第14話:絶対参照の盾 vs 監査魔法の矛 〜不正なきセルの証明〜
監査官、ヴァルダー。
王都から派遣された財務局の官僚である彼は、神経質そうな細い指で、俺が差し出した決算報告書を受け取った。
銀縁メガネの奥にある瞳は、獲物を狙う猛禽類のように冷たく、そして少しの蔑みを孕んでいた。
「……ふん。一夜漬けの帳尻合わせか? 無駄なことを」
ヴァルダーは鼻で笑うと、懐から片眼鏡を取り出した。
縁に微細なルーン文字が刻まれた、魔道具だ。
`真実の片眼鏡(Truth-Seer's Monocle)`
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[Effect]: 書面に施された改竄、偽造、数値の矛盾を赤色で発光させる。
[Accuracy]: 99.9%
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なるほど。「条件付き書式」の物理デバイス版か。
ヴァルダーが片眼鏡を装着すると、レンズが怪しく青白く発光した。
彼は報告書の表紙をめくり、最初のページに視線を落とした。
部屋の空気が張り詰める。
ガント支部長は額から滝のような汗を流し、祈るように両手を握りしめている。
エリーナは直視できないのか、両手で顔を覆っている。
ペラッ……ペラッ……。
静寂の中、乾いた紙の音だけが響く。
ヴァルダーの指が動く。
最初はゆっくりと。粗探しをするように、一行一行を舐めるように。
「……ほう」
数ページ進んだところで、彼の手が止まった。
ガントが「ヒッ」と息を呑む。
「計算が……合っているだと?」
ヴァルダーの声に、微かな驚きが混じる。
彼はページを捲る速度を上げた。
収入の部。支出の部。人件費。修繕積立金。
膨大な数字の羅列。
その全てが、片眼鏡を通しても「赤く光らない」。
「馬鹿な……。昨日の時点で、金貨150枚分の使途不明金があったはずだ。それをどう処理した? 架空の収入で埋めたか? それとも経費を水増ししたか?」
ヴァルダーは焦ったように、問題の「10月15日」のページを開いた。
ワイバーンの皮の買取記録がある箇所だ。
俺が修正した、赤いインクの数字。
「ここだ! 訂正印があるぞ! 『1,650,000』を『165,000』に書き換えている! これこそが隠蔽工作だろう!」
ヴァルダーが勝ち誇ったように声を上げた。
ガントが青ざめる。
だが、俺は静かに、机の脇に用意しておいた「原票(オリジナルの伝票)」を差し出した。
「隠蔽ではありません。適正化です。こちらが、当時の倉庫番が書いた受領伝票です。日付と署名をご確認ください」
ヴァルダーはひったくるように伝票を取り、片眼鏡で凝視した。
伝票の数字は『165,000』。
そして、片眼鏡は光らない。つまり、伝票は本物だ。
「……転記ミス、だと……?」
「はい。単純なヒューマンエラーです。それを修正し、本来あるべき数字に戻しました。それにより、金庫の現金と帳簿の残高は、1ゴールドの誤差もなく一致しています」
俺は淡々と言い放った。
ヴァルダーはぐぬぬ、と唸り声を上げ、再び報告書に目を落とした。
今度は、後半のページ。
昨夜、俺がオートフィル(空飛ぶ羽ペン)で処理した、4,500枚の未処理書類に関する集計データだ。
「……なんだ、この筆跡は」
ヴァルダーが気味悪そうに呟いた。
無理もない。
数百ページにわたる記録が、まるで印刷されたかのように均一な筆跡、均一なインクの濃さ、均一な文字サイズで書かれているのだから。
人間特有の「疲れによる文字の乱れ」が一切ない。
「筆跡が一定すぎる。魔道具による自動筆記か? ギルド法では、重要書類は『人の手』による記述が義務付けられているはずだが」
鋭い。
確かにマクロ(自動筆記)を使った。
だが、俺は平然と嘘をついた。
「いいえ、全て私の手書きです。私は『事務員』ですので。いかなる状況でも一定の品質で文字を書く訓練を受けております(フォント設定の固定化)」
「貴様が? 一晩でこれを全部?」
「ええ。疑うなら、私の指を見てください」
俺は右手を差し出した。
中指には、羽ペンを握り続けたことによる、赤黒い「ペンだこ」ができている――ように見せるため、直前に強く圧迫して跡をつけておいた。
さらに、袖口にはインクの染み(これは本物)。
ヴァルダーは俺の指と、目の下の隈(これも本物)を見て、わずかに毒気を抜かれたようだった。
狂気じみた事務能力を持つ人間は、稀に存在する。彼も役人として、そういう「数字の怪物」を見たことがあるのかもしれない。
ペラッ、ペラッ、ペラッ……!
