第13話:並列処理(マルチスレッド)の舞踏 〜羽ペンは踊り、インクは語る〜
深夜一時。
ギルドの執務室は、蝋燭の揺らめく光と、俺の視界に浮かぶ青白いインターフェースの光が混ざり合い、幻想的かつ不気味な空間と化していた。
他の受付嬢たちは仮眠室へ下がらせた。
残っているのは、責任感からか、それとも単に恐怖で腰が抜けて動けなかったのか、部屋の隅で毛布にくるまっているエリーナだけだ。
目の前には、未処理書類の山。
その高さは俺の座高を超えている。
4,500枚。
通常の人間が手作業で処理すれば、一枚3分として225時間かかる量だ。
だが、俺に与えられた時間はあと五時間(夜明けまで)。
単純計算で、45倍の効率化が必要となる。
「……ふぅ」
俺はネクタイのない首元を緩め、腕まくりをしたワイシャツの袖口を正した。
机の上には、ギルド中のインク壺(計20個)と、予備の羽ペン(計50本)が並べられている。
準備は整った。
俺は、一番手前にある書類の山――「討伐完了報告書」の束に手を伸ばした。
`オブジェクト選択: 報告書束_GroupA`
`[Status]: 未承認, 記載不備あり, 署名漏れあり`
まずは、データの「クレンジング(洗浄)」と「バリデーション(入力規則の確認)」だ。
俺は束ごと書類を空中に放り投げた。
「ひっ!?」
エリーナが小さな悲鳴を上げる。
バサァッ!
数百枚の羊皮紙が宙に舞う。
重力に従えば、それらは無秩序に床に散らばるはずだ。
だが、俺の視界において、それらは「行(Row)」として認識されている。
行は、勝手に散らばったりしない。
`[整列 (Align)]: Grid`
空中で、紙が静止した。
まるで透明な棚に並べられたかのように、等間隔で、整然と宙に浮いている。
圧巻の光景だ。数百の文字データが、俺を取り囲む壁のように展開されている。
俺は両手を指揮者のように広げた。
`条件付き書式` を発動。
ルール:`[必須項目(署名・討伐数)が空白]`
瞬時に、空中の書類のうち、約三割が赤く染まった。
不備書類だ。これらは受理できない。
俺は右手を振る。
`[フィルタ適用]: Color = Red`
`[移動先]: 返却ボックス`
シュパパパパッ!
赤い書類だけが弾き飛ばされ、部屋の隅にある「再提出用カゴ」に正確にシュートされた。
残ったのは、記載内容に問題のない書類たち。
これらに対して行う処理は、「承認印を押す」ことと、「台帳への転記」だ。
ここからが本番だ。
俺は机の上の羽ペンたちに視線を向けた。
一本一本手に取って書いていては間に合わない。
ならば、どうするか。
Excelには「オートフィル(連続データの作成)」という機能がある。
一つのセルの内容を、隣接するセルへ一気にコピーする機能だ。
俺は一本の羽ペンを手に取り、インクをたっぷりと含ませた。
そして、空中に浮かぶ最初の一枚に、サラサラと「承認」のサインを書く。
その動作を、`マクロ記録`。
そして、対象範囲を `Visible_Documents_All` (視界内の書類すべて)に設定。
実行。
`Sub Batch_Sign_Process()`
`For Each pen In Pen_Collection`
`...`
カタカタカタカタ……。
机の上の羽ペンたちが、一斉に震え出した。
そして、見えない糸に引かれるように、フワリと浮き上がった。
十本、二十本、三十本。
それらが空中の書類に向かって殺到する。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
異様な音だった。
数十本のペンが、同時に紙の上を走り、まったく同じ筆跡、同じ速度でサインを書き込んでいく。
インクが切れると、ペンは自動的にインク壺へ戻り、補充して、また紙へ戻る。
完全な自動化。
物理演算を超越した、並列処理の舞踏。
「あ、ありえない……」
エリーナがポカンと口を開けて見上げている。
彼女の目には、俺が数十本の「念動力」を同時に操る大魔導師に見えているに違いない。
違うんだ。これはただの `For Next` ループなんだ。
承認が終わった書類は、自動的に `[アーカイブ済み]` フォルダ(完了箱)へと飛んでいく。
山が、目に見える速度で消えていく。
だが、問題はここからだ。
「手書きの自由記述」が含まれる報告書。
例えば、『依頼失敗報告書』や『事故報告書』。
これらは定型処理ができない。内容を読み、判断し、適切な処理(保険金の支払い可否など)を決定しなければならない。
一枚の書類が、俺の目の前に止まった。
字が汚い。ミミズがのたうち回ったような文字だ。
`作成者: オークの戦士・バルバ`
『おれ、つよい。どらごん、みた。にげた。かね、くれ』
……なんだこれは。
報告書としての体を成していない。
通常なら突き返すところだが、ギルドの規定(VLOOKUPで参照中)によれば、「ドラゴン目撃情報」はSランク重要案件だ。事実確認が必要となる。
俺は、この汚い文字を「整形」することにした。
`CLEAN` 関数と `PROPER` 関数、そして `Translation` (意訳)機能を複合的に実行する。
俺が指先で書類をなぞると、ミミズ文字が消え、整ったフォント(明朝体に近い手書き文字)に書き換わっていく。
『報告者:バルバ。遭遇対象:ドラゴン(種別不明)。状況:交戦を回避し戦略的撤退。要求:情報提供料の支払い』
よし、これなら読める。
俺は `[要調査]` のスタンプ(に見立てた拇印)を押し、調査部への回覧ボックスへ放り込んだ。
時間は刻一刻と過ぎていく。
MPバーが徐々に減っていくのが分かる。
`MP: 8/10` …… `6/10` ……。
物理的なペンの操作(テレキネシス的挙動)は燃費が悪い。
だが、手を止めるわけにはいかない。
深夜三時。
最大の難関が訪れた。
「経費精算書」の山だ。
冒険者たちが提出した、ポーション代や宿代の領収書(のような書き殴り)。
これの真偽を判定し、合計額を出し、不正がないかチェックする。
俺の目は、高速スキャナーのように左右に動いた。
`SUMIF` 関数が脳内で火を吹く。
「ポーション代:500G……相場は300G。却下(Over Price)」
「武器修理費:2,000G……戦闘記録と照合。該当戦闘なし。却下(Fraud)」
「馬車代:往復1,000G……距離計算。妥当。承認(Approved)」
バサバサバサッ!
