第10話:ユーザー定義の表示形式 〜『@』で偽装する身分証〜
森を抜けるまでの数時間は、俺にとって奇妙な安らぎと、神経を削る緊張が同居する時間だった。
先頭を歩くカイルが、鉈のような剣で蔓を払いながら道を作る。
その後ろをミリアが歩き、俺、そして最後尾をリックが警戒しながら進む。
フォーメーションとしては、俺は「護衛対象」のポジションだ。
MPの枯渇による倦怠感は続いていた。
頭の芯が痺れ、足元が少しフワフワする。徹夜明けの三日目のような感覚に近い。
ワイシャツの背中は冷や汗で張り付いているが、先ほどの「置換」のおかげで不快なベタつきがないのが救いだ。
「なあ、アンタ」
後ろから、リックが声をかけてきた。
彼の手には、いつの間にか剥いたらしい木の実が握られている。
「本当に丸腰なのか? 魔法使いなら杖とか、短剣とか持ってるだろ普通」
「丸腰ですよ。俺の武器は……まあ、頭脳労働専門なので」
「ズノーロードー? よく分かんねぇけど、あの『呪い消し』は凄かったぜ。教会の司祭様だって、あんな一瞬じゃ治せねぇ」
リックは木の実をポリポリと齧りながら、俺の背中を叩いた。
軽いボディタッチだが、そこには「仲間」とまではいかないものの、一定の敬意が含まれているのを感じた。
その時、前を歩いていたミリアが立ち止まり、振り返った。
彼女は懐から、青い液体が入った小瓶を取り出した。
「工藤さん、これ……飲んでください」
差し出された小瓶。
ガラス越しにも、中の液体が淡い発光現象を伴っているのが分かる。
`初級マナポーション`
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[Volume]: 50ml
[Effect]: MP回復 (+15)
[Taste]: ミント味(合成)
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「貴重なものでしょう? 俺なんかが貰っても……」
「命を救っていただいたんです。それに、顔色が優れません。魔力欠乏の症状が出ています」
彼女の瞳は真剣だった。
俺はありがたく受け取ることにした。
コルクの栓を抜く。プシュッ、と炭酸が抜けるような音がした。
匂いは、湿布薬とハッカ飴を混ぜたような、鼻に抜ける清涼臭。
一気に煽る。
「んぐっ……」
不味い。
栄養ドリンクと歯磨き粉をミキサーにかけたような味が、喉を焼きながら胃に落ちていく。
だが、効果は劇的だった。
胃のあたりから青白い冷気が広がり、霞んでいた脳の回路がパチパチと再接続されていく感覚。
ステータスバーを確認する。
`MP: 1/10` → `10/10 (MAX)`
回復量+15なので、オーバーフロー分は切り捨てられたようだ。もったいない。
だが、思考のクリアさが戻ってきた。
「……ふぅ。生き返りました。ありがとうございます、ミリアさん」
「い、いえ! お役に立てて良かったです」
ミリアは頬を赤らめてフードを被り直した。
どうやら、このパーティとの関係構築は順調に進んでいるようだ。
さらに一時間ほど歩くと、鬱蒼とした森が開けた。
街道に出たのだ。
土が踏み固められただけの未舗装路だが、馬車の轍が刻まれている。
そして、その街道の先、小高い丘の上に、灰色の城壁が見えてきた。
辺境都市「アルタ・ノヴァ」。
巨大な石積みの壁。あちこちに補修の跡が見られ、苔が張り付いている。
城壁の上には見張り塔があり、王国の紋章らしき旗(剣と盾の意匠)が風になびいていた。
風に乗って、微かに煮炊きする煙の匂いと、家畜の糞の匂いが漂ってくる。
生活臭だ。人の営みの匂いだ。
俺はその臭さに、涙が出るほどの感動を覚えた。
「着いたな。ここがアルタ・ノヴァだ」
カイルが剣を収め直しながら言った。
「さて、工藤。ここからが問題だ。門を通るには身分証がいる。アンタ、持ってないんだろ?」
「ええ。紛失しまして(元々ないですが)」
「ギルドカードも、市民権もないとなると、仮入国審査になる。水晶玉に手をかざして、犯罪歴やステータスをチェックされるんだが……」
カイルは言い淀んだ。
俺の「表示エラー」のような正体不明のステータスが、水晶玉にどう映るか懸念しているのだ。
もし `######` なんて表示されたら、即座に拘束されるかもしれない。
「大丈夫です。なんとかなると思います」
俺は平然と答えたが、内心では冷や汗をかいていた。
対策を組まなければ。
門の前には、入国待ちの列ができていた。
行商人の荷馬車、薬草採りの冒険者、巡礼者らしき一団。
俺たちはその最後尾に並ぶ。
処理速度は遅い。
門番が二人、槍を持って立っており、一人が通行人のカードを確認し、もう一人が水晶玉を操作している。
俺は列が進むのを待ちながら、前の人の検査手順を観察した。
1. 通行人が水晶玉に手を置く。
2. 水晶玉が淡く光る。
3. 門番の手元にある石版に文字が浮かぶ。
4. 門番が「よし、通れ」と言う。
なるほど。
あの水晶玉は、接触した対象のデータベース(アカシックレコード的なもの?)にクエリ(問い合わせ)を投げ、結果を取得して、石版というビューに出力するデバイスだ。
つまり、俺が水晶玉に触れた瞬間、`SELECT * FROM People WHERE Name = 'Kudo_Satoshi'` が実行されるわけだ。
問題は、俺のデータ形式がこの世界の規格と合っていないこと。
おそらく文字化けするか、システムエラーを起こす。
俺は自分のステータスウィンドウを開いた。
`[Name]: 工藤聡`
`[Class]: N/A (未設定)`
`[Skills]: Excel操作, セルの結合, ...`
このままではまずい。
俺は「セルの書式設定」を開いた。
自分の情報が表示される「セル」の、見た目だけを変えるのだ。
実データはいじらない。表示形式(DisplayFormat)だけをいじる。
[表示形式] タブ → [ユーザー定義]。
ここに入力する書式コードが、石版に表示される文字列になるはずだ。
`"事務員";"事務員";"事務員";"事務員"`
正の数、負の数、ゼロ、文字列……どんな値が入っていても、強制的に「事務員」と表示させる書式。
いや、これだと名前まで「事務員」になってしまうか?
