0!(ゼロ除算)の国家予算〜
財務省庁舎の内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
だが、それは平穏な静寂ではない。
何百人もの官僚たちが、羊皮紙の山に埋もれ、ただひたすらにペンの音だけを響かせる、死滅した珊瑚礁のような静けさだ。
廊下ですれ違う職員たちは皆、顔色が青白く、目の焦点が合っていない。
彼らの頭上のステータス。
`[Job]: 財務官僚`
`[State]: 思考停止, 責任転嫁 (Passive)`
「……嫌な空気だな。ギルドのブラック時代を思い出すぜ」
カイルが小声で囁く。
「いえ、ここはもっと質が悪いです。ギルドには『熱気』がありましたが、ここには『保身』しかありません」
案内されたのは、最上階にある大臣執務室。
重厚なマホガニーの扉の前で、秘書官が入室を告げる。
「どうぞ。ヴァルザック閣下がお待ちです」
俺たちは部屋に入った。
そこは、広大な空間だった。
床には深紅の絨毯、壁には歴代国王の肖像画。
そして、部屋の奥、書類が城壁のように積み上げられた巨大な机の向こうに、その男はいた。
財務大臣、ヴァルザック侯爵。
六十代半ば。白髪をオールバックにし、鋭い鷲鼻と、冷徹な氷のような瞳を持つ男。
彼は俺たちが入ってきても顔を上げず、手元の書類にサインを続けていた。
`ヴァルザック(財務大臣)`
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[Level]: 5
[Int (知力)]: 95 (Ex.High)
[Skill]: 国家予算管理, 粛清, 隠蔽工作
[Status]: 絶望 (Hidden)
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絶望?
この国の財布を握る最高権力者が?
俺は無言で待ち続けた。
相手が顔を上げるまで声をかけない。これは権力者との面会における「間」の勝負だ。
三分後。
ヴァルザックはペンを置き、ゆっくりと顔を上げた。
「……辺境のギルドで、私の部下をコケにした事務員というのは、貴様か」
第一声は、威圧だった。
カイルが剣の柄に手をかける。俺はそれを手で制した。
「コケになどしておりません。提出を求められた書類を、完璧な形で納品しただけです」
「ふん。ヴァルダーは報告書で泣き言を書いていたぞ。『人間業ではない速度で処理された』とな」
ヴァルザックは立ち上がり、窓際に歩み寄った。
そこからは、煌びやかな王都の街並みが一望できる。
「工藤、と言ったな。貴様、この街を見てどう思う?」
「美しい街です。……表面上は」
俺は正直に答えた。
「ですが、流通している金貨の純度は落ち、城門の物流は滞り、下層街区の貧困率は危険水域です。一言で言えば、『破綻寸前』に見えます」
ヴァルザックが振り返った。
その瞳に、興味の光が宿る。
「ほう。一介の事務員が、街を歩いただけでそこまで見抜くか」
「数字は嘘をつきませんから。……金貨の純度が85%まで落ちているのは、造幣局が金を抜いているからか、それとも国庫に金がないからか。どちらですか?」
カイルが「おいおい、そんなこと聞いていいのかよ」と冷や汗をかいている。
だが、ヴァルザックは怒らなかった。
むしろ、深く、重い溜息をついた。
「……両方だ」
大臣は机に戻り、一冊の黒い帳簿を放り投げた。
それは、鍵のかかった厳重なものだったが、彼は鍵を開けて俺の前に滑らせた。
「見ろ。これが王国の『真の国家予算書』だ」
俺は帳簿を手に取った。
Excelスキル発動。
`[データ] タブ` → `[外部データの取り込み]`。
瞬間、俺の脳内に膨大な数値データが雪崩れ込んできた。
歳入、歳出、軍事費、王室費、公共事業費……。
