第25話:非表示行の契約書 〜利用規約(EULA)に潜む悪魔〜
午後二時。
閑古鳥が鳴くアルタ・ノヴァ支部の執務室。
かつての賑わいが嘘のように、ホールからは人の気配が消えていた。
残っているのは、義理堅い古参の冒険者数名と、行くあてのない飲んだくれだけだ。
ガント支部長は、窓から向かいの白い巨塔を睨みつけ、ギリギリと歯ぎしりをしている。
エリーナは、激減した売上日報(真っ赤な数字が並んでいる)を抱えて、おろおろと涙ぐんでいる。
そんなお通夜ムードの中、俺はデスクで指を組んでいた。
待っていたのだ。
「潜入調査」の結果を。
スッ……。
音もなく、部屋の影から一人の男が現れた。
元・闇の仲介屋、現在は当ギルドの「市場調査部長(兼・工作員)」であるゲイルだ。
彼は真新しいスーツ(俺が支給した)を着崩し、手には一枚の羊皮紙と、青い小瓶を持っていた。
「……戻ったぞ、ボス」
ゲイルが俺のデスクに戦利品を放る。
「エリュシオンの会員登録証と、配布されている『無料ポーション』だ。潜り込むのは簡単だったぜ。何せ、来るもの拒まずの大盤振る舞いだからな」
「ご苦労様です。内部の様子は?」
「天国だそうだ。酒池肉林、至れり尽くせり。……だが、妙な匂いがする。甘ったるい、腐った果実のような匂いだ」
ゲイルは鼻を鳴らした。
裏社会で生きてきた彼の直感は鋭い。
俺は頷き、まずは羊皮紙――エリュシオンの「会員契約書」を手に取った。
最高級のヴェラム紙(子牛の皮)。
金色のインクで装飾された縁取り。
中央には、美しいカリグラフィーで「冒険者登録証」と書かれている。
一見すると、ただの豪華な証明書だ。
だが、俺の `Excel・アイ` は騙されない。
紙の質量に対して、保有している「情報量(バイト数)」が異常に多い。
俺は契約書を空中に固定した。
`[表示] タブ` → `[ズーム (Zoom)]`。
倍率:`5000%`。
グググッ……!
視界が急速に拡大される。
紙の繊維の一本一本が見えるレベルまで拡大すると、そこにある「異常」が露わになった。
行間だ。
一見すると空白に見える行間。
そこに、肉眼では認識不可能な極小フォント(サイズ 0.1pt)で、びっしりと文字が埋め込まれていたのだ。
インクの色は、紙の色と限りなく近い「オフホワイト」。
`[書式設定]: フォント色=背景色(隠し文字)`
`[行の高さ]: 0.1`
典型的な隠蔽工作。
俺は `[全選択]` → `[フォント色: 黒]` → `[行の高さ: 自動調整]` を脳内で実行した。
バッッッ!!
