第17話:オートフィルタの加護 〜生存率を可視化する条件付き書式〜
ギルドホールの一角、壁一面を占める巨大なコルクボードの前は、常に人だかりができている。
そこには、先ほど導入した「スマート依頼板」で作成された規格統一された依頼書と、まだ残っている古い手書きの依頼書が混在し、画鋲で幾重にも重ねて貼られていた。
情報の洪水だ。
どこに何があるのか分からない。
「薬草採取(ランクF)」の隣に、「ドラゴン討伐(ランクS)」が貼られているカオスな状況。
これでは、目当ての仕事を探すだけで日が暮れてしまう。
俺はカウンターの中から、その様子を観察していた。
特に気になったのは、装備の真新しい三人組の若者たちだ。
あどけなさが残る少年剣士、緊張した面持ちの少女僧侶、そして軽薄そうな短剣使い。
典型的な、田舎から出てきたばかりの新人パーティだ。
彼らは掲示板の前で、一枚の依頼書を剥がそうとしていた。
『赤熊の討伐』
[推奨ランク]: C
[報酬]: 金貨 3枚
彼らの装備を見る限り、ランクは精々EかF。
Cランクの赤熊など、遭遇した瞬間に全滅確定の相手だ。
「おい、これにしようぜ! 金貨3枚だぞ! これなら新しい剣が買える!」
「でも……ランクCって書いてあるよ? 私たちには無理じゃない?」
「大丈夫だって! 熊なんて罠にかければイチコロさ!」
短剣使いが強引に依頼書を剥がそうとする。
少女が不安そうに見ている。
このままでは、明日の朝には彼らは「行方不明者リスト」の行に追加されることになるだろう。
俺はため息をつき、カウンターを出た。
直接止めるのは簡単だ。だが、それでは根本的な解決にならない。
システム側で、「ユーザーのレベルに合わない操作」を制限しなければならない。
「お楽しみのところ失礼します」
俺は若者たちの後ろから声をかけた。
三人がビクリとして振り返る。
「なんだアンタ。俺たちがこれを受けるのを邪魔する気か?」
短剣使いが睨んでくる。
俺は穏やかな笑みを向けた。
「邪魔などしません。ただ、当ギルドでは現在、掲示板のシステム移行を行っておりまして。その依頼書が『あなた方に表示されるべきものか』を確認させていただけますか?」
「は? 表示されるべきもの? 紙はここにあるだろ」
「ええ。ですが、それは『全ての人』に見えている状態です。それが非効率なのです」
俺は彼らの手から依頼書を取り上げるのではなく、掲示板そのものに歩み寄った。
巨大なコルクボード。
無数の穴が開き、古びた紙の匂いがする。
俺はボードの枠に手を触れた。
`Ctrl + A` (全範囲選択)。
ボード全体を一つの「テーブル」として定義する。
次に、ここにある全ての依頼書データに対し、`VLOOKUP` 関数を埋め込む。
検索値は「閲覧者のギルドカード」。
参照範囲は「ギルドの会員データベース」。
戻り値は「冒険者ランク」。
そして、仕上げに `条件付き書式 (Conditional Formatting)` を設定する。
`=IF(Quest_Rank > Adventurer_Rank + 1, TRUE, FALSE)`
(もし、依頼ランクが冒険者ランク+1より高い場合)
`[書式]: フォント色=背景色(見えなくする), セルのロック(触れない)`
`=IF(Quest_Rank <= Adventurer_Rank, TRUE, FALSE)`
(適正ランクの場合)
`[書式]: 背景色=ゴールド(強調), 枠線=太字`
MPがゴリッと減る感覚。
物理的な紙のインクを、閲覧者ごとに動的に書き換える術式だ。かなり高度な処理だが、今の俺(Lv.2 + 事務の鬼神)ならできる。
「君たち、ギルドカードを持ってるね? ちょっと貸してごらん」
俺は短剣使いからカードをひったくった。
ランクF。やはりだ。
俺はそのカードを、掲示板の枠に取り付けた「カードリーダー(という名のただの木枠)」に差し込んだ。
ブォン。
掲示板全体が波打った。
次の瞬間。
「うわっ!? なんだこれ!」
若者たちが叫んだ。
彼らの目の前で、掲示板の様相が一変したのだ。
先ほどまで彼らが剥がそうとしていた『赤熊の討伐』の依頼書。
その紙が、まるで黒く塗りつぶされたように真っ黒になり、文字が一切読めなくなった。
さらに、画鋲が岩のように重くなり、指でつまもうとしてもビクともしない(セルのロック)。
「よ、読めねぇ! 剥がせねぇ!」
一方で、ボードの下の方に埋もれていた地味な依頼書――『ドブネズミの駆除』や『薬草の採取』といった依頼書が、黄金色の光を放ち始めた。