却下された書類がゴミ箱へ、承認された書類が決済箱へ。
その判断速度は、一枚あたり0.5秒。
人間の限界を超えている。
俺の脳は、糖分を求めて悲鳴を上げていたが、同時に「ゾーン」に入っていた。
ランナーズハイならぬ、ワーカーズハイ。
数字が合う快感。タスクが消化されていく快感。
社畜時代、終電間際のオフィスで感じた、あの狂気じみた全能感が、異世界で覚醒していた。
インク壺の一つが空になった。
俺は指を鳴らす。
予備のインクボトルが浮き上がり、空中で傾いて、壺へと注がれる。
その一連の動作さえも、業務フロー(ワークフロー)の一部として最適化されていた。
エリーナはもう、悲鳴を上げることも忘れ、ただその光景に見入っていた。
書類の雪崩が、見えない川に流されるように処理されていく様を。
彼女にとって、それは恐怖を超えて、一種の芸術に見えたのかもしれない。
そして。
窓の外が白み始めた頃。
パサッ。
最後の一枚――「備品購入申請書:羽ペン50本」が、決済箱の上に静かに着地した。
`[Status]: 完了 (Progress: 100%)`
`[Error]: 0`
`[Warning]: 0`
静寂が戻った。
空中に舞っていた数十本の羽ペンが、カチャカチャと音を立てて机の上のペン立てに戻る。
インクの匂いが充満する部屋で、俺は大きく息を吐き出し、椅子の背もたれに深く体を預けた。
`MP: 1/10`
ギリギリだ。
だが、終わった。
4,500枚の書類が、綺麗に分類され、承認され、紐で縛られて積み上げられている。
その整然とした姿は、美しいとさえ言えた。
「……お、終わった……んですか?」
エリーナが、恐る恐る声をかけてきた。
彼女はふらふらと立ち上がり、机の上の「成果物」に近づいた。
一番上の書類を手に取る。
震える指でページをめくる。
完璧な計算。美しい文字(補正済み)。漏れのない署名。
「信じられない……。これ、私たち全員でやっても、一週間はかかる量なのに……」
彼女は俺を見た。
その目は、もはや「すごい魔法使い」を見る目ではない。
「神」を見る目だった。
事務処理の神。残業を消し去る救世主。
「工藤さん……あなた、一体……」
「ただの事務員ですよ。……ああ、コーヒーが飲みたい」
俺は乾いた笑いを浮かべた。
その時。
扉の向こうから、重厚な足音と、数人の話し声が聞こえてきた。
「ここか? ガント支部長がいる執務室は」
「は、はい! しかし、まだ準備が……」
監査官だ。
予定より早い到着。
扉がガチャリと開く。
朝日を背に受けて入ってきたのは、銀縁メガネをかけた神経質そうな男と、護衛の兵士たち、そして青ざめた顔のガント支部長だった。
「……入るぞ」
監査官の男が、鋭い視線で部屋を見渡す。
そして、机の上に積み上げられた「完璧な書類の塔」と、その前で死んだようにぐったりしている俺を見て、眉をひそめた。
「これは……何の騒ぎだ? 帳簿の提出を求めたはずだが」
俺は重い身体を起こし、最後の力を振り絞って立ち上がった。
そして、一番上にあった「決算報告書(修正済み)」を手に取り、監査官の前へと歩み寄った。
「ようこそ、アルタ・ノヴァ支部へ。お待ちしておりました」
俺は最高の営業スマイル(ただし顔色は土気色)で、書類を差し出した。
「こちらが、要求された全ての書類です。不備は一つもありません。……ご確認ください」
ここからが、俺の「正規雇用」をかけた最終プレゼンだ。