目の前の契約書が、黒い文字で埋め尽くされた。
美しい装飾など見る影もない。それは、悪意に満ちた「奴隷契約書」だった。
俺は内容を読み上げた。
「第15条:会員は、依頼で得た全てのドロップ品の所有権をエリュシオンに譲渡するものとする(報酬は現金支給のみ)」
「第23条:会員登録時に貸与された装備(ミスリル剣等)のレンタル料は、日利5%の複利で計算される」
「第48条:本契約を解除する場合、違約金として金貨100枚を即座に支払うものとする」
「第99条:債務不履行の場合、会員は身体の自由を放棄し、エリュシオンが指定する労働(強制労働)に従事することに同意したものとみなす」
「な、なんだそれは……!」
ガントが絶句した。
エリーナが口元を押さえる。
「つまり、こういうことです。
登録ボーナスや無料装備で釣って、サインさせる。
気づいた時には、莫大なレンタル料という借金を背負わされ、辞めようにも違約金で縛られる。
最終的には、借金のカタに『素材』として使い潰される……」
現代のブラック企業や、悪徳商法の手口そのものだ。
だが、この世界には「消費者庁」も「労働基準監督署」もない。契約魔法が成立してしまえば、合法的に奴隷化できる。
「そ、そんな……! みんな、これを知らずにサインしたの!?」
「ええ。誰も『空白の行間』なんて読みませんから」
俺は冷たく言い放った。
次に、青い小瓶――「無料ポーション」を手に取った。
蓋を開ける。
甘い、ベリー系の香り。
だが、その奥に、ツンとする薬品臭が混じっている。
`[分析ツール (Analysis ToolPak)]` 起動。
`成分分析 (Component Check)`。
----------------------------------
[Item]: エリュシオン製ポーション
[Main Ingredient]: 癒し草のエキス
[Additive A]: 覚醒剤成分 (Mild)
[Additive B]: 依存性誘発物質 (Addictive: High)
----------------------------------
「……クロですね」
俺は小瓶をデスクに置いた。
「ただの回復薬じゃない。微量の興奮剤と、強い依存性のある薬物が混ぜられています。これを飲み続ければ、疲れ知らずで戦えるようになりますが……」
「……薬が切れれば、禁断症状が出る」
ゲイルが低い声で続けた。
「手が震え、不安になり、またあの『甘いポーション』が欲しくてたまらなくなる。だが、二本目からは有料だ。しかも法外な値段でな」
完璧なビジネスモデルだ。
労働力を囲い込み、借金で縛り、薬漬けにして搾り取る。
レオニード。あの爽やかな笑顔の裏で、ここまでえげつないスキームを組んでいるとは。
ある意味、尊敬に値するほどの「悪徳経営者」だ。
「許せん……!! 冒険者をなんだと思っているんだ!!」
ガントが机を拳で叩き割った(修理費計上)。
怒りで全身を震わせている。
「落ち着いてください、支部長。怒りで解決するなら苦労はしません」
俺は冷静に机の残骸(木片)を片付けながら言った。
「彼らは『ルール』の中で動いています。契約書にサインしたのは冒険者自身。薬を飲んだのも彼ら自身。法的に訴えるのは難しい」
「じゃあ、指をくわえて見てろってのか!? みんなが奴隷にされるのを!」
「いいえ」
俺は立ち上がり、窓の外――向かいの白い巨塔を見据えた。
夕日に染まるエリュシオンのビルは、まるで血を吸ったかのように赤く輝いている。
「彼らの弱点は『急成長』そのものです」
俺は空中にグラフを描いた。
`[成長曲線]` と `[キャッシュフロー]`。
「エリュシオンは今、莫大な先行投資をしています。建設費、宣伝費、そして無料配布のコスト。これらを回収するためには、短期間で冒険者を酷使し、利益を出さなければならない」
つまり、彼らには「待つ」余裕がない。
自転車操業なのだ。
「我々の戦略は『耐久戦』です。
彼らが自滅するまで、我々は『最後のセーフティネット』としてここに在り続ける」
「耐久戦……?」
「はい。向こうに行った冒険者たちが、契約の罠に気づき、薬の副作用に苦しみ始めた時……帰ってくる場所が必要です」
俺は振り返り、ガントとエリーナ、そしてゲイルを見た。
「準備をしましょう。
『法務相談窓口(契約解除のサポート)』と、『薬物依存のリハビリ施設』。
そして、何より……『ホワイトな労働環境』を維持すること。
それが、最強の差別化戦略です」
俺は、手元の契約書を、シュレッダーにかけるように指先で細断した。
「さあ、忙しくなりますよ。まずは、向こうの契約書を無効化するための『対抗マクロ(法解釈の抜け穴検索)』を組みます。……事務員の意地、見せてやりましょう」
俺の目は、深夜残業モードの怪しい光を帯びていた。
商戦は、これからが本番だ。
キラキラした詐欺師に、泥臭い社畜の底力(とExcelの暴力)を教えてやる時が来た。




