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エンマ様とオクスタシア

「ぎゃああああ!!」


翌朝。静寂に包まれていた客室に、鼓膜を突き刺すような絶叫が響き渡った。 その叫び声の主を突き止めるまでもなく、私の意識は強制的に覚醒させられた。


重い瞼をこじ開けて辺りを見渡すと、そこには既に身支度を終えたオクスタシアと、腰を抜かした状態で震えているハルの姿があった。 ハルは顔を真っ青にして、目に見えて怯えている。どうやら先ほどの悲鳴は、彼が全霊を込めて放ったものらしい。


「おや。起こしてしまったみたいですね」


枕元に立っていたオクスタシアが、事も無げに、それでいて底知れない笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。


叫び声を上げた原因は、考えるまでもない。目が覚めた瞬間、おおよそ目の前と言っていい距離にオクスタシアの顔があったとか、そんな理由だろう。心臓に悪いことこの上ない。


「ごめん、エンマ。起こしちゃったよね……。つい、驚いちゃって……」


ハルは肩をすぼめ、消え入りそうな声で謝ってきた。 その顔には、私の安眠を妨害してしまったことへの申し訳なさが滲み出ている。


「別にいいけど……。そろそろ彼の顔面にも慣れろ。……それで、オクスタシア。朝早くから何の用だ?」


私が寝ぼけ眼をこすりながら尋ねると、オクスタシアは恭しく一礼した。


「昨日、話しそびれていたことを話そうと思いましてね」


彼の言葉で、私の脳裏に昨日の出来事が蘇ってきた。 広場での「地球滅亡」という衝撃の事実開示と、その後の混乱。確かに、本来進めるべきだった打ち合わせは、かなり中途半端な形で途切れてしまっていた。


「あ、それなら……僕、外に出たほうがいいかな?」


ハルは気を使ってか、そそくさと部屋を出ようとする。 かつての大王とその従者の密談に、ただの人間である自分がいていいのかと迷ったのだろう。だが、オクスタシアはその動きを静かに制止した。


「いえ、同席してもらっても大丈夫ですよ。今回の話は、ハル君にも深く関わってくる話ですから」


オクスタシアの真剣な声音に、部屋の空気がわずかに緊張を帯びた。 私はベッドから這い出し、凝り固まった体を軽く伸ばして、彼の言葉を待った。


「ハル君にはまだ伝えていませんが、現在、第2層の5階から10階にかけてのエリアは、私とは別の『アルカ』という閻魔大王候補の悪魔が支配しています」


「閻魔大王……候補?」


ハルが不思議そうに首を傾げた。 その言葉の持つ重みと、現在の地獄の危うい均衡について、彼はまだ何も知らない。


「かなり強い悪魔、という認識でいいよ」


今のハルに複雑な勢力図や、候補者たちの血生臭い争いを説明しても伝わらないだろう。私はあえて、その詳細を省いて短く答えた。


「続けます。もし君たちが第2層の試練を受けるというのなら、間違いなく、そのアルカと戦わなければならないでしょうね」


オクスタシアの冷徹な指摘に、ハルが不安げに身を乗り出した。


「その、アルカって人は……どれくらい強いの?」


純粋ゆえに鋭い、ハルの質問。私は彼の目を見据えて、ありのままを答えた。


「……今の私たちでは、逆立ちしても相手にならないだろうな。今まで戦ってきた有象無象の悪魔たちとは、文字通り別次元だと思ってもいい」


「えっ……じゃあ、どうやって試練を受けるっていうの!? 試練の場所に近づくことすら、難しいんじゃ……」


ハルの言う通りだ。第2層の試練の場である10階へ辿り着くには、支配者であるアルカの目を逃れることは不可能に近い。正面衝突すれば、一瞬で消し飛ばされるのがオチだ。


「そうですね……。ですから、私がアルカの足止めをするとしましょう」


オクスタシアの口から飛び出した突然の提案に、私たちは言葉を失った。 ハルも驚愕していたが、それ以上に私の方が強く動揺してしまった。


「いいのか……? お前はこの千年間、自分から戦いを仕掛けるような真似は一度もしてこなかったのだろう。もしここで奴と戦えば、お前はまたあの頃のように……」


かつて、戦場を血で染めていた頃のオクスタシア。私は彼の変貌を恐れ、思わず問い詰めた。 しかし、オクスタシアの決意は揺るがなかった。


「いいんですよ。このまま手をこまねいていれば、アルカ本人が直接こちらへ乗り込んでくるのも時間の問題ですからね」


彼の瞳の奥で、静かな火が灯った。


「それに……。いい加減、飽き飽きしていましたからね。アルカのやり方にも、何に対しても」


オクスタシアのその言葉には、煮え滾るような怒りだけではない。 自らの平穏を投げ打ってでも現状を打破しようとする、ある種の「覚悟」のようなものが重く宿っていた。


「すまない、ハル。……少し席を外してくれないか」


私の纏った重い空気から何かを察したのか、ハルは何も言わず、静かに部屋を出て行った。 扉が閉まる音を確認してから、私は再びオクスタシアに向き直った。


「もう一度言うが、本当にいいのか、オクスタシア? 私たちに無理に合わせることはないんだぞ」


「別に大丈夫ですよ。現状、あいつを止められるのは私くらいでしょうからね」


「そうじゃなくて……。勝てるか勝てないかの話の前に、お前自身はそれでいいのかと言っているんだ」


私の懸念は、彼の精神的な平穏にあった。一度戦いの螺旋に戻れば、二度と今の静かな暮らしには戻れないかもしれない。 私の問いに、オクスタシアはふっと表情を和らげた。


「……私はもう大丈夫ですよ。あの頃とは違う。今の私なら、戦いの中でも自分を見失うことはない」


彼の言葉は力強かった。それでもやはり、自分たちのために彼を無理やり戦場へ引き戻してしまうような、拭いきれない申し訳なさが胸を突く。


「そんな顔しないでください。これは、私が自分で決めたことですから」


オクスタシアはそう締めくくると、椅子から立ち上がり、部屋を後にしようとした。 だが、扉に手をかけたところでふと足を止め、振り返った。


「あ……そういえば。私は、あなたのことをこれからなんと呼べばいいですか?」


その唐突な問いに、私は一瞬虚を突かれた。 そういえば、再会してから今まで、オクスタシアは一度も私の名前を呼んでいなかったことに今更ながら気づいた。


「エンマでいいよ。……もう、閻魔大王ではないけれどね」


オクスタシアの昔話がすこしほのめかされました。次はハル視点のお話になります。

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