数十万行に及ぶレコード。
俺は眉をひそめた。
`SUM関数` が弾き出した結果は、あまりにも無慈悲だった。
`[Total Revenue (歳入)]: 5,000,000,000 G`
`[Total Expenditure (歳出)]: 12,000,000,000 G`
`[Deficit (赤字)]: -7,000,000,000 G`
「……70億ゴールドの赤字。歳入の倍以上を使っている。どうやって国を回しているんです?」
「借金だ。隣国の帝国、そしてドワーフの銀行からの借入金。あとは……未来の税収を担保にした『国債』の乱発」
自転車操業どころではない。
ジェットコースター操業だ。落ちるだけの。
「だが、問題は赤字だけではない」
ヴァルザックが指で机を叩いた。
「金が消えているのだ。予算を組んでも、現場に届く前に霧散する。軍に送ったはずの糧食費、城壁の修繕費、貧民への炊き出し予算……。途中で何者かが『中抜き』している」
「横領ですか」
「ああ。だが、手口が巧妙すぎて尻尾が掴めん。帳簿上は合っているのだ。……貴様のギルドで見せたような『魔法のような監査』で、この国の膿を出してほしい」
これが、召喚の理由か。
俺は帳簿のデータをさらに深く解析した。
特に怪しいのは「軍事費」だ。全体の40%を占めている。
`[軍事費内訳]`
`第三騎士団 給与: 500,000,000 G`
`所属人数: 10,000名`
一万人?
俺は `COUNTIF` 的な直感で違和感を覚えた。
先ほど街ですれ違った騎士たちの装備、練度、そして街の規模。
常備軍として一万人は多すぎる。
「大臣。第三騎士団の名簿はありますか?」
「ここにある」
ヴァルザックが別の薄い帳簿を渡す。
俺は二つの帳簿を `VLOOKUP` で突合(照合)した。
そして、`重複の削除` と `条件付き書式` を適用。
結果が出た。
「……幽霊がいますね」
「何?」
「給与が支払われている兵士のうち、約3,000名は実在しません。死亡済み、あるいは架空の人物です。彼らの給与、年間1億5千万ゴールドが、誰かの懐に入っています」
ヴァルザックの顔が紅潮した。
「3,000人だと!? 第三騎士団長……『鉄壁のガルド』め、私腹を肥やしていたか!」
「それだけじゃありません。武器の購入単価、食料の納入業者……すべてにおいて、市場価格との乖離があります。これらをすべて修正すれば……」
俺は脳内で `Solver` を回した。
「赤字を半分まで減らせます。黒字化は無理ですが、破綻は免れる」
ヴァルザックは震える手で顔を覆った。
それは安堵と、怒りの入り混じった震えだった。
「……工藤。貴様を『王立会計監査官』に任命する。特権を与える。聖域なき監査を行え。邪魔する者は、たとえ将軍だろうが王族だろうが、私が政治的に抹殺する」
巨大な権力を提示された。
だが、それは同時に、巨大な標的になることを意味する。
この国の闇――軍部、貴族、裏社会――すべてを敵に回す仕事だ。
俺は隣のカイルを見た。
彼はニヤリと笑って、肩をすくめた。
「面白くなってきやがった。追加料金は弾んでもらうぜ」
俺はヴァルザックに向き直り、ネクタイを緩めた。
「お引き受けします。ただし、条件があります」
「言ってみろ」
「私の残業代は高いですよ。……それと、安全なオフィスと、飲み放題のコーヒー(最高級豆)を用意してください」
ヴァルザックは初めて、口元に薄い笑みを浮かべた。
「良かろう。……歓迎するぞ、泥沼の王都へ」
こうして、俺は王国の財政再建という、デスマーチ確定の超大型プロジェクト(PJ)にアサインされた。
最初に着手すべきは、第三騎士団。
「幽霊兵士」を作り出している将軍との、直接対決だ。
俺は帳簿を閉じた。
パタン、という音が、王都動乱のゴングのように響いた。