もっとスマートに、特定のプロパティに対するマスク処理が必要だ。
俺は、自分自身のステータスに対する「外部出力用フィルタ」を作成した。
脳内で小さなVBAコードを走らせる。
```vba
Private Sub Worksheet_SelectionChange(ByVal Target As CrystalBall)
' 水晶玉からのアクセスイベントをフック
If Target.Name = "StatusCheck_Orb" Then
With Me
.ExportData("Name") = "サトシ・クドウ"
.ExportData("Class") = "事務員"
.ExportData("Level") = 2
.ExportData("Skills") = "計算, 筆記, 整理" '無難なスキルに偽装
.ExportData("CriminalRecord") = "None"
End With
End If
End Sub
```
これでいい。
実データ(Excelスキルやトカゲ捕食の履歴)は隠蔽し、当たり障りのないダミーデータを返す。
いわゆる「モックアップ」を渡すようなものだ。
「次! そこの四人!」
門番の太い声が響いた。
俺の番だ。
カイルが先に身分証(銀色のプレート)を見せる。
「おお、カイルか。『暁の剣』パーティだな。帰還報告か?」
「ああ。依頼は完了したが、メンバーが負傷してな。急いでる」
「分かった。そこの見慣れない男は?」
門番の視線が俺に向けられる。
俺は一歩前に出た。
「森で彼らに保護されました。身分証を失くしてしまいまして」
「ふむ……服装も変わっているな。まあいい、水晶に手を置け。犯罪者じゃなけりゃ通してやる」
門番がバスケットボール大の透明な水晶玉を顎でしゃくった。
俺はゴクリと唾を飲み込み、右手を差し出した。
緊張の一瞬。
指先が、冷たく滑らかな水晶の表面に触れる。
ブゥン……。
水晶の内部で、光の渦が巻いた。
俺の脳内に、外部からのアクセス要求(Request)が届く。
`[System]: Get_User_Info executing...`
来た。
俺は準備していたマクロを発動させた。
`[Return]: Mock_Data_Object`
データの受け渡し。
コンマ数秒の遅延。
そして、門番の手元の石版が淡く光り、文字が浮かび上がった。
`名前:サトシ・クドウ`
`種族:人族`
`職業:事務員(Clerk)`
`レベル:2`
`犯罪歴:なし`
「……ん? 『ジムイン』?」
門番が眉を寄せ、石版をコツコツと指で叩いた。
「なんだこの職業は。書記官か? 商人か?」
「ええ、まあ、似たようなものです。書類の整理や計算を専門にしておりまして」
俺は愛想笑いを浮かべた。
門番は怪訝そうな顔をしたが、犯罪歴が「なし」であることと、レベルが「2」という無害な数値であることを見て、興味を失ったようだ。
「ふん、まあいい。戦闘職じゃなさそうだしな。入国税は銀貨二枚だが……持ってないだろ?」
「あ、はい……」
「俺が出すよ」
カイルが横から銀貨を二枚、門番に放り投げた。
チャリン、といい音がする。
「借りにしとくぞ、工藤」
「助かります。必ず返します(どうやって稼ぐか未定だけど)」
「よし、通れ! 次!」
槍が引かれ、道が開いた。
俺たちは門をくぐり、アルタ・ノヴァの市街地へと足を踏み入れた。
一気に喧騒が押し寄せてきた。
石畳の道を行き交う人々。
露店から上がる串焼きの煙と、呼び込みの声。
鍛冶屋から響く金属音。
どこか中世ヨーロッパ風でありながら、少しアジア的な雑多さも混じる街並み。
その光景すべてに、薄いグリッド線がオーバーレイされているのを、俺は眩しそうに見上げた。
`[Location]: アルタ・ノヴァ(中央大通り)`
`[Population]: Approx. 15,000`
`[Quest]: 未受注`
「ここが、俺の新しい職場か……」
俺はワイシャツの襟を直し、深く息を吸い込んだ。
Excelスキルだけを頼りに、この異世界で生き抜く。
まずは職探しだ。
カイルへの借金返済、そして今夜の宿代。
やるべきタスクが、すでに俺のToDoリスト(脳内)に行列を作っていた。