ページを捲る音が、苛立ちを含んだ高速のものに変わる。
ヴァルダーは必死だった。
この監査で不正を見つけ、支部長を失脚させるのが彼の「裏の任務(政治的な意図)」だったのかもしれない。
だが、見つからない。
エラーがない。
計算ミスがない。
書式不備がない。
`#N/A` (該当なし)。
`#VALUE!` (値の誤りなし)。
`#REF!` (参照先不明なし)。
俺が構築した完璧なワークシートは、魔法の片眼鏡をもってしても突き崩せない「絶対参照の要塞」となっていた。
そして。
最後のページ。
最終行の確認印まで見たヴァルダーは、力なく報告書を閉じた。
パタン。
重厚な音が、部屋に響いた。
ヴァルダーは片眼鏡を外し、眉間を揉んだ。
「……完璧だ」
その一言は、敗北宣言だった。
「計算、書式、証憑の整合性。すべてにおいて不備が見当たらない。……ガント支部長」
「は、はいっ!」
ガントが直立不動になる。
「今回の監査は『適正』と認める。納税額の不足分もない。……優秀な部下をお持ちのようだ」
ヴァルダーは悔し紛れに捨て台詞を吐くと、俺を一瞥した。
「貴様、名は?」
「工藤聡です」
「クドウ……覚えておこう。王都の財務局でも、これほど美しい書類を作れる者は少ない」
ヴァルダーはマントを翻し、兵士たちを引き連れて部屋を出て行った。
足音が遠ざかっていく。
静寂。
そして。
「うおおおおおおおおっ!!!」
ガント支部長が、野獣のような雄叫びを上げた。
俺に突進してくる。
丸太のような腕で、俺の身体を抱きしめた(というより締め上げた)。
「ぐえっ」
「やった! やったぞ工藤!! 助かった! 俺の首も、ギルドの看板も守られた!! お前は命の恩人だ!!」
背骨がミシミシと音を立てる。
`[Damage]: 物理ダメージ (小)`
`HP: 150/150` → `135/150`
喜びの抱擁でHPが減るとは。
「ま、マスター! 工藤さんが死んじゃいます!」
エリーナが慌てて止めに入る。
解放された俺は、その場に崩れ落ちた。
限界だった。
MPは1、HPも削られ、そして徹夜の疲労。
「約束の……報酬は……」
俺は床に這いつくばったまま、掠れた声で言った。
「ああ! もちろんだ! 金貨、いや、ボーナス弾んでやる! 今すぐ契約書を持ってこい! この男を逃がすな!!」
ガントが叫ぶ。
エリーナが泣き笑いの顔で頷く。
俺は、薄れゆく意識の中で、視界の右上にポップアップが出るのを見た。
`[Quest Completed]: デスマーチからの脱出`
`[Reward]: 金貨 10枚, ギルド職員証(正規), 支部長の絶対的信頼`
`[Title Acquired]: 事務の鬼神(Office Demon)`
事務の鬼神。なんて可愛げのない称号だ。
でもまあ、悪くない。
俺は目を閉じた。
オフィスの床で死んだ俺が、異世界の床で眠る。
だが今度は、過労死ではない。
仕事を成し遂げた、心地よい気絶だ。
おやすみなさい。
明日からは、このギルドが俺の城だ。
……あ、そうだ。
`Ctrl + S` (上書き保存)。
脳内でセーブを完了し、俺の意識は完全にシャットダウンした。
***
**第一章:完**