それらは、彼らにおすすめの(適正ランクの)依頼だ。
「これが『適正フィルタリング』です」
俺は解説した。
「この掲示板は、カード所有者の実力に合わせて、表示内容を最適化します。黒くなっている依頼は、今の君たちの実力では『死亡率90%以上』の危険案件。システムが受注を拒否しています」
「し、死亡率90%……?」
少女が顔を青ざめさせる。
短剣使いも、黒く塗りつぶされた依頼書を見て、ごくりと唾を飲んだ。
可視化された「死の宣告」は、言葉での説得よりも雄弁だ。
「逆に、光っている依頼を見てください」
俺は黄金色に輝く『ドブネズミの駆除(報酬:銅貨50枚)』を指差した。
「ショボい依頼に見えるでしょう? ですが、今の君たちがこれをこなし、確実に達成することで得られる経験値と信頼度は、失敗して死ぬよりも遥かに価値がある。……そう、利益率(ROI)が最大なのです」
「アール……オー……アイ……?」
彼らは言葉の意味は分からなかったようだが、「光っている=お得」というゲーマー的な直感は働いたらしい。
少年剣士が、光る依頼書に手を伸ばした。
スッ、と軽く剥がれる。
「これなら……俺たちでも確実にできるってことか?」
「ええ。それを5回繰り返せば、次はDランクの依頼が光るようになりますよ。ステップアップです」
三人は顔を見合わせた。
そして、納得したように頷き、光る依頼書を数枚持ってカウンターへと向かった。
死地への行軍が、堅実なキャリア形成へと変わった瞬間だ。
俺はカードを抜き取り、短剣使いに返した。
カードが抜かれると、掲示板は元のカオスな状態に戻る。
その様子を見ていた他の冒険者たちが、どよめきながら集まってきた。
「おい事務員! 俺のカードでもやってみてくれ!」
「俺にはどのお宝依頼が見えるんだ?」
「俺のランクならドラゴンも光るんだろ?」
行列ができた。
掲示板の前が、まるで「運勢占い」か「ガチャ」を楽しむ人だかりのようになった。
カイルたち『暁の剣』パーティもやってきた。
カイルが面白がってカードを差し込む。
ランクBの彼には、『ワイバーンの巣の調査』や『オーガロードの討伐』といった高難易度クエストが金色に輝き、低ランクの依頼はグレーアウト(薄い灰色)して「推奨せず」と表示された。
「へぇ、こりゃ便利だ。俺たちが薬草採りなんかしても、新人の仕事を奪うだけだしな。住み分けができる」
カイルが感心して言った。
その通り。
高ランク者が低ランク依頼を乱獲する「初心者狩り」のような状況も、これで抑制できる。
リソースの最適配分。
ギルド全体の生産性が向上する音が、俺には聞こえるようだった。
だが、このシステムにも欠点はある。
「誰もやりたがらない不人気クエスト」――例えば『スライムまみれの下水道清掃』のような、臭くて安くて危険な3K依頼。
これらは誰のカードでも光らず、黒くもならず、ただ地味に残り続ける。
俺は、ボードの隅に寂しく残された『下水道清掃』の依頼書を見つめた。
これでは、街の衛生環境が悪化する一方だ。
誰かにやらせなければならない。
俺はニヤリと笑った。
Excelには、まだ手がある。
「セット販売」あるいは「ボーナスステージ」の概念だ。
俺は『下水道清掃』の依頼書に、特殊な関数を組み込んだ。
`IF` 関数と、`CONCATENATE` (結合)関数。
『この依頼を達成したパーティには、次回、報酬金+20%のボーナスチケット(クーポン)を配布する』
さらに、依頼書の文字色を、毒々しいほど目立つ「ショッキングピンク」に変更し、点滅アニメーションを追加した。
`[書式]: 点滅, 太字, フォントサイズ20`
ビカビカビカッ!
掲示板の隅で、下水道清掃の依頼書がパチンコ屋のネオンのように激しく主張し始めた。
「うおっ! なんだあれ!」
「『期間限定! 報酬アップキャンペーン』だと!?」
「早い者勝ちか!?」
金にがめつい冒険者たちが、ピンク色の依頼書に殺到した。
あっという間に奪い合いになり、受注が決まる。
完了だ。
俺は満足げに頷いた。
人の行動は、データとUIでコントロールできる。
これが「ナッジ(行動経済学的な肘押し)」の実践だ。
こうして、午前中の業務は(多少の混乱はあったものの)劇的な効率化を達成した。
だが、俺にはまだ、個人的な課題が残っていた。
それは、昼食だ。
ギルド改革に夢中で忘れていたが、俺の腹時計が限界を告げていた。
そして、異世界の食事事情――特に「メシマズ」問題は、俺のExcelスキルでも解決できるか分からない、未知の領域だった。




