ハルは悪魔とお話をする
エンマたちが込み入った話を始めたため、僕は一人、村の外へと追い出される形になった。 オクスタシアさんの話では、この村の悪魔たちは危害を加えないとのことだが……これまで出会った悪魔のほぼ全員に殺されかけてきた身としては、やはり足がすくむ。
「……はぁ、やっぱり怖いな」
雪の残る道をしばらく歩くと、畑の傍らで椅子に腰掛けている一人の悪魔を見かけた。 話しかけるべきか、そっと立ち去るべきか。その場でそわそわと悩んでいると、向こうから視線を向けてきた。
「おや。君が噂に聞く、まだ『人間の魂』のままだという御仁かい?」
「あ、ええ。一応、そのはずです」
「へぇ、珍しいね。よかったら少し話さないか? もちろん、君が良ければだが」
「はい、ぜひ!」
意外なほど穏やかな誘いに、僕は胸を撫で下ろした。
「心細かっただろう。周りは知らない悪魔ばかりだ」
「そうなんです。大事な話があるからって、いきなり追い出されちゃって……」
「それは災難だったね」
悪魔は朗らかに笑った。その様子に安心し、僕はふと横の畑に目を向ける。丁寧に整備された土からは、何かが芽吹こうとしていた。 畑……ということは、食べ物を育てているのだろうか。 そこで、僕はある重大な事実に気づいてしまった。
「そういえば……! 地獄に来てから、一度も食事をしていません!」
ここに来てから、それなりの時間が経っている。生身の人間ならとっくに餓死していてもおかしくない。それなのに、空腹感どころか食欲すら全く湧いていなかった。
「おや、今更気づいたのかい? 普通はもっと早く驚くものだけど」
「あまりにも食欲が湧かなくて、すっかり忘れていました」
「まぁ、この世界では食べなくても死ぬことはないからね。ただ、無意味ってわけじゃないんだよ。魔力の巡りが良くなったり、再生力が上がったり……戦う際の恩恵はそれなりにあるんだ」
「へぇ、面白いですね。基本的には戦闘する際の恩恵が主なんですね」
「そうなんだよ。まぁ、私たちが戦う機会なんて滅多にないけれど」
「それでも、皆さんは食べているんですか?」
「そうだね……ここにはもう1000年以上いるけれど、流石に『生きること』そのものに飽きてくる。少しでも料理なんかで気を紛らわせたいのさ」
1000年。さらりと言ったその言葉に、目の前の住人が積み重ねてきた途方もない時間の重みが、静かに伝わってくる。
「1000年……想像もつかない時間ですね。……その、ここを出たいと思ったりは……あ、すみません! 今の、忘れてください!」
思わず踏み込みすぎた。焦る僕を見て、彼は優しく笑った。
「いいんだよ、気を楽にしなさい。そうだね……出たいとはあまり思わないかな。ここでの暮らしには、もう十分に満足しているからね」
それほどまでに、ここは平穏な場所なのだろう。
「でも、ふとした時に『生き返りたい』と思うことはあるかな。故郷で、母親の料理を食べたくなったりするんだよ」
悪魔の瞳に、ほんの一瞬だけ寂しげな色が宿った。沈黙が降り、空気が少しだけ重くなる。
「おっと、話が暗くなったね。料理の話でもしようか」
「あ、気になっていたんですけど、料理の『お肉』はどうしているんですか?」
「アレにまだ会ってないのかい? じゃあ案内するよ、おいで」
彼について行くと、小さな小屋に辿り着いた。中に入った瞬間、僕は声を上げた。
「な、なんですか、これ!」
そこには、真っ白な毛並みをした無数のウサギが、檻の中でひしめき合っていた。
「この2層に生息している生き物だよ。オクスタシアさんの威圧を嫌っているから、君たちには近寄ってこなかったみたいだね」
檻に近づくと、一羽が愛くるしい顔で寄ってきた。
「……一匹くらい、連れて帰ってもバレませんか?」
「あぁ、やめておいた方がいい。そいつら……こう見えてかなり獰猛でね。指くらいなら簡単に食いちぎるよ」
よく見ると、ウサギは歯をガチガチと鳴らし、隙あらば僕の肉を噛み裂こうとギラついた目をしていた。僕は慌てて檻から離れる。
「……というか、このウサギたちを食べているんですね」
「そうそう。脂が乗っていて美味しいんだよ、これが」
嬉しそうに語る彼を横目に、この愛くるしい外見の生き物を捌く姿を想像して、僕は少しだけ気が引けた。 小屋を後にした道すがら、彼が何気なく尋ねてきた。
「そういえば、君はどこの国の生まれなんだい?」
「生まれ? ああ、生きていた時の国ですか」
「そう。私はフランス出身だよ。あそこにいる奴はアメリカ出身だし、ここは国籍も時代もバラバラなんだ」
フランス、アメリカ……聞いたことのない地名だ。きっと、僕の知らない遠い場所なのだろう。
「そういえば、出身が違うのに言葉が通じるんですね。当たり前のように会話していたから、不思議に思わなかったです」
「それもこの世界の理の一つだね。それで、君の国はどこだい? もし知ってる国だったら、そこの料理を今度作ってあげるよ」
「……えっと、ガルガナという場所です」
すると、彼は不思議そうに眉を寄せた。
「……聞いたことがないね。どこの大陸の国だい?」
「戦争で消えてしまった国ですから……そのせいで歴史に残っていないのかもしれません」
「あぁ、なるほど。じゃあ、何か具体的な料理の名前はあるかい?」
「『グランバイザ』という料理があります。僕の故郷では定番で、世界的にも有名なはずなんですけど……」
「……いや、それも聞いたことがないな。どんな料理なんだい?」
「エンアリという野菜と肉を、グランというソースで炒めるんです」
「……ごめん。さっきから、君が何を言っているのか全くわからないんだ」
おかしい。話が噛み合わない。エンアリなんて、それこそ誰でも知っているような一般的な食材のはずなのに。 何か、決定的な違和感が背筋を走る。
「えっと……エンアリは紫色の根菜で、煮込むと柔らかくなって……」
「そんな植物、見たことも聞いたこともないよ。そもそも『エンアリ』なんて言葉、地球の言語の体系ですらないような気がするんだが……」
そこで、僕は純粋な疑問を口にした。
「……地球って、なんですか?」
ハルは地球生まれじゃなかったみたいですね。一体どこの星なんでしょう。
次回は再びエンマ視点でお話がすすみます。